第10話 7/21(火)
七月二十一日(火)
今朝は死ななかった。だから、とても気持ちの良い目覚めだ。とは、一概に言えないけどね。いつもよりゆっくり目を開けた。
朝ごはんは納豆だった。最後の家族との朝食になるかも知れないと思った後に、一番庶民的な物が食べられて嬉しいと考えるのは変だろうか。
食卓には、箸と食器が当たる音とか、食器がテーブルに置かれる音とか、味噌汁を啜る音とか、とにかく日本的な木と漆の音がしていた。それだけで、少しだけ前向きにノスタルジックなセンチメンタルに半身浴するのには充分だった。私は、いつもよりちょっとだけ丁寧に「ご馳走様でした」って言ったけど、多分お父さんお母さんは気付かなかったろうなと思う。部屋に入って、制服に着替えて、通学用の鞄とスーツケースを持って下に降りた。
「いってきます!」
「はい、いってらっしゃい」
「気を付けてな」
お母さんと、私が遅く登校する関係で珍しくまだ家にいたお父さんに見送られて、私は夏休み前に一日だけある登校日を登校した。
学校に着いた私は、教室のある三階に上がる前に、一階にあるカウンセリング室に寄ることにした。大荷物で階段を上がるのが嫌だからだ。まだ微妙に早い時間帯なので、生徒はあんまりいない。私はスーツケースを持っているせいでちょっとだけ視線を感じたけど、まだマシな方だと自らを鼓舞する。何と比べてマシなのかは分からないけど。カウンセリング室のドアを開けると、塚本先生がコーヒーを飲んでいた。
「おはようございまーす」
「お、来たな。おはよう」
私は、ソファーの横にスーツケースを置く。先生のスーツケースも横に置いてあった。
「では、また放課後」
「ん」
私の敬礼のハンドジェスチャーに、先生も片手を挙げた。
夢の中で後ろ向きに落ちると不吉なことが起きる。
私はすっかり忘れていたけれど、これは本当かも知れなかった。
まぁ、こんなのなんて、予言されることによって自分の身に起こったこと一つ一つに意味付けして周る様になってしまうという人間の性が発動しただけなんだと思うんだけど。
とにかく、完全に不意打ちを食らった形で私の前に現れた不幸だった訳なんだけど、でも、これは予想できて然るべきことだったんだから。
だって、昨日の夢の中の学校にも居なかったじゃないか。舞台が学校の時に出てこないなんてきっとありえないだろうに。私は不自然に思わなかったのか?
カズミが。
教室に居なかった。
いつもだったら朝早く来て勉強してるのに。まぁ、それは、家にあんまり居たくないだけのことなのかも知れないけど。
勿論、私は、彼氏に会えなかったから落ち込んでるのではなくて。そういう面があることも否定しないけれど。
ちょっと今日の内にカズミと話がしておきたかったな、と思っていた訳で。勿論、明日について。そして、話がゆっくりできるのは朝かなぁ?と思っていた訳で。まぁ幸先悪い。
風邪でも引いたのかなぁ、とか自分でもわざとらしいぐらい楽観的なことを考えて。
で、それで終われば良かったんだけど。
机に着いて、ホームルームの準備をしようとして机の中にクリアファイルを入れた時、中でガサッと音がした。取り出してみたら、音の正体は白い封筒だった。ファイルにぶつかったせいでちょっと曲がってしまった、糊付けもされていない封筒を開けると、やっぱり白くてシンプルな便箋に書かれた手紙が入っていた。短い文だった。
「夢叶へ
短い間だったけど、楽しかった。
俺の彼女になってくれてありがとう。
勘違いしないでほしいんだけど。
嫌いになったとかじゃなくて。
俺はこれから、君に顔向けできない様なことをするから。
だから。
ごめん。
俺の勝手で。
ごめん。
大好きだったよ。
幸せになってな。
一実」
「……何それ」
怒りの籠もった呟きだった。
「ごめんじゃないだろ」
持っていると手紙をぐしゃっとしてしまいそうで、精神力で手の力みを抑えてクリアファイルの中に手紙を差し入れた。
「訳分かんないじゃん」
自分から告白しておいて1週間でフリますか?おい、ちょっと待てよ。
なに?私に顔向けできないことって。ハイジャックの話?アンタが実行犯でもないのに?
