第2話 湖底の集落




ダム湖に沈んだ三瀬村は山に囲まれ、中央を川が流れる自然豊かな山村で七十世帯余りの集落であり、その中に先祖代々続く大倉家の屋敷や田畑があった。

大正末期に大倉家の当主嘉一郎、その妻ヤエの娘として姿子は生を受けた。戦争に向かってゆく足音を聞きながら、姿子は少女時代を送った。


もはや戦火の拡大は避けられまいという状況下、時期が時期だけに両親は迷ったが「子供には学問をさせる」という大倉家の通例に倣い、姿子を遠く離れた瀬戸内海に面した女学校に入れた。


当然家からの通学は無理であり学校近くの民家に間借り下宿した。その下宿先は、もちろん赤の他人ではなく大倉家の親戚の家だった。


姿子は学徒動員、勤労奉仕と忙しい中で親元から離れた寂しさよりも、親戚と言うことで親への報告はするであろうが、親元を離れたという解放感に浸り僅かな休みを活用し充分に羽を伸ばした。その時に行商人の息子西野京三と知り合い恋仲になった。


恋仲になったは良いが、人目を忍んで会うのに苦労した。苦労した割には短い期間の淡い恋だった。行商で苦労している親を見て育った京三は、女学生の姿子がどこかの名家のお嬢さんであろうことは分かっていた。


京三は背伸びして姿子に「海を渡って一儲けして、姿子の婿に恥ずかしくない男になって帰ってくる。そして結婚しよう三年…いや五年待ってくれ」と言った。

「五年も待つのは嫌だ。姿子も京ちゃんと一緒に行く」と言って駄々をこね京三を困らせた。


もちろん京三のことは両親には内緒だったが、下宿先や学校関係者から人づてに「姿子が恋人を見送りに、尾道駅まで見送りに行った」と噂話が嘉一郎の耳に入っていた。


「西野京三なる得体の知れない者が、姿子をそそのかした」と、その時の嘉一郎は鬼のような形相で立腹した。しかし京三なるものは大陸へ渡ったと聞いて、嘉一郎は少し怒りを収め「まだ子供の姿子のことだ。よくある一時の熱病のようなもの、いずれ覚めるだろう」と思い直した。


嘉一郎とヤエは、十七歳になった姿子に見合いを勧めた。姿子はけんもほろろに断り「二十まで京ちゃんを待つ」と言い両親を怖い顔で睨んだ。

方々から縁談が来るのに姿子は「うん」と言わない。若い男はどんどん兵隊にとられ、嘉一郎とヤエは気が気ではない。

このままでは先祖代々続いた大倉家が途絶えてしまう。どうしても姿子に婿養子を迎えなければ、危機感を覚えていた。


西野京三が、大陸で「事件に巻き込まれ、死亡した」との知らせが届いたのは、姿子が十七歳の暮れだった。

悲しむ姿子を母親のヤエは「ご時世が、ご時世…姿子は、まだ若いんだから」と、なだめすかす日々が続いた。


一年が過ぎ年が変わって遅い春の芽吹く頃、姿子を長い間なだめすかすヤエの影で、気をもみ業を煮やした嘉一郎は、かねて頼んであった政次郎との縁談を持ってきてくれるように手配した。


政次郎の写真を見せて「一応…話だけでも聞くように」と恐る恐る嘉一郎とヤエは言った。すると姿子は、二人の心配をよそに、これまでと違った反応を見せて「見合いをする」と言った。


姿子自身は、自分から進んで見合いをする気になったわけでもなく…結婚しよと思ったわけでもない。

十九歳になったばかりの姿子は、同じ年ごろの娘たちが次々に見合いをして結婚していくのを見て、少し興味がわいたというほうが正しい。

相手の政次郎は帝大出で、近隣の地主栗林家の次男坊。嘉一郎が前々から「できれば姿子の婿に」と目を付けていた人物だった。


会わせてみると意外と簡単に二人とも意気投合した。姿子は東京暮らしでハイカラな雰囲気のある政次郎を、政次郎は田舎暮らしで素朴だが育ちの良さを見せる姿子が、お互い運命の人だと感じた。




