第6話 7/17(金)
七月十七日(金)
気が付くと朝だった。机に突っ伏していた。時計を見ると、まだ六時過ぎだ。早く目が覚めてラッキーだった。昨日お風呂に入ったような記憶がないから、浴室に行ってシャワーを浴びる。浴び終わったら制服を着る。リビングに行くと、朝食が用意されていた。
「あら、朝シャンなんて珍しいじゃない?」
「うん、まぁ……昨日お風呂入るの忘れちゃってさ」
いただきます、と家族3人で手を合わせる。今日の朝食はお茶漬けだった。
「あ、そうだ、お母さん」
「ん?」
「今日も夕飯食べて来る」
「ふぅん」
興味無さげなお母さんだったけど、お父さんは違った。
「何だ、彼氏か?」
「違うよ。倫理教師と探偵」
「……は?」
お父さんが、訳分からないという顔をする。そりゃそうだ。煙に巻くつもりで発言したんだから。
「ご馳走様でした」
手を合わせて、二階に上がる。鞄に書きかけの日記を入れて、
「いってきまーす」
外に出た。快晴だ。
学校に着くと、カズミは既に机に着いて勉強していた。
「おはよ」
私の方から声を掛けてみる。
「あ、おはよう」
彼は柔和な笑みを返した。
「昨日はごめんね、一緒に帰れなくて」
「あ、ううん、気にしないで」
「でさ……実は今日も用事が入っちゃってて」
「用事……?」
用事の内容は、言っちゃっても良いモンなんだろうか?……あんまり言わない方が賢明かもな。
「うん……ごめんね」
「そっか……用事はしょうがないよね」
カズミが寂しそうだったから、こんな提案をしてみる。
「その代わりと言っちゃ何だけど、今度、デートでも行こっか」
「デート……!」
カズミの目が見開かれる。私、何か変なこと言っただろうか?
「そ、デート」
「う、うん!行きたい」
よし、大丈夫そうだ。
朝学習が始まるチャイムが鳴って、私は席に着いた。
SHRが終わると、私はカウンセリング室に向かった。カウンセリング室には塚本先生がいた。
「おはようございます」
「おはよう」
お客様はまだ来ていないようだ。
「そう言えば、先生、授業は?」
「金曜の1時間目は持っていないんだ」
なるほど。そりゃ問題ない。
一時間目が始まるチャイムが鳴って、その人は現れた。
昨日の大学生、河西さん。の、隣にいたのは、生真面目そうに眼鏡をかけたおばさんだった。
「初めまして、温水(ヌクミズ)と申します」
そう言って丁寧に頭を下げた。慌てて私も自己紹介をする。
「は、初めまして。幸田ユメカと申します」
「立ち話も何ですから、どうぞ」
塚本先生がソファーを勧めて、会談はスタートした。
「この度は、私の家を守ってくださり、本当にありがとうございました」
ソファーに座って再度頭を下げる。こちらが恐縮する丁寧っぷりだった。
「これ、つまらない物ではありますが、感謝の気持ちです。どうぞ、お受け取りください」
和菓子屋の紙袋だった。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
昨日教えてもらった台詞を復唱しつつ頭を下げ、受け取る。まぁ、私が食べるんじゃないんだけどなぁ。
「えっと……あの後、家は大丈夫でしたか?」
「はい、おかげさまで、玄関が少し焦げただけでした」
ホッと胸を撫で下ろす。
「ところで、出火の原因は何だったのでしょう?」
横から塚本先生が質問する。確かに何だったんだろう?
「実は……出火元は新聞紙でした」
ああ、それは察しが付いてた。現実で見て確認した時に、炎の中心は新聞紙だな、と思った。問題は、何で火が着いたか、だ。
「消防の人曰く、原因はペットボトルではないかと」
ペットボトルぅ……?
