第弐幕之拾「腕ヤ何処カ」
》同日
「許せ。
「せやな」そんな璃々栖を後ろから抱きしめながら、皆無は応える。上は脱いだが下にはぎっちりと
「良い良い! 余はそなたの主で、そなたより三つも年上で、いずれは王となる者なのじゃから。そなたが余を崇拝して
「ええで」皆無は璃々栖を抱く腕に少しだけ力を込める。「そん代わり、俺が弱った時には慰めてな?」
「な、な、慰め……て……」皆無の腕の中で璃々栖がわなわなと震え、物凄い力で腕を振り解き、振り向いた。「か、皆無ぁ……はぁっはぁっ」
劣情。
ただその一文字が、璃々栖の顔面に書かれている。
「……え? 璃々――むぐっ!?」
嚙みつくような勢いで口付けされた。舌まで入れられる。
「ぷはっ、え、ちょっ、璃々栖!? 待った待った!!」伸し掛かろうとしてくる璃々栖を押し返す。
途端、璃々栖が今にも泣き出しそうな顔になり、「や、や、やはり、生娘ではなくなってしまった余では駄目か……?」
「
頭を撫でてやると、一転して璃々栖が喜色満面になり、
「そうか! ならば――」
「情緒!」再び押し返しながら、「せやなくてな、今ここで始めてもたらもう歯止めが無いなってもて、その……た、多分、璃々栖が立てへんようになるまで、してまうと思う……」
「よ、余は構わぬぞッ!?」真っ赤になりながら、高らかに云い放つ王と、
「俺が構うんじゃ、
「うぅぅ……う~~っ!!」
皆無は、子供のように駄々をこねる王の頭を優しく撫でて、「楽しみは後に取っとこうや、な?」
「そ、そうじゃな!」
†
さっぱりした璃々栖に
神戸港の方へ知覚を飛ばしてみると、「ダディ……と、豚の
「【
「いやぁ、あいつみたいに地球の裏側まで飛ぶとかは無理やで。やっぱ
ぱっと目の前の風景が変わる。海上から、海岸通り上空へ。
「やぁ皆無!」ヱーテル不足で影が薄くなった父が、こちらを見上げながら声を掛けてくる。「悪魔侯爵
「めっためたに千切り殺して磨り潰したったわ」父の前に着地する。
「ひ、ひえぇぇッ!!」拾月中将が尻もちをつく。
「これ、
「いいよ。お前が仕留めたんだからお前がお食べ」
「じゃあほら、璃々栖」云って主の頬に猫を押し付ける。
「うぇぇ……あやつのじゃろう? 気持ち悪いんじゃが」
「云うても璃々栖、消耗しとるやろ? 俺はヱーテル全然減っとらんから」
「うぅぅ、そなたの云う通りじゃなぁ。良かろう、一思いに喰わせよ! ――もがっ……ごくん。こら皆無ッ、もうちょっと優しくせんか!」
「あはっ、一思いにって云うたんは璃々栖やん」
などと二人していちゃついていると、
「ごほんッ!!」ようやく立ち上がった拾月中将が、「阿ノ玖多羅少佐……いや、
「勿論です」皆無は努めてにこやかに微笑む。拾月中将が一歩後ずさったのは心外である。「但し……我が主に害を為すようなことがあれば、国を滅ぼす覚悟で敵対させて頂きますので、悪しからず」
「ヒィッ!」
「こら、皆無!」璃々栖が皆無の顎に頭突きして
「そ、そうですな」
「じゃから、余と余の眷属たる皆無と
「分かりました、と云いたいところですが……生憎と
「良い良い! いつもの屋敷――皆無の部屋に泊まることは許してもらえるかの?」
「も、勿論でございます」
†
外国人居留地、『
腹を満たした後、二人して同じベッドに潜り込み、何度も何度も口付けし合った。が、それ以上はしなかった。ひとたび始めてしまえば、一ヵ月以上に渡って溜め込まれてきた璃々栖に対する思いが、情欲が爆発してしまいそうだったからだ。
「皆無ぁ……」が、璃々栖はそんな皆無の葛藤などお構い無しに、その悪魔的な乳房を擦り付けてくる。
「待てってば! 明日、腕を見つけてからにしよ、な? 今日だけの我慢やから」
「皆無のいけずぅ」
生唾を呑み込む。たまったものでは無かった。
†
翌日の、昼過ぎ。空は晴れ渡り、空気はからっとしている。
指示された時間に間に合うように布引の滝にやって来た皆無と璃々栖の眼の下には隈がある。あの後結局、二人して興奮してしまって中途半端な乳繰り合いを朝まで続けてしまったのである。
「何故、腕の
「だから、他ならぬ貴方が知らないのはおかしいじゃありませんか!」
滝の音と共に、父と、皆無の母を名乗る尼の老婆の論争が聞こえてきた。
「何じゃろう、揉めておるな」
「せやな。お~い、ダディ!」
茶屋の前で云い争っていた父と老婆がこちらを向く。
