第11話 7/22(水)

七月二十二日(水)


 ハイジャック当日。

 目が覚めると、床におじさんが二人転がっていた。もう「二つ」って言いたくなる感じだけど。時計を見ると八時前だった。思ったより早く起きられて満足だ。温泉のお陰かも知れない。

「こら!起きんかい!」

 とりあえず怒鳴る。

「お風呂も入らんと酔い潰れて!浴場行って酔い覚まして来んかい!」

 ノロノロ起き上がる二人に、バスタオルを投げつけた。

 二人のおじさんが出て行ってから着替える。今日は本番だからな。勝負服ってことで、ここは赤っしょ。1番気合い入るもんね。

 さて、と。私は朝ご飯でも食べに行こうかな。ビッフェ形式の朝食会場に入って、物色する。折角だからお洒落にパンでブレックファーストとしましょうか。残念ながら塩辛は無さそうだし。コーヒーも煎れてね。

 で、空いてる席に着いてゆっくり優雅にパンにバターを塗っていたら、

「早っ」

 目の前の席に丹羽さんが来た。

「え?もうお風呂入って来たの?」

「まぁね。お陰で酔いが覚めた」

 あんまり目は覚めてなさそうだけど。

 あーあーあーあー、卵かけご飯に殻入っちゃってる。

「ほらちょっと貸してみ」

 箸を奪って殻を取ってあげる。

 そうやって、てんやわんやとご飯を食べている内に、塚本先生もやってきた。冷たい釜玉うどん。貴方達、卵好きねぇ。酔いにでも効くの?

 朝ご飯を食べ終わって部屋に戻ると、9時前だった。

「チェックアウトは?」

「10時の予定だよ」

 丹羽さんが答える。じゃあ、それまで日記を書いておくか。

 部屋の中のテーブル……化粧台?にノートを広げてシャーペンを構える。丹羽さんが、私が書いてるのを横で読んでいる。うん、同時進行が効率良いのは分かるんだけど、ちょっと恥ずかしいね。まぁ、そういうのを意に介さない人だってのは充分に分かったんだけどさ。

 丹羽さんは、私のノートを見て、ホテルのメモ用紙に何やら書き始めた。あ、ムツ先生に渡すメモだ。さすが、用意周到。

 そして、10時までにホテルを出る。車で空港に向かった。


「30分前ぐらいまでには飛行機に乗らないと怒られるよなぁ」

 運転席でボヤく塚本先生の発言に、

「え!?じゃあ、急がないとじゃないですか!」

 焦る私。

「じゃあ、一点だけ確認良いですか?」

「何だい?」

 丹羽さんが反応する。

「カズミが捕まらないようにするには、どうすれば良いですかね?」

「このハイジャックが警察沙汰にならなければ良い」

「そんなことできるんですか?」

「機長に話を通せばね」

「それはそうなんでしょうけど……」

「幸田ユメカちゃんは、俺が何で一般人のチケットを全て買い占めることができたのか疑問には思わなかったかな?」

 ……確かに。言われてみれば。

 車は空港に入った。

「俺の知り合いがここにいるからさ」

 丹羽さんが後部座席の窓を開ける。そこには、キャビンアテンダントさんの姿があった。

「紹介しよう。俺の妻だ」

「ついでに、私も大学時代の同輩だけどな」

「やだ、今は元妻でしょ?」

 こ、この人が、バツ四の中の一人!?ちょっと河合衣子に似てる。

「どうも、丹羽……じゃなくて、新崎結衣(ニイザキ ユイ)です」

 ……おお、本物のキャビンアテンダントさん初めて見たわぁ。凄え。綺麗なお姉ちゃんだけど……丹羽さんとか塚本先生と同い年なの!?信じられない!

「トウリ君ね、危ない組織とか事件とかに関わる度にビクビクして偽装離婚しようって言い出すの。今回もね、金木組と喧嘩するかも知れないからってさ。もう4回目。今回に限って言えば私も協力者なんだから、あんまり意味無いと思うんだけどね」

 え、え、え、え!?バツ四、全部この人との結婚離婚なの!?こんな綺麗な奥さん居ておいて、俺に恋愛は語れないとか言ってたの!?ムカつく〜!

