018 カレーと奇妙な質疑応答
わたしは台所でタマネギをみじん切りしながらエリオットの話に耳を傾けた。
彼の切羽詰った様子は、異世界あちらの時間で
「そうだったんだ……心配してくれてありがとう。
でも、こっちの世界では、あれからまだ七時間しか経ってないんだよ?」
「…え?」
「こちらの世界の時間はそちらの世界と比べて四倍早かったって話をさっき聞いたけど、こっちの一時間が異世界そっちの一日になっているってことは…」
「時間の流れ…二つの世界の時間差が一定ではない、ということになりますね。
しかも、今度はそちらの世界の時間が経つのが遅く、こちらは非常に早い。
…ユーナ、僕、少し席を外してもよろしいでしょうか?
お師さまにこの件を報告してきたいのです」
わたしはまな板に包丁を置いて居間との境目まで移動し、TV画面の向こうのエリオットに笑いかけた。
「うん、いいよ。
こっちも料理しながら話をしているわけだし、そんなに気を遣わないで」
「はい、ありがとうございます」
エリオットは律儀に頭を下げた後、TVの枠外へと消えた。
彼がいなくなった途端、TVの画面は黒色に変わり、音声も途切れる。
わたしは「エリオットの目と耳がないと音声と映像の受発信ができない」という話を思い出しながら料理を再開した。
みじん切りしたタマネギをフライパンに移し、オリーブオイルを入れて弱火で炒める。
飴色になるまでじっくりと炒めるのは時間がかかるから、他の作業と平行して行う。
鶏のモモ肉をフォークでザクザク刺して穴を開け、一口くらいの大きさに切ってから、鶏肉に塩と胡椒とカレー粉を揉みこんだ。
その後でヨーグルトをたっぷり塗り、しばらくこのまま置いておく。
汚れた手を洗い、フライパンの中のタマネギをかき混ぜてから、ニンジンとジャガイモをの皮を剥く。
ニンジンは小さめの乱切り、ジャガイモは煮崩れることを想定して大きめに…っと。
それらをお鍋に移して軽く炒めたあとで水を入れ、沸騰するまで待つ。
狐色になったタマネギをフライパンの片隅に寄せて、寝かせておいた鶏肉をフライパンに入れた。
鶏肉の皮が付いている面を下にして弱火でじっくり焼いているうちにお湯が沸く。
「あ、ブイヨン出しておくの忘れた」
フライパンの上の鶏肉をひっくり返し、タマネギのほうも焦げ付かないようによく混ぜる。
フライパンの中のタマネギの上にカレー粉を追加で入れて炒めると、台所にカレーの芳醇な香りが充満した。
鶏肉の表面が程よく焼けたところで、フライパンの中身をお鍋の中に移す。
お湯の上に浮き上がってくる
あとはニンジンとジャガイモが柔らかく煮えたあと、カレールゥと隠し味各種を入れるだけで、美味しいチキンカレーが完成する。
「火を弱火にして、タイマーを二十分後にセット。
よし、次は…」
わたしが冷蔵庫の野菜室を開けようとしたとき、エリオットの声が聞こえた。
「ただいま戻りました。
ユーナ、聞こえてますか?」
「はいはーい、聞こえてますよ」
わたしは返事をしながら居間にあるTVの前に駆けつける。
TV画面に映っているエリオットの表情には
その表情の変化にはあえて触れず、わたしは何も気がつかないフリを装って尋ねた。
「…ちょうど今、食事の支度がひと段落したの。
エリオットはお師匠さまとのお話、もう終わったの?
わたしのことなら気にしなくても大丈夫だよ?」
「お気遣いありがとうございます。
でも、大丈夫です。
…あの、ユーナに質問したいことがあるのですが」
エリオットの歯切れの悪い口調が妙に気になる。
わたしは嫌な予感を感じながらこくりと頷く。
「いいけど…なぁに?」
エリオットは視線をさ迷わせながらためらいがちに口を開いた。
「ユーナは、ユートがいないと淋しいですか?」
「………は?」
わたしは唐突な質問に驚き、真顔で問い返した。
「わたしが優人がいなくて淋しいと思っているかどうか…が、聞きたいの?」
自分が尋ねたことなのに、エリオットは顔を真っ赤にして肯定する。
「はい、そうです」
何故エリオットがそこで顔を赤らめるのかも、よくわからない。
わたしは首を傾げながら答えた。
「ううん、全然淋しくない」
「…えぇっ?」
エリオットの驚愕の表情を見て、わたしは眉をひそめた。
何だろう?
何か微妙な疑惑を持たれてる?
ここは完全に否定しておかないといけないような気がして、わたしはきちんと理由も話した。
「――わたしと優人は学校が違うから、平日は夜しか顔をあわせない暮らしをしているの。
生活時間がそれぞれ違うから、夕食を一緒にとれないこともあるし。
同じ家に住んでるけど、傍にいないことが『普通』で『あたりまえ』なの。
それに、優人が自分で決めてそちらに行ったんだもの、帰るタイミングも好きに決めればいいと思う。
火竜討伐が命懸けの任務だということは解ってるけど、あんまり心配してないんだ。
うちの兄はいろいろと規格外だから、絶対に死なないと思うし」
わたしがそう言うと、エリオットは微笑んだ。
「それは確かに僕もそう思います。
この七日間、ユートの類まれな才能と実力に驚かされることばかりでした」
「…そうなんだ?
きっといろいろと大変だったんだろうね」
「はい、とっても大変でした」
わたしたちは同時に乾いた笑いをもらした。
同じ体験をした者として、現在進行形で疲労を蓄積しているエリオットに、労いの言葉をかけるくらい造作もない。
「本当にお疲れ様。
優人のことは基本的に『放し飼い』みたいな感じで十分だと思うよ?
エリオットが頑張って面倒を見ようとしなくても大丈夫。
あと、
邪魔なら優人は自力で排除するから、巻き込まれないように気をつけてね」
「…ユーナは…」
エリオットは何かを言おうとして、口を噤んだ。
彼の逡巡する様子を見て、わたしはそれとなく話の水を向ける。
「どうしたの?
まだ何か、わたしに聞きたいことがある?」
声をかけたあとは、じっとエリオットの答えを待つ。
どうしてかわからないけれど、急かしてはいけないのだと思った。
しばらくすると、エリオットは腹の底から搾り出したような声でわたしに訊いた。
「ユーナは嫌だと思わないんですか?
ユートがたくさんの女の人たちに口説かれている姿を見ても、何も感じませんか?」
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