第4話 緑の丘 5.サンドイッチ

……明るくて、暖かな光が降って来る。

閉じた瞼からも伝わってくる、風に揺れる木の葉から漏れ踊る、眩しい朝日。

夢の終わりは、カーテンの隙間から細く射し込んだ、朝の陽射しだった。


ゆっくりと、布団の中で手足を伸ばす。

何だか懐かしい夢を見た気がする。

もう、自分ではすっかり忘れてしまったと思っていたのに、案外覚えてるものなんだな……。


頭から夢が抜け落ちないうちに、夢での出来事を振り返りつつ、ふと気付く。

……もしかして、スカイに眉間を擦る癖があるのは、私の発言のせいだったりするんだろうか。

どうにも、それ以外無いような気がしてくる。

あれ、なんか、私、スカイに相当面倒臭い事言っちゃったかな……。


考え込んでいると、コンコンと扉が軽い音を立てる。

「ラズちゃん。起きてる~?」

フローラさんの声だ。

「あ! はいっ、すぐ行きますー!!」

慌てて跳ね起きて返事をする。


そうだった。早いとこ朝ご飯の支度に取り掛からないと、フローラさんが危ないことに……ではなくて、ええと、フローラさんによって台所が危ない事になってしまう!!

旅立つデュナに、家の事を任されたのに……。

うっかり寝すぎた自分を責めつつ、大慌てでエプロンを着けて、顔を洗って、髪を手櫛で大雑把に整えると階段を駆け下りた。

「ラズ、おはよう」

必死で駆けつけた台所には、フォルテがエプロン姿で立っていた。

「あれフォルテ、早いね。おはよう」

「ラズが遅いんだよー」

クスクスと苦笑するフォルテの横顔には、失われていた生気が戻っていた。

思わず、その小さな頭を抱きしめる。

「わ」

食卓にフォークやお皿を並べていたフォルテが小さな悲鳴をあげる。

その声に慌てて体を離す。

取り落としそうになったお皿を、何とか握りなおしたフォルテは、しかし、恨めしい顔をするでもなく、私と目が合うと、嬉しそうに微笑んだ。


……いつものフォルテだ。


「じゃあ、急いで朝ご飯の支度しちゃおうね」

フォルテの笑顔に、同じく笑顔で声をかけると、ふわふわのプラチナブロンドが、軽やかに跳ねた。

「うんっ」

フライパンを引っ張り出して、手早く油をひきながら、ふと思い立つ。

「あ、フォルテ、ご飯を食べたら、ちょっとお散歩しようか」

「お散歩?」

フォルテがきょとんと聞き返す。

私は、両手で卵を四つ同時にボウルに割り入れると、フォルテが差し出してくれた牛乳を注いだ。

「この近くにね、とっても見晴らしのいい丘があるんだよ」

「ほぇー」

まだフォルテをあの場所へ連れて行った事は無いはずだ。

「こんな風にお天気のいい日には、いいものが見られるかも知れないよ」

「いいもの?」

「うん、キラキラして、綺麗なもの」

「わぁ……」

フォルテの、美味しそうなラズベリー色の瞳がうるんと輝く。

「ちゃんと見られるかどうかは、分からないんだけどね」

確か、春先から初夏までの間、あの丘から見えるはずだった。

今が春先かと聞かれると、ちょっと疑問は残るのだが、まあそれは、行ってみれば分かることだろう。

「行ってみる?」

「うんっ。一緒に行くっ♪」

なんだか、久しぶりに聞いた気がするフォルテの台詞に、思わず口元が弛んでしまう。

二人の大好きな甘い玉子焼きをフライパンの上で反しながら、付け足した。

「ちょっと、坂が急だけどね」


朝食時、フローラさんにその話しをすると、

「まぁ、素敵ね~。じゃあ、お弁当を持って行きましょうよ♪」

と提案された。

こんないい天気の日なら、外で食べるのもいいだろう。

もちろん、冒険中は、雨だろうと外で食べなくてはいけない事もあるわけで、私にとって、外でご飯を食べる事はまったく珍しくないものだったが、フローラさんは実にうきうきとお弁当作りに参加していた。

