第6話 藍色の真実 1.クロッカス
町を取り囲む城壁と、白緑の城。
見上げればその上には、翻る数々の旗。
私達はトランドに来ていた。
若干紫寄りの青い髪に、ラベンダー色の瞳、そこにかかる細いシルバーフレームのメガネを軽く押さえて、デュナが並べて立てられた三枚の掲示板を隅々まで念入りにチェックしている。
さすがに首都だけあって依頼の掲示量も半端なかったが、それらは依頼の内容別に三枚の掲示板に分けて貼られていて、新着情報も分かりやすいよう一箇所にまとめてあった。
フォルテを連れてトランドに来るのはこれで四度目になるわけだが、お役人さんに何も言われず街へ入れた事に、軽い驚きを覚える。
もう、フォルテのステータスは、出身地も両親の名も空欄ではなかった。
「目的地順に並んでればいいのに……」
目が疲れたのか、目頭の辺りを指でほぐしながら、デュナがぽつりと漏らした。
以前「ここの掲示板は内容別で見やすいわね」と言っていたはずだが……。
私の飲み込んだ言葉を、スカイがあっさり口にしてデュナの反撃に遭う。
「あ、クロッカス行き、あった」
喧々と口喧嘩を繰り広げる二人をまったく気にもせずに、フォルテが一枚の紙を指して言った。
レースやリボンが沢山ついた、ピンクと白の可愛らしい服に身を包んで、ふわふわのプラチナブロンドを腰の下で揺らすあどけない少女。
十歳ほどにしか見えないその顔をラズベリー色の大きな瞳が彩っている。
こちらを振り返るフォルテに近付いて、一緒に依頼書を覗き込む。
「お届けものだね。期限もまだあるし……」
「良さそうね」
私の言葉を引き継ぐようにして、背後にデュナが現れる。
「じゃあこの依頼受けてくるわね。いいかしら?」
私達を見渡すデュナに「うん」「はーい」と返事が返る。
ピッと掲示板から紙切れを剥がすと、デュナは窓口へと向かって行った。
「……俺の意見は?」
少し遅れてスカイがよろりと顔を出す。
鮮やかな青い髪をした青年の頭には、いつもの黒いクジラのバンダナが巻きつけられている。
口喧嘩で受けた精神的ダメージのせいか、その横顔は果てしなく疲れているように見えた。
「あはは……」
いいフォローも浮かばないままに、笑って誤魔化すと、力なく足元にしゃがみ込んで凹むスカイを、フォルテが適当に慰めた。
……フォルテも随分馴染んだなぁ……。
出会ってすぐの頃は、デュナとスカイが喧嘩をする度におろおろしていたのに、今では全然気にする様子もない。
まあ、私もそうなのだけど……。
デュナとスカイの喧嘩は、あって当然。
むしろ無いと落ち着かないくらいに自然な毎日の出来事だった。
「なあ、腹減らない?」
「お腹? ちょっとすいたかも」
足元の二人の会話に見下ろすと、スカイと目が合う。
にっと人懐こい笑顔で「ラズは?」と聞かれて「うーん」と返事する。
食べられない事は無いけど、減ったというほどでもないかなぁ。
「それじゃ、依頼の品を受け取ってから、軽くご飯を済ませて北上しましょう」
と、向こうからデュナの声。
「はーい」と私達が気楽に返事をすると、デュナが軽く眼鏡を反射させた。
「クロッカスまで、まだ二泊はするから、少しでも今日進んでおくつもりでね」
う……。
まだまだ歩くという事か。
すでに今日だけでザラッカの向こうからここまで歩いて来たのだが……。
トランドの周辺は物価も高く、宿泊料もかかる。
そこをなんとか抜けて宿をとりたいという事だろう。
昨夜は野宿だった事だし、私もそれには賛成だけど……。
「ほら、行くわよー」
デュナが少し先へ進んだところで振り返っている。
「はーい」
と返事をしてから、隣で見上げるフォルテの手を引いて歩き出した。
トランドから北上する事三日。
ここまでは、坂だと意識せずに済む程度のゆるやかな上り坂を、延々と登り続けていたのだが、クロッカスの街が見えてくる頃には、その町並みを見上げて歩かなくてはならないほどの傾斜になってくる。
「え、ええと、一回、休ま、ない?」
先頭を歩く、今では相当距離が離れてしまったデュナに向けて、息も絶え絶えに提案する。