「いきなり居なくなるとか」
許さないから。
こんなに……こんなに、好きにならせておいてさ。
お前に幸せを願われたいんじゃない。
お前と幸せになりたいんじゃないか。
どうせ明日会うんだよ。一発ぶん殴って引き摺り戻してやる。
ちょっと待って?日曜日、学校に用事があって寄って来たって言ったよね?今日の朝には多分学校に来てないよね?てことはさ、日曜日の時点で、もう私には会わなくなるつもりでいたってこと?ふざけんなよ。騙してたのかよ。悩みも悔やみも一緒に背負わせろよ。私は、金木一実の彼女だぞ!?舐めんなよ。
怒り心頭の私を他所に、チャイムは朝学習の始まりを知らせた。
朝学習の間、私は日記を書いていた。これも段々趣味になってきたな。荒ぶった気持ちを収めるにはちょうど良い。あーー、めっちゃ心が静まるなー!
チャイムが鳴ると、みんな体育館に移動し始めた。終業式だ。
体育館に入った私は、塚本先生とムツ先生の姿を探す。塚本先生の方は見つかったけど……あれ?ムツ先生が居なくない?これは……杞憂だと良いけどな。もしかして、カズミとムツ先生は既に現地入りしてるのかな……もし、カズミが一昨日までに私への手紙を机に入れないといけなかったとしたら、そういう仮定に立って考えるならそれは詰まり、昨日から東京でエラちゃんの動向をチェックしてる可能性があるってことだ。そうであるなら、空港に着くまで彼らの足取りを追うことは最早不可能だ。それは、飛行機に乗る前にこの事件を解決することは不可能であることを暗に示している。ああ、面倒臭い。やっぱり、生きて帰って来られるかどうか分からない飛行機に乗らないといけないのか。嫌だなぁ。
そんなことを考えて過ごした校長のお話の時間は、いつもだったら寝てしまうはずなのに、全く眠たくならなかった。相変わらず、何言ってたのかは覚えてないんだけどね。
終業式の後は、二時間ぶっ通しのロングロングホームルームだった。プリントを配布したり、夏休みの心得なんかについてのキッチーのお話があった訳だけど、一番後ろの席故にプリントを受け取るだけの私は、内職に勤しんでいた。すなわち、日記だ。昼休みが終われば大清掃の後すぐに解散になってしまうから、書くタイミングはホームルームしかない。昨日の夢は長かったし、書くのは大変だったけど、二時間使って何とか書き終えた。
昼休み、お弁当を持ってカウンセリング室に入った私は、予想通りの光景を目にした。予想通りと言うか、危惧通りと言うか。部屋には、塚本先生しか居なかった。
「ムツ先生がね、学校をお休みになったそうだ」
第一声、塚本先生はそう言った。
「やっぱりですか」
「予想してたのか?予知夢か?」
「いや、夢の中ではココにムツ先生は居ました。でも、ムツ先生が居ないんじゃないかってのは、終業式の時に何となく予測してました……見かけなかったし。それに、カズミも学校に来ていないので」
「何と言うか……実はさ、予知夢とか正夢とか幸田ユメカの潜在能力なんて存在も実在しなくて、幸田と丹羽の壮大な勘違いでしたって展開を期待してなかった訳じゃないのさ。正直。でも……こうやって関係者が居なくなったんじゃ、それも無理な話だな」
準備に使った金が無駄にならずに済んだと力なく笑う塚本先生に、私は手紙を差し出した。彼女に出した手紙なんて他人に見られたくはないかも知らんけど、知らん。本当に知らん。本気で知らん。
手紙を読んだ塚本先生は、
「……何と言うか……どんまい」
ぐさっ。
「やめてください。私、大人しくフラれる気、更々無いんで」
丹羽さんとは違うんだよ!バツ三おじさんみたいになんてなってやるものか。
「まぁ、君らの恋愛事情は置いておいてだよ」
置いておかれた。
「この状況は、かなりまずいな」
「はい。考え得る限り最悪のシチュエーションだと思います」
「……だよなぁ」
塚本先生は頭をガシガシした。
「夢の中では、解決策は思いついたか?」
「思いついたには思いついたんですけど……」
「けど?」
「私、死にかけたんですよねぇ。まぁ、死ななかったんですけど」
「……死ななくて良かったな」
「まぁ、そういう考え方もあると思うんですけどね」
ほとんど運のようなものだ。
でも、私を金木組二代目の女として人質に取るって案は、応用して使えるかも知れないね。頭の隅に置いておこう。