「ウチでは、猫除けの為にペットボトルを家の周りに並べてるんですが」
ああ、そうだ。
「それがレンズの役割を果たして、太陽光によって着火したのではないかと」
そうか、そういうことだったのか。じゃあ、火事になった家の周りにペットボトルが全く偶然なんかじゃなかったんだ。それじゃあ、文字通りペットボトルのマッチポンプだ。
「あのぉ……非常に言いにくいんですが」
と、私は切り出す。
「数日前、そのペットボトルの壁を猫が飛び越えていくのを見ました」
一瞬ポカーンとした温水さんは、
「あははっ」
笑った。
「それじゃあ、最初から意味なんか無かったのね」
「今回の件を受けて、ペットボトルは撤去することに決めたそうです」
と、河西さんが説明した。
その後は、
「この高校には、良い生徒さんがいらっしゃいますね」
とかって私を褒めて帰って行った。玄関までお見送りをして、姿が見えなくなったら、大きく息を吐き出す。
「お疲れ様」
塚本先生に労われた。
「どう思った?」
「もし私が、猫がペットボトルを飛び越えていたと事前に教えていたら、今回のことは未然に防ぐことができたと、そう思います」
「そりゃ無理だろう」
カウンセリング室へと身体を向けて否定する。
「見ず知らずの女子高校生がいきなり家に来て『お宅のやってることは無意味ですよ』と言ったところで、誰が気持ちよくアドバイスを受け入れるものか」
「……一昔前だったら、ご近所同士の付き合いも多かったでしょうし、ご近所さんのアドバイスも笑って受け入れたでしょうにね」
「人付き合いの薄い、不便な世の中になったもんだ」
カウンセリング室の扉を開ける。テーブルの上には、お礼に貰った菓子折り。
「……このお菓子、何でしょうかね?」
「さあ?饅頭とかじゃないか?」
「高そうですね」
「そうだな」
「人にあげちゃうの勿体ないですね」
「……仕方ない」
先生は菓子折りを仕舞って、コーヒーを煎れ始めた。
「そう言えば、昨晩は夢を見たのか?」
「はい」
「どんな夢だ?」
「ああ、何か、変な夢でした」
「変な夢?予知夢は充分、変な夢だと思うけれど」
「ああ、いや……何か、今までの夢とは違いました」
「……ほお?」
「まず、私がいない世界でした」
今までは、私の周辺の未来しか見えなかったのに。
「それから、音が存在しない世界でした」
「音が……」
先生はいつもの様に考え込む。
「内容は?」
私は、今朝見た夢の内容を事細かく説明した。
「……なるほど……学ランを着ていたということは、秋以降の未来か?」
「あ、いや、昨日も着てましたよ、朝は」
そう言えば、プールあがった後は着てなかったな。
「……暑くないのか」
「……暑いと思います」
二人の沈黙に、一時間目終了のチャイムが響いた。
「では、また放課後ここに」
「ラジャーです」
ビシッと敬礼して、教室に戻った。
教室に戻ると、やっぱりカズミが私のところに来た。
「一時間目いなかったけど、どうしたの?」
「うん、ちょっとね……」
うーん、何て言い訳しよう?
「塚本先生に呼び出されてね」
都合の良い様な誤解を招く事実で誤魔化した。
そして、次の授業の準備をしにロッカーに行くけれど、
「どうせ、授業は受けられないなぁ」
溜息を吐く。
だって、丹羽さんからの宿題が終わってないから。内職せねば。
という訳で、古典の時間も英語の時間も日記を記していた。
いや、学校で、自分の裸を見られた話書くとか、どんな羞恥プレイだよ。
私の裸を見た当人は、今日も背筋をピンとして授業を受けていたけれど、今日は学ランを羽織ったりはしていなかった。
そして昼休みになる頃には、
「お前が嘘を吐いていない証拠の一助になる」
と塚本先生が言った辺りまで書き終わっていた。この分なら、残り三時間で書き終わりそうだ。
カズミがお弁当を持って私の席に来る。
「あ、じゃあ、屋上行こうか」
私もお弁当を持って立ち上がった。
屋上の日陰でお弁当を広げる。
「いただきまーす」
手を合わせて食べ始める。
「あ、そう言えばさ」
ふと疑問に思ったことを聞く。
「この前、鼻血大丈夫だった?」
「ん?鼻血…?ああ、うん。大丈夫だったよ」
どうやら、忘れていた様だ。
「体育教官室でティッシュ貰ってさ」
……え?
