璃々栖After「猫になりにけり」

壱「皆無、猫になる」

》明治三十八年(太陽暦一九〇五年)一月某日 〇八一二マルハチヒトフタ

》東京・帝國ホテルの一室《

デウス王國王配兼臨時政府宰相、大日本帝國陸軍第ゼロ師団名誉中将、従肆位よんい、勲壱等いっとう、功弐級にきゅう大悪魔グランドデビル阿ノ玖多羅あのくたら皆無かいな


 朝、目覚めたら猫になっていた。

 その事を受けれるのに、当年とって拾伍じゅうご歳の皆無かいなは多少の時間を要した。


 まず、意識を得たと思ったら、目の前が真っ暗であった。これはまァ、善い。

 昨夜は雑誌『ホトゝギス』に載っていた『吾輩は猫である』とか云う読み出すと妙に止まらない小説を読んでいたところ、『はよう始めるぞ』と云う浪漫主義ロマンチヰスムの欠片も無いような愛妻・璃々栖リリスの言葉に引っ張られ、二人遅くまでいたので、またぞろ妻の乳にでも顔をうずめて眠っていたのであろう。

 璃々栖の乳房と云ったら凄まじく、二年前に出逢った時にはもう、悪魔的な大きさと柔らかさを有していたのであるが、それが今なお育っているのだ。


 よわい拾捌じゅうはち

 愛する妻は、美しさの絶頂期にある。


 身じろぎしてみる。


「あっ、んぅ……」


 妻の声がした。やはりここは、昨晩泊まった帝國ホテルのベッドの中で間違いない。

 もぞもぞと体を動かしてみるが、どうも様子がおかしい。手足の感覚がいつもと異なるのだ。

 ベッドから這い出して、カーテンの隙間から零れる陽の光で部屋を見渡してみれば、思った通り、ここは帝國ホテルは最上階の、スヰート・ルームである。桂首相閣下がすっかり気を使ってしまって、最上の部屋を用意してれたのだ。

 日露戦役の只中ただなかにあり、日本の財政を気にした璃々栖が『どんな部屋でも構わない』と云ったのだが、やはり國賓として招くからには相応の持て成しをせねば、國の威信に関わると云う事なのであろう。皆無にもこの頃ようやく、そう云う外交感覚が身に付きつつある。

 ちなみに、『どんな部屋でも』と云うリリスの言葉に嘘偽りは無い。璃々栖と己はと云えば、ここのところは伯剌西爾ブラジルの密林やら埃及ヱジプトの砂漠やら諾威ノルウェーの森やらを旅して回り、世界各國の悪魔デビルたちを味方に引き入れる為の工作を続ける毎日だったので、野宿には慣れっこなのである。


 ――今心配すべきは、日本の財政の事ではなかった。

 おのれの体の事である。

 見下ろせば、己の手足はやけに小さく毛むくじゃらで、


(これは……猫?)


 無詠唱の【収納空間アヰテムボックス】で虚空から手鏡を引きずり出し、【念力サヰコキネシス】で以て浮遊せしめて覗き込んでみれば、


(猫やな)


 自分で云うのも何だが、随分と可愛らしいキジトラ猫であった。

 両の瞳は黄金色。


にゃ~、にゃにゅにぇにょ――にゃになにッ!?」


 喋れない。


(これは……ヱ―テル体を変化させているのではない?)


 璃々栖と出逢い、彼女の愛を知り、涅槃寂静ねはんじゃくじょうに至りしこの身は即身成仏しており、全身魔力ヱ―テルで出来ている。

 その為、皆無は斯様かように小柄な猫にも、はたまた山を覆うような巨人にもその身を変じることが出来る。

 なればこそ現状を、『またぞろ寝ぼけて身を変じたのだろう』と考えていたのだが。


(――むんッ!)


 へその下、丹田たんでんに力を込めた。普段ならこれで、思うさま姿を変えられるはずである。

 ――――が、


「にゃ、にゃんにぇなんでにぇんにんへんしんにぇににゃいできないぃぃ~ッ!?」

「んぅ……何じゃ、騒がしいのぅ」


 もぞり、と掛け布団が動いて、布団の上に陣取っていた皆無はベッドから転げ落ちた。


「皆無……皆無ぁ?」


 麗しの主、大魔王璃々栖リリスデウスが一本腕で伸びをする。ウェーブ掛かった豊かな金髪が肩から零れる。

 寝惚け眼の璃々栖が右を見て左を見て、部屋を見渡し、


「……何じゃ、そなた」


 二人、目が合った。




※※※※※※※※※※※※※※

 本編『璃々栖』の二年後の物語です。

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