「まぁ、おそらくカズミとムツ先生……つまり、金木組が先に現地入りしたって情報が新しく私の頭にインプットされたので、これでまた夢の結果は違ってくるかも知れないですし、折角もう飛行機に乗らないって選択肢は無くなったんですから、また今夜の結果を見て決めたら良いと思います」
「……まぁ、そうだな」
私は、お弁当箱を閉じた。
「じゃあ、また放課後に」
「ん」
部屋を出る。
うぅ……何だか緊張してきたな。
教室に戻ると、大清掃の為に、椅子を机の上に上げて机を教室後方に下げる。二つ前の男の子の分の机も、ついでにやってあげる。あーあ、優しいなー、私。
教室の掃除が終わると、ショートホームルームがあった。私が日記の続きを書いている間、キッチーが「受験生なんだから、勉強しろよー。夏休みはなー、受験生の天王山だからなー」みたいなこと言って、解散した。私はすぐにカウンセリング室に向かった。
カウンセリング室では既に塚本先生がスタンバイしていた。
「ほれ、行くぞ」
見ると、私のトランクは無い。
「荷物は積んでおいたから」
さっすが!仕事が早い!頼りになるぅ!
囃し立てながら、私は車に乗り込んだ。
枯れ椿に着くと、見計らったかの様に丹羽さんが出て来た。今日は白シャツにスラックスで、浮浪者感のない格好をしていた。私が助手席に乗っているから、私の通学鞄や自分の荷物と一緒に後部座席に乗る。
「さて、東京乗り込みましょう!しゅっぱーつ、しんこー!」
私はもう、元気だけが取り柄だ。有り得ない程空元気だけど。
丹羽さんは道中、私の日記を読んでいた。酔わないのかな?まぁでもお酒でも酔い潰れてる所は見たことないし、大丈夫か。
「何て言うかなぁ……何回も何回も死んだり死にそうになったり、ご苦労さんだな」
「本当ですよ、全く」
「死にそうになる度にリアクションが大きいな」
「ゲシュタルト崩壊しますよ。1ページを1文字で埋めてみようチャレンジしてるんです。腱鞘炎になりそうですね」
腱鞘炎になるのは気をつけてね、と言いつつ。
「うん、まぁ、でもさ……」
丹羽さんは、ちょっとだけ溜めて、言葉を発した。
「幸田ユメカちゃんは、自分のことを、面倒臭がり屋でコツコツ真面目に努力するのが苦手だと思ってるみたいだけどさ」
「はい」
「こうやって情報集めて夢を見て、もう一回データ取って記録してって、凄く真面目にコツコツやってるよな」
えへへ、そうかな?
「幸田ユメカちゃんのアイデンティティは努力が苦手なことじゃないとおじさんは思うんだよ。トライアンドエラーこそ、君の本質なんじゃないのかなぁ」
ただの探偵の戯言だけどね、と。そう、付け加える様に言った。
「ところで塚本」
「ん?どうした?」
「ふと疑問に思ったんだけどさ、飛行機で行った後、新幹線で帰って来るんだろ?」
「その予定でチケットも取った」
「この車、東京に寄付するのか?」
「……」
高速道路に、塚本先生の絶叫が響いた。
「もう!やだぁ!それ先言ってぇ!」
「いや、悪い。俺も今まで気付かなんだ」
塚本先生って時々威厳が失せる瞬間があるよねぇ。
そんなこんなでホテルに着いた。ビジネスホテル到着!は、良いんだけど。
「え!?部屋、1つなの!?」
「1つしか取れなかったし、金出すの俺だし。なんか団体のお客様が入ってるとかって言われたし」
「いやいやいやいや、女子高校生とホテル泊まってたとかヤバいって!そんで言い訳が多いな!1つ目の言い訳と3つ目の言い訳は一緒くたにしてもっと簡潔に提示できなかったんか!」
「大丈夫だよ、バレないって」
「おい、教師の台詞じゃねぇだろ」
「はい、すいません」
「襲ったりしないでよね!」
丹羽さんがビクッとする。おい。
「良い?私を襲うってことは、金木組二代目の女に手ぇ出すってことだからね!」
「はい、何もしません」
丹羽さん、良いお返事。やっぱり肩書きって便利だ。
「もうフラれた様なモンじゃねぇか」
塚本コイツ捻くれてやがんな。
「だーかーら!大人しくフラれてやる気なんて更々ないっつーの!」
全く。乙女心がか弱いと思いやがって。良いか?ガラスのハート名乗ってるヤツの心は大抵、防弾ガラス製なんだよ。
「まぁまぁ、今日の所はご飯食べて寝ような。対策もあんまり立てようがないし。幸田ユメカちゃんの言う様に、君自身を利用するって案は悪くないけどね」
よっしゃ!ご飯!