その後ムツ先生と話していたのかどうかとても知りたい!私の夢が本当だったのか。でも、取り敢えずジャブから始めてみる。
「そのティッシュって、使った後どうした?」
「え?」
何でそんなこと聞くんだ?って顔をした後で、思い出そうとする。
「確か、保健室に入って、ゴミ箱に捨てた気がするけど」
ジョブは外れた。で「何でそんなこと聞くの?」とカズミが口を動かそうとしたのを察した私は、それを遮るようにして先んじて、
「それでさ、もしかしてだけどさ」
いよいよ本命を確かめてみることにする。
「その後、廊下でムツ先生と喋ってた?」
「え!?」
凄く大袈裟に驚かれる。
「何で知ってんの!?」
ああ、やっぱり。
「もしかして聞いてた!?」
今回の夢で私は……過去を見たんだ。
「大丈夫、聞いてないよ」
「え、じゃあ、何で知ってんの?」
「何となく、そう思ったの」
あ、そうだ。ちょっとからかってみよう。
「彼氏のことは、何でもお見通しなんだよ」
ビシッと指差して、バチッとウインクを決める。
「え、え、ええ……」
……本気で怖がられた。
ご飯も食べ終わったので、
「じゃあ、教室戻ろうか」
「今日は真面目に授業受けるんだね」
「まぁねぇ」
本当は受けないけど。
「私は受験生としての自覚の塊なので」
ニヤッと笑って冗談を言う。
「ははっ、偉いね」
カズミは、すれ違いざまに私の頭をポンポンして行った。
ぽんぽんして行った。
ぽんぽん……
「どうしたの?教室行こ?」
階段の途中で振り返っている彼氏の方をクルッと向いて、
「わ、分かってるよバカ!」
不意打ちなんかすんじゃねぇバカ。
理科、数学、現代文。今日の午後の教科は、みーんな内職に費やした。ああ、一番後ろの席って良いね!ちなみに、数学の時間には前に受けた小テストが返って来た。私とカズミは満点のテストを見せ合って悪戯っ子みたいに笑い合った。私の隣の席の女の子が、私の点数を見て、幽霊を見たかのような目で私を見た。そんなに珍しいかい?私が良い点数取るってのが。
時間軸が近くなってくれば近くなってくる程、記憶は鮮明になるし、スラスラ書ける。
という訳で今は現代文の時間だ。残り五分で現代文が終わる。そうしたら、私は鞄を持ってカウンセリング室に行くだろう。
「残り五分で現代文が終わる。そうしたら、私は鞄を持ってカウンセリング室に行くだろう」と書いたら、まるで未来日記みたいになった。と、思ったから、
「まるで未来日記みたいになった」
と書いた。
現実と日記の二重構造みたいになってちょっとややこしくなってるな。ミヒャエル=エンデの「果てしない物語」みたいだ。
さて、日記が現実に追いついたところで、そろそろ六時間目終了のチャイムが鳴る。続きは……仮に書く必要があるのならば、今日の夜にでも書くことにしよう。
キーンコーンカーンコーン。
予言通り、私は鞄を持ってカウンセリング室へ向かった。ソファーに座ったら、昨日の寝不足がたたって眠くなってきてしまった。なので、勝手に給湯スペースを借りてコーヒーを煎れる。ついでに塚本先生の分も煎れてあげることにする。
水を火にかけて……さて、コーヒーはどこかなー?と、戸棚を開けると、コーヒーの粉と一緒に今朝の菓子折りを発見する。
「……」
少し考えた後、菓子折りをテーブルの上に持って行き、コーヒーの粉をコップに入れた。
お湯が沸いたので注ぎ、テーブルに持って行く。そして、菓子折りをじっと見つめながらコーヒーを飲み始めた丁度その時、カウンセリング室に塚本先生が入ってきた。
「……」「……」
二人で無言で見つめ合うこと数秒。
「何をしているんだ?」
誤魔化しても面白くないので、正直に答えることにした。
「お菓子を食べてしまおうか悩みながらコーヒーを飲んでいます」
「……そうか」
「先生もご一緒にどうですか?」
「……貰おう」
二人でコーヒーを飲んで、準備をして、また先生の車に乗り込んだ。一応お菓子は食べないで持って行くことにした。いやぁ、私も成長したなぁ!