 てか、トウリ君って呼ばれてるんだ……ちょっと可愛いな。

「まぁ確かに。悪かった」

「あら、塚本くん?久しぶり〜!なーんかまた変装なんかしちゃって。楽しそうなことしてるね」

「ああ……その話は後で良いからさ。機長に伝えといてくれないか?」

 丹羽さんが、伝言を頼む。

「これからハイジャックがあるけど、訓練だから気にしないで的なことを」

「ん、了解した」

 え、そんな軽いノリで良いんだ。私は何に気を揉んでいたんだろう?

 結衣さんと別れて、私達は3人で、空港の中に向かって歩いて行く。さすがに本物の空港は大きいなぁ。こんなに大きな建造物ってのも初めて見たかもしれない。

「でもね、幸田ユメカちゃん」

 何が「でもね」なのかがイマイチ分からない出だしで出し抜けに丹羽さんに話し掛けられる。

「はい?」

「君の彼氏君には、警察が来るとか来ないとか関係なく、その過剰な自己犠牲の精神を何とかしてもらわないとな」

「……ですね」

「緊張するかい?」

「はい」

「大丈夫だよ、“Fortune come for parson tuned.”だっけ?」

「え、何で知ってるんですか!?」

 高音ボイスのボーカルの、例の映画の主題歌「Fortune」の歌詞だった。

 Fortune come for person tuned.

 幸運は、準備したヤツを迎えに来る。

 「For」「tune」。

「俺は流行に敏感なおじさんだからね」

 とか言いながらエントランスに入った10時15分。

 私達は、金木組と邂逅した。

 完全な私服は初めて見たな。私服が……甚平なんですね。紺の甚平に黒い鼻緒の雪駄。中はサラシか。ヤクザの家って感じだな。偏見だけど。

「カズミィィィッ!」

「ユメカ!?何でここ」

 パーンッ!よし、平手打ち決まった。

「勝手に居なくなってんじゃないよバカ!」

 後頭部の毛髪を鷲掴みにして私の額と彼の額をゴッチンさせる。小声で、他の誰にも聞こえないように。凄みを載せて。

「良いか?カズミがやろうとしてることは全部知ってる」

「……何のことだ」

「ハイジャック」

「!?」

「だけじゃない。カズミがムツ先生の代わりに捕まろうとしてることも」

「……それは!誰にも言ってない」

「良いか!銀行員になるんだろ!?困ってる人を助けるんだろ!?一時のヒーロー気取りやがって!自己犠牲のつもりか?ふざけんなよ!お前がやるべきことはそうじゃないだろ!」

 上がってしまいそうな声のボリュームを必死で抑える。

「本物のアホは、確立したアイデンティティを簡単に捨ててしまう奴だって、学校で習っただろ!」

 教えた教師は、知らない人のフリをして少し遠くにいる。

 私は、荒くなった息を整える。

「それから、このジャックは警察沙汰にはならないから。安心しな」

「……何で、ユメカは全部知ってて、全部先周りして」

 ここだけは、ボリュームを大にして言わせてくれ。

「彼氏の考えてることなんて全部お見通しだって言ったじゃん!」

 金木組の人達がザワザワし始める。

「私が……私がどんだけカズミのこと好きか知らないだろ!」

 真っ赤になって後ろを向く。丹羽さんが「行くぞ」とジェスチャーをした。

 丹羽さん達に合流すると、変装した塚本先生が耳打ちしてきた。

「ムツ先生には既に接触した。幸田が夢の中で説得した通りに説得した。幸田を飛行機から落としたりはしないだろう」

 荷物を預けて、金属探知機を通る。

「ちなみに、人質はお前だけじゃない」

 丹羽さんが言う。

「彼氏君も人質に取ってもらおうと思う」

「え、それはカズミには言ってないんだけど」

「まぁ、だから、上手くやってくれ」

「何でそんな直前に」

「彼が人質になった方が金木組は動きにくいだろうし、万が一幸田ユメカちゃんが落とされそうなっても少し抵抗して時間を稼いでくれるだろう。それに、万万が一目出し帽を奪おうとかまだ考えてるとしたら、隣に抑止装置として君がいる状況は都合が良い」

「でも、カズミには、警察沙汰にはならないってちゃんと伝えたし」

「彼はそれを信じていないかも知れない。ムツゴロウ先生だって、金木組に殺されても良いから復讐の様な何かをしようと思っているかも知れない。保険は、何重にもかけておくべきだ」