「塚本先生!江戸前寿司が良いな!」
泣きそうな顔のおじさん、一丁上がりだぜ。
「でもさ、引っかかるのはさ、ムツ先生の監視の為に飛行機に乗るだけなのに、私に顔向けできないって言うのがさ、ちょっと大袈裟じゃないかなぁって」
江戸前寿司って結構大きいんだな。おにぎりに漬けの魚乗っけた感じだ。もぐもぐ。
「まぁでも犯罪に加担することに間違いはないからなぁ」
丹羽さんも、寿司の大きさにちょっとたじろぎながら喋る。
「でもさ、金木組の二代目として生きてたら、もっと過激なこと経験してそうじゃない?」
寿司美味いな。もぐもぐ。
「まぁ……確かにちょっと違和感はある。事件が終わってしまえば、ハイジャックの被害者を装える訳だし」
あれ?塚本先生さっきから全然喋らないな。あ、財布を確認してる。あ、かっぱ巻き注文した。何か見ててひもじいな。高校教師って思ったよりお給料良くないのかしらん?あるいは、誰かに金蔓にでもされてるのかしらん?もぐもぐ。
「そこら辺も、寝て起きたら謎解き終わってるかもな」
そんな!眠りのユメカさんじゃないですか!国民的推理漫画で麻酔銃の餌食になってそうだ。もぐもぐ。美味しかった。
「まぁ、だから、あんまり深く考えなくて良い」
そう言った丹羽さんもまた、満腹で満足そうな顔をしていた。いつの間に食べたの!?
「塚本先生、ご馳走様でした!」
お店を出た、上機嫌な二人と泣きそうな一人。
「さて、塚本。コンビニ寄って行こうじゃないか」
「え……まだ食うのか?」
「当たり前だろ!今日はもう車の運転しないんだから、存分に呑めるじゃないか!な!」
「……俺はもう、金が」
「俺が出すよ」
「……え?」
「お前と呑むの、どんだけ楽しみにしてたと思ってんだ」
「……丹羽……!」
さっきとは別の涙が溢れそうになってる塚本先生は、今から丹羽さんの財布から出てくるのが自分が払った枯れ椿でのご飯代だって分かってるかな?まぁ、何でも良いや。私もジュース買ってもーらお。
大量の袋を持ってコンビニから出て来た三人は、ホテルに戻った。ホテルで呑んで騒いだ。明日が決戦の日だと分かっているから、騒いだ。丹羽さんと塚本先生が大学時代に解決した事件の話なんか聞かされた。まぁ、丹羽さんに見せるために書いてる日記に記録する必要は全くないけどさ。
でも、それより衝撃的な話が……
「この前の〜土曜日で〜めでたくバツ四になりました〜!」
「よっ!」
いや、塚本先生。全然「よっ!」じゃないから。ええ……バツ四て。てか、人知れずそんな大変なことになってたのね。そんな時期に事件持ち込んで悪かったなぁ。
隣りの部屋から壁を叩かれた。酔った塚本先生が、リズミカルに叩き返した。いやいや、そういうことじゃないよぉ。こりゃ、近い内に隣りの住人が殴り込みに来るかも知らんな。逃げとこ。
「私、そろそろお風呂入ってくるわ」
着替えを持って部屋を出る。大浴場、実はちょっと楽しみだったんだよね。
身体を流して、お風呂に浸かる。ちょっと緑がかったお湯だ。源泉掛け流しってヤツですかね?あー、極楽極楽。五臓六腑に染み渡るわ。五臓六腑がどこか知らんけど。言えるヤツに会ったこともないわ。五臓六腑どこですか?って聞いたこともないから当たり前だけど。
大浴場なのにあんまり人も居なくて良いね。落ち着くわ。あ、不眠症に効くお湯なんだってさ。本当かなぁ?まぁ、私には関係ないけどさ。
お風呂から上がった私は、ホテルの用意してくれた浴衣を着る。白と紺の縦縞……ストライプって言った方がお洒落か。ストライプの浴衣。取り敢えず、湯上がり美人を自撮りしておく。へへっ。本当、このサービスのお陰で荷物が少なくて済む。有り難いわぁ。
