第3話 黄色い花 5.幻惑

結局、フォルテはスカイが浮島まで四往復して花を集め終わっても目を覚まさなかった。


一抱えの花を私が、土ごと掘り返した花をデュナが、そしてフォルテをスカイが抱えて家へ帰る。

泳ぎ疲れもあってか、皆口数少なく黙々と歩いている。

いつも胸を張って歩くデュナが、ほんの少し俯いているように見えるのは、おそらくフォルテの事を考えているのだろう。


あの花の幻惑効果は、もって一時間というものだった。

スカイが浮島を往復するの一度で十分はかかる。

あれから既に、一時間は経過しているはずだ。


後ろを歩くスカイを振り返る。

その腕に抱きかかえられたフォルテは顔色も回復して

ただ静かに眠っているかのようだった。

フォルテの様子を窺うだけのつもりが、スカイの格好にどうしても目が行ってしまう。

スカイは、肌に直接着た仕込みベストを、上からランニングシャツで隠している。

問題は、上半身ではなく、その下だった。

私がスカイのズボンを拝借しているせいなのだが、

スカイは私のマントを腰に巻き、ベルトで固定していた。

その姿は一見巻きスカートをはいているように見える。

ひざ下までのブーツに、ちょうど膝が隠れるくらいのマントの丈がどうにも似合っている。

思うに、スカイは女装が似合ってしまうタイプの男の子に違いない。


透き通る青い髪が、日の光を浴びてキラキラと輝いている。

顔の中央に来る前髪の1房だけがひときわ長い。

それが、スカイの特徴になっていた。


引っ張れば顎の下まで届きそうな髪の向こうには、奥行きを感じさせるラベンダー色を静かに湛えた瞳があった。

腕の中のフォルテを心配そうに見つめているその目を縁取る長い睫毛。

間違いなく私より長くて多い……。

ボリュームのある睫毛とは反対に、眉はすうっと細い。

今は、フォルテを案じてか少し難しそうに寄せられているが。

……やはり、スカイなら女の子の服も似合うのではないだろうか。

現に、スカイと同じような顔立ちのデュナは、美人の類に入っている。


ふっと、スカイが顔を上げた。

じろじろと眺めていたため、当然目が合う。

何を思って観察していたとは、口が裂けても言えない。

スカイは、その父であるクロスさんのような、凛々しく逞しい男を目指しているはずだったから。

ええと……何か差し障りの無い事でも言っておこうか。

「ラズ、前見て歩かないとこけるぞ」

それより早く、スカイが口を開いた。

「あ、うん」

「こけても、今俺助けられないからな」

スカイは、フォルテの他にも、私達の濡れた衣類を一山抱えていた。

その言葉に従って、前を向く。

村の端を示している簡素な木の柵の向こうに、茶色い屋根が見える。

家に着いたら、シャワーを浴びて服を着替えよう。

まずはスカイからが良いだろうけれど。


フォルテはいつ目覚めるのだろう。

もう目覚めないかもしれないだとか、すぐそういう想像をしそうになる自分を必死で引き止める。

幻惑にかかって、水に落ちてしまって、ほんの少し、長く眠っているだけだ。

と、思い込みたかった。


…………あの時。

水中で、フォルテを包んだ光は何だったのだろうか。

その額に浮かんだ、見たことのない文様は一体……。


デュナに伝えても「調べてみる」という返事しか貰えなかった。

けれど、デュナには何か心当たりがあるのではないだろうか?