 まぁ、備えあれば憂いなし、か。

 さぁ、飛行機に乗った。ここが戦場だ。やっと本番だ。クライマックスだ。

 今日は墜落しないと良いな。


「皆様、本日もご利用くださいましてありがとうございます。私は客室を担当いたします丹羽……新崎結衣でございます。まもなく出発いたします。シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください。飛行時間は一時間三十分を予定しております。それでは、ごゆっくりおくつろぎください」

 一回名前間違えましたね。可愛い。

 さぁ、打てるだけ手は打った。よくやった方だろう。

 何度だって言おう。後悔先に立たず、されど後に立てず、むしろ役に立てて。

 さあ。

 未だ嘗て見ない、ハッピーエンドを見に行ってやろうじゃないか。


 飛行機が上昇する。シートベルトを外すと、私の手を乱暴に掴んで行く目出し帽男。客席のすぐ目の前にある機内放送マイクを持って喋った。

「この飛行機はジャックした!」

 このは身内と金木組とエラちゃんファミリーしかいない。しかも、エラちゃんファミリーはハイジャック予告されてるから動揺しない。

「繰り返す!」

 金木組の皆さんがザワザワし始める。そりゃそうだろう。元々の計画ではエラちゃんを人質に取るはずだったのに、気が付けば犯人の横には別の日本人女子高校生がいるんだ。そしてソイツをよく見ると、さっき2代目の彼女だって叫んでたヤツじゃないか。混乱必至だ。

「この飛行機はジャックした!」

 落ち着いた顔をして、エラちゃんのボディーガードが近付いてくる。ハイジャックは予告されていたわけだから、シュミレーション通りに動いているのかもしれないけど、

「金木組!二代目の女を人質に取った!」

 エラちゃんのボディーガードさんは静かに回れ右して帰って行った。予告と本番の人質が違ったからきっと混乱したでしょうね。出番なくてごめんねー!

「ユメカァァァッ!」

 来た!カズミを人質にする絶好のチャンス!

 カズミがノックアウトされる。私は、ムツ先生の頭を殴る。反射的に殴ってしまってから考える。どうする?どうする?どうすれば人質としてムツ先生の背後にカズミを持って来れる?考えろ!考えろ私!情報とも言えない様な情報をかき集めろ!私が日記にも記してないような小さな引っかかり……そうだ、夢の中のムツ先生はいつだって左側からグルッと後ろを向く!

 だから、私は思いっきり体勢を低くしてムツ先生の右側に潜り込む。ムツ先生が一瞬私を見失う。その一瞬の隙を突いて、

「カズミ!」

 倒れた彼に抱きついた。その私の首根っこを掴んだムツ先生は、私が抱きしめたカズミと一緒に背後に放り投げた。凄い力だなぁ。

「ついでに、金木組の二代目も人質に取った」

 結果的にね。

「……いくらだ?一億か?」

 組員が交渉を試みる。

「二億だ」

「……分かった」

 組合員の中で、ムツ先生の強さについての情報は共有されているんだろう。だからこそ、あまりムツ先生を刺激するようなことをしたりはしない。

 その組員は、どこかに電話をかけ始めた。ええ?飛行機の中で電話って大丈夫なの?そう言えば、夢の中でも動画が送られて来たりしてたけど……まぁ誰も何も言わないし大丈夫なのか。

 私はカズミを少〜しずつ引き摺って、出来るだけムツ先生から離れようとする。つまり、機首の方へと近付く。

 そうしていると、キャビンアテンダントの人達が居る部屋の前まで来た。夢の中だと、キャビンアテンダントさん達も座席でシートベルトをしていたけれど、今日は一人いた。丹羽さんの奥さん、結衣さんだった。私は部屋に首を突っ込んで、

「あ、あの……」

 囁いた。

「飛行機の中で電話ってして大丈夫なんですか?」

「あははっ、使えなかったのなんて昔の話。今は問題ないのよ」

「あ、そうなんですね」

「おい」

 背後から声がした。

「そこに誰かいるのか?」

 臨戦体勢のムツ先生が居た。

 まずい……!