部屋に戻ると、おじさん二人が床で酔い潰れてた。丹羽さんも潰れることあるんだぁ……とか思いつつ放置。歯を磨いて布団に入った。さて、おじさん達にはピチピチ女子高生を襲う元気も無さそうなので安心して寝られます。ありがとうアルコール。二日酔いにはなりませんよう手加減ください。それでは、おやすみなさい。
舞台は、空港だった。
まぁ、そうだろうな。
今回は、空港でカズミを見つけた。いやまぁ、黒い服とかこそ着てないものの、百人以上の人がまとまって歩いてるんだ。目立たない訳がない。
「カズミ!」
「……ユメカ!何でここ」
パーンッ!よし、平手打ち決まった。
「何でここが分かったのかって?彼氏の考えてることなんて全部お見通しだって言ったじゃん!」
周りがザワザワしだす。
「に、二代目、この方は彼女さんなんですかい?」
あら、言ってなかったの?ごめんね。だけど知らんわ。
「勝手に居なくなろうなんてしてんじゃない!」
ここからは、後頭部の髪の毛を掴みまして、私のおでこに彼のおでこをゴッチンさせて怒気を孕んだ小声で。
「ハイジャックに加担したってことぐらいで幻滅すると思うか!甘く見るな!」
いや幻滅しろよ私。
「私がどんだけカズミのこと好きか知らないだろ」
あんなに、現実でも夢の中でも、ウッて息の詰まりそうな瞬間を寄越しやがって。殺す気か。まぁ、夢の中の話は分からんか。私も自分の夢に彼氏が出てきた話なんて積極的に言いふらしたくはないから言ってあげない。
「二代目、そろそろ搭乗の時刻です」
ハッとして時計を見る。本当だ。
「何で知ってるのかは知らないけど」
カズミが声を発した。
「邪魔しないでね?排除しないといけなくなるから」
……ああ、悪役だ。悪役の声だ。組員達の前だからって必死に悪役を演じてる声だ。
私はキッと睨む。あーあ、邪魔してあげないとなぁ。
後ろを振り向くと、頷く二人のおじさん。塚本先生はちゃんと変装してる。夢の中で一度カズミと一触即発になった反省を活かしてる。偉い。
さて、舞台は飛行機の中へと移る。
離陸する前にムツ先生を見つけた。そっとメモを渡して去る。メモには「復讐なんか考えるな。金木組の二代目の女である私を人質に取って、金木組から金を取りましょう。幸田夢叶」と書いてある。シンプルだけど、これで伝わるはずだ。
さて、飛行機が地を離れた。
シートベルトを外すと、目出し帽男が私を連れて行く。よし、計画通りだ。私を背中に隠す様にして、目出し帽男は高らかに宣言した。
「この飛行機はジャックした!繰り返す。この飛行機はジャックした!金木組の二代目の女を人質に取った」
ザワザワし始める。主に、金木組の皆さんが。そりゃそうだ。台本と全然違う訳だから。
「ユメカァァァッ!」
カズミが飛び出して来る。ああ、彼は。私が捕まったら何回でも飛び出してくれるんだ。
カズミが、目出し帽男に倒される。そして私は目出し帽男の後頭部を殴りつける。これも、何度だって変わらない。カズミが飛び出す限り、睨まれたって私はコイツを殴る。そんで、ぐるっと見てくる目出し帽男に怯えて縮こまる。
「金木組、二億だ。二億出せ。俺の口座に入れろ。入れたら証拠出せ。そうしたらコイツは自由の身にしてやる」
すぐに一人の組員が歩いて来て、スマホの動画を見せた。銀行に行って、二億を移動させている組員の姿だった。
「良いだろう」
で、ハッチを開ける為に歩き出そうとするんだけど、私はそれを知ってるからさぁどうしよう?
