第6話 藍色の真実 2.対の女神
遥か遠くに見えるほどの高い天井。何階分の高さがあるんだろう。
通路も十分な高さがあったけれど、こちらは外と変わらない開放感を感じるほどに天井が高い。
大きな明り取りの窓がいくつもついていて、室内は光に溢れていた。
神官さんが『女神様のお部屋』と言っていた部屋へ私達四人が足を踏み入れると、扉は自動的に閉まった。
精霊が扉に付いて、人の出入りに合わせて動かしているような物は、大きな施設等にはわりとあるのだけれど、この扉には精霊の姿が見えない。
……一体、どうやって動かしてるんだろう……。
得体の知れないものを見る目で扉を見つめる私とは対照的に、他の三人は部屋の奥を見つめていた。
普段から精霊の姿が見えない人達にとっては、扉が勝手に開いたり閉まったりする事は不思議な事ではないのだろうけれど……。
どこか腑に落ちない物を感じつつも、部屋の奥に向き直る。
突き当たり、細かなモザイクタイルで描かれた壁画の前には、見上げるほどに大きな一対の女神像。
そこから私達の入ってきた扉までは、真っ白な大理石の道が一直線に引かれていた。
デュナは、もう女神像の前まで行っていた。
フォルテも、真っ白な石で作られた女神像に見とれながらふらふらとその後に続いている。
スカイだけはこちらとあちらを交互にチラチラ見やって、ほんの少し心配そうな顔をしていた。
「ごめんごめん、なんでもないよ」
スカイに声をかけて、皆の方へ駆け寄る。
人懐こい笑顔がスカイに戻ったのを見てから、私も女神像を見上げた。
風になびいているような髪と衣装が今にも動きそうなほど精巧に作られていて、そのあまりのリアルさに、ぞくりと背筋が寒くなるのを感じた。
……なんだか怖いなぁ……。
『怖いですって!? この美しーーい私のドコが怖いって言うのよ。失礼しちゃうわね!』
「え!?」
慌てて辺りを見回すが、この部屋には私達以外に誰も居ない。
女性らしい高い声。若干キンキンするようなその響きは
デュナの物とはずいぶん違った声だった。
口に出さず呟いたはずの言葉に、頭の中で返事が返って……きた……?
『あら、そこのお嬢さんはこの状態でも私達の声が聞こえるのね』
今度は、落ち着いてハッキリとした喋り方をする大人の女性の声。
『待ってちょうだいね。今姿を見せるわ』
私に優しく諭すような言葉に、とりあえずキョロキョロするのをやめる。
どうやら、探したところで見つかるような存在ではないらしい。
『ええー? もうちょっとオロオロしているところを見たかったのに。つまらないわ』
最初に聞こえた女性の声。
どうやら、私の怖いという感想がよっぽど気に入らなかったらしい。
ごめんなさい。と心の中で謝ると、耳元でクスッと笑い声が聞こえた気がした。
「ラズ、どうしたの?」
気付けば、デュナ達三人が揃って私を見ていた。
「あ、ああ、えーと……」
なんて説明しようか。
と悩む私の視線の奥で、突如女神像が輝きを放った。
眩しいその光に、三人が振り返る。
いや、一人は私のマントの後ろに隠れてから振り返っていたけれど。
目のくらむような光の奔流がおさまると、そこには半透明の女神様が二人。
女神像よりは小さいものの、私達の二倍はあるかというサイズで、空中から私達を見下ろしていた。
流れるようなストレートの黒髪を腰下で揺らす、落ち着いた雰囲気の女神様と、ふわふわの前髪、横髪に対して、後ろをアップにしたような華やかな女神様。
知的な顔立ちの女神様が湛えた微笑と、くりっとした猫のような大きな瞳の女神様が浮かべた悪戯っぽい笑みは、まったく異なる物であるようなのに、どこか似ている。
それは、全然違う笑い方をするスカイとデュナの笑顔が、何故か重なって見えるのと同じように思えた。
ぽかんと見上げる私達に、長いローブの裾を足元ではためかせながら、黒髪の女神様が声を掛けた。
「お待たせ」
にこっと微笑んだその姿と目が合って、私への言葉だったのだと気が付く。
「あ、いいえ……」
あの二つの声は、この宮殿に祀られている女神様の声だったのか……。
気まぐれな幸運の女神様と、公正な不幸の女神様……。
どちらがどちらかというのは、なんとなくそれぞれが醸し出す雰囲気で判断できた。
あれ? 気まぐれというのは失礼に当たらないのだろうか。