三瀬村からもそんなに遠くない街にも空襲が頻繁になり、山で働いていた村人が「街の方で今日も戦火の煙が見えた」と言う。戦火の足音は、ここ三瀬村のこんな田舎にまで届き空襲警報が鳴り響いた。


政次郎の帰郷は戦地に行く前の短期間で、急ぎ戦地に赴く身であった。時間は貴重で婚礼やお披露目は、簡素にすまして契りを結んだ。二人の時間を十分にとってやりたいと嘉一郎とヤエは、心を砕いた。

それでも祝いに来る客は拒めず、思うようにはいかなかった。両親の気持ちは婚礼をすました二人には届いていた。


別れの日が来るのは早かった。数日の夜だったが二人の絆は強く結ばれた。

明日の朝に別れだという夜、姿子は目に涙をいっぱい貯め、政次郎の胸に顔をうずめて「死んじゃ嫌だ」と泣いた。

政次郎の腕は姿子をしっかり受け止め「帰ってくるさ」というのが精一杯だった。超短期の新婚生活を終えて政次郎は、大倉の屋敷から出征していった。



広島と長崎に原爆が投下されアメリカ(連合軍)の占領下で戦後が始まり、大倉家でも重い空気が続いた。

あちこちで帰還兵の話や戦死の話を聞く中で政次郎は帰ってこなかった。それでも政次郎の「帰ってくる」と言った言葉を信じて姿子は待った。


戦死の通知も来ず政次郎はどこかで生きているに違いなかった。嘉一郎も又、政次郎を待っていた。嘉一郎の政次郎にかける期待は大きく「将来は、中央の政界へ」などと夢見ていた節もある。


期待の大きい政次郎が帰ってきた。帰ってきたのは帰ってきたが、戦地で受けた銃弾のダメージは大きく、心も体もやんでいた。そんな政次郎を姿子は、一生懸命看病した。


GHQの統治下で新憲法が公布された。農地改革で三瀬村の大倉家の田畑は大幅に減った。

「自由、平等」の名の下に人々の意識が変わり、その変わりように嘉一郎などは「自由は好き勝手とは違うぞ」と口に出すのも口惜しく寡黙な人間を、余計無口にした。


戦後のドサクサがようやく落ち着きを見る中で、暗い大倉家に一筋の光明が見えた。それは姿子の妊娠だった。


姿子の妊娠を知り政次郎も、元気になったかに見えた。ヤエから「姿子が身ごもった」と聞かされた嘉一郎は「でかした」と、いつになく明るい表情で喜んだ。


無事に臨月を迎えた姿子は、陣痛が始まり大きな産声とともに待望の男の子を出産した。

その時、向かいの部屋で「落ち着け」と言いあいながら、政次郎と嘉一郎がおろおろしている。そこへ出産近しということで手伝いに来ている山澤タキが来た。

「旦那様たち、元気なお坊ちゃまですよ」と両名を喜ばせた。その夜、嘉一郎は一人「政次郎も元気になりこれからだ」と期待を膨らますのだった。


「敬一」と名付けられた赤ん坊は、政次郎と姿子に見守られながらすくすくと育った。このころが大倉家にとって一番充実した日々だったかもしれない。


「これで大倉の家に跡取りができた」と大倉の家のみんなが、安堵し喜んだ。しかし、その喜びも長くは続かなかった。元気になったかに見えた政次郎の戦争で受けたダメージが悪化したのだ。


体内の数か所に、取り除けない銃弾が残ったままの生還で想定した事態だった。だが敬一が生まれた今、その行く末が気になった。気になる行く末だが政次郎には見ることはできまい。


せめて未来を託す敬一の時代が、平和であってほしいと願った。その時代を予測するためには情報がいる。政次郎は自分で動かれないので東京にいる生き残った友人と手紙を交わし戦後の動きをウオッチしていた。


もはやいつ逝ってもおかしくないと医者に言われ、姿子は看病するため政次郎の傍らで過ごす時間が多くなった。他の家事にも追われる日々に姿子が疲れてウトウトしていた。その時、政次郎に「姿子」と呼ばれた。





                                    続


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る