第2話 橙色の夕日 3.探索
遺跡はやはり、じめじめしていてかび臭かった。
ファルーギアさんから借りた小さなランプでは、四人分の足元はなかなか照らしきれないので、私の杖にたっぷり二時間は持つだろう程度の光を集めて遺跡に入った。
光を集めてくれた精霊は、金色に透ける姿でキラキラと私の周りを二周ほどしていたが
私が遺跡の入り口へ足を向けると、残念そうに消えてしまった。
結界にぶつかる姿も見てみたい気がほんのちょっとするのだが、精霊達はそこへ自分が入れないことが分かるようで、近寄ろうとはしなかった。
私の掲げるロッドの明かりに煌々と照らし出される遺跡は、眩しいほどの明るさだ。
「うーん……しばらくは、ラズに一番後ろを歩いてもらう方がいいかしら……」
デュナが困ったように呟く。
後ろから照らされるスカイはともかく、私の後ろのフォルテとデュナは目の前に光の塊があるわけで、それでは確かに顔も上げづらいだろう。
時間の経過と共に光は弱まってくるはずだったが、現時点ではどうにも眩しすぎた。
前を歩くスカイがくるっと振り返ると、黒っぽいハンカチを杖の先に被せる。
よく見れば、紺色のハンカチのようだ。
「燃えたりしないよな?」
「うん、ありがと」
ハンカチ越しでも明かりとして十分な光が、私達を柔らかく包んでいた。
「その先右ねー」
デュナがスカイに指示を出す。
「ほーいってうおわっ!!」
スカイが急に立ち止まる。足元の何かを避けるように、片足をもちあげたまま。
そこを、キィキィと小さな鳴き声とともにネズミが数匹走り過ぎる。
小さな瞳が光に照らされて赤く反射する。
ハンカチを掛けてもらった時に距離が近付いていた為、スカイにぶつかりそうになるのを必死で堪える。
「ネズミかー」「びっくりした……」
スカイと私の呟きが重なる後ろで、キュッと変な音が聞こえた。
振り返るとフォルテが引きつった顔で固まっている。
息をのんだ時に出てしまった音だろうか。
その後ろのデュナも、フォルテと同じように固まっていた。
フォルテはともかく、デュナは、意外にこういったものに弱かった。
といっても、泣き出すほどに苦手だとかではないが、女の子として人並みな程度に。
「ちょっと! ちゃんと前見てなさいよね!?」
デュナがまだどこか引きつったままの表情でスカイを怒鳴る。
「ああ、ごめんごめん」
それが平常心取り戻す為の物と分かっているのか、スカイは大人しく従った。
「フォルテ、大丈夫。怖くないよ」
フォルテの頭を空いている左手で軽く撫でる。
幼い頃から両親と旅をしてきた私には、正直ネズミもコウモリも驚くような物ではなかった。
落ち着いている私に安心したのか、フォルテがほっと緊張を解く。
微笑みかけると、同じように笑顔を返してくれた。
その顔に、こっそり胸を撫で下ろし、前に向き直る。
それでも、突然出てくる小動物に驚くなという方が難しいわけで、私達は目的地である占い部屋までに、あと二度ネズミに驚かされた。
ようやくたどり着いた占い部屋……地図には月の間と書かれているそうだが。
その部屋は、床の上の塵や埃が掃かれており、真ん中に一組の椅子と机が並べてあって、ちゃんと人のいた痕跡があった。
「ひとまず、フィーメリアさんがこの部屋にたどり着いていたという仮定で捜索しましょう」
私達の通ってきた道は、フィーメリアさんやファルーギアさんがこの部屋に来るために通る道だった。
ファルーギアさんの小さなランプでは照らしきれなかったであろうあちこちを、しっかり確認しながら通ってきたので、ひとまず通常使っていたルートの途中に居なかったことは確かだ。
そうなると、ここから先、どこかへ迷い込んでしまったのか、ここへ来る途中で脇道に入ってしまったのか……。
ただ、彼女は今までずっとこの遺跡を利用していたわけで、途中から道に迷うという事態は考えづらいだろう。
というわけで、私達はまずこの占い部屋より奥を探すことにしていた。
遺跡の入り口からここまでの時間は二十分弱というところだろうか。
ファルーギアさんの話では十五分ほどと言う事だったが、あちこち確認して回ったせいでもう少しかかってしまったようだ。
部屋の中をチェックしているデュナとスカイを横目に、杖にかけていたハンカチを、スカイの紺色の物から自分のベージュの物へと掛け替える。
光量は、それで丁度良い程度に落ち着いていた。
「確かに数日前まではここに居たみたいね」
デュナの声に顔を上げると、デュナの傍でスカイがバナナの皮をつまみ上げていた。
たっぷり二房分ほどのバナナの皮が、ゴミ箱にされていたらしい筒の中に入っている。
「やはり、ここまでは来ていたんだわ。
まあ、捜索範囲は狭まらないけれど、少し前にこれだけ食べてるんですもの、まだ元気で居るわよ」