私の声に、デュナは涼しい顔で白衣を翻し答えた。
「もうあと二十分てとこだけれど……まあいいわ。少し休憩しましょうか」
はぁ。助かった……。
道の傍らによいしょと腰を下ろす。
フォルテも小さく「よいしょ」と呟いて私の隣に腰を下ろした。
あ、あんまりこういう口癖は真似てほしくないなぁ……。
元来た道を振り返れば、青々とした短い芝の間を、真っ直ぐに続く一本の白い砂で覆われたような道が通っていて、そのさらに向こうに、私達が昨夜泊まった村が小さく見えた。
「綺麗だなぁ……」
ポツリと漏らした言葉に、デュナがウィンクをしてみせる。
「クロッカスはもっと綺麗よ。ラズなら気に入るんじゃないかしら」
行った事は無かったが、クロッカスには浅い水路が町中に張り巡らされていて、陶器のように艶やかに輝く白と青の鮮やかな神殿が中央にそびえる美しい宗教都市だと、学校で習った記憶はある。
その町並みを実際に見られるというのは楽しみだった。
この、急な上り坂さえなれば。
前方のクロッカスに視線を移す。
街を取り囲む白亜の壁。
その向こうに真っ青でつるっとした曲線を描いている宮殿の屋根とそれを細かな装飾で縁取っているであろう金色が見えた。
こう、顎を上げて、見上げた状態で壁越しに屋根が見えるのだから、行ってみればかなり高さもあるのだろう。
頬を撫でてゆく風が、涼しくて心地良い。
北上したといっても徒歩で三日程度だったが、それでも、ここがトランドより涼しく感じるのは高地だからだろうか。
透き通るような空気と風が、疲れた体に染み渡る。
「風が気持ちいいね」
フォルテの声に、微笑んで頷く。
「うん、そうだね」
私と同じ事を感じていたというのが、ほんの少し嬉しかった。
「いや、あの、さ……俺、この、皆の荷物があるから、さ……」
やっと私達に追いついたスカイが、息を整えようと必死になっている。
「ちょっと坂になったくらいで何よ、だらしないわね」
「ちょっとじゃないだろ!!」
スカイの突っ込みに内心大きく頷く。
「さ、そろそろ行きましょうか」
座ってすらいなかったデュナが、くるりと踵を返す。
「いや俺全然休めてないからな!?」
「煩いわねえ。そんなに休みたいなら一生そこで休んでればいいじゃない」
「よくないだろ! 荷物とかどうするんだよ!!」
「じゃあ特別に、スカイだけあそこまで飛ばしてあげましょうか?」
デュナが、実にいい笑顔で問いかける。
この距離を下から上に吹っ飛ばされるとしたら、着地は……うん……凄い事になっちゃうんだろうなぁ。。。
スカイが、表情を凍り付かせたままシャキンと立ち上がる。
「よ、よぉし。行こうかー」
乾いたスカイの笑いを横目に、私はまだ座り込んでいるフォルテを「よいしょ」と引っ張り起こした。
扉の無いアーチ状の門をくぐり抜けて、モザイクタイルが敷き詰められた町に足を踏み入れると、外よりさらに涼しい空気が身を包んだ。
道の両端に整備された水路を、さらさらと音を立てて澄んだ水が流れている。
白と青で統一された建物が、この町の清澄さをより印象付ける。。
「綺麗な町だねー」
フォルテが物珍しそうに辺りを見回しながら歩いている。
「うん、そうだね……」
私も、この町は綺麗だと思う。清らかだとも思う。
けれど、なんだろう。
ザラッカの、良く分からないものでごった返している独特の活気だとか、ランタナの、人に溢れた大通りの賑やかさの方が私には心地よく思えた。
「人居ないなぁ」
スカイがポツリと呟く。
「シーズンオフの観光地なんてこんな物でしょ」
デュナが振り返りもせずに、そっけなく言葉を返した。
そうか。ここは宗教都市という名の、観光地なのか。
それで不自然なほどに外観を気にした造りになってるのかなぁ……。
先を歩くデュナに続いて町の中央まで来る。
横に広がるように大きくそびえたつ宮殿。
その前には小さな露店が二軒だけ店を構えていた。
客の目を惹くのには良いのだろうけれど、その鮮やかなパステルピンクの布で張られた屋根は、青と白だけで彩られたこの町で何となく浮いた存在だった。