「親御さんには、今日も夕食は要らないと伝えてあるのか?」
「はい!」
元気にお返事する。
「そうか……昨日がそんなに遅くならなかったから、別に夕飯食べて帰らなくても構わないんじゃないかと思ったんだが」
先生!何をおっしゃっているんですか!いまや私が先生について行く理由の内の4割は「奢ってもらえるから」なんですからね!
「ていうか、結構近いんだから、歩いて行ったって良いんですよ?私のこと送らないといけないとか気にしないで」
「ん?何でだ?」
「だって、先生、お酒飲みたいでしょ?」
「……お前は、俺を歩いて帰らせる気か?」
「あ、確かに……え、でも昨日は私を送る為だって」
「それは言い訳だよ」
「……何で言い訳する必要があったんです?」
「アイツに『俺を歩いて帰らせる気か?』なんて聞いてみろ」
ニヤッと笑ってから、丹羽さんの少ししわがれた声の物真似を披露してもらった。
「『当たり前だろ』って返ってくる」
そんなこと言ってる内に、昨日と同じ駐車場に着いた。
「よお」
店の奥で丹羽さんが片手をあげる。今日も早く来て独りで呑んでいたみたいだ。今日はアロハシャツに薄橙の短パンで、残念ながら完璧な浮浪者にしか見えなかった。ちなみに、薄橙っていわゆる肌色なんだけれども、肌の色ったって色んな色がありますよねって論がとても好きな私は薄橙って呼んでる。実際私はもっと薄黒いしね。
丹羽さんに菓子折りを、
「これ、依頼の代金の代わりとして、お受け取りください」
と言って渡す。遠慮して返してきてくれたりしないかなー?とかちょっと期待したけど、そんなことはなかった。とっても喜んでました。
「焼き鳥と、唐揚げと、磯辺揚げ、お願いします」
私は、メニューも見ないで注文する。
「幸田ユメカちゃん」
「はい?」
「例のブツは持って来てくれてるんだろうね?」
「はい!勿論です!」
私は鞄から大学ノートを取り出す。私の向かいに男二人で座って私の日記を読み始めた。
……何か、自分が書いたものが読まれるのって恥ずかしいな。でも、しょうがないから全く気にしないフリをして唐揚げを食べる。
「ちょっと、塚本、読むの早いよ」
「お前が遅いんだろ」
「幸田ユメカちゃん、ペンあるかい?」
「あ、はい、学校から直行して来たので」
鞄から筆箱を出す。
「何ペンが良いですか?」
「赤ペンが良いな」
……何か、記述問題を添削されるみたいだ。気分が良くない。
「『暗記が苦手だ』と指摘されたのは初めてかな?」
「はい」
丹羽さんは「暗記」という単語にマルを付けた。
「おい、幸田、この『本物のアホは、確立したアイデンティティを簡単に捨ててしまう奴です』ってのは、俺が授業で言ったことじゃないか?」
「お、よくお気付きで」
「パクったのか」
ノンノン、と指を振る。
「座右の銘として心に刻んだのです」
「塚本、お前、良いこと言うじゃないか」
「そうかなぁ、ははっ」
照れてる。珍すぅい〜!
