012  兄を異世界へ輸出する準備をはじめました



ただの頭痛だから心配するな、少し寝たら治る…と言って、兄はその場でごろりと横になった。


兄の眉間に寄せられたシワと流れ落ちる冷や汗を見れば、普通の頭痛じゃないような気がするけど、苦しんでいる本人がそう言うのなら、ここは騒がずに少し様子を見たほうがいい。


わたしはそう結論を出すと、押入れから薄手の掛け布団を出して、兄の身体にかける。

エリオットにタオルと額に乗せる氷枕を渡し、兄の傍についていてくれるように頼んだ。


喉が渇いて起きたときのための水と、うさぎさんの形に切ったリンゴをちゃぶ台の上に乗せ、エリオットに席を外すことを伝えてから居間を出た。




トントントンっと軽やかに階段を上がって、兄の部屋を目指す。

兄の部屋はおじいちゃんから譲り受けた和室で、今日もキチンと片付いていた。


えーと、兄の旅行鞄は何処にしまってあるのかなぁ?


とりあえず押し入れのふすまを開ける。

押入れの右上半分は、きちんと畳まれた敷布団と掛け布団。

左上半分は、クローゼットのように洋服がかけられている。

下の左右には、可動式の衣装箱と本棚が入っていた。


ここでよくあるお約束な『エロぃ本』を探す、という選択肢はわたしには無い。


君子危うきに近寄らず。

自ら地雷を踏むような行動はしたくない。


くわばらくわばら…と呟きながら天袋を覗き、探していた旅行鞄スーツケースを見つけた。

精一杯背伸びして持ち手をつかむと、思ったよりも簡単に下ろすことができた。


軽い素材で作られているのか、鞄自体はたいして重くない。

兄はコレを五泊六日用の修学旅行に使っていたけど、この大きさならもっと入りそう。


わたしは兄の衣類を二日分入れた。

エリオットのお家は仮にも貴族なんだし、あちらの衣装を貸してくれると思うけど、何があるか解らないし…一応。


懐中電灯、ろうそく、ライター、サバイバルナイフ、雨合羽、タオル、バスタオル。

具合が悪くなった時のために、解熱鎮痛剤と風邪薬と胃薬と下痢止めと……滋養強壮剤も。

思いつくままにポイポイ入れたら、あっという間に半分近く埋まった。


魔法がある世界でも、魔法が使えない場合に備えて、役立ちそうなものは他にあるかな?


あ、あと、歯ブラシと歯磨き粉も入れていこう。

虫除けスプレー…は、必要ないかな?


旅行鞄で床を傷つけたりしないよう、注意して持ち上げながら階段を下りて、洗面所から新品の歯ブラシと旅行用の歯磨き粉を回収。


わたしはそのまま台所へ突入した。


お弁当用のちいさな容器やタッパーウエア、密封袋をたくさん出して、兄があちらでも料理できるよう調味料を少量づつ取り分ける。


お米…は、十合ぐらい入れておこう。

お酒とお醤油、味噌と砂糖と塩に胡椒。

それからお酢とソースとケチャップ。

カレーはルウよりも粉のほうが使い勝手がいいよね、きっと。


出汁パックに昆布、干し椎茸と干し海老と干し貝柱。

コンソメキューブも三個ぐらい入れておこうかな。


海苔も入れておこう。

ふりかけも小袋のをすこし。


調味料を入れた容器を密封袋に入れ、油性ペンで袋に何が入っているのかを記してから、スーツケースへ次々と詰め込んでゆく。


集中して作業をすすめていると、わたしの視界の隅っこにスリッパが映った。



「……あ、優人、起きたの?

もう頭痛は平気?

まだダメだったら、頭痛薬あるよ」


居間と台所の境にある柱に身体を預けながら、兄がわたしを見下ろしている。


「…いや、もう大丈夫だ。

一眠りしたら、嘘みたいに楽になった」


そう言ってはいても、まだ本調子じゃないのがわかる。


定まらない視線とぼんやりした表情。

兄の美貌に慣れていない人には、『物憂げで超絶に色っぽい』感じに見えるらしい。


今日は犠牲者が出なくて良かった…と思った瞬間、わたしはエリオットのことを思い出した。



「…。」


居間に視線を投げると、エリオットは頬を桜色に染めて兄の顔をじっと見つめていた。


あー……手遅れ、かも?

怖いから問いただすのは止めておこう。


うん、わたしは何も見なかった。

何も気がつかなかった。


わたしが保身のためにスルースキルを発動していると、兄から再び声をかけられた。



「…で、優奈?」


「なに?」


「何をしているのか、聞いてもいいか?」


兄の問いに、わたしは首を傾げた。


「見てわかんない?」


「…。」


珍しく兄が素直に頷くので、わたしは意地悪をせずに答えてあげることにした。


「優人のための荷造り」


「…は?」


「だって、もう決めているんでしょう?

エリオットと一緒に異世界へ行って、竜退治の手助けをしてあげることを」




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