「やぁ皆無!」険しかった父の顔が一転して笑顔になる。今日は仕事ではないと云うことなのか、いつもの軍衣ではなく、上は格子模様の着物、下は袴だ。そして相変わらず、右腕は包帯でぐるぐる巻きにして首から吊っている。父は老婆を示し、「こちら、尼の
「育子と申します」老婆が頭を下げる。「昨日は名乗るのも忘れてしまっていて……ごめんなさいね、皆無」
「あんたは昨日、俺らのことをダディに告げ口した……けど、俺らがダディに追われているのを知らん様子やった」
「そう、確かに私は、不思議な術式による手紙を受け取った」ダディが頷く。「で、その残り香――ヱーテルの残滓を追ってみれば、それが摩耶山だと分かった。だから、ああして待ち伏せすることが出来たんだ。私は手紙の主が育子さんだと知らなかったし、そもそも育子さんとは初対面だと思っていた」
「そこからしておかしいのですよ、阿ノ玖多羅さん!」老婆が少し怒った顔をする。「百年前、
「う~ん……」父が心底困った顔になり、「…………覚えていない」
「じゃあ、あんたは俺らを売り渡すつもりでダディに連絡したんや無いってこと?」
「勿論ですとも」老婆が頭を撫でてきて、「百年もの間、お前をお腹の中で
(うーん……)相変わらず、老婆とのやり取りは何やら『ふわふわ』としていて足元が定まらない感じがする。が、老婆に己と璃々栖への害意が無いのは確かなようだ。「つまりダディがその、百年前の約束とやらを忘れたんが全ての元凶ってことやな」
「
「えぇぇ……事実やん。ってかええ加減日記付けぇや」
「付けても日記を置き忘れ、忘れたことをも忘れてしまうのだから仕様が無い」
「ともあれ、璃々栖お嬢様がご無事で本当に良かった!」老婆が云う。「今度こそ、ご案内致しますよ」
「うむ! では行くとしようぞ!」
璃々栖の号令で、一同は山道に入る。少し歩いてから
「ほな【
果たして全員の体が、寺手前の森に転移する。
「座標も標高もぴたり、だね。本当、大したものだよ」父が満足げに頷き、「ヱーテル体の操作の方はどんなものだい? ここはちょうど人目に付かない。見せて
「こんな感じ」右手を南部式のような形に変じ、「ばんっ」
銃身に変じた人差し指の先から弾丸が放たれ、すぐそばの木の幹を穿つ。
「へぇっ! 自分の体を分離させることも出来るのか! じゃあ分身は?」
「うーん……」手の形に戻した右手の平の上に己の人形を生み出し、歩行させてみようとするが、人形はすぐに倒れ、ぴくりとも動かない。「難しい。やっぱダディは凄いわ」
「ふふん。じゃあ
「え、えぇぇ」戸惑う。全身を変身させるという感覚が上手く想像出来ないのだ。
「何だ、出来ないのかい? どうですレディ、私が腕に成って差し上げましょう」
「り、璃々栖に触んなや!」慌てて腕に変身し始める。何とかかんとか関節付きの棒っ切れに変じる。その身を宙に浮かせながら、腕の先をぐねぐねと動かして五指を形成する。
「あはっ、嫉妬する皆無も可愛いのぅ!」頬を染めながら、璃々栖が左肩を突き出してくる。
皆無は【
(あれ?)ぼとり、とその場に落ちる。
「余の肩周りを薄くヱーテルで覆うのじゃ」
云われた通り、もう一度擦り合わせて肩回りをヱーテルで覆うと、果たして落下はしなくなった。が、璃々栖が己を動かそうという気配は無い。「……なぁ璃々栖、これって俺が動かすん?」
「動かすのは確かにそなたじゃが、あくまで余の意志によるものじゃ。
「え、えぇぇ……やっぱ
†
「誰も居ない?」正確には居住区にちらほら人の反応はあるが、参拝客が一人も居ない。
「昨日、今日とお人払いをお願いたからねぇ。本当は明後日にある仏母忌――摩耶夫人様の追悼式の準備で大変なんですけれど、住職様が無理を聞いて下さったのよ」
「おおっ、御母堂様も住職様も、良く分かっておるではないか!」
「それはもう。腕と主様の再会は静かな場所で行うべきでしょうし、それに……不慣れな腕が暴れてしまっては危ないですから」
「それなのじゃ!」
「え、何、暴れる? 怖いんやけど」
「いやぁ、実際良くある話なのじゃ。
「えぇぇ……」
「さぁ、こちらですよ」老婆が先導する。社は幾つかあるが、案内されたのは、「ここ、摩耶夫人堂です。お釈迦様のお母様、摩耶夫人様をお祭りしている社です。ささ、ここで靴を脱いでください」
「えっ、脱がねばならんのか?」
両腕が無く、補助魔術しか使えない璃々栖にとっては、蹴りだけが唯一の攻撃手段だ。今璃々栖が履いている革靴の爪先と
「璃々栖は俺が抱っこするわ」云ってするりと璃々栖を抱き上げる。
「ふんふんふ~ん♪」璃々栖