「幸田、俺にもペンをくれるか?」
「良いですよ」
青ペンを渡す。塚本先生は「塚本先生の授業、面白いんだよ!」という場所に波線を引いた。
「吉楽くんは私の台詞を格好良いと思ってくれないんだねー」
とかブツブツ言いながら。ほら、吉楽先生。塚本先生が傷付いてますよ?いーけないんだー、いけないんだー、せーんせーに言ってやったー。
「お前、ここの吉楽くんの台詞カットして書けなかったのかよ」
え?私?
丹羽さんは、ちょっと後に出てきた、最初の夢の中の私の台詞「専業主婦なら勉強しなくて良いし」にラインを引いた。何で?
その後はしばらく黙々と読んでいたけれど、私が夢の中で数学の小テストを解いている辺りのシーンを見て、
「塚本、ちょっと良いか?」
ページを戻して「朝食は和食だった」という部分と「(3x-2y)の5乗において、xの3乗の係数を答えなさい」というカズミの台詞にラインを引いた。後者は波線だった。何か区別しているんだろうか?
「ハサミは『何故自分は物を切るんだろう?』とは考えない。人間が『何の為に生きているのか』を考えるよりも『生きている私は今何ができるか』を考えるべきであるように。学生が『何の為に学ぶのか』を考えるよりも『学んだ知識をどう活かすか』を考えるべきであるように」
塚本先生が、私の思考を一部抜粋して読み上げる。
「これも俺が授業で言ったことじゃないか」
「塚本……お前、良いことしか言わねぇじゃねぇか」
「倫理教師だからしょうがないさ」
その後の丹羽さんは特に線を引くでもなく静かにページをめくっていたけれど、火事の原因が分かったところで、もう一度読み返し始めた。何箇所か線を引いていく。「お天道様の力は偉大ですね〜」「住宅街は太陽を背景に、シルエットみたいになっていて」「猫除けのペットボトルが置いてある」「括ったら玄関の外に出しておいて。そしたら勝手に持ってってくれるから」今度は二重線だった。
そして今度は、カズミとムツ先生が話している夢のシーンで止まり、質問してきた。
「ムツ先生というのは、本名はムツゴロウ先生か?」
「はい。珍しい苗字ですよね」
「ムツゴロウというのは、こういう字か?」
先生はノートの端に「鱫五郎」と書いた。
「それで間違いない」
塚本先生が頷く。
「ふぅむ……」
今度は「鱫五郎」の下に「睦五郎」と書いた。
「普通はこっちだけどなぁ」
「へえ」
よく知ってるなぁ。
「ということは」
丹羽さんがページを最初の方まで遡る。
「ムツゴロウ先生ってのは、学校の側にある鱫五郎工場の息子かな?」
「そうだ」
塚本先生が肯定する。
「ふぅむ……」
またノートを読み返し始めた丹羽さんは、今度は「賞金女王が通るルート」というところに波線を引いて、スマホを取り出す。何か調べてるのかなぁ?と思ったら「賞金女王が通るルート」の下に「七月二十日(月)東京着、七月二十二日(水)東京発・北海道着、七月二十五日(土)北海道発・東京着、七月二十六(日)東京発」と書き込んだ。
そして、私が裸を見られたシーンの「一着の学ラン」に波線を引いて、その後は最後まで読んでノートを閉じた。
「さて」
丹羽さんの顔が、浮浪者じゃなくて探偵に見えた。
「どうやら、俺の推理は間違っていなかったようだ」
どうやら、これから謎解きが始まるようだ。時計を見ると、既に七時を回っていた。
「結論から言えばだよ、幸田ユメカちゃん。君のコレは正確に言えば予知夢じゃない。過去の出来事が見えたっていうのが良い証拠だ。じゃあ、君がしていることは何なのか」
「何なんですか?」
「俺と同じさ」
コメカミの辺りをツンツンつつく。
「推理だよ」
そう言ってニヤッと笑った。
「自分が見たり聞いたりして得た情報を組み合わせて、未来を予測しているんだ」
「……私は、そんなことをしてる自覚はないんですけど」
「自覚はないさ。無意識の領域だ。君の脳が勝手にやってることだ」
「……何で、そんなことするんでしょう?」
「君は、自分が暗記が苦手だと思っているね?コツコツ努力することが苦手だと薄々自覚していた。でも、それを個人面談で明確に指摘されたことによって、君の脳は焦ったんだ」
「キッチーに指摘されたから……?」
「それもあるが、それ以上に、君自身に指摘されたからだ」
私自身に……?
