第6話 結婚しよう
久美の結婚に触発されたのか美也子は、結婚にこだわり始め、敬一を「正式にフィアンセとして両親に紹介する」と言い出した。
「考えさせてくれ」と敬一は、猶予してくれるように美也子に言った。
敬一もいつの日か久美が自分以外の男と結婚するときは来ると分かっていた。いざその時が来てみると(嫌いで別れた)のなら「あっ、そう」で済むかもしれないが、招待状を見せられた時の敬一は幽かに心の揺れを感じた。
(今、自分の側に肇の恋人だった美也子がいる。肇は自分で勝手に決めて海外へ。連絡が取れないまま四年が経ち美也子の肇への思いは冷めて、美也子から別れると手紙を送ったが、音信不通だという)その美也子が今「結婚しよう」と言う。
美也子は結婚相手として申し分のない女性なのだ。敬一はこの期に及んで決断を(久美と同じように、肇も美也子を一人にして東京から消えた。何を躊躇する必要があろうか)そう思った。
美也子は敬一の気持ちを確かめて、田村家に招いた。美也子の父親幸助は、肇の話をした時とは大違いで、美也子のフィアンセとして敬一を歓待した。
美也子の母親富士子は、美也子が敬一と結婚したいと言った時に肇のことが頭をよぎった。
田村幸助の東阪建設が、敬一の故郷である三瀬村のダム工事に参入している。そして敬一は環境庁に努める役人だ。
最初に美也子が結婚にこだわりだしたとき、敬一は美也子の父幸助の政略的な意図があるのではないかと疑った。
美也子に東阪建設の三瀬村が湖底に沈むダムに関係していると言った時も「私、父の仕事のことは分からない。それと私たちの結婚と関係あるの」といぶかしげな顔で敬一に聞き返してきた。
以前両親に肇との恋人宣言した時と同様に、美也子自身は天真爛漫な我儘お嬢様のまま「敬一と結婚する」と両親に話したに違いない。
そんな美也子が百戦錬磨の父幸助と裏でこそこそできるわけがない。
そのことは敬一がよく知っている。よくわかっている美也子だからこそ敬一は美也子が愛おしく結婚しても美也子と一緒に暮らしていけると信じたのだ。
田村幸助は東阪建設を一代で築き上げた男だけあって、それだけの風格があった。指示したわけでもないのに環境庁の役人を愛娘の美也子が、わがフィアンセと紹介して来たのだから幸助が上機嫌なのは至極当然である。
幸助は上機嫌の中にも状況を見る目は終始冷静だった。敬一にシャンパンを勧めながら「大倉家は三瀬村の中ほどだから、あのお屋敷も周りにある田畑もほとんど水没だろう。山林はどうか知らんが」と四人の会食の席で切り出した。(もう下調べ済みか、なるほど)と敬一は思った。
敬一の答えを遮るように美也子が「パパ、今日は美也子と敬一の結婚の話なの『仕事の話はしないで』ってあれだけ言ったのに」と幸助に言った。その幸助は目じりを下げ、ふんふんと美也子に相槌を打った。「パパ、分かっているわね」と美也子はくぎを刺そうとする。
「おいおい美也子、これは仕事の話じゃないぞ。これは敬一君や美也子の将来に、大きく関わってくる大事なことだ。なぁ敬一君」と幸助は話すのが当然だという顔をした。
敬一は「ハイ、その通りです。我が家は山林と畑の一部が残るだけです」そう幸助に答えた。
幸助と敬一の会話を聞きながら、不満そうにわき見をする美也子をしり目に幸助は話を前に進めた。
「どうだろう敬一君、自分の生まれた故郷だ…そう簡単に踏ん切りはつかんと思うが、この際…思い切ってお母上も一緒に、こっちへ出てきたらと思うが」と幸助が言った。
「いろいろ考えてはいますが、こればかりは母の姿子が何と言いますか」と敬一は(姿子は絶対に東京には来ない)と思いながら幸助に答えた。
今まで様子を見ながら黙って聞いていた美也子の母親富士子が「あなた、話が性急すぎますよ。ほら、敬一さんだって困っていらっしやる。すみませんね、敬一さん」と言った。幸助は(言いすぎてはおらん)と言う顔でシャンパングラスを手に取った。
富士子の助け舟に敬一は(もしや俺は、顔に出していたのか、気取られるとは俺もまだまだ修行が足りんな)そう思った。母親の言葉に一番(それ見ろ)と力を得て美也子が「パパは性急すぎるの」と口をはさんだ。
「何も今すぐにとは言うとらん。その時には、なぁ敬一君」と敬一を見て、幸助は笑顔でうなずいた。幸助の顔は笑っていたが目線は敬一をとらえて離さなかった。
敬一も幸助の目線をしっかり受け止めた。アイコンタクトが取れ男同士頷きあった。