フォルテがマーガリンを塗ったパンに、ハムを乗せる。

それがフローラさんに今与えられた仕事だった。

「このくらいでいいよね?」

フォルテの、鈴を転がすような可愛らしい声に振り返ると、丁度三人分くらいのサンドイッチの片割れがテーブルに並んでいた。

「うん、ありがとう」

フォルテにお礼を言って、茹でた玉子に向き直ろうとするも、視界の端で、フローラさんが実にスローペースにふんわりと首を傾げる。

「あら~? もうちょっとないとダメじゃないかしら?」

「え?」

「だって、スカイはサンドイッチだといっぱい食べるもの~」

「ええ!?」

二人が旅立ったのはたったの四日前だ。

しかも、昼を過ぎての出立だった。


私達の足で、五泊、四十二時間程度かかる行程を、足の速い二人と言えど、ザラッカで報酬の交渉や調べ物を済ませて、四泊で、昼過ぎ出発昼頃帰宅など、可能なのだろうか。


私がうんうんと考え込んでいると、フローラさんが自信満々に言う。

「あの二人なら、絶対今日には帰ってくるわよ~。

 お昼に間に合わないなら、夕ご飯にしちゃえばいいんだし、沢山作りましょう~♪」

にこにこと、楽しそうにハムを振っているフローラさんの手から、

ボトリとハムが床に落ちるのは、ある意味当然の出来事だった。


ハムを拾おうと、フローラさんが屈む。

そのひらひらのエプロンのポケットに、トングの柄が引っかかる。

「「あっ!!」」

私とフォルテに出来たのは、声を上げることと、手を伸ばす事くらいだった。

トングが跳ね落ちる。

それに合わせて、トングの刺さっていたボウルが傾く。

私達の声を聞いたフローラさんが、顔を上げる。

「あら、なぁに?」

そこへ、ボウルとボウルの中身……レタスとハーブを細切りにして、ドレッシングで合えた物が降り注いだ。

「きゃぁっ」

ボウルごと頭に被って、フローラさんがまた机の下へと姿を消す。


普通なら、まず被ってしまったボウルを外すだろう。

しかし、フローラさんはそうではなかった。

ボウルを被ったまま、机の下に半分もぐりこんだまま、力いっぱい立ち上がろうとするフローラさん。

机の上の物が、机ごと全てひっくり返る。


まるでスローモーションのような光景。

見る間に水平から垂直へと角度を変えてゆく机の上を、お皿が床へと吸い込まれるように流れて行く。

目の前にあった大きなミルクピッチャーも、白い液体を空中に浮かべながらその身を宙へと投げ出す。

これがダメになったら、数日分の牛乳が!!!!!!

それを、必死に伸ばした両手で抱き止める。

反動で肩のあたりに牛乳をかぶる。

ガシャンとかパリンとかゴトッという音が立て続けに聞こえた後。

台所は静まり返った。

机は、私の方へと倒れていた。

私の周囲、流し側は、割れたお皿と、それにまみれてダメになった作りかけのサンドイッチで埋め尽くされていた。


フォルテを見ると、大きな食パンの塊を片腕に抱えて、もう片方の手にマーガリンを死守していた。

「……フ、フォルテ偉いっっ!!」

思わず叫ぶ。

とりあえず、サンドイッチを作り直すことは可能のようだ。

褒められて、フォルテが嬉しそうにえへへと顔を綻ばせる。それまで、引きつっていた顔を。

台所の隅に寄せていた椅子の上に、マーガリンとパンを置いたフォルテに、

「こっち側、割れたお皿で身動き取れなくて。箒とちりとり持ってきてくれる?」

とお願いする。

「うん、分かったー」

とたとたと小さな足音をさせながら、フォルテが台所を後にする。


ああ、フォルテがいてくれてよかった……。

心の底からそう思う。

フローラさんは、机の向こう側に大人しく座り込んでいる……ように見える。

ボウルをかぶったまま。


フォルテの持って来てくれた箒で、周囲の破片をざっと避けて、机の向こうに回りこむ。

へたり込んでいるフローラさんのボウルを外してみると、案の定、彼女は頭を机にぶつけた衝撃で目を回していた。

「やっぱり……。あのフローラさんが、じっとしてくれてるなんて、おかしいと思った」

ため息とともに呟くと、フォルテが心配そうにこちらを見上げていた。

「フローラおばさん……大丈夫……?」

「うん、多分大丈夫だよ。とりあえず、今のうちにお片付けして、お弁当作ってしまおうか」

「……フローラおばさんは?」

ラズベリー色の大きな瞳が不安そうに揺れる。

私の額に、一筋の汗が伝う。


「こ、このままにしとこう? とりあえず、ね」

フローラさんごめんなさい。

心の底から、フローラさんに謝る。

本当は、ソファーか何かに寝かせてあげる方が良いだろうとは思うのだけれど、私とフォルテでは、頭と足を持って移動することになってしまうだろうし、その拍子に目を覚まされてしまっては、また同じことの繰り返しになりそうな予感がヒシヒシする。


