第2話 橙色の夕日 4.精霊の声
「なんでわざわざ自分から閉じ込められるかなぁ……」
スカイが漏らした呟きを、耳聡く聞きつけてデュナが反論する。
「向こうからコウモリが来てるのに、こっちに下がるしかないでしょう」
「まだこの部屋に、沢山コウモリが残ってたらどうするつもりだったんだよ」
「それは爆薬投げる前に確認したわよ」
一拍置いて「それに……」とデュナが続けた。
「ちょっと期待してたのよね。ここに穴が開いてるんじゃないかって」
「穴?」
私が首を傾げると、デュナがこちらに向き直った。
「ええ、来る前にも言ったけど、この遺跡って築四百年以上経ってるじゃない?
あちこちガタが来てるんじゃないかと思っててね。
まあ、実際入ってみたら思いのほかしっかりしてたけど……」
「そうか。確かに、ネズミも多かったよな。
遺跡の中だけで食べられる物なんて、ほとんど無いだろうに」
フォルテが、真剣そのものの顔に「分からない」という文字を浮かべて皆の話を聞いている。
それに気付いたらしいデュナが、分かりやすくフォローを入れた。
「この遺跡には、どこかに外へと繋がる穴が開いてるんじゃないかって言う話よ」
まっすぐ自分に向かって言われたフォルテが、「そっか」と頷く。
確かに、あのコウモリ達も、この遺跡内でのみで活動しているのだとしたら、ここまでの大群が一箇所に固まっているようでは、どう考えても餌が足りない。
ネズミはあちこちに点在していたわけだし……。
その点、この遺跡があのコウモリたちのねぐらであるだけで、狩りは外の林でしていると言われれば納得がいく。
遺跡を包み込む広大な私有地は、そのほとんどが森林で、ここへ来るまでにも兎の姿を見たほどだ。
町の中だというのが信じられないくらい、この林には人の手が入っていないように思える。
「まあ、残念ながら、この部屋ではなかったみたいだけれどね」
デュナが、手描きの地図を眺めながら言う。
「さて、元の通路に戻るのは色々危険そうだし。ここは、うまくすれば隣の部屋へショートカットできるほうに掛けてみようかしら」
その手に握る二本の試験管を、楽しそうにくるくると揺らしているデュナ。
試験管には、先ほど投げた物と同じ色の液体が入っていた。
「壁ギリギリまで下がってなさいね」
指示に従い、フォルテをマントに包むようにして、壁ギリギリに身を寄せる。
「ねーちゃん障壁張れないだろ? 俺投げるよ」
スカイの言葉にデュナがピクリと片眉を上げて言う。
「……外では?」
若干低くなったその声に表情を引き攣らせてスカイが答えた。
「デュ、デュナ……」
「よろしい」
デュナは、試験管をポンとスカイに渡すと
「二本が空中で混ざらないようにね、素早く一本ずつ投げればいいわ」
と、アドバイスをして私達の隣、壁際へと足早にやって来た。
それを肩越しに確認したスカイが、視線をふいと向こうの壁へ向けたその時、一瞬静まり返った部屋に、さわさわ……。と微かな囁きが聞こえた。
「待って!!」
私の声に、振り上げていた試験管を慌てて握りなおすスカイ。
「ど、どうした?」
今の音をもう一度聞きたくて、必死で耳を澄ます。
「……あの薬品だと、爆炎もほとんど無害よ?」
デュナの言葉にも答えないまま目を閉じる。
私の態度に困惑してか、また静かになった室内に、さわさわ……。と聞こえてくる。本当に、微かな囁き。
風の音のように聞こえるけれど、違う。
これは……。
「デュナ、この壁の向こうに精霊が居るよ」
目を開ける。
と、そこには困惑した表情の2人、足元からは心配そうに見つめるフォルテが居た。
「あはは、ごめん、心配させちゃったかな」
フォルテの頭をふわふわと撫でながら苦笑を浮かべて謝ると、にっこりと砂糖菓子のような甘い笑顔が返ってきた。
それを横目に、デュナが壁に張り付いてその向こうを窺おうとしている。
「何か感じたの?」
「うーん……。精霊の声が、聞こえたと思う」
「へー」
スカイもやってきて壁をコンコンと叩いている。
「お、この辺外れそうだぞ」
「あら、珍しく泥棒スキルが役に立ちそうじゃない」
「泥棒って言うなよ」
「泥棒も盗賊も一緒でしょ」
ぐっと言葉に詰まるスカイ。
「……せ、せめてシーフって言ってくれ……」
これには、思わず突っ込んでしまう。
「同じだよ」
吹き出してしまった私につられて、クスクスとフォルテが笑い出す。
皆に笑われながら、悔しそうな恥ずかしそうな顔でせっせと壁の石を叩いているスカイが
なんとなく、不憫に思えてしまった。
スカイが一つ目の石を外すと、途切れ途切れだった囁きが、はっきり耳に届いてきた。
