第12話 少年狩人は森妖精(エルフ)と出会った


 この世界ほし、ストラレンドエルデは、まだ人間たちの入植を受けていない未開の地がたくさんある。


 狩人の少年――レイルズが住むウンターホーフの村は、そうした未開の地との境界、いわゆる辺境と呼ばれる地域にあった。

 ウンターホーフは森を切り拓いて出来た村であり、人口は最盛期で六〇人弱、住人の大半は農民、木こり、狩人である。

 住人はそこで自給自足の生活をし、余剰の農作物や干し肉、毛皮、木材などを近隣のノイホーフの街に売り、その金で他の生活必需品を購入していた。 

 税をかける領主はいないため、住人は最近まで比較的豊かな生活を営んでいた。


 元手が無くとも身一つで生活して行けるという事で、レイルズの一家がノイホーフの街からここに移住してきたのはもう五年前のことになる。

 ウンターホーフやノイホーフは王国貴族の支配から独立していると言えば聞こえはいいが、要するに王国の庇護下に無い、見捨てられた地域である。


 その住人たちは、王国で流刑となり追放された罪人や、一獲千金を夢見て王国を飛び出した開拓者や冒険者たちの子孫である。

 罪人といっても、凶悪犯は死罪となり、窃盗などの軽犯罪は投獄となるため、多くは政治犯やそれに連座したものであり、必ずしも悪人というわけではなかったが、少なくとも盗賊や妖魔鬼ゴブリンと戦う程度の荒事はこなさないと、ここで生きていくのは難しかった。


 実際、ウンターホーフの村はそうした脅威に晒されている真っ只中であった。

 

 転機は四か月ぐらい前、村の猟師達が狩場としていた東の森にゴブリンが住み着いた事である。

 狩場を荒らすゴブリンを猟師の一人が射かけて殺すと、ゴブリンたちは報復とばかりに村を夜襲し、多くの男衆が戦死した。ウンターホーフの人口は六〇人から四〇人に減り、レイルズの両親もその時に亡くなっている。こ

 その後、ゴブリンは村を襲ってくることは無かったが、当然東の森に狩りに入るのは憚られ、村人は多くの住人を失ったことに悲しみに暮れた。


 更に悪いことに、その一か月後、北の森に盗賊の一団が住み着き、ウンターホーフを訪れる商隊を襲うようになった事である。

 その噂は瞬く間に広がり、商隊が村を訪れることが無くなってしまった。

 襲撃対象の商隊が来なくなると、盗賊たちは今度は村を直接襲い、農作物等を奪うようになった。

 先のゴブリンとの戦いで男衆の多くを失ってしまったため、村人たちには自衛するすべが無く、いいように強奪されるがままであった。

 不幸中の幸いだったのは、盗賊たちの襲撃が不思議なことに、二か月ぐらい前を境としてピタリとやんだことである。


 そんな状況下であった。 


 ウンターホーフ村は働き手である男衆が大勢亡くなったため、村人の生活の維持が難しくなっていた。

 特に深刻なのは狩猟だ。それまで一〇人居た狩人は二人に減っており、しかも一人は重傷で狩りを続けるのが難しい状態であった。 


 つまり、実働はレイルズただ一人ということなのである。しかもレイルズは、十人の狩人の中で一番年下で、一番経験も浅かった。

 

 レイルズは両親を失い、妹のルビーと共に悲嘆に暮れていたが、悲しんでばかりは居られない。ゴブリン襲撃後、二週間ぐらいで狩人としての活動を再開した。

 しばらくは自身が比較的得意とする鳥を射っていたが、鳥は冬になると居なくなる。そこで森でシカとイノシシを狙うようにしたが、これが非常に厳しかった。

 

