第2話


 珍しく煩いアイツに起こされずに、自然と目が覚めた。

いつもならけたたましく鳴り響くい相棒に掌を打つけて、その鈍い痛みで頭が冴えてくるんだが、今日はそんな痛みは感じない。少し変わった目覚めだった。

そんな目覚めだったからかもしれない。部屋の隅っこに放置していたジッポーに目がいったのは。


 オレが20を少し過ぎた頃、初めてタバコなんてもんに手を出した。

思ってみればガキの頃から映画俳優やバンドマンが悠然とタバコを吹かしている姿を目にして憧れていた。


 簡単に言えば、タバコってもんが大人への切符だなんて思っていたのだ。


 けれどそれはガキの勝手な思い込みだ。年齢を重ねたって、年齢規定のある嗜好品を試してみたって自分が大人になれるわけじゃない。結局そんなものに頼ったって、肝心なもんがしっかりして行かなきゃ何者にもなれないのだ。知ってるって? 

 でもよ、頭で納得してても腹落ちしてないことって溢れかえってるとじゃねぇか。


 オレの場合、最初に格好付けて嗜好品に手を出しちまったのが運の尽き。自分の身の丈も知らないままにタバコも酒もやっちまったもんだから、すぐに痛い目を見てしまった。トラブルにもあったし怪我もしちまった。

そしてとあることがキッカケになって、この1年間くらいはそうゆう嗜好品の類には触れすらしていなかったんだけど、今朝は何故かこのジッポーが気になってしまった。


 吸わないままで置いていた甘い香りのするタバコ、そして件のジッポーを拾い、服の裾で磨きながらおもむろに部屋の外に出ていく。もちろん寝巻きのまま、寝癖だってそのままだ。オレの住むアパートは築何十年となるのだろう、オレが卒業したら取り壊すわよだなんて大家のおばちゃんが言っていたはずだ。そんなアパートなら周囲を気にすることもないんだが、部屋にもアパートのどこにも灰皿がない。道端に灰も吸い殻も放ったらかしにするのはどうにも気分が悪い。だから少し散歩がてら歩くことにしたのだ。


 せっせと目的地に向かって歩を進めていく。オレの住むアパートはちょうど学校の裏手。景観を残すためだとかなんかで全然整備された道ではない。夜になるとウリボーなんかが出没してあわや突進してくる恐れもあるくらいに自然がしっかりと残っている。まぁ不便だけど一歩外に出れば自然に囲まれているこの環境、オレは結構好きだ。


「人っ子ひとりいやしねぇ……」


 不意にこの言葉が口から溢れて、朝の静けさの中に溶けていった。こんな静寂も嫌いではないけれど、度が過ぎると寂しくなってしまう。


 こうやって目的地である学校内の喫煙所にやってきても、やはり誰もいない。まだ早い時間なのだ、仕方のないことだろう。そう思ってもどうしても悲しさみたいなものが自分の中を占めていって、どうしようもなくなった。多分目覚めた時からこんな気持ちになるって分かってたからここに来たんだ。ここで煙を飲んでいればぼうっとした頭で全部忘れることが出来るような気がしたからだ。


 来る道すがら磨き上げたジッポーを右手に持ち、ポケットに突っ込んでいたタバコを一本取り出して咥える。フィルターから微かに感じる甘さみたいなものが、自分の中の罪悪感を掻き立てていく。それでもジッポーの蓋を開き、親指を引き下げるだけで自分の中に紫煙が入ってくる……その誘惑に勝つことが出来なかった。


 ジャッと音と火花をあげるジッポー 。しかし軸が乾き切っているのか一度では火は点かない。


「……んだよ」


 二度、三度としつこくフリントホイールを引き下げる。しかしオレの目の前で踊るのはジッポーのたてる火花だけ。こりゃもう吸うなって、神様からのお達しかもしれない。しかし最後に一回だけとホイールを引き下げるとどうにか小さな火がついた。ここまで来ると達成感まであるじゃないか。そう思いつつ咥えたタバコに火を着け、肺いっぱいに煙を飲み込む。しかしどういうことだろうか、確かにタバコの先には火がついているのに紫煙の重さが肺に入ってこない。


「……折れてやがる」


 フィルターのちょうど少し前の部分。そこからタバコが折れている。これじゃ吸えたもんじゃない。タバコなんてもんは我慢して吸っても何も旨くない。改めてに新しいものにしようとするが、残念なことに他のも同じように折れてしまっていた。



「そっか。もう吸うなよってことかね」


 ため息をつきつつ咥えていたタバコを灰皿に放り込み、残りをギュッと握り潰して乱暴にポケットに仕舞い込んだ。

 そして頭を過ったのは、先日までオレの頭を悩ませていた『あの出来事』のことだ。



「何にでもやめ時を見失っちまうと……痛い目にあうもんなんだな」


 そう。何にでも潮時みたいなものがある。立つ鳥跡を濁さずだなんて言葉がある通り、最後はスッキリ終わらせないといけない。


 ぼんやりと明るくなっていく空を見つめながら、しみじみそう考えていた。


「やあコウジロウ。珍しいじゃないか」


 あぁ、面倒くさい奴が来ちまった。

 まぁ良い機会だ。ちょとだけ、今回のことをおさらいでもしとこうか。

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