ただ、この声が聞き取れているのは私だけらしく、デュナはさっぱり聞こえないと言っている。
私よりもずっと地獄耳なデュナに聞き取れないのだとしたら、この声は、こちらの世界でないところでの会話なのかもしれない。と、思ったりもする。
まるで風の音のような、ささやかで微かな囁き。
常に耳に入るものの決して耳障りではない、そんな音だ。
スカイがちまちまと解体している壁の向こうの部屋には、暖かな光が漏れている。
フィーメリアさんの持つ明かりなのか、それとも外の光か。
どちらにせよ、私達にとっては嬉しい展開になるだろう。
「……まだ終わらないわけ?」
デュナが何度目か分からない問いを繰り返す。
「んー……、あと十分くらい」
スカイがせっせと手を動かしつつ答える。
「もう向こうが見えてるんだから、その辺だけ爆破させて砕いちゃおうかしら……」
デュナは、既に待ちくたびれていた。
「ちょっとのつもりが、完全に崩れて埋まる危険だってあるだろ。もうちょいだから待っててくれよ」
スカイがげんなりと、やはり何度目になるかわからない制止の言葉を口にした。
動物の臭いの篭った狭い室内には、ボロボロに朽ち果てた天蓋付きのベッドがひとつ、部屋の中央に陣取っている。
クイーンサイズほどもありそうなベッドだが、どうやらコウモリたちはその天蓋部分にぶら下がって生活していたらしく、マットレスの上にはコウモリたちの排泄物が層になって積み上がっていた。
吸血コウモリは、食事が血であるせいだろう。
黒くこびりついた排泄物の山からは、異臭が漂っている。
デュナが、どこかに腰掛けたそうにしているものの、そのベッドに近付かないのはこういうわけだった。
手持ち無沙汰で、落ち着けるところもなく、デュナはうろうろとスカイの後ろを往復している。
私はといえば、壁に寄りかかり、そのマントの中にフォルテを包み込むようにしていた。
フォルテは、私に寄りかかる形になっている。
直接壁に寄りかかったのでは、フォルテの白いケープや
ローズピンクのワンピースが汚れてしまいそうだったからだ。
デュナが壁に寄りかかろうとしないのは、その真っ白な白衣があるからだろう。
アイロンをかけているところは見たことがなかったが、デュナの白衣はいつもピシッとシワひとつなく、抜けるように白かった。
普段は気にしたこともなかったが、壁にもたれることも出来ずにいるデュナの姿からは、その白衣を大切にしていることが窺えた。
デュナが白衣を身につけるようになったのは、いつからだったっけ……。
私が学生の頃にはもう、いつも白衣を着ていた気がする。
けれど、その前の数年間は、確かに私と同じように魔法使いらしい服装だったのだ。
今は、もうほとんど思い出せないのだけれど……。
私とデュナとの年齢差は四つ。
そこまで離れているわけでもない。
それでも、デュナが魔法使いの修行を始めた十五の頃、私はまだ十一で、五年生だったし、現在、冒険者二年目の駆け出しの私に比べ、冒険者六年目のデュナはとても頼もしかった。
魔法使いの修行には、一般的に二~三年ほどかかる。
私は、筆記に関しては……口に出せないような成績だったのだが、素質というか、体質のおかげだろう。実技の成績がよく、二年間で無事修行を終えることができた。
しかし、デュナは異例の速さで筆記実技ともに習得して、たった一年で養成所を卒業した。
その後一年ほど自宅に篭ってあれこれと自身で魔法の研究をしていたため、冒険に出るようになったのは、私と同じく十七からだったわけだが。
一方、スカイは一年で修行を終え、十六からデュナとパーティーを組んでいる。
盗賊の修行というのは、一年もあれば十分な物らしい。
ちなみに、私とスカイの年齢差は一つ。スカイが私より一つだけ上だった。
マントの中でフォルテがもじもじと身じろぎする。
フォルテは、少し前までは私と話しをしていたのだが、その後しばらく黙ったまま固まっていた。
それがそわそわしてきたと言う事は、いよいよ我慢が出来なくなってきたのだろう。
何も言わないフォルテの後ろ姿に、私の方が焦ってきてしまう。
そこへ、スカイが、やっと屈んで人が一人通れるかどうかというくらいのスペースを確保する。
「……まあこれでいっか」
気を使う作業だったのだろう。スカイの額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「よーし、行くわよー」
スカイの真後ろから覗き込んでいたデュナが、早速、壁の向こうへと姿を消す。
それなりに高さのあるヒールの靴を履いているにもかかわらず、器用にひょいと隙間を潜り抜けたデュナに感心しつつ、私もフォルテの手を引いて後に続く。