デュナの言うとおり、ここへ来ていたからと言って、ここから先で迷ったのか、ここから帰るときに迷ったのかが分からない以上、フィーメリアさんが居る可能性のある範囲は広いままだったが。それでも、その言葉に私達は励まされる。
誰もはっきりとは口にしていないが、今私達が一番危惧しているのは、彼女が衰弱……悪く言うなら、餓死しているのではないかということだったからだ。
デュナの持つ地図の写しを覗き込む四人。
背の低いフォルテにも見えるよう、デュナは軽く屈んでいた。
「こっちをこう行って、こう進むルートか、こっち側をこう……」
デュナが細かく描きこまれた道を小指の先でなぞってみせる。
この部屋の前を通る道は左右に分かれていて、片方はその先が幾重にも分かれて、罠も多い。こちらには最終的に三階へとたどり着くことのできるルートが入っているせいだろう。
もう片方は道の先に四つほどの小部屋が点在しており、行き止まりはいくつかあるものの、罠も少ないようだった。
「なあ、ところでさ、フィーメリアさんってトイレはどうしてたんだろうな?」
スカイが、ふと思いついたように顔を上げて続ける。
「この部屋からは臭いもしないし……」
言われてみれば確かに不思議だ。
「うーん。持ち帰り? けど数日篭ったりしてたわけだよね」
私の言葉にデュナも首を捻る。
「魔法で片付けようにも、ここでは魔法は使えないわけで……」
遺跡の入り口まで戻れば十五分。往復で三十分はかかってしまう。
集中して、誰の邪魔も入らないようにと使われていた遺跡だとしても、それは流石に不便すぎるのではないだろうか。
「フィーメリアさんも、なんでわざわざこんな不便なところに篭ったのかな」
私がポロリとこぼした言葉に、デュナがちょっと意外そうな顔をする。
何故そんな表情を向けられたのか分からずに、首をかしげてデュナを見返すと、苦笑いされてしまった。
「ごめんごめん、いや、ラズにとっては精霊が傍に居なくてもあまり変わらないのね」
精霊……?
元々、精霊達は四六時中こちらに姿を見せているわけでなし、そんな彼らが傍に居なくなったとして、別段変わることは……。
そこまで考えて、ふと、さっきから静かだ静かだと、繰り返し感じていたその理由が分かった。
精霊達が、居ないからだ。
なんとなく、地下で、風もないからだろうと思っていたが、そうじゃなかった。
私は、姿は見えなくても、いつもそこかしこに飛び回る彼らの気配を感じていたのだ。
毎日の生活に、彼らはささやかなざわめきとしていつも存在していたのか……。
「あら、何か思い当たった?」
私の顔を覗き込んで、デュナがまた苦笑する。
メガネの奥、ラベンダー色の瞳が光球に照らされて優しい色に輝いていた。
「占いっていうのは、とても精霊の影響を受けやすいんですって。その形式が魔法に近いからかしらね。図らずも精霊が寄って来てしまうんだと聞いた事があるわ」
「あー、それで町で見かける占いハウスに精霊避けの札が貼ってあったりするんだな」
隣でスカイが、納得とばかりに頷いている。
精霊避けの札?どんなものだろうか。
占いなど受けたことも無かったし、そんなにまじまじとそういった出店を見たことも無かった事に気付く。
「それに、ちょうどこの部屋は、遺跡の力の通り道上にあるみたいなのよ。
フィーメリアさんは、占いの精度を上げるのに、この遺跡の力を借りていたのね」
「遺跡の力?」
この遺跡は、ただのお墓ではなかったのだろうか。
「竜脈とか、地脈とかそういう大地の気の流れみたいなものかしら。
私達の使う魔法とは、また違った技術ね」
「ふーん……」
相変わらず、デュナは専門外の知識まで色々と詳しいなぁと感心しつつ、なんとなく分かった事にして、話を元に戻す。
「まずこの部屋から見に行くんだよね?」
「そうね、この四つの部屋と……こことここの突き当たりも見てみましょう。
トイレとして使っていた部屋があるかも知れないわ」
私達の話を黙って聞いていたフォルテが、鈴を鳴らすような声で尋ねる。
「トイレを探すの?」
「う、うん。まあね……。って、あれ?」
フォルテがどこかそわそわしているような気がする。
「フォルテ、トイレ行きたい?」
ふわふわのプラチナブロンドがこくんと頷いた。
……これは一大事だ。
「さあっ、張り切って探すわよー!」
ほんの少し焦りの色が見えるデュナの声に、皆で力強く答えて、私達は部屋を出た。
近い順に、一つ目、二つ目の部屋を確認する。
そのどちらも、狭い室内には家具もなく、使用の痕跡もなかった。
三つ目の部屋にスカイが足を踏み入れた途端、天井の隅にへばりついていた黒い塊が甲高い声と共に飛び掛ってきた。
コウモリだ。