今も、相変わらず何かを考えているその背中を見つめながら、なんとなくだけれど、そう思う。


フォルテの事を伝えたときのデュナからは「意外なことを聞いた」というような雰囲気ではなく、「やはり」という空気が漂っていたような気がする。


「う……ん……」


背後から、微かに聞こえた声。

「「「フォルテ!」」」

私達の声が重なった。



スカイの腕の中で小さく身じろぎしたフォルテがゆっくり目を開く。

しかし、その瞳は未だ光を宿していなかった。

視点も、覗き込む私達をすり抜けて、向こう側を見ているような感じでハッキリと定まらない。


「フォルテ……?」

私のかけた声に、ラズベリー色の瞳が彷徨う。

「まだ幻惑中よ。刺激しないで」

デュナが抑えた声で私に注意をすると、そのまま指示を出す。

「とにかくここではまずいわ。裏庭へ行きましょう」

家はもう玄関まで見えている。既に私達は村の中だった。

すぐさま家の脇から裏庭に駆け込む。


日差しに温められた草の上へ、フォルテを降ろそうとするスカイ。

その肩にデュナが手をかける。

振り返ったスカイに首を振るデュナ。

そのまま抱えておくほうが良いのだろう。


フォルテを抱えたまま、そうっと草の上に座り込むスカイ。

ふいに、フォルテの小さな手が何かを求めるように空に伸ばされる。

「おとうさん……おかあさん……」

それは、両親の事も覚えていなかったフォルテから、初めて聞いた言葉だった。


あてもなく伸ばされる両手が、ふらふらと中を漂う。

ラズベリー色の大きな瞳からは、大粒の涙が零れ出していた。


ああ、この表情は見たことがある。


全てを失くして、深い悲しみと淋しさの底にあるような、そんな泣き顔。

生気を感じさせない虚ろな瞳は、あの時、初めて出会ったときの、森で泣いていたフォルテの顔を思い出させた。


子供らしいあどけなさの残った柔らかそうな指が、虚空に小さく震える。

その手を取りたい衝動必死で抑える。

幻惑の中で、何を見て、誰を求めているのか……。

どう考えても、フォルテが見せられているのは幸せな頃の記憶ではないようだ。

あの山火事の日の記憶なのだろうか。


だとしたら、その光景はフォルテが一番見たくなかったもののはずだ。


自分の名前を忘れても、その出来事を忘れてしまいたかったほどに、フォルテには辛い事だったのではないか。

「ダメね。完全に入ってしまってるわ」

デュナがため息をつくように呟く。

見上げたデュナは、何かの痛みに耐えるように眉を寄せている。

「私が……声を掛けたから……?」

不意に口から零れた言葉に、デュナがいつものごとく強引に頭を撫でる。

今は帽子を被っていなかったので、まだ少し湿っている髪がぐりぐりと掻き回された。

それでも、その暖かい手にホッとする。

「フォルテに、花を抜くときの注意をしていなかったのは皆同じだから、ラズだけのせいではないわ」


スカイも私の目を見て頷く。

そっか……。今、皆後悔してるんだ……。

「その手、握ってあげて。おそらく幻惑が切れる時間いっぱいまで戻って来れないと思うから……」

デュナの言葉に、彷徨うフォルテの小さな手を取る。

その途端、ぎゅっと握り返された。


思ったよりも強い力に吃驚する。

驚いた拍子に私の目から涙がポロリと零れた。

「泣くなよ……」

小さく呟かれたスカイの声が、私には、心の底からの懇願のように聞こえた。

「……うん」

力いっぱい涙をこらえる。どうにか二粒目は零さずいられたようだ。


「私、ちょっと母さんに戻ったのを知らせてくるわ」

デュナがくるりと踵を返すと足早に駆けて行く。


もし、フォルテが幻惑から覚めたとき、全ての記憶が戻っていたとしたら

フォルテはこれからどうするんだろう。

家のあった場所へ帰りたいと言うんだろうか。

村を出ていた親戚だとか、そういった人が居る可能性だって無い事は無い。

けれど、私が今一番怖いのはそうじゃなかった。


もし、もしも、フォルテが目覚めて、また全てを忘れていたら……。

自分の名前も、私達の事も、みんな忘れてしまっていたら、私は……。


ぎゅっと、スカイの手が、フォルテの手を握る私の手を上から握った。

見れば、抱えていた衣類は草の上に投げ出されている。

ずっと濡れた衣類を抱えていたスカイの手は、ひんやりと冷たく、心地良かった。

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