 元々ウンターホーフの狩人たちは、一〇人全員で獲物を囲んで追い立てる巻き狩りや、けもの道に罠を仕掛ける罠猟が得意で、単独猟はほとんど経験が無い。

 だが、罠を作れる二人の狩人は亡くなり、実働はレイルズ一人であるため、単独猟をするしか無くなってしまったのである。

 レイルズは農民や木こりへの転向も考えたが、狩人衆が途絶え、村に食肉が全く提供されなくなることを考えると、その選択は取りづらかった。


 戦果は散々である。三か月間でイノシシ一頭、シカ一頭。

 しかも悪いことにイノシシは、仕留めた後で血抜き処理をしている際に、件の盗賊に見つかり、その場で脅されて奪われてしまった。

 つまり村に持ち帰ることが出来たのはただシカ一頭だけである。村人全員の食肉を満たすには全然足りない。


 本来の狩場である東の森は、危険であるから、ゴブリンの足跡が出現する場所より先には踏み込めない。

 必然、利用できる狩場の範囲は限られ、獲物と遭遇する頻度も低い。レイルズ自身の狩りの腕の問題もあるが、そもそも効率が悪いのだ。


 一方で、北の森は手付かずである。だが北の森は森妖精族(エルフ)が住んでいるとして、一定以上奥に立ち入ることは村の掟で禁忌とされていた。

 レイルズもウンターホーフに初めてやって来た時、北の森に入るとエルフに連れていかれると散々言い聞かされたものだ。


 だがレイルズは、一刻も早く獲物を仕留めなければ、と焦っていた。だから村の掟を犯して北の森の奥に入ることにしたのだ。

 しかも、北の森を根城にしていた盗賊たちは現れなくなった。好機である。

 村の長老たちは「エルフの怒りを買って森の奥に連れていかれたのだ」と言っていたが、若いレイルズはそのような迷信は信じなかった。


「ゴブリンより、居るか居ないか分からないエルフの方がはるかにマシじゃないか」


 そう言ってレイルズは北の森に向かい、これ以上踏み込んではならないという境界線の目印である赤い木の杭を超えて、中に入った。

 一日目は様子見ということで、あまり奥には踏み込まなかったが、それでも北の森や東の森の浅い場所より遥かに多くのシカやイノシシと遭遇した。


 二日目は更に奥に踏み込んだ。多くの獲物と遭遇したが、仕留めることは出来なかった。

 

 三日目も同様である。ただ途中で何かに見られているような視線を感じたが、その正体を突き止めることは出来なかった。


「まさかエルフじゃないよな、はは…」


 若干不安にならないでもないが、獲物との遭遇頻度は高い。辞める理由にはならなかった。

 そして四日目である。




「え、森妖精エルフ…?」


 レイルズがそう呟いたのも無理からぬことだ。

 目の前にいたのは、今まで見たことも無いような、とても美しい少女だ。

 腰まではあろうかというロングストレートの見事な銀髪、そして雪のように白い肌。整った顔立ちにスリムで長身の体。それにも関わらず、存在を主張するアンバランスな二つの双丘。

 そんな現実離れした容姿の女性が、薄手のワンピースに小型の胸当てといういでたちで佇んでいるのである。


 レイルズは実際に他のエルフを見たわけではないし、細かいことを言えば耳が尖っていない等、実際のエルフとの細かい差異は少なからずあるのだが、こんなこの世のモノとは思えない美しい女性はエルフに違いないと思い込んでしまった。


 しかもその背後には、彼女が仕留めたと思われるシカが木に吊るされている。きっとエルフならばこのような軽装でシカを狩ることも可能なのだろう。


「近寄らないで!」


 透き通るような美しい、しかし凛とした声が響いた。

 少女はいつの間にか弓の弦を引き絞り、矢をレイルズに向けて狙いをつけている。


 レイルズは少女を凝視していたにもかかわらず、弓矢を取り出す動作が全く見えなかった。まさか収納魔法の使い手なのだろうか?

 人間と違って、エルフは全員が魔法の才能ギフトを持っている。あり得ない話ではない。恐らく目の前の少女はその容姿に反して強大な力を持っているのだろう。自分などはいとも簡単に殺すことが出来るに違いない。

 迷信だと笑い飛ばしていた「エルフに連れていかれる」という言い伝えが妙に現実味を帯びてきて、レイルズは背筋にぞっとするものを感じた。


「ま、まってくれ。危害を加えるつもりはない。俺は狩りをしていただけなんだ!」

「ええ、知ってるわ。二~三日前から随分とわたしの狩場を荒してくれたじゃない」


 レイルズは心臓が口から飛び出るほど驚いた。この少女は全てお見通しだ。やばい。何処をどう考えてもこの状況は言い逃れ出来ない。詰んでいる。

 レイルズはその場に膝をつき、がっくりとうなだれた。彼は森の掟を破ったことを心底後悔していた。

 自分はここで殺されてしまうのか、それとも森の奥に連れ去られるのか。そう考えていると、独りでに涙がこぼれ落ちてきた。だが家にはまだ年端も行かない妹のルビーがいる。ここで死んだり拉致されたりするわけにはいかない。


