二章  わたしも巻き込まれました

017  TVをつけたら異世界と繋がりました




――何度も何度も、くり返し夢を見る。


十年前の『事件』の顛末を、わたしはよく覚えていない。

外傷と精神的なショックで記憶の一部が失われているらしい。


でも、後悔する気持ちと胸を焦がすような焦燥感だけはわたしの強く心に残っていて、夢を見るたびにそれを思い出す。




「にぃちゃ、にぃちゃ、どこ…?」


泣いているちいさな子供がいる。

あれは、十年前のわたし。


高いジャングルジムの上に置き去りにされてしまったわたしが泣いている。

怖くて、心細くて、お兄ちゃんを呼んでいる。



過去は変えられない。

それをわかっていても、夢を見ながら願ってしまう。



やめて、優人を呼ばないで。

そのまま、動かないで。

動いたら、危ないの。

落ちたら怪我をしてしまうから、気をつけて。

じっとしていれば、すぐに助けがくるから。



――どんなに願っても、わたしの願いは届かない。




「優奈!」


わたしの名前を呼びながら兄が遠くから駆けてくる。

その姿を見つけたちいさなわたしは、兄のほうへ手を伸ばした。


「にぃちゃ」


お兄ちゃんが来てくれたから、もう大丈夫だと思ったのは、わたし。

お兄ちゃんの姿が見えたのが嬉しくて、高いところにいる恐怖を忘れたのは、わたし。


ちいさなわたしはバランスを崩して、ジャングルジムの上から転げ落ちた。



……ドシャ!

重い荷物が落ちた音と水面を叩きつけたような音が、同時に聞こえた。



全身が痺れるような痛みと、身体の中から温かい何かが流れてゆくのを感じる。

たくさんの人の足音、悲鳴と泣き声が周囲に木霊こだまする。


意識が薄れていく中、わたしの耳は兄の悲痛な声を拾った。




「――僕はあいつらを絶対に許さない。

優奈おまえと同じ目にあわせて、全員殺してやる」




復讐を誓う兄を止めたくて、わたしは必死に語りかける。



やめて、お兄ちゃん。

わたしは大丈夫だから。

命までは失わない、助かるから。

だからお願い、もう……。






夢から覚めたら、気分は最悪だった。


「――優人がいなくてよかった」


夢にうなされてたまに寝言を言っているわよ…とお母さんに教えてもらってからというものの、寝ている間も油断できない。

兄に聞かれでもしたら、また余計な心配をかけてしまう。


わたしはため息と一緒にもやもやした気持ちを吐き出して、勢いよくベッドから起き上がった。

軽くストレッチをして身体をほぐしていると、お腹の虫がぐぅぅ~っと鳴いた。


「…あれ、もう三時?」


時計を見たら、自分が七時間以上寝てしまったことに気がついた。

二度寝が気持ちいいものだとはいえ、貴重な休日のうちの一日を潰してしまったようで、ちょっともったいないと思う。



「朝食と昼食を兼ねた遅い食事が『ブランチ』なら、昼食と夕食を兼ねた早めの食事は何て言うんだろう?」


わたしはどうでもいいようなことで頭を悩ませながら、階下の台所へと向かった。


よく磨かれた木の廊下を滑らないように気をつけながら歩いて、台所で冷蔵庫の中身を物色する。

かつて六人家族の胃袋を支えた大きな冷蔵庫の中はガラガラだった。


「明日は買い物に行かなくちゃ、何もないなぁ…。

今日のところは鶏のモモ肉で、チキンカレーを作ろうっと」


今朝炊いたご飯はまだたくさん残っている。

カレーを煮込みはじめたあとでサラダを準備すれば、全部タイミング良く出来上がるだろう。


メニューが決めたわたしは、材料をテーブルの上に揃えた。


鶏肉、ヨーグルト、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ。

カレー粉、カレールゥ、塩と胡椒とカイエンペッパー。

隠し味のトマトケチャップにウスターソースとバター。

それとオリーブ油も。


調理を始める前にラジオをつけようとしたわたしの手が宙をさまよう。


「…そっか、お母さんが旅行に持って行ったんだっけ」


他所よそのお家ではどうだか知らないけれど、ウチでは料理をするときにラジオをつける習慣がある。


お母さんの「音がしないところで一人、食事の準備をしていると寂しいから」という、なんとなく解るようでよく解らない言い分は、家族全員に承認されていた。


「ラジオの代わりにTVをつければいいか」


電気代がもったいないような気がするけど、ラジオの代わりになるものが他にないから仕方が無い。


わたしはエプロンを身に着けた後、台所から居間に移動してTVのプラグをコンセントを入れた。

省エネのために映像は映らないように設定して、TVのスイッチを押す。


新聞のTV欄をチェックして、BGMに良さそうな番組を探した。

この時間帯でドラマじゃない番組を放映してるところは…。




「――ユーナ、貴女あなたの身にいったい何があったんですか?」


「…?」


どこかで聞いたことのあるような声がTVのスピーカーから聞こえてきました。


ドラマかな?

ドラマですよね?

ドラマの台詞だとしか考えられませんよね?

サスペンスドラマか刑事モノなんでしょうね、きっと。


わたしが新聞から目を離さずに黙ってTVの番組表を見ていると、エリオットの声とよく似ている俳優さんがうろたえ始めた。


「お師さま、ユーナからの返答がありません。

それに、映像も映らないし……どうしよう、僕、何か間違ったんでしょうか?

このままユーナと連絡が取れなかったら、どうすればいいんでしょう?」


「…。」


その今にも泣き出しそうな口調に、わたしの良心がチクリと痛んだ。

なんか厄介ごとっぽい予感がするから、全力でスルーしたかったんだけどな…。


わたしはTVの映像が映るように設定を元に戻した。

間髪を入れずにエリオットから声がかけられる。



「ユーナ…よかった、無事だったんですね!」


「…。」


TV画面にはエリオットの喜色満面の笑顔が映っている。

わたしは曖昧な笑みを浮かべながら、エリオットに向けてちいさく手を振った。



…うん、わたしは無事だけど、ウチのTVは無事じゃないみたいDeathデスね。




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