いや、もうこれは、予感というよりも、確信に近かった。



ちょうど、サンドイッチを大きなバスケットに詰め終えると同時に、フローラさんが意識を取り戻した。

「まぁ、これは……。ベトベトだわ~……」

一応、フローラさんが頭からかぶっていたサラダはそうっと除けたり拭いたりしておいたが、

それでも服はドレッシングまみれだし、一度シャワーを浴びてくるしかないだろう。

「フローラさんっ、ど、どこか痛いところはありませんか?」

慌てて駆け寄る。もちろん、バスケットに蓋をして、部屋の隅に寄せてから、だけど。

「痛いところ?」

ペタペタと自分の体をあちこち触ってみてから、フローラさんがふんわりとした笑顔で答える。

「無いわよ~♪」

な、無いことは無い気がするんだけど……。

「あの、頭とか……ぶつけていませんか?」

言われて、頭を擦ってみるフローラさん。

「大丈夫~♪」

しかし、答えは変わらなかった。

きょろきょろと辺りを見回して、フローラさんが言う。

「あらぁ……? 私、もしかしてちょっと寝てたかしら……」

寝ていたというか。伸びていたわけだが。

部屋に飛び散った様々な物も、ほとんど片付け終わっていた。

「ほんとに、どこも、痛くないの……?」

フローラさんの脇に屈んでいたフォルテが、瞳をうるうるさせながら尋ねている。

色々と痛みを想像しているのだろう。

しかし、フローラさんには、何かを我慢するような様子もなく、うんうん頷きながら「痛くないわよ~」とフォルテの頭をふわふわと撫でて

「ちょっとシャワー浴びてくるわね~」

と台所を出て行ってしまった。

すたすたと、確かな足取りで。

それを二人でぼんやり見送っていると、隣のフォルテがこちらを見上げる。

「ラズぅ……フローラおばさんは、どうして痛いとこ無いの……?」

どうしてと問われても困るが……。

フォルテの質問からは、既に心配というよりも、理解できない事が恐ろしいという雰囲気を感じ取れた。


「うーん……フローラさんは、頑丈だからね」

同じく、頑丈さには定評のあるスカイだが、彼の人並みはずれたタフさは、タフさが売りの聖騎士であるクロスさんから受け継いだというよりも、このフローラさんから継いだ物であるような気がしてならない。

あれだけ年中何かしらひっくり返したり、被ってみたり、壊してみたりしているわりに、フローラさんの体に傷ひとつ残っていないのは、本人に治癒術が出来るからだけではないようだった。

年中吹っ飛ばされたり、燃やされかけたり、変な薬を飲まされたりしているスカイが、未だに死に直面するほどの怪我を負ったことが無いのも、全てはフローラさん譲りのタフさがあるからこそではないだろうか。


首の辺りがむずむずする。

指で触れると、若干不快にべたつく感触がある。

そういえば、さっき牛乳をかぶってそのままだっけ。

もちろんふき取りはしたけれど、このままでは臭ってきそうな予感がする。

「私も、ピクニックの前にシャワー浴びて来るね」

「うんー……」

しきりに首を捻りながら、上の空で返事をするフォルテに、

「あのバスケットをお願いね」

と念を押しておく。

「あっ、うんっっ!!」

言わんとすることが分かってか、慌てて真剣な眼差しでこちらに向き直るフォルテ。


つまりフォルテは、私がシャワーから出て身支度を整える間、あのバスケットをフローラさんから死守しなければならなかった。

「すぐ出てくるからね」

「うんっ」

フローラさんのお風呂は驚くほど早い。

いつもふわふわとスローペースで動いているように見えるフローラさんだけに、それはとても意外に思える。


フローラさんが出次第入れるように、私は部屋へ服を取りに向かった。

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