「すまない、知らなかったんだ、謝る。頼むから連れていかないでくれ!」

「はあ?――なんで貴方を連れていかなきゃいけないのよ」


 少女は毒気を抜かれたのか、弓矢を下ろして、そうこぼした。

 

「さっさと、ここから立ち去りなさい。わたしの狩りの邪魔をしないで」

「わ、わかった」


 どうやら拉致されることは無さそうだ。レイルズは命拾いしたと思い立ち去ろうとしたが、思いとどまった。

 目の前の少女は獲物を見事に仕留めている。一方、悔しいが自分には単独猟の技量は無い。このままではジリ貧だ。


「失礼を承知で頼みがある。そのシカを譲ってはもらえないだろうか」

「は?――あなたねえ、どこまで厚かましいのよ。ダメに決まってるでしょ!」


 少女の言う事はもっともだ。だがレイルズもこのままでは引き下がれない。 


「もちろん無料でとは言わない。買い取りたいんだ。出来る限りの謝礼はする」

「ああ、そういうこと?――でも自分で狩れば良いじゃない。あなた狩人もなんでしょ?」


 レイルズは必死で説明した。元々は集団で追い込む巻き狩りを行っていたこと。以前の狩り場は村の東側の森だったこと。その森にゴブリンが住み着いて、狩人の大半が命を落とし、未熟な自分が不慣れな単独猟をせざるを得ない状況であること。


「恥ずかしい話だが、自分の技量では三か月間でイノシシ一頭、シカ一頭しか狩れなかったんだ。しかもイノシシはこの森に住み着いた盗賊に奪われてしまった。ちょうど二か月ぐらい前の事だ」

「あ…!」


 その話をすると、なぜか少女は視線を逸らしてバツが悪そうな表情をした。


「はあ、分かったわ。ちょっと待っていなさい」


 少女が背を向けて木に吊るされたシカの方に向かったので、レイルズもゆっくりとそちらに近づいて行った。


「え、ここで内蔵処理をするのか?」

「もちろん」


 少女はシカの中腹部にナイフを入れ、すーっと下に引き裂く。皮は切れているが、腹膜は破れていないので内臓は飛び出さない。

 その後、腹側から外側に皮を切り開いていき、肋骨を切断。既に血抜きで切り込みを入れていた部分から食道と気管を切り取り、そのままずるりと内臓を引き出して、下に掘られた穴に落とす。その後腹の中を水魔法で洗浄し、同じく土魔法で下の穴を埋めてしまう。

 あまりの手際の良さに見惚れていると、少女は皮剥ぎまで始めてしまった。するっと全身の皮を剥ぎ、首を切り離し、首付きの皮を草むらの上に置く。

 続いて、吊るされたシカの真下に木の板を二枚並べ、つなげ合わせてロープを取り付ける。


「その木の板は?」

「ソリ」


 少女は答えながら、木の板の上に布を広げる。そのままシカを載せるのかと思いきや、前足と後足を切り離し、コンパクトにして布の上に重ね、丸ごと風呂敷包みの要領で収める。そしてその上に首付きの皮を被せる。


「ほら」


 と少女はソリを引くロープをレイルズに手渡した。


「ほ、本当に良いのか?」

「良いも何も、あなたが欲しいって言ったんでしょ?」

「すまない、恩に着る。この謝礼は必ず」

「謝礼はいいから、その代わり今回だけだからね。木の板とロープと布はまだ使うから、赤い杭の所に返しておいて」

「わかった」


 ロープを受け取る時に少女と手が触れた。目の前の少女は間近で見ると本当に美しく、レイルズはドギマギしてしまった。


 レイルズはソリを引いて帰る途中、解体されたシカを改めて見てみた。

 皮は既に洗浄されていて汚れ一つ付いていない。肉は冷却魔法がかけられているのだろうか。氷のように冷たかった。


「あんなに魔法を使うとは、やはりエルフだったのかな…」


 あの美しい少女にもう一度会いたいと思った。ソリを返すときに杭の場所で待っていたらまた会えるだろうか。

 そしてレイルズは興奮醒めやらぬ心持ちで村に帰る途中、その事に気づいた。


「あ、名前聞くの忘れた…」

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