敬一がその気になった時は「それ相応の援助は惜しまないよ」と言うメッセージを幸助は敬一に送った。敬一が自分の意図を受け取ったと感じた幸助は(この男なら)と敬一が一層頼もしく見えてきた。幸助がおいしそうにシャンパンを口に含んだ。
後日の話し合いで敬一は「田村家の婿養子ではなく、美也子を嫁に欲しい」と申し込んだ。結婚すると決め美也子が「ママはね、美也子に良いお婿さんが来てくれるといいね」といつも、そういって言っていたと話したのを敬一は覚えていた。
敬一も美也子も一人っ子同士、どちらも譲れないのではないかと覚悟していた敬一に、田村幸助は(これも俺のほれ込んだ男の言うことだ)と承知した。これに富士子は(幸助が、そこまで言うのなら)とあえて反対はしなかった。もちろん美也子に異存はなかった。
三瀬村にいる母親の姿子に「東阪建設の社長令嬢、田村美也子と結婚したい」と敬一が報告した。姿子は驚いて「大手の、あの東阪建設か」と聞き返した。
敬一が「学生時代夏休み、家に連れて帰った女性二人の中の一人」そう言うと姿子も(あの中の娘なら、付き合いがあっても不思議はなかろう)すとんと腑に落ちた。
東京に出て来た時からの付き合いで、ここまで来たのなら姿子にも理解できた。敬一が経緯を説明しているのを聞きながっら姿子は(敬一よ!大倉の家とは住む世界が違いはせんか)とやや不安になっていた。
敬一も適齢期になって、親戚演者はもちろん懇意にしている人たちからも、いろいろと心配して具体的な話も持ってきてくれていた。
姿子は、そんな人たちに感謝の意は伝え「こればかりは本人がその気にならんと」と敬一の意思に任せた。
心配などしていないかのように見えた姿子だが、いざ敬一から「結婚を決めた」と言ってきてみると(来るべき時が来た)とざわざわソワソワ心揺れた。
学生時代にこの大倉の家に来たことがある美也子と聞いて姿子はアルバムを出してみる。
十年前に学生三人を敬一が連れて帰った時に写した写真を探し出した。左から美也子と肇、敬一と久美の順に映った一枚を眺め、敬一の横にいる娘に姿子の目が釘付けになった。(おーぉ、そうかそうか)とうなずいた。
上京した姿子はいったんホテルにチェックインして夕方、敬一に連れられて婚約者のいる田村家に着いた。最初に応対に出た綺麗な娘さんの顔を見て姿子は(はてな)と一瞬(久美)思ったが、その場で敬一に聞くことのできる状況ではなかった。
「その節は、お世話になりました」と言う美也子に「いえいえ何のお構いもできませんで、こちらこそ敬一がいつもお世話になりまして」と返す姿子の会話の流れで否応なし両家五人の顔合わせは始まった。
お互いを誉め合い、謙遜し合う一応儀礼通りのあいさつが終わり、田村の家を出た。田村家が用意した車でホテルまで送られることになり、そのホテルまで美也子も敬一親子と同行した。
車がホテルに着いて敬一が美也子に「ありがとう、君はもうここで、この車で帰るといい」と言った。
姿子も車から降りて美也子に「美也子さん、本当にありがとうございました。ご両親によろしくお伝えください」と言った。
美也子は敬一を見て(帰るね)と目配せで伝え「それでは、お母さま。お気を付けて…失礼します」と美也子は帰った。
親子二人になって「敬一…あの娘さんだったか」と姿子が敬一に聞いた。敬一は(やっぱり)と思い「何が」と聞き返した。
「以前、家に来たときに付き合っているって言った娘だよ」と姿子はいぶかしそうに聞いた。
帰郷の際に久美を紹介した敬一には、姿子が疑問に思い聞いてくるだろうこと分かっていた。
この入れ替わりはきちんと話さなければ姿子の憶測で誤解されたままでは後々困る。
ここは、今一度姿子の疑問を払拭しておかなければならないと美也子、肇、久美、自分の現状を敬一は包み隠さず話した。
案の定「それで…いいのかい」と姿子は聞いてきた。「勿論、二人が結婚してもよい環境は整っている」そう敬一が言うと、姿子はもう何も言わなかった。
久美と肇に結婚式の招待状を送った。
久美は、美也子が自分の結婚式に出席してくれた友人だ。美也子の結婚式に出席して祝福するのが当然だと思う、しかし相手が敬一と聞くと心穏やかではいられない。
まして奥羽に帰って見合い結婚をした相手の道夫に満足してない久美は、美也子に嫉妬心さえ覚えた。
紹介状を送ったニューヨークの肇に至っては、紹介状が届いたとも届かぬとも、何の連絡もなくもなかった。
続
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