 でも、結衣さんは落ち着き払って柱の陰から出て来た。誰が出て来たのかを確認するよりも早く殴りかかるムツ先生の腕に誰かがしがみ付いた。

「悪いが、手ェ出さねぇでもらえるか?」

 旦那さんだった。


「丹羽さん格好良かったですよ」

「ありがとう」

「ところで、何で人質が四人になったんですかね?」

「……さあ」

「パラシュートの方は大丈夫なんですか?」

「大丈夫。人質の人数分だけ用意してくれと頼んだ」

 抜かりないんだけど、今回は抜かったね。

「でも、もし飛び出すとしても、ダイバーさんも一気に飛び出せる訳じゃないわよね?飛び出してる間に、多分誰かがムツゴロウさんの犠牲になるわよ?」

 ……それは、嫌な未来だな。それにそもそも、ここまでの飛行時間を考えれば、もう外に飛び出せないような高度にいるかもしれないな。

 でもなぁ……これ、飛行機から降りたらムツ先生が金木組に袋叩きにされたりさ、最悪の場合はムツ先生のご両親が金木組に捕まったりする展開になりかねないよね。お金が振り込まれた時点でムツ先生が私とカズミを放り出すって未来だって、まだ考えられなくはない。逃げたいなぁ。硬直しているように見えて、動いていないだけの状況。何か打開するための、決定的に事件を終わらせるためのもう一手がどうしても欲しい。ムツ先生にも金木組にも対抗できるカードが。

「……んん」

「あ、カズミ」

 目を覚ましたみたいだ。結構長い間気絶してたな。

「おいムツゴロウ」

 金木組の人が、ムツ先生にスマホの画面を見せる。

「二億、振り込んだぞ」

「さあ、人質を解放しろ」

 解放しろ解放しろと、圧をかけられる。

「いや、コイツらは新千歳まで解放せずに行く。俺も、自分の身が可愛いんでな」

 違う。ムツ先生だったら、この人数で戦闘しても生き残れるかも知れない。エラちゃんのボディーガードさん達は強そうだったから敵に回すと大変かも知れないけど、そこら辺のチンピラだったら問題ないだろう。だから、心配してるのは自分の事じゃない。恐らくは、両親のことだ。そして、金木組側もそのことに気が付いた様で、電話をかけ始めた。

「でも、ムツ先生の家にはご両親は居ないはずです。さっきまで飛行機を墜落させる気だったムツ先生は、金木組にも相談せずにご両親を避難させてたんだから」

 丹羽さんも頷きながら、

「でも、金木組が本気で探したら、俺らが新千歳に着く前に見つかるかもな」

 神妙な顔で呟いた。

 で、私達のやりとりを見ていたムツ先生は鼻で笑った。

「結局、悪徳金融はそういうことしか考えられないんだろ?人質には人質を?ずるいよなアンタら」

 いや、現在進行形でハイジャックしてる奴が何言ってんだよ。

「現在進行形でハイジャックしてる奴が何言ってんだ」

 金木組の人も同じこと思ったみたいだ。

「お前ら組の奴は人を脅すことしか脳にないんだろ」

「何じゃとコラ」

 手前に居た一人が殴りかかって……

「違うから!」

 叫んだのは。

 私だった。

 何でだろう。今回は夢じゃないって知ってるのに。状況を悪くしちゃいけないことは重々承知してるのに。こんな時にどうして私はイレギュラーな行動を取ってしまうのか。分からないけど、でも今言わないと絶対ダメな気がしたんだ。

 二人の拳が止まっていた。

 全員の視線が私に集まっていた。

「カズミは、違うもん」

 私の横で、小さく息を吸い込む音がした。私達は、床に座り込んだまま、大人達に見下ろされていた。

 カズミは、小さく震えていた。その肩を抱いた。

 ごめん、起きてすぐ怖い思いをさせちゃって。

 それから。

 大丈夫。私はカズミのアイデンティティを信じてるから。私が信じてる。私も信じてる。だから……

 だから、君も君を信じてください。

 お願いします。

「カズミは、金木組に産まれたけど」

 ムツ先生が、私達の前からどく。みんなの眼前に晒される。

「困ってる人にちゃんとお金貸してあげたいんだって言って!」

 怖い大人をキッと睨む。

「銀行員目指してるんだよ!」

「てめぇ……」

 金木組の怖い大人が、私を睨み返してきた。

「何吹き込みやがった!」

 殴りかかって来る。目を瞑る。私が抱いていた筈の肩にしがみつく。でも、殴られなかった。恐々目を開けると、目の前にムツ先生の背中があって。奥の光でシルエットになっていて。目出し帽を脱いだ教師の向こうで、さっき殴りかかって来た人が倒れた。

「俺の生徒に、手ぇ出すな」

 せ、先生ぇ……!あなたが人質に取ったんですけどね……!?

