第4話 緑の丘 6.風の吹く丘

涼しい風が丘を吹き抜けていく。


急な斜面を、大きなバスケットを抱えて登る。

もう少し登れば、向こう側が見えてくるだろう。


隣にはフォルテが、私と同じように水筒を抱えて歩いていた。

あれだけピクニックを楽しみにしていたフローラさんは、来ていない。

いや、あの後具合が悪くなって……などというわけではないのだが、「デュナ達が家に戻ってきた時、行き違っちゃうといけないから~」と、お留守番をしてくれている。

もちろん、「それなら私達も一緒に家に居ます」と申し出たのだが、「ラズちゃん達は気にすることないわよ~。先に行って場所を取っておいてちょうだい」と言われてしまった。

お花見でもあるまいし、行楽シーズンにもまだまだ早い。

場所取りをする必要があるとはとても思えなかったが、フローラさんに「いいからいいから」とぐいぐいと背中を押され、家から追い出されてしまった。


家の前で手を振るフローラさんを振り返ると、いかにも良い事をしたと言わんばかりの満足そうな笑顔で、どうにも戻れそうにない私とフォルテは丘に来ることにしたのだった。

「お留守番なら、大丈夫だよね……? フローラおばさん……」

俯き気味のフォルテが、眉をちょっとだけ八の字にして言う。

「そうだね。食べ物も私達が持ってるし、お留守番なら慣れているから、大丈夫だと思うよ」

それを聞いて安心したのか、ふわふわのプラチナブロンドがふわりと顔を上げる。

その時、ラズベリー色の大きな瞳に、ようやく丘の向こう側の景色が映ったらしい。

「うわぁー……」

大きな瞳を丸く見開いて、遥か遠くを見つめるフォルテ。

私も、夢の中ではこんな顔をしてたっけ。

「あれって……海?」

「うん、ここからは、ずっと遠くだけどね」

答えてから、山に囲まれた村で育ったはずのフォルテが、海を知っていた事にほんの少し驚く。

「フォルテは海を見たことがあったの?」

「ううん、見たのは初めて……。お話の中にはいっぱい出てくるから、一度本物を見てみたいなぁって思ってたの」

なるほど。

フォルテは私と違って読書家だ。

海くらい、知っていて当然だったか。


それなら、もう少し暑くなってきたら「皆で海水浴に行こう」と提案してみようかな。

デュナも、スカイも、きっと賛成してくれるだろう。フローラさんも一緒に、皆で行けばいい。

海岸に広がる砂浜や、そこに散らばる貝殻や、寄せては返す波のひとつひとつに、きっとフォルテは目を輝かせるだろう。海水の塩辛さに驚く顔も、ちょっと見てみたい。


嬉しそうにぴょこぴょこと丘を駆け上ってゆくフォルテの背中を眺めながら、そんなことをぼんやり考えていると、いつの間にか頂上だった。

「わぁーっ! すごい眺めだね」

フォルテの頭に乗った苺色のヘッドドレス。大振りの白いレースがパタパタと風に遊ばれている。

それを手で押さえながら、長い髪をなびかせて、フォルテが振り返った。

弾けんばかりの笑顔に、やわらかく微笑み返して、見上げた空には雲ひとつ無かった。


うーん……。やっぱり、浮海が来るにはまだ早かったか……。

急に疲れを感じてその場に座り込む。

バスケットには、ずっしり五人分の食器とサンドイッチが入っていた。

「ラズ、疲れちゃった?」

フォルテに覗き込まれて、そういえばスカイにもココでそんなことを言われたなぁと思い出す。

「ううん、大丈夫だよ」

苦笑いを返して、ひとまず狭い丘の頂上にシートを広げる。

これは……隅っこの人が転がり落ちなきゃいいけど……。

思わずそんな感想が出るほどに、丘の、頂上と呼べる部分は狭かった。

「なんか、狭いねー」

「そうだね」

「端っこの人、大丈夫かなぁ……」

フォルテも同じ事を思ったらしい。

「うん。まあ、大丈夫でしょ」

適当に返事をして、シートの上に座りなおす。

「フォルテ、元気出た?」

ふいに聞かれて、一瞬目を丸くしたフォルテだったが、すぐに鮮やかな笑顔を見せる。

「うんっ♪」

「私もね。ここに来ると、元気になるんだよ」

ここで暮らし始めてすぐの頃は、しょっちゅうここへ来ていた。

学校の授業についていけなかったりとか、クラスの子とうまくいかなかったりとか。


それでも、この丘に登ると、少し元気になった。

日が暮れてからでも、やっぱりこの丘に登ると、少し前向きになれるのだった。


それはつまり、私を元気付けてくれるのが、ここから見える景色ではなくて、ここで言われた言葉だったからだろう。

「あのね、フォルテ」

フォルテが、バスケットの隣に水筒を置くと、私の隣にちょこんと座る。

寄り添うように、ぴったりとくっついて座るフォルテの頭をそうっと引き寄せる。

「私、ずっとフォルテの傍にいるからね」

囁くような、けれど確かな私の言葉に、フォルテの瞳が間近でじわりと滲む。

「あ……、ありがとう、ラズ……」

そう言ってしがみついてくるフォルテをしっかり抱き寄せる。

そっか……。

あの時私も、皆に「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」って言えばよかったなぁ……。

ふわふわのプラチナブロンドをゆっくり撫でていると、フォルテがぽつりと言った。

「ラズ、大好き……」

小さな手が、ギュッと私の肩を握っている。

夢の中で見た私の手よりも、ずっと小さな手。

「うん、私もだよ」

返事をして、フォルテの頭に頬を寄せる。

いけないいけない。どうにも、口元が緩んでしまう。

大丈夫。ずっと一緒にいるよ。

私も、スカイも、デュナも、皆がフォルテの傍にいるから。

もう、フォルテはひとりじゃないよ。


丘を、涼しい風が吹き抜ける。


幸せな気持ちを分け合いながら、私達は、目を合わせて笑った。

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