「そこは間違いじゃないから別にいいわ」
やはり私の考えていることは筒抜けなのか、腕を組んで胸を張った幸運の女神様が、こちらを見下ろし言った。
あはは……と、ぎこちなく愛想笑いを浮かべる私をよそに、デュナが一歩前に出る。
「ちょっと伺いたい事があるのだれけど、いいかしら?」
……それは仮にも神様に対して使う言葉としてどうなんだろうか。
「仮って何よ」
幸運の女神様が私に近付いてプレッシャーをかける。
近付いてくる女神様に、フォルテが慌ててスカイの傍へと避難した。
うわぁぁごめんなさい。悪気は無いんですっっ。
「分かってるけどね」
クスッと笑いを零した幸運の女神様は、思わず見とれてしまうほどに魅力的だった。
一方、デュナの発言に、不幸の女神様が歩み寄る。
「何かしら? 言ってご覧なさい」
デュナが口を開こうとするのを遮って、幸運の女神様が言った。
「その前に、この子達に私達をちゃんと紹介してくれる? この子達私達の名前すら知らないんだから」
言われて初めて、そう言えば。と気付く。
確かに繰り返し繰り返し幸運の女神様だとか、不幸の女神様だとか
心の中で言われるのは、長ったらしくて聞き苦しいのかもしれない。
「分かったわ」
返事とともに、デュナが体を斜めにしてこちらを振り返る。
「こちらは幸運の女神、フォルトゥナ。こちらが義憤の女神、ネメシスよ」
女神様方へ完全に背を向けてしまわないようにしているのはデュナなりの配慮だろうか。
確かに、お尻を向けてしまうのは、良くない気はするけれど、それよりも、本人の前で女神様を呼び捨ててもいいのかどうか……。
「いちいち細かい事気にするわねぇ」
いつの間にか、えーと、フォルトゥナさん……いや、フォルトゥナ様? が、その姿を私達と同じくらいのサイズにして、私の隣に立っていた。
「敬意さえあるなら、敬称なんてあってもなくてもいいわよ」
なるほど……。どう呼ぶかではなく、どういう気持ちで呼ぶか。という事か。
「そうそう♪」
満足気に頷くフォルトゥナさん。
それにしても、私にばかり反応を返して下さっているけれど、他の三人の心の声は聞こえないのだろうか。
「あら、失礼ね。ちゃんと聞こえてるわよー。
ただ、向こうの2人は『わー』とか『ほー』とか『へー』とかそんなのばっかりだし、そっちの子はあれこれ同時に色々考えすぎてて絡み辛いのよねー」
……なるほど。なんだかとても納得できたけれど、その……女神様方は普段……ええと……お暇なのだろうか。
「まあ、暇といえば暇よねー。お祭りにもなれば別だけど、普段は最高位の神官が朝と晩に顔を出しに来るだけだもの」
そういうものなのか……。と今まで思い描いていた神様像を改める。
「もちろん、気が向けば、ここを抜け出してあちこち世界を見て回る事もあるわよ?
私達にとっては、距離も時間も有って無いような物だもの」
ああ、そういうところはさすがに神様らしい超人感があるなぁ……。
「でしょ?」
ニコっと悪戯っぽい笑顔を見せるフォルトゥナさんは、やっぱりとても美しくて、輝いて見える。人並みはずれた美とでも言うのだろうか。
もしかするとこれが、神々しさという物なのかもしれない。
私達の会話――いや、皆から見れば、話しているのはフォルトゥナさんだけかも知れないけれど。
とにかく、私達をよそに、デュナはネメシスさんと話を始めた。
あの日。
フォルテの故郷が火に包まれた日。
フォルトゥナさんは幸運を祈る声に引き寄せられるようにしてあの村へ来ていたのだと言う。
転移魔法を使って、未来ある若者を一人でも多く村の外へと尽力する大人達が、子供の旅の幸運を必死で祈る声。それがフォルトゥナさんの所まで届いたらしい。
「供物も祝詞もない祈りだし、無視してもよかったんだけど。
見てたら、ちょうどふわふわで可愛い子が居たのよ」
フォルテを指して、フォルトゥナさんが言う。
その言葉には他意もなければ、悪気もないように聞こえた。
「なんだか、砂糖菓子みたいに美味しそうな子だったから、
この子になら加護を与えてあげてもいいかなって気になってね」
フォルテと目が合ったのか、ニコッと悪戯っぽい笑顔を見せるフォルトゥナさん。
慌ててフォルテがスカイの後ろへ引っ込む。その頬が赤く染まっていた。
「……恥ずかしがり屋さんよねぇ」
ちょっぴり残念そうにするフォルトゥナさん。
