第4話 同床異夢
二年、三年が、あっという間に過ぎて行った。将来、四者四様に行くべき道が分かれだしてくると、蜜月の時は終わり気持ちにきしみが生じてきた。
違う目的をもって入学してきた四人が、同床異夢の関係だったのだから当然と言えば当然なのである。
恋愛という甘味な果実は、元々掴みどころのない曖昧なものだから、人がそれを食らうと最初気持ちは麻痺し(この人に私を思い愛してほしい、私もこの人を思い愛していたい)と無意識のうちに唯一無二のものとして始まる、この症状は多岐にわたり時に重苦しく、相手ののことが頭から離れなくなる。
この熱病が覚めるのも、思いの強弱も個人差がある。要するに恋愛だけは特別なものではなく、その時その時で相手の気持ちも変化すると言うことである。その変化を受け入れられなければ、悲劇を生むことになる。
敬一は久美が奥羽に帰らず、このまま自分と一緒にいてくれるものと信じていた。久美は自分を愛してくれていると思う、ならばいずれは結婚するものと敬一はこの時、疑わなかった。
久美もそんな敬一の思いは分かっていた。だから敬一が「結婚してくれ」と言うのは、時間の問題だと容易に想像できた。
久美には久美の事情があり、敬一の申し出に「ハイ」と言える状況ではなかった。「卒業して久美が帰ってくる」と奥羽で家族のみんなが待っていた。
久美は「婿を取って伏木の家を継ぐ者」と小さいころから意識づけられている伏木家の一人娘だった。
久美にしてみれば四年間の学生生活が終われば、奥羽の伏木家に帰るのは当然のことで他の選択肢はなかった。
久美が敬一と出会って恋愛感情が芽生え恋に落ちた時も「これは東京での青春の思い出」と割り切って奥羽へ持って帰るつもりだった。
国家公務員試験の試験に合格し就職が決まり、久美も喜んでくれていると敬一は勇んで「久美、これから先、ずーっと俺の傍に一緒にいてくれ」とプロポーズした。
いざプロポーズさえてみると久美の心も動揺した。
敬一が嫌いなわけではない。むしろ好きなんです。だから久美は目に見えない心の底では迷っている。「もし敬一が本当に私のことを愛しているなら、私と一緒に奥羽に来て」と久美は言いたかった。
今の状況で、これを言ったら敬一に嫌われてしまうかもしれない。敬一には嫌われたくない。久美の気持ちは揺れて、ハッキリとした態度を取られず、のらりくらりと返事をかわした。
久美の気持ちなどつゆほども知らぬ敬一は、はっきり返事をしない久美の態度を見て「付き合って長いことだし、久美に異存があるはずがない。したがって久美が就職活動もせずにいるのは自分と一緒になって家庭に収まるためだ」と勝手に思い込んでいた。
久美は四年生になって早々、とりあえず必要のないものを徐々に奥羽の実家に送り返していた。そんな早くから奥羽に帰る準備を進めていたことも敬一は知らなかった。卒業が近づくにつれ久美は奥羽の家族を思い奥羽へ気持ちを向けた。。そして敬一のプロポーズを断る決意をした。
敬一が必死になって引き留めたが、思い悩んで決めた久美の心は奥羽にあった。卒業と同時に久美は、奥羽の伏木家に帰って行った。
敬一は久美のいない東京に一人取り残された気がした。残された敬一の心にぽっかり穴が開き、寂しい隙間風が吹いた。
一方で美也子と肇の関係もギクシャクしていた。美也子の父親は、東坂建設の創業者。その父親、田村幸助の意向で美也子が卒業したら、母親、富士子の下で家事見習い花嫁修業をすることになっていた。
高校生の時に知り合ったボーイフレンド肇と同じ大学を受験し、二人そろって合格した。美也子がその時、母親の富士子に「ママ、肇と一緒に行けるのよ」そう言って喜んではしゃいだ。
そんな嬉しそうな美也子の姿に富士子は、美也子にも「恋が芽生えたか」とほほえましく見守っていた。
それまでも田村家に来て、美也子と一緒に勉強をしていた肇だったが、大学生になってその頻度が増した。
家にいるとき肇の姿を見ることが多くなった幸助は「あれは何だ」と富士子に不快感をにじませた。その都度、富士子は「まあまあ」と幸助の機嫌を取り持った。
就職活動期になっても就職しない美也子は、肇のことが気になった。その肇は活発に就職活動していた。美也子と会った時は試験を受けた会社のことやエピソードを聞かせてくれた。
肇が就職先を探していることを美也子は富士子に話し、将来も肇と一緒に居たいと結婚も視野に付き合っていると打ち分けた。その数か月後のことだった。
外資系の会社に就職を決めたと美也子に肇が報告した。肇の話によれば自分で本社勤務を希望してニューヨークへ行くといった。しかも研修程度の期間かと思いきや、そうではなく二、三年と思うが日本に帰ってこられる時期は明確ではないという。
美也子も肇が外資系の会社に絞って、就職活動をしていることは知っていた。そういう肇に美也子は軽いノリで「そう、外資系ってカッコイイ」と言ったことはある。
しかし、肇に「日本に帰ってこられる保証はない」と聞かされた美也子は「前もって相談してくれなかったの」と不信感をあらわににした。
いつもの茫洋とした美也子はどこかに行っていた。「そんなに大事な二人のことを、私の都合も聞かづに一人で決めるなんて、どう考えたっておかしい」と言った。
「そうじゃないさ、就活の時に美也子が『カッコイイ』って言っていたから、わかってくれると思っていた」肇は美也子を信じていたと強調した。
「それは日本を離れて暮らすなんて知らなかったし、ましてやニューヨークに行くなんて考えなかったからよ」と美也子は言い返した。
肇に「俺についてこい」言われてニューヨークでの生活、全く未知の世界に飛び込んでいく自信も勇気も美也子にはなかった。
だけれども好きな肇と別れるのは嫌だった。それに両親と別れて外国で暮らすなんて今まで考えたこともない。
唐突に出てきたこの話、このまま肇と別れてしまえばスッキリするだろうが、美也子の未練がそうはさせなかった。
気を取り直して「どのくらい三年ぐらいで東京に戻って来られるの」と美也子が聞いた。すると「う~ん、帰れなくはないと思う」と肇は答えた。曖昧な答えに美也子は失望した。
どちらにしても美也子は、富士子に話さなければならなかった。そして富士子と一緒に幸助に話した。幸助は「今まで家を出たこともない世間知らずの美也子が、よりによってニューヨークで暮らすなんてもってのほか」とニューヨーク行に反対した。
いつもは美也子に優しい幸助が、こんなに強く叱ったのは初めてだった。しかし、富士子の思いは違っていた。迷っている美也子に富士子は「一番大事なことだからね、肇さんが好きで愛しているのなら何処までもついて行っていいんだよ。焦ることはない、ゆっくり考えて」と言ってくれた。
続
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