「本当は記憶力も思考力もあるのに、脳を使わないことがアイデンティティだなんて思われたんじゃたまらない。意識している間は脳を使っていないかの様に見えたって、実際には大量の情報を処理してるんだ。君がそれを否定したことで、本来無意識下で行われていた作業が、意識の領域に飛び出して来たんだ。夢という形をして。俺はここにいるぞ!俺はここで働いてるぞ!ってね」
……あんまり良く分からないけど、私の脳は無意識のうちに探偵を気取ってたってことみたいだ。
「その証拠としてね、君が夢で見たことは、全部予測が可能なことなんだよ。伏線は既にあったんだ。実際はもっと沢山あるんだろうけど。君の意識領域じゃ捉え切れていない伏線が」
例えば。と、続ける。
「火事の夢について。ペットボトルがあったことや、資源回収の為にその朝は玄関に新聞があること。しばらくは晴れた日が続くと予報したテレビ。そして、夕方には家の向こう側にあった太陽は、おそらく朝には玄関を真正面から照らしているだろうことから、火事の発生は予測できる」
「でも、太陽とペットボトルと新聞だけで本当に火事が起こるかなんて誰にも分からないじゃないか」
塚本先生が口を挟む。
「でも、幸田ユメカちゃんの脳は確信した」
「何故だ?」
「計算したからさ。お天道様の力がどれだけ偉大か。日の出時刻とか太陽の角度とか、君が意識して摂取していない情報を、脳は勝手にデータとして処理したんだ」
「……じゃあ、他の夢に関しても予測が出来たってことですか?」
「そう。例えば、数学の小テスト。君は確かに一実くんの話を聞いてはいなかっただろう。でも、脳は彼の話を勝手に記憶したんだ」
「……ってことは、最初の予知夢を見たとき、私は心の底で『コイツ、私に惚れてんな。明日辺り告白してくるだろうな』って思ってたってことですか〜!?」
「そういうことだ」
うっわ、嫌な女!
「まぁ、恋愛については俺から言えることは何もないから」
「丹羽はな、バツ三なんだ」
塚本先生が耳打ちしてくる。
納得。でも、三回ってかなりだな。
「何か言ったか?」
「いいや、何も?」
丹羽さんは塚本先生に少し訝しげな目を向けていたけれど、すぐに切り替えたようで、
「つまり、そもそも君の目や耳に入っていない情報があったり、君に固定観念がある場合には、夢と現実にズレが生じるワケだ。例えば、最初の夢。君が寝た時点で君の脳は、二日後に数学の小テストが行われることを知らなかった。だから、一実くんが勉強を教えてくれる未来を予測できなかった。それから、夢の中の君は意識的に数学のワークを見ないでいるつもりだったみたいだけど、実際には見ようとしても見れなかったはずだ」
「……何でですか?」
「君、そもそも、その範囲の数学のワークなんか開いたことなかっただろ」
「あ、はい」
「だから、君の脳にはワークの内容のデータが無いんだ」
「……なるほど」
知らないもんは知らない、ってヤツだ。
「データが不完全な物はぼやかして表現される。例えば、水曜日の朝食は『出汁巻卵と味噌汁だった』とあるけど、夢の中では『和食』と表現されている」
「……それは、夢の中ではどういうイメージで処理されるんだ?」
塚本先生が疑問を呈する。
「えっと……何かよく分かんないんですけど『あ、自分は今、和食を食べてるんだな』って思うんです」
……首を傾げられた。よく分からないみたいだ。
「じゃあ、和食の食器があって、器の中身はギリギリ見えないアングルで撮影してると思ってください」
「なるほど、理解した」
「ムツゴロウ先生が飛行機のチケットを受け取るシーンも同じだろ?何でか分からないけど『あれは飛行機のチケットだ』って思うんだよな?」
「そうですね。実際、飛行機とか乗ったことないんで」
丹羽さんはスッと理解できるみたいだ。さっすがぁ!