「ねえ」
小声で話しかける。
「ここで私のこと殺したら、ムツ先生も殺されるよ?」
目出し帽の奥が動揺している。
「何で殺そうとしてると分かった?」
「分かるんだよ。だから、落とされても死なない様に対策もしてある」
してあるよね?座席を見たら、丹羽さんの姿がなくて、代わりにあのイケメンがスタンばってる。よし、完璧。
「だから、私は死なない。ムツ先生は死ぬ。どう?釣り合わなくない?」
ムツ先生は、しばらく考えてから、私の首根っこを掴んでいた手を離した。
ふぅ……もう、これで大丈夫。
それからしばらく、ピリピリした均衡の中で飛行機は飛んだ。もうすぐ新千歳に着く。
もう安心だ。と、思ってしまった。
甘かった。
カズミが動いた。ゆっくり動いて、ムツ先生の前に立った。
「……何だ?」
ムツ先生が戸惑いの声を上げる。
「俺を攻撃すれば、お前の彼女が……え?」
カズミが、ムツ先生の目出し帽を取った。
まぁ、エラちゃんファミリー対策として着けていた目出し帽だから、金木組に対してはあんまり意味が無い訳で、それを取るって行動にも意味は見出せないんだけど、だからこそムツ先生は無抵抗のまま帽子を取られた。
そして、被った。
で、ムツ先生を殴った。
正確には、殴ろうとした、だ。勿論、大人しく殴られてはくれなかったし。むしろ、拳を止められた上で腹に一発入れられた。生々しい音がした。何回も何回も、殴りかかっては殴り返された。何の意味がある行動なのか全く分からなかったけど、
「もうやめなよ!」
私はムツ先生の腕を抑えた。結果として、カズミの拳が一発ムツ先生の顔面に入ったけど、特に効いた様子はなかった。
私が仲裁に入ったことで、呆気に取られて見ていた組連中もカズミを止めにかかった。カズミはすぐに抑え込まれた。
「この飛行機は、ただいまからおよそ十分で着陸する予定でございます。ただいまの時刻は午後零時二十分、天気は晴れ、気温は二十一度でございます。着陸に備えまして、皆さまのお手荷物は、離陸の時と同じように上の棚など、しっかり固定される場所にお入れください」
キャビンアテンダントさんの声を聞いて外を見ると、空港の方に赤い明りが見えた。
「……警察だ」
何で?あ、機長が通報したのか。そりゃそうだ。ハイジャックがあったら外に知らせるに決まってる。
金木組の人達は、ボロボロのカズミを椅子に座らせてシートベルトを締めた。私達も着陸の準備をする。
飛行機は、無事に着陸した。
と同時に、警察官が雪崩れ込んで来た。目出し帽男を拘束して連れ出して行く……って、おい!それはカズミ!実行犯はこっちの茫然としてるヤツだよ!と言う声も、警察の声と金木組の怒声で届かない。まぁ、金木組の皆さんは私と同じこと叫んでるんだけど。
私は、警察に保護された様な格好で飛行機を出て、拘束されたカズミの目出し帽が剥がされるのを見た。そして、悟った。
濡れ衣を着る気なんだ。ムツ先生の未来を慮ってなのか何なのか知らないけど、最初から真犯人になりすますつもりでいたんだ。
だから私に手紙を出した。
だから機内でボコボコに殴られた。多分、調べれば、ムツ先生が殴ったってことも分かるだろう。そしたらムツ先生は、ハイジャック犯を制圧した正義のヒーロー扱いだ。でも……ムツ先生の口座に振り込まれたお金はどう説明するんだろう……?ああ、例えばこんな感じか?
「頼む!アンタ強いんだろ!?ハイジャック犯を制圧してくれるならいくらでも出す!ウチは金融業やってて、金はいくらでもあるんだ!ほら!お前の口座に振り込んだぞ!二億だ!なぁ頼む!」
的な?まぁ、無理がある様な気はしないでもないけど。
そんなことはどうでも良くて。
ふざけるなよ?金木一実。
自己犠牲のつもりか?思いあがるな!
「カズミィィィッ!」
叫ぶ。
「ふざけんなよぉ!」
目が覚めた。
息が切れていた。
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