観光シーズン……というより、ここの女神様を祭るお祭りの時、か。
その時には、もしかしたら、同じようなカラフルな屋台がたくさん並んで、違和感もなくなるのかも知れないなぁ。などとぼんやり思っていると、フォルテが興味津々に店を覗き込んでいる。
いつの間にあんな所に。
さっきまで手を繋いでいたような気がするのだけれど……。
そちらに近付こうかと一歩足を向けた途端。
フォルテが一目散に駆け戻ってくる。
どうやら、お店のお姉さんが
唯一のお客さんであるフォルテに声を掛けようとしたようだ。
パッと私のマントの裏に回りこんで、マントを両手でしっかり握りしめたまま、そろりと露店を振り返るフォルテ。
怯えさせてしまったかと困惑している露店のお姉さんと、私の目が合う。
なんだか申し訳なくなって、フォルテの代わりにぺこりと頭を下げる。
デュナとあまり歳のかわらないくらいの、若い元気そうなお姉さんだ。
「ラズ、フォルテ。中に入るわよー」
その声に前を見ると、デュナはもう宮殿の入り口に立っていた。
カツン、カツンと大理石の磨き上げられた床にデュナのヒールの音が響く。
建物の中は薄暗くひんやりとしていて、神を祀る場所にふさわしい厳かな気配に包まれていた。
左右の壁には細かい装飾と共に流れるようなデザインで、小さな天使達に囲まれた女神の姿が描かれている。
右側の壁と左側の壁の女神の姿が異なる事にほんの少し首を傾げながら歩く。
そんな私に気付いたのか、デュナが説明を始める。
「こっちが幸運の女神で、こっちが不幸の女神ね」
「不幸?」
「因果応報の女神とか呼ばれることもあるわね。
幸運の女神が気まぐれな神という事で有名なら
こっちは公正な神という事で有名だそうよ」
「ふーん……」
「ま、もうすぐ会えるわ」
そう言って私達にウィンクをして、デュナは通路の突き当たりにある大きな扉に手をかけた。
その途端、小さな風の精霊が扉から現れて、私達の来た通路を逆走して行く。
人を呼びに行くような仕掛けがしてあったのかな……?
「開かないわね。鍵だか術でもかかってるのかしら」
どこにも取っ掛かりになるような取っ手のついていない扉を前に、しばらく押したり引いたりしていたデュナが諦めて手を離す。
それと入れ替わるように、スカイが「どれどれ?」と扉に手を伸ばした。
パタパタパタ……と廊下を小走りで駆け寄る、スリッパのような足音が聞こえてくる。
「す、すみません、そちらは現在関係者以外立ち入り禁止なんですー……」
通路の端から顔を出したのは、ターコイズブルーの神官服に身を包んだ私と同い年くらいの聖職者だった。
癖っ毛なのか、肩辺りに切り揃えられた淡い栗色の髪が、ふわふわとあちらこちらを向いている。
この広い宮殿の一体どこから走ってきたのか、乱れた息を懸命に整えながら、彼女が続ける。
「ら、来月には千五百五十周年記念祭がありますので、祝典の際にはそちらの女神様のお部屋へも……」
へー。幸運の女神様ってそんな昔から祀られてるんだなぁ。
「あ、あの、すみません、聞いてくださいーー……」
おろおろと困ったような彼女の声に扉の方を振り返ると、デュナがフォルテの手を引いていた。
「私達の事は気にしないでいいわ」
すっぱり言い切るデュナに、神官さんがちょっぴり泣きそうな顔をする。
「そ、そういうわけには……」
フォルテが、デュナに言われるままに扉に手を当てると、ほんの一瞬だけフォルテの額に紋が浮かんだ後、扉がゆっくりと内側に開きはじめる。
デュナは、それを目の端で確認しながら、驚き顔の聖職者に向き直ると
「私達、関係者だから」
と眼鏡を光らせて答えた。
うーん……。実際に関係があるのはフォルテだけな気もするけど……。
「は、はぁ……それはええと、失礼しました。
あ、お帰りの際には入り口の係員にお声掛け下さい……ね……?」
なんだか不安の残るような面持ちで、心配そうに言葉を紡ぐ神官さんへ、デュナがひらひらと手を振って
「分かったわ」
とだけ返事をした。
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