 私の手を握ったまま、カズミが立ち上がった。自然、私も引き揚げられる。そしてカズミは、私の耳元で囁いた。

「ありがとう、信じてくれて」

 僕はね、ユメカ。

「二代目!」

 僕は、誰かが信じてくれないと、自分を信じられやしないんだ。

「二代目!嘘ですよね!?」

 どんなに口先で良いことが言えたって、この家に育った僕は、自分の本質に確信を持てないんだ。

「二代目!組を継いでくれますよね!?」

 だからね、

「二代目!」

 だけどね、

「二代目!」

 僕のことを良い人だって、

「二代目!」

 強くて優しい人だって思ってくれてる誰かが横にいてくれたら、

「二代目!」

 僕はその人の中の僕のイメージを守るために頑張れる。

「「「「「二代目!!!!!」」」」」

 私の横で、今度は、大きく息を吸い込む音がした。

「俺は二代目じゃねぇって!ずっと言ってんだろ!」

 金木組にこうやって堂々と喧嘩売れる若者は、カズミぐらいしかいないだろう。結局、事件を終わらせることができるカードは彼だけなんだ。

「俺はいつか家を出る。真っ当に金を貸すことができる仕事をする。俺が自分で決めた。文句あるか!」

 一人称も語尾も強くしたのは、虚勢を張ったんだと思うんだけど。でも。

「良く言った」

 丹羽さんがカズミの頭をガシガシした。

「テメェら!ウチの二代目に何吹き込みやがった!」

 大分ヘイトが溜まってる。

「後は大人達に任せな」

 結衣さんの台詞は格好良いんだけど、

「まぁ、実際に戦闘するのは俺なんだけどな」

 ですよね。

「うらぁっ!」

 ムツ先生対100人の戦闘が始まった。

 と、思ったけど違った。後ろから組員を薙ぎ倒して来るデカい奴がいた。ソイツが何か言ったけど、何て言ったのかは分からなかった。

「良い志だ、少年」

 エラちゃんの通訳さんが、ボディーガードさんの台詞を訳した。


「この飛行機は、ただいまからおよそ二十分で着陸する予定でございます。ただいまの時刻は午後0時10分、天気は晴れ、気温は22度でございます。着陸に備えまして、皆さまのお手荷物は、離陸の時と同じように上の棚など、しっかり固定される場所にお入れください」

 結衣さんの言葉を聞いている人はほとんどいなかった。170人中、100人ぐらいは伸されてしまっていたから。まぁ、その内起き上がるだろ。凄いなぁ、戦闘のプロって。って、コレは後片付けが大変そう。機長さん、後で見てびっくりするんじゃない?あれ?訓練じゃなかったの?ってさ。結衣さん、ご迷惑をお掛けします。一応、伸びてしまった皆さんを席に座らせてシートベルトを付けるお手伝いはしましたよ?みんなで。エラちゃんの執事さんとかメイドさんとかも総出で。大変だったぁ。


 私は、ムツ先生と丹羽さんとカズミと塚本先生と一緒に飛行機を降りた。って、塚本先生は今までどこに居たのよ?ほら、カズミがびっくりしてるじゃん。先生が来てること、この人知らなかったんだから。

「ちょっとね、機体の後ろの方に逃げてた」

 格好悪っ……いや、通常の神経だと思うけどね?

「いや、間違えた。機体の後ろの方にいたエラと、そのご家族とメイドさん達が危険な目に合わないように守ってたんだよ」

 はい、そうですか。それは良おござんした。

「こんなこと言ってるけど、実はな、エラにくっついてた取材班を口止めしてたのさ」

 と、丹羽さんが私に囁いたことが真相なのかもしれない。うん、まぁ、折角機長を騙して警察への連絡をやめさせたんだから、マスコミからバレたら元も子もない。うん、この理由が1番格好良いから、そういうことにしておこう。


「よし、じゃあ、ホテルに行こうか」

 塚本先生の道案内で、トランクをコロコロしながら歩き出す。

「あ、あのさ」

 カズミが私達を呼び止める。

「ホテル、アイツらがチェックインしないと入れないからさ……そっちに付いてっても良いかな?」

 あはっ、金木組の人達が意識を取り戻すまで帰れないってことね。意識取り戻したところで帰れるかは微妙だと思うけど。色んな意味で。

「うん、良いよ」

「あ、俺は今日は結衣が泊まるホテルの方に行くわ」

「おう、また呑もうな」

 そうして、私らは群青の下で分かれた。

「ああ……生きて帰って来たぁ……」

 私は、生存の幸せを噛み締めていた。


「……で、一つの部屋に三人で泊まるの?」

「うん」

「お前ら、教師の横でイチャつこうなんて考えるなよ?」

「大丈夫ですよ。添い寝するだけです」

 え、同じベッドで寝るの?ベッド三つあるのに?