人の生死にはまったくの無頓着でありながらも、フォルテの態度に一喜一憂してみせる幸運の女神様。
確かに、彼女は私達とは違う価値観を持った、別次元の存在だった。
「フォルテに与えられた加護には、期限や限度と言った物があるのかしら?」
デュナが問いかける。
「そうね、強いて言うなら私の気が変わるまで。かしら」
やはり今までと変わらない態度で、フォルトゥナさんがさらりと答える。
それを聞いて、デュナが息を吐きながら呟いた。
「文献にあった通りね……」
重い、ため息のようなその言葉は、フォルテの事を思ってか、それとも、フォルテの幸運に巻き込まれた人達を思ってか……。
結局、ランタナでの地震は、死亡者こそ出なかったものの、今までどおりの生活が送れなくなった者は少なくなかった。
まだ、フォルテ自身はその事と自分を結び付けていないようだったが、この話を聞いてしまった以上、そのうち自ずと気付いてしまうかも知れない。
「その加護による力の発現を、コントロールする事は出来ないものなの?」
デュナの問いに、今度はネメシスさんが答えた。
「……それは無理だわ。もし、その力が不要だというなら、回収する事は出来るけれど……」
ネメシスさんが、黒い瞳を静かにフォルテに向ける。
「ただ、その力がある限り、あなたは大怪我を負う事も無ければ、命を失ったりする事もないわ。
どんなときも、あなたを守る力であるでしょう」
それは、家や親を全て失ったフォルテにとって、間違いなく、唯一無二の財産だった。
自らの身の安全を確実に守ってくれるものを、進んで手放す人なんて、この世には居ないんじゃないだろうか。
少なくとも、私はそう思う。
「私もそう思うわよ?」
相変わらず、私の傍で微笑むフォルトゥナさん。
その無邪気な表情を力なく見上げて、私達は、言葉少なに神殿を後にした。
宮殿出入り口の係官――あの神官さんが声を掛けるよう言っていた係官だろう。
それに捕まって、デュナが事情を聞かれている間、私達はまたあの露店の前に居た。
先程は、何が売られているのかまで確認している暇が無かったけれど、片方の露店には、観光地らしいお土産物が並んでいた。
もう片方、行きにフォルテが覗いていたパステルピンクの屋根の露店には、見慣れない薄ピンクの石がたくさん詰まれている。
パールの入ったような光り方をする、淡い桜色の石を手に取ると、手の平にひんやりとした感触が伝わってくる。
「あら、さっきのお嬢ちゃん達。お参りの帰りかい?」
屋台の向こう側で本に視線を落としていた店番のお姉さんが顔を上げる。
途端に、隣で同じように石を握りしめていたフォルテがパッと私の後ろに引っ込む。
「フォルテ、隠れる前に商品はちゃんと戻さないとダメだよ」
私の声におずおずと右手だけを伸ばして、台のフチギリギリから、コロンと石を返す。
「おや?」
お店のお姉さんが、フォルテの返した石をひょいと拾い上げる。
え、傷でもつけてしまっただろうか……。
内心ヒヤヒヤしながらお姉さんの次の言葉を待っていると、背後からデュナの声がした。
「どうかした?」
「え、うん、わ、わかんない……」
答えになっていない返事を返す私に、小さく首を傾げて、隣に並ぶデュナ。
見れば、スカイも両手を頭の後ろで組んでこちらを眺めていた。
それに気付いてお店のお姉さんが慌てて首を振る。
「ああいやいや、心配するような事は何もないさ。
ただ、ちょっとびっくりしてね。
その小さなお嬢ちゃんは、よっぽど幸運の女神様に愛されているんだね」
お姉さんが、「ほら」と先程フォルテが握っていた石を差し出す。
促されるままに覗き込むものの、傷やヒビが入っている様子もないし……。
「色が濃くなってるわね」
デュナに言われて、自分の手の中にある石と見比べる。
確かに、桜色だったその石は紅梅色に染まっていた。
「この石は、幸運の力を閉じ込める事が出来る石なんだよ」
桜色の石が真っ赤になるまで幸運を貯めれば、その石がお守りになるのだと、お店のお姉さんが説明してくれる。
見れば、露店のあちこちにそういう説明書きが張られていた。
石ばかりを見つめていて、目に入っていなかった事が急に恥ずかしく思える。
「それでも、普通はそのくらいの色になるまで、毎日石を握っていたとしても数ヵ月はかかるのだけどね」