それも、一匹二匹ではない、膨大な数の。
「屈め!!」
皆で一斉に姿勢を落とす。
振り返れば、デュナがフォルテを抱えるようにしゃがんでいた。
フォルテの大きな瞳は若干潤んでいたが、もしかしたらデュナも同じような事になっているのかもしれない。
メガネで見えないだけで。
その上から、大群で飛んだためかあちこちにぶつかったコウモリが落下してくる。
目の前、すぐ手が届きそうな場所にも、一匹ぽとりと落ちてきた。
力なくのびた姿は可愛らしくすらあったが、豚のように大きく反った鼻に、開いた口元から見える鋭利な歯、その姿には見覚えがあった。
「これ、吸血コウモリだ」
「「ええ!?」」
私の発言に、デュナとスカイがハモる。
「じっとしてたら、体温に反応して襲ってくるよ!」
と、顔を上げた時には、もう飛び掛ってきた一群はぐるりと反転して目前まで迫っていた。
スカイが素早くデュナとフォルテの側に回り込み、太腿と一体化している鞘から2本の短剣を引き抜く。
コウモリ達を叩き切るつもりなんだろうか。
「う、動いてる人間まで襲ったりはしないと思う……んだけど」
「分かった」
スカイが頷く。
しかし、この狭い場所で向こうは大群だ。
絶対にそうだとは言い切れない気もする。
「下がるわよ!」
デュナがフォルテを連れて小部屋へと駆け込む。
私もそれに従った。
先ほどまでコウモリがいっぱいだった部屋には、古びた天蓋つきの大きなベッドの残骸が1つ。あとはがらんとしている。
かび臭さとはまた違う、動物特有の臭いが充満した部屋に入ると、デュナが白衣から試験管を二本取り出していた。
「スカイ!」
「おうよ!」
デュナが呼ぶと同時に、コウモリ達に取り囲まれた真っ黒な塊が、それらを振りほどきながら全力で飛び込んでくる。
やっと青い髪が見えてきたスカイと入れ替わるようにして、通路へと試験管が投げ込まれる。
「伏せて!」
フォルテを白衣で包むようにして屈むデュナ。
耳元で響く爆音。
そうだ。今回、デュナは障壁を張れないんだった。
一瞬反応が遅れた鼻先に、炎と熱気が迫る。途端、目の前が真っ暗になった。
スカイに頭を抱えられる形で、私は部屋の奥へと滑り込んだ。らしかった。
舞い上がる埃で息ができない。
炎はひとまず落ち着いたのか、デュナがパタパタと白衣に付いた汚れを落としながらこちらに向き直る。
「スカイ。あんまり塵やら埃やら舞い上げると粉塵爆発するわよ」
「そんな大人しく全力疾走が……っ!! ぐっ! ごほごほげほっ!!」
埃を吸ったのか、スカイの口答えは咳へと変わってしまう。
衝撃の際に落としてしまったロッドを拾い上げてスカイを見れば、そのあちこちが切り傷だらけだった。
肘上まであるロンググローブや、ズボンまでがすっぱりと裂かれている。
「うわ。相当咬まれたね……」
すぐに祝詞の詠唱を始める。
「おう。でもあんま痛くないな」
剃刀のような切れ味を持つコウモリの歯のおかげで、綺麗に切られた切り口に、引き裂かれるような痛みはないようだ。
ただ静かに、細く赤い雫がこぼれていた。
「吸血コウモリの唾液は血液の凝固を妨げるって聞いたけど、なるほどね」
なんだか興味深げにデュナがスカイの傷口をあちこち覗き込んでいる。
「あっ、じゃなくて、危なかったぞ、ラズ。気をつけろよ」
スカイが忘れないうちにと注意する。
先ほど、反応が遅れたことに対してだろう。
私の中で、デュナが障壁を張ってくれるのがいつの間にか当たり前になっていた。
けれど、デュナだって毎回確実に成功すると言うわけではないだろうし……。
いや、私はデュナの魔法が失敗したところを一度も見たことが無いけれど、
それでも、魔法使いの養成所では、魔法に絶対は無いと繰り返し教わってきた。
今後、大事な瞬間にデュナが魔法を使えない事だっていくらでもあり得るのだ。
気をつけなくてはいけないな、と、気を引き締める。
祝詞が中断できず、こっくり頷いた私の頭……というか、正確には帽子を、スカイがポンポンと撫でる。
「……その聖なる御手を翳し、傷つきし者に救いと安らぎを」
スカイの傷はどれもが浅く、一度の詠唱で治すことが出来た。
思ったとおり、精霊を媒介としない回復術は神に祝詞が届く限り有効なようだ。
「サンキュ」
にこっと人懐こい笑顔を見せるスカイに
「こっちこそ、ありがと」
と答える。
その間、デュナはゆっくりとした動きで部屋の隅々を見ていたが、戻ってくると、軽く肩を竦めて言った。
「これは……もう一発。ドカンといっちゃおうかしら」
四人の居るこの狭い室内は、唯一の出口である通路を瓦礫で塞がれ、密室となっていた。
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