私の帽子は間違いなく壁に引っかかるだろう。
留め具を外して、大きなとんがり帽子を胸に抱える。
ロッドの光球は、もう被せ物無しでも柔らかい程度の光になっていた。
壁を潜り抜ける。
その部屋は、今まで居た部屋よりもずっと天井が高かった。
かび臭さも異臭もほとんどない空気。開放感に思わず伸びをする。
フォルテの後ろからスカイが壁を抜けてくる。
「おー、天井高いなー」
デュナは、光源の真下に居た。
「平面図じゃこれは分からなかったわね」
占い部屋のある、地下2階をうろついていた私達だったが、
この部屋の天井は1階まで……いや、地上すれすれまで伸びていた。
デュナの真上、部屋の隅の天井が崩れていて、そこから外の光が入っている。
金色に近いその光は、夕暮れが近いことを示していた。
今までのぞいた三つの小部屋には、そもそも扉という物がなかったが、この部屋には簡素な木の扉が取り付けてあった。
昔は立派だった物かもしれないが、今はところどころが朽ちて穴が開いている。
おそらく、コウモリ達はあの穴を通り抜けているのだろう。
しゃんとしていた占い部屋の扉は、フィーメリアさん達が手を加えたものだったようだ。
帽子を被りなおしながら、天井を見上げているデュナに近寄る。
光の差し込む方へ近付くにつれて、精霊達の囁きが、確かなざわめきになってくる。
全てが正しい位置に収まって行くように、心が落ち着いていく。
ほっとして初めて、自分が不安を感じていたことに気付いた。
知らないうちに、精霊達の音は私の生活になくてはならない物になっていたようだ。
スイっと、デュナの指先に風の精霊がとまる。
流れる髪をなびかせてくるりとその場で回ると、嬉しそうにデュナの精神をひと舐めして帰ってゆく。
「ここなら魔法も使えるみたいね」
確認を済ませたデュナが満足そうに呟く。
デュナもまた、私とは違う意味で精霊達が居ることに安心したようだ。
私の身長の四倍近くありそうな壁と、天井を見上げる。
穴は十分に人が通り抜けられるサイズだったが、この高さをどう克服するか……。
それでも、ここはなんとしても通らなくてはいけなかった。
フォルテのために。
上を見上げている三人とは逆に、フォルテは俯いたままだった。
時折、プラチナブロンドの頭がそわそわと小さく揺れている。
そのフォルテが「あ」と小さく声を上げた。
まさか。
いやまさか。
フォルテは小柄だし、言動も少し幼稚なところはあるにはある。
しかしそれにしたって、もう今年で十二歳だ。
私が十二の頃といえば、六年生で、スカイは七年生。
デュナは家で研究をやっていた頃で……って、違う。そうじゃなくて……。
フォルテの後ろでぐるぐると余計なことを考えている私を置いて、スカイがフォルテの足元に落ちていた何かを拾い上げた。
デュナもそれを覗き込む。
「ボタン……?」
綺麗に塗装された小さな茶色のボタンは、落ちてあまり年月が経っているとは思えない物だった。
「よく見つけたわね」
デュナがフォルテの頭をポンポンと撫でる。
かすかな衝撃に、フォルテが「ふみっ」とよくわからない声を上げている。
「ああ、ごめんごめん、すぐ外に出るわよ」
ここに最近ボタンを落とした人物がいるとすれば、おそらくフィーメリアさんしかないだろう。
この部屋に立ち寄る理由は、この穴以外にない気がする。
つまり、フィーメリアさんはこの穴を通って、外に出ていたという事だ。
穴に視線を戻したスカイが、必死に目を凝らしている。
「あれ、ロープじゃないか?」
言われて、スカイの指す先を見る。
確かにそれらしいような気もするが、距離があるのと夕日が眩しくてよくわからない。
金色だった日差しはいつ間にかオレンジ色がかっていた。
「けどなんでロープが上に上げてあるんだ?」
「多分、フィーメリアさんは魔法も少し使えるんでしょうね」
スカイの疑問にデュナが答える。
気付けば、デュナの肩には風の精霊が3人も集まっていた。
強風が吹きそうな予感を感じて、フォルテの手を引いて部屋の奥へと下がる。
デュナは私達に一瞥をくれると、スカイに向かって腕を振った。
「とりあえず、あんたはあのロープを取って来なさい」
「へ?どうやっ――」
スカイの疑問は最後まで聞き取れなかった。
下から上へと、急激に吹き上げた風にもみくちゃにされながら、彼は穴の外へと姿を消した。
声にならない悲鳴をあげながら。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
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