「嫌?」

 全然!私は首を激しく横に振った。


 やっぱり北海道の海鮮物は美味しいなぁって感じのお昼ご飯を、泣きそうなおじさんとカズミの横で食べた後、私は部屋で日記を書いていた。カズミは、私が日記を付けていることを初めて知ったからびっくりしてた。っていうか、そもそも私が予知夢を見てるってことを知らなかったわけだし。

「夢を記録してるんだ」

「……へぇ」

「カズミと一緒に寝たら、良い夢見れるかも」

 悪戯っ子みたいに笑って見せたら、照れて赤くなった。

 酔った塚本先生が、隣の部屋から壁を叩かれてリズミカルに叩き返したシーンを見て、カズミが、

「えっ」

 と漏らした。

 え?

 カズミがゆっくり自分を指差す。

「いや、正確に言えば、一緒の部屋にいた若いのなんだけどさ」

 どうやら、そういうことらしかった。

 どうして会わなかったんだよ!むしろ怒って来て喧嘩になってれば良かった!そしたらもうちょっと違う結末だったかもしれないのにね。まぁ別に私はこのラストで満足してるんだけどさ。

 ていうか、そういうことがあるならさ、今回の一連の事柄をカズミ視点から記述してもらうってのも面白そうじゃない?いやね、私、思うんですよ。今回の主人公はどう考えたってカズミだってね。それこそ、小説にしたり映画化したりしてお金がガッポガッポ入る感じの物語じゃないかな。私は脇役。ヒーローな主人公を信じて、頑張れって叫ぶヒロイン役。どうです?「この夏、日本中が涙する」って感じありません?彼女だからって身内贔屓ですかね。

 私達がこうやって話してる間ずっとさ、塚本先生が部屋の外で入りにくそうにしてたね。私らが楽しそうだったからかな?カズミは気付いていなかったみたいだな。私は気付いてたよ?あえてスルーしたんだ。


 夕飯食べて、お風呂に入った。大浴場のお湯は昨日よりちょっとだけ温度が低くて、寝るかと思った。死にかけた。

 部屋に戻ったらカーテンがヒラヒラしていた。6階のベランダには、タブの開いている500ミリリットルの缶ジュースを右手に涼むカズミがいた。ホテルの用意した白い浴衣に渋めのオレンジの帯。私も同じ格好なんだけど。カーテンを手繰る音で私に気付いたみたいで、持っていた缶ジュースをクイッとした。飲む?と聞いてるらしかった。私は頷く。両手で受け取って口を付けた。冷たい。カズミの左に立つ。

「夜景」

「うん」

「塚本先生は?」

「まだ風呂」

「そっか」

 カズミの肩に頭をもたれた。あれ?