「先入観の例としては、昨晩の夢が挙げられる」
「……どこら辺がですか?」
「塚本」
「ん?」
「鼻血が付いたティッシュがあって、それを持ってトイレに行こうと思うか?」
「……さあ?流せるティッシュだったら流すけど」
「体育教官室の、誰から貰ったかも分からないティッシュが流せるかどうかのデータなんて、採集のしようがない」
「分かんないんだったら……詰まる危険性を考慮してゴミ箱を探すだろうな」
「だ、そうだ。幸田ユメカちゃん」
……そうか、なるほど。それは……女子ならではの先入観だ。血が付いたティッシュがあって、目の前にトイレがあったら、入ってしまう。そして捨ててしまう。よく考えたら分かるのに、考えるのを端から放棄していた。
「火事の現場に大学生がいたこともその一例だけども……とにかく、そういう訳で、先入観も間違いもないデータを大量に集めないと、正確な未来を見ることはできないってことだ」
……だいたい分かった。分かったんだけど……だからどうしろって感じだ。
「丹羽、一つ質問して良いか?」
「どうぞ」
「昨晩の夢は……どこに伏線があったんだ?」
「ああ…まず、幸田ユメカちゃんが裸を見られたときに一実くんが学ランを着てたってとこが分かりやすい」
「確かに、夏場に学ランを着てるのは不自然だ」
「ああ、そのせいで鼻血も出してるしな」
「え?」
思わず身を乗り出してしまった。
「カズミが鼻血出したのは、私の裸に興奮したからじゃないの!?」
「いや、暑かったからだ」
丹羽さんは平然と言い切った。
「そもそも、何でエロいシーンで鼻血が出るか分かるか?」
「……さあ」
え、そんなことを、そんな真面目な顔で語るんですか?
「鼻の下が伸びて、鼻の中の血管とか皮とかが引き延ばされて切れるからだ。じゃあ、何故、鼻の下が伸びるのか?それは、服の上から胸の谷間を覗こうとするからだ。できるだけ見ていない風を装って、眼球を可能な限り高い座標に持っていく。その努力の結果、鼻の下が伸びる。つまり!」
酔ってるのかな?私をビシッと指差して、決め台詞の様に、
「服着てない女見たって、鼻血なんか出ないんだよ!」
格好悪い台詞を吐いた。
へぇ、鼻の下が伸びるってのにも、そんな理屈があったんだ。
「自論だけどな」
自論かい。
「話を戻してくれないか?」
塚本先生が軌道修正を求める。
「ああ……悪い。でな、そんな暑い日に何でわざわざ学ランを着てたかっていうのには、何かしらの事情があるはずなんだ。で、考えうるのは、内ポケットに何か……誰かに見られるとまずい物が入っているとか。そして、ムツゴロウ先生は、一実くんの家から多額の借金をしている鱫五郎工場の息子だ。十中八九、中身は借金に関するものだろう」
「それが……何で飛行機のチケットなんだ?」
「それは、俺にも分からん。今はな」
分からんのかい。
「この日記の中で飛行機に関係があるのは『賞金女王が通るルート』と、屋上で見た飛行機雲、それから、強いて言えば世界史の授業に出てきたアメリカ同時多発テロだけだ。多分、この日記を書いてたせいで睡眠時間が短くなってしまったんだろう。この夢は不完全だ。続きがあるはずだ。続きを見たら、連絡をくれ」
「別に構わないですけど……明日から三連休ですよ?」
「……じゃあ、連絡先、交換しようか」
私のチャットアプリに「丹羽」と「塚本」が増えた。
「それからね、夢を見たら、見た夢をずっと記録し続けてほしいんだ。また見せてもらおう」
「はい、分かりました」
「じゃあ、もう九時近いし、今日はもうお開きにするか」
