第11話 澄んだ瞳から





 詩織を三瀬村に連れて来て、もう二年が経つ。姿子はこの時(これで詩織ともお別れか、寂しいけれど)との思いをグッと飲みこんで「詩織も元気になった。子供は親の下で育てるのが一番じゃ。なぁ美也子さん」と言うと美也子はハンカチで口元を抑えた。

そして敬一のほうを見て、敬一と目を合わせた。


「ところで小学校のことだが」と敬一が切り出して「都会の大気汚染は改善しつつあるが、まだ充分とは言えない。今、詩織を連れて帰っても、ぶり返す可能性も無きにしも非ず。それに、こちらのほうに慣れて友達も多いと聞く。小学校は三瀬小学校に上げようかと思っている。もちろん、お袋がこのまま面倒を見てくれればの話じゃが」そう言い切って姿子の眼を見た。


姿子は美也子を見て「美也子さん、美也子さんはそれでいいの」と尋ねると、美也子は「すみません」と言って目を伏せた。

屋敷の庭では、元気に育った詩織と将也が走り回っていた。


孫二人を目で追いながら姿子は「敬一も美也子さんも、ここに来るまでに見たじゃろう。ダム建設の事前調査が終わったところで、まだ反対者がいるのに次の環境整備調査工事に着手した。この村もよそ者が多く入って絶対安全とは言い切れんぞ」と言った。


敬一も庭の子供を眺めながら「ダム工事は、そんな早急にできるものじゃないし完成までは時間がかかる。ここ三、四年はこの環境が変わるとは思わん。まだ先は長い」そう言った。


敬一は美也子と目を合わせて姿子に言った「お袋さえよければ『三瀬小学校に入学させるのが詩織の為だと思っている』どうじゃろうか」そう敬一が言うと美也子も姿子に頭を下げた。


姿子は(わしが嫌とは言えんと知って、この二人は)と心の中で思った。

「それは敬一、美也子さん、あんたら二人の考えじゃ。大事なのは詩織の気持ちじゃないんか。詩織にも聞いてみんとな」姿子がそう言うと敬一が庭で遊んでいる詩織を呼び寄せた。。


詩織は大人たちがただならぬ大事なことを話していると察してか、恐る恐る近づいてきた。

敬一が「詩織ちゃんは、こんど小学校に上がるんだけれども、このままお婆ちゃんと一緒にここにいて三瀬小学校に通うか、それともママや将也のいる東京の小学校に通うか、どっちがいいかなぁー。ゆっくりでいいから考えてくれる」と優しく詩織に聞いた。


詩織一時ポカンとしていたが状況把握は思ったより早かった。詩織は、まず美也子を見た。そして敬一を見た。姿子のところにきて(婆ちゃん)と縋る眼で訴えた。姿子が(正直に答えなさい)と頷くと詩織は「うちはー、どっちでもええ」そう下を向いて答えた。


「詩織、気兼ねせんでもええ、ママやパパ、将也と一緒に行きたいんなら正直に言うたらええんよ」と姿子が詩織に優しく促すように言うと詩織は、両親の顔色をうかがった。


今一度、美也子と敬一の顔を見て詩織は「健ちゃんも、亮ちゃんもおるし…やっぱり、うちは婆ちゃんと一緒がええ」そう言うと、その場から逃げるように将也を庭に連れて行き一緒に遊んだ。


姿子は「美也子さん敬一、本当に此処においといてよいんじゃね」と念を押すように言うと「せっかくここまでよくなったんですから、もう少し」と申し訳なさそうに美也子が答えた。


 幼い姉弟は遊び疲れて一晩一緒に眠って次の朝、詩織だけを置いて家族三人は東京へ帰って行った。

初めの別れでは泣かなかった幼い詩織の瞳のなかで涙が光っていた。



 三瀬川村のダム建設が決まってす運が経つ。村内の本格的工事に入る前に、その段取りや立ち退きの条件闘争で、まだ六十九世帯が賛成派、反対派入り乱れてた騒動の最中だった。


姿子もその渦中の人だった。渦中の人ではあるが敬一や舅幸助の立場を考えると明快な立場はとれなかった。

そんな事とは無関係に、斑の子供たちと一緒に詩織は元気に小学校に通っていた。


ダム建設に向かって着実に進む中、「ダム建設に反対、工事をやめろ」とシュプレヒコールを上げながら村内を巡る反対者。

もはや村民だけではなく政治がらみで外部からの応援者と称して外部の人間も少なからず入り込んで気勢を上げていた。


今までの静かな村民の生活は一変し、見ず知らずの他人がうろうろするようになり、小学校に通う詩織が知らない小父さんから声をかけられたと言って帰ってきたこともあった。


次から次へと今までにない出来事に遭遇しながら村民の気持ちも例外なく、少しづつ変わらざるを得なくなった。

そして、あわただしく時は流れて詩織も小学校の五年生になっていた。このままこの土地で中学校に進級して行く分には何の問題もなかった。


姿子は詩織の中学校を東京の両親の下でと考えていた。だが中学校が目の前に迫ってきても美也子や敬一が何を考えているのかわからず、親として二人は詩織の将来をどうしてやりたいのか煮え切らない態度に終始していることに違和感を覚えていた。


美也子が一人来て学校行事に参加して担任の先生と話して帰るということもしばしばあった。

その都度、姿子は美也子の口から「詩織を連れて帰る」という言葉が出てきてもいいのにと思っていた。


「詩織を連れて帰る」と言われたら姿子は寂しい。そんな自分の気持ちはさておいて、親子であれば一緒に居たいと思うのが普通の感情打だろうにと思い、それとなく美也子に「もう立石医院の先生も詩織は大丈夫じゃ言うことじゃが」と言ってみた。だが美也子の答えは「そのうちに」という姿子の待つ答えとは違っていた。



 村が水没すると聞いた当初、ダム建設に反対の署名をしたものが五十数名いたが、日が経つにつれ一人減り二人ヘリしての恋は十二名になっていた。だが反対の声のボリュムは小さくならなかった。

離れて行った住民を保管して余りある、どこの誰だか分らぬ反対者が流入し声を上げていた。


身の回りが激変する前哨戦が大詰めを迎え、姿子の頭の中でぼんやりと書いた未来図も徐々に具体化して行かなければならない時期に来た。

そして美也子の詩織に対する優柔不断な態度に、姑根性が姿子の心に影を落とした。

そうした姿子の揺れ動く心の襞は、成長期の無垢な詩織の心に先の見えない不安となって、そこはかとなく広がっていた。











                                    続




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水中花 光籏 好 @koubatakonomu

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