と感心したようにフォルテを見下ろして話すお姉さんに、デュナがずいっと詰め寄る。
「お守りの効果というのは?」
「そうだねぇ。聞くところによると、大怪我しそうな難を逃れたと思ったら石が割れていたとか、賭け事で大勝ちしたら石の色が白くなっていたとか。昔から色んな噂は聞くけどね」
なるほど。さすがに"幸運"だけあって、フォルトゥナさんと同じく効果も気まぐれというか曖昧というか……。
それでも、オールマイティに効くお守りという意味では凄いのかも知れない。
「昔から?」
デュナが、私とは違うところに興味を持ったようで、お姉さんに聞き返す。
「この石は、昔からこの土地で採れる特産品のようなものなんだよ。
だから色んな噂が残ってるのさ。この石で風邪が治ったなんてものから、
この石を千個集めて死者を蘇らせたなんていう、ちょっと伝説めいたものまでね」
「へぇ……」
「まあ、千個の石を一人で染めるなんて事は、一生かかっても無理だろうけどね。
なんせ、一つを真っ赤に染めるだけで、少なくとも一年以上はかかるから」
お店のお姉さんは、ケラケラと笑いながら話したあと、
「ああでも、そのお嬢ちゃんなら、ひと月もしないで染められそうではあるねぇ」
と、ちょっと困ったような表情でフォルテを見下ろした。
そう簡単に染められる物でないからこそ、購入者自身が時間を掛けて染める物だとして売られている商品だ。
それを簡単に覆されるわけにもいかないだろう。
「小さいの二つと、大きいの一つ、そうね……中くらいのも一つ貰えるかしら」
デュナが石を指しながらお姉さんに注文する。
……そんなに沢山どうするつもりなんだろう。
石は、フォルテの手の平にもすっぽり納まるサイズの小石が一つ百ピース。
両手で包み込める程度のサイズが三百ピースで
私の両手に何とか乗せられるかというサイズが千ピースだった。
大きな石の脇には、家に置いて、家人が毎日触れる事により、家を守るために使うと書かれている。
決して安くは無い。
それどころか、お土産物として考えるなら高すぎる買い物を、あの金に汚いデュナが、こうも簡単に……。
「そんな顔しないでほしいわ」
ぽん。と後頭部に軽い衝撃を受ける。
隣を振り返ると、デュナが苦笑を浮かべて私を見下ろしていた。
……ど、どんな顔をしてたかな、私……。
「なにも、これで儲けようなんて考えてるわけじゃないわよ。
ただ、研究しておく必要があると感じたのよ」
なるほど。この石の仕組みがもし分かるなら、フォルテの力を多少なりとも抑えられる可能性があるという事か。
感心しているうちに、四つの石は一つずつが割れないように包まれた後、紙袋に詰め込まれた。
「重いから、底が抜けないようにね」
と注意を添えてお姉さんが差し出した紙袋を、デュナがひょいと避ける。
その後ろから、タイミングよく伸ばされたスカイの手が、デュナの代わりに紙袋を受け取った。
「さすがに石。って感じの重さだな……」
紙袋を胸に抱えたスカイにデュナが注意する。
「割らないようにするのよ? それ、家まで持って帰るんだから」
「……俺が?」
「もちろん」
最後の台詞には、キラリと眼鏡の反射が添えられる。
いつもの言い合いが始まるかと思った矢先に、フォルテが声を上げた。
「小さい、石、五個、くだ、さい……っ」
見下ろすと、私のマントの影から、ぷるぷると小刻みに震える小さな手が、露店に向けて伸ばされていた。
その手には石の代金である五百ピース紙幣が握られている。
フォルテの意外な行動に思わず動きを止めて注目する私達。
何か買い物をしようという時に、フォルテが私達を介さず、お店の人に直接声を掛けるなんて事が今まであっただろうか。
「はいよ。五つね」
お姉さんが元気に返事をして石を包み始める。
「あ。さっきお嬢ちゃんが握っていた石を、眼鏡のお姉さんの方に入れておいたから
後で交換してもらうといいよ」
ニコッと弾けそうな笑顔で店のお姉さんが差し出した袋を、フォルテがその紙幣と引き換えにおずおずと受け取るまで、私達三人は呆然とフォルテを見つめていた。
circulation ふわふわ砂糖菓子と巡る幸せのお話 弓屋 晶都 @yumiya_akito
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