そう塚本先生が言って、解散になった。私は塚本先生の車に乗り込んだ。車が動き出す。
「そう言えば」
と、塚本先生が切り出した。
「少し気になっていたんだが」
「何ですか?」
「夢の中では『あ、今、夢の中にいるな』って自覚はできるのか?」
「いや……分からないですけど、できたことはないです」
「そうか……」
車通りの少ない道を、家まで走った。車内には、静かな雰囲気の洋楽が流れていた。
「悪かったな、遅くまで」
「いや、そんな!こちらこそ、こんなに親身になって相談に乗ってくれる人がいて良かったです」
先生は、
「今日はゆっくり寝るんだぞ」
と言った。
「もしかしたら、ムツゴロウ先生の人生がお前の夢にかかってるかも知れない」
「やめてくださいよ!緊張して眠れなくなります!」
先生は、私の軽口に笑った。
「お前なら大丈夫そうだ」
と。
「良い夢見ろよ」
「はい、おやすみなさい」
そう言って私は車を降りた。
そして、家の扉をくぐる。
「ただいまぁ」
「おかえり。今日は遅かったのね」
「うん、探偵が日記を三回も読んでたからね」
お父さんとお母さんは、ポカーンとした顔をした。
部屋に鞄を置いたら、今日は忘れないようにと、制服のまま風呂場に行く。ついでに、明日から三日間着ないので制服を洗濯機に突っ込んでしまう。
湯船に浸かって、
「今週は疲れたなぁ……」
と呟く。
本当に、色んなことがあり過ぎた。個人面談から始まって、彼氏ができて、裸見られて、火事に遭って……色んな出来事がフラッシュバックする。そして、頬を叩いて気合いを入れ直す。
「来週も長いぞぉ」
夏休みが、来週の水曜日に迫っていた。
扇風機を回して、ベッドにダイブして、
「そう言えば、日記の続きって書かなくても良いのかな?」
と、ちょっとだけ考える。でも、すぐに考え直す。
私が今やるべきことは、できるだけ長く寝て、できるだけたくさん夢を見ることだ。よし、寝よう。
電気の紐を引いた。
そして、私は昨日の夢の続きを見た。
いや、本当に続きなのかは丹羽さんに聞いてみないと分かんないんだけど、でも、これは繋がっていると見て間違いないと思う。
夢の舞台は、家だった。
夢の中でも、私は寝ていた。とは言ってもベッドで寝てたんじゃなくて、ソファーで寝ていた。しかも、パジャマじゃなくて部屋着だった。どうやら、休日の昼寝タイムであるらしかった。
私は、突然の爆音と揺れで目が覚めた。飛び起きて、スリッパつっかけて玄関から外に出た。とにかく、何が起こったのか確かめなければならないと思った。
外に出ると、辺りを見渡した。音がした場所がどこなのかはすぐに分かった。学校の方角から煙が上がっていた。私は、そっちの方に向かって走った。
青空の下。
汗が後ろへと飛び散っていく感覚。
学校に着く前に、煙の正体が分かった。火の手が上がっていた。でも、私のような、一介の女子高校生の手に負える様な状況じゃないことは、その火を見るより明らかだった。文字通り。
学校に。
飛行機が。
旅客機だったものが墜落していた。
学校の周りの建物も一緒くたに破壊して。
倒壊して。
返してって言ったって取り返しがつかないくらいに。
ボロボロだった。
当然、鱫五郎工場も。
世界から音が遠のいて、自分の呼吸音だけがやけに大きく聞こえる。そんな中、耳にサイレンの音が飛び込んで来た。パッと後ろを振り返ると、消防や警察の車両がたくさん滑り込んで来て。
そして、一切の音がセミの声に切り替わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます