016 異文化交流は胃袋から
「えぇっ?
ゆ、ユート…どうして…」
わたしは驚いて目を丸くしているエリオットに確認をとる。
「優人がこの中に落ちて消えちゃったけど、ちゃんとエリオットの世界に着いたか分かる?」
「ええと…はい。
帰還の術式の起動が終了した直後だったので、大丈夫です。
僕の師匠の研究室の中に、無事着いているはずです」
「…そう、それなら心配しなくても大丈夫だね」
兄を突き飛ばしてしまったのは、脊髄反射的な拒否反応だった。
わざとやったわけじゃないけど、そのせいで兄が関係ない世界ところに飛ばされていたら、さすがに責任を感じていただろうから、何事もなくてよかったよかった。
安心したわたしは、荷物の最終チェックをはじめた。
兄があっちの世界でお菓子やパンを作る場合のことを考え、薄力粉と強力粉、ベーキングパウダーとドライイーストも追加する。
ジャンク系の食べ物もちょっと入れておいてあげよう。
インスタントラーメンの味噌味と塩味を三つづつ。
お菓子はポテトチップスとチョコレートぐらいでいいかな。
のど飴と眠気覚まし用のガムも追加して…っと。
――あと何か足りないもの…あ、髭剃りも必要かも?
兄は体毛薄いから使用頻度は低そうだけど、どれくらい異世界あっちに滞在するのかわからないし…。
わたしは洗面所から兄のモノっぽい髭剃りとシェービングジェルを持ってきてビニール袋に入れ、最後におばあちゃんのフライパンをスーツケースの中に詰め込んだ。
よし、これで準備完了。
「ごめん、優人が荷物忘れて行っちゃったから、
「はい、わかりました。
結構大きいですね。
中には何が入っているんですか?」
「んー?
着る物と、便利そうな道具と、日用品と、あとは調味料」
「…ああ、ユートの料理、美味しかったですからね」
「そうそう。
異文化交流は、まず胃袋からが基本だと思うの。
優人は料理が得意だから、それをきっかけに
「わぁ、それは楽しみです。
先ほどいただいた『はんばぁぐ』と『らいす』も、とても美味しかったですし」
「うん、エリオットが気に入ってたから、お米もちゃんと入れておいたよ。
お水と火があれば、どこでも炊けるからね。
お水が違うと、出来上がりも違う可能性もあるけど…」
日本の水は軟水。
軟水以外で美味しいごはんが炊けるのか、わたしは知らない。
「…そうですよね、あちらでも同じように美味しく作れるかどうかはわからないですよね」
エリオットはしょんぼりしながらも、明るい声で「それでもきっと優人なら美味しい料理を作ってくれるに違いありません」と言った。
すでに兄はエリオットの胃袋をがっちり掴んでいるらしい。
「残り物だけど、昨日優人が作った煮物も持っていく?」
「はいっ!」
即答だった。
しかも、超キラキラの笑顔で。
…ああ、しっぽをぶんぶん振っているちびわんこの幻影が見える。
わたしは苦笑いしながら、お鍋に残っていた肉じゃがをタッパーに詰めた。
「これは『肉じゃが』という名前で…牛肉とジャガイモと玉葱と人参が入った煮物なの。
彩りにアスパラガスが入れてあるんだけど、温め直したらたぶん色が悪く…綺麗な緑色ではなくなってしまうと思うけど、味には影響ないから大丈夫」
タッパーを風呂敷に包んでエリオットに手渡す。
「わかりました。
お師さまも美味しい食べ物が大好きなので、きっと喜ぶと思います」
彼は右手に風呂敷包み、左手に兄の旅行鞄を持ち、わたしにお礼と別れを告げた。
「――じゃあ、僕、そろそろ行きます。
短い時間でしたが、ユーナとお話できて、とても楽しかったです。
お茶やお菓子もありがとうございました」
「わたしも弟…じゃなくて、兄弟が増えたみたいで、楽しかったよ。
あちらに戻ってもいろいろと大変だろうけど、がんばって。
応援しかできなくて、ごめん。
優人は…兄はすごく優秀な人だし、おばあちゃんの剣術指南も受けていたらしいから、遠慮なくこき使ってね」
得物がフライパンじゃどうにもならないかもしれないけど、それには触れないでおこう。
「はい、必ず任務を成功させて…優人をこちらの世界へ送り届けに来ますね」
「うん、待ってる。
行ってらっしゃい、エリオット」
「行ってきます」
彼が魔法陣に足を踏み入れた瞬間、彼の姿と台所の床に浮かんでいた魔法陣は幻のように掻き消えた。
何も無かったかのように、最初から誰も居なかったみたいに、静寂が訪れる。
しんと静まりかえった家の中で、わたしは大きなあくびをした。
「んー…ねむい…」
エリオットが現れたのは、まだ夜明け前だった。
昨日の夜寝たのが一時過ぎだったから…三時間半ぐらいしか寝てないのかも。
わたしは二度寝することに決め、戸締りをしっかり確認してから自室へと戻って眠りについた。
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