「ちょっと背伸びた?」

「そんな短期間で伸びることないでしょ」

「そっか。じゃあ背筋が伸びたのかもね」

「あはっ、そうかも」

「あ、そうだ」

 私は、一旦ジュースを返して部屋に戻る。スーツケースの中から目当ての物を見つけて戻る。

「はい、これ」

「あ、ああ。ごめん」

 昨日の朝、私の机の中に入っていた手紙。

「大丈夫だよ。どうせ大人しくフラれてやるつもりなんてなかったしね」

 だからこそ、今ここにいられるんだしね。不敵に笑ってみせる。

 言っとくけど、自分から告白しておいて、1週間でフるなんて有り得んからな!あ、だから、そうそう。その話が聞きたかったんだよ。事情聴取しなきゃ。

「でもさ、1つ聞きたかったんだけどさ」

 しっかり目を合わせる。

「ん?何?」

「私と付き合い始めた時はさ、このハイジャックはもう決まってたの?」

「まぁ、飛行機のチケットの予約してから現物が届くまで割と時間掛かったからね。それよりは前から決まってた話だよ」

「だったらさ、カズミがムツ先生の代わりに犯人のフリしようと思ったのも、割と前だったの?」

「ん、まぁ……」

 歯切れ悪く、誤魔化すように缶に口を付けた。こんな時だし今更なんだけど、間接キスじゃんかとか思ってちょっと私も目線を逸らす。

「計画の話が出た時点からちょっと考えてかな」

「じゃあさ、犯罪者になるつもりだったのに、どうして彼女つくろうと思ったの?」

「……ああ」

 缶を左手に持ち替えて、右手で髪をガシガシした。

「正直なこと言えばさ、付き合えると思ってなかったんだよね。フラれると思ってたし。だからさ、好きな人に好きって言えたら、それで充分だったんだよ。ちゃんと自分の気持ちにけじめをつけて、そうしていなくなりたかったんだよ。なのにさ」

 彼は、ちょっと泣きそうな顔をしていた。

「流れるようにオッケーされてさ、ちょっとびっくりした。知らなかったし、夢で見てたとか」

 さっきノート見るまではね、と悪戯っぽく笑ってみせた顔が可愛くて、もう1回目を逸らしてしまった。

 そうか。私が彼の告白に返事をした時の、色んな感情が混じった顔は、単に彼女ができて感無量って感じじゃなかったのは、やっぱりそういうことだったんだ。

「でも、本当は頭のどこかで期待してたのかもしれない。こうやって、ユメカが計画をぶち壊してくれるのを。俺にとってユメカはヒーローだったから」

 みんなみたいに俺を色眼鏡を通して見たりしない、ヒーローだったから。

「ヒロインって言って欲しいんだけどなぁ」

 一応華の女子高生なわけですし。こんなに可愛い彼女なんだから。

「一人称『俺』でいくことにしたんだね」

「ん……まぁね。変かな?」

「ううん。良いと思うよ」

 カズミが決めたことなら、きっと良いと思う。そう言ってカズミを抱きしめた。

「でも、大事なこと決める前には、今度は私にも相談してよ?良い?勝手に罪を背負ったりしようとしないこと。黙って居なくなろうとか考えないこと。そういうことについて隠し事はしないこと」

 わかった、という音と一緒に、私の背中に手が触れた。

「ユメカもさ、困ったことがあったら俺のこと頼ってよ。いや、予知夢見たって言われても確かにどうにもできなかったかもしれないけどさ。彼氏として頼りないかなって、ちょっとショック受ける」

 わかった。ありがと。ちゃんと頼るね。持ちつ持たれつで、よろしくお願いします。

「そうだ。それからさ、ちゃんとチャットの返信、ちょうだいよね」

「あ、ごめん。本当に、いなくなるつもりだったからさ」

「許さないから」

「……ごめん」

 夜景と月の明かりで、彼の顔の左半分が陰っていた。

「……ねぇ」

「うん?」

「……許してあげるから、好きって言って」

「……好きだよ」

「どのくらい?」

「うーん」

 とっても困る質問だよね。知ってる。ほら、困っちゃって考えてる。空の方を見上げてしまった。そんなに真剣に考えなくても良いから私を見ていて欲しかったかもしれない。

 ふと、彼が空を指差した。

「月」

「月?」

「うん」

 満月まであと数日といった感じの、少し欠けた月が天球に掛かっていた。

「月が」

 次に、足元を指差して。

「月が、この星を好きなぐらい」

 好き。

 と、最後の2文字を言ったのが彼だったのか私だったのか、あるいは2人だったのか。

 分からないけど。

 分からないぐらいでちょうど良かった。

「ああ、良い湯だった!」

 ドアが開いて塚本先生が入って来た。

 全く、良い雰囲気だったのに。

 カズミは、私の肩に手を置いて、

「もう寝ようか」

 と言った。頷いて、私達は部屋の中に戻った。


 ベッドに入った私は、一日の疲労のせいで気絶しそうに眠かった。私の右にいるカズミを挟んで向こう側にいる塚本先生のいびきがもう少し静かだったら、すぐ落ちてたな。本当に、長い1日だった。多分、人生で1番長い1日だった。

「おやすみ」

「うん、おやすみ」

 そう言って照明のスイッチを押したカズミが、しばらくしてから身体を起こして私の右の頬にキスしたこと。気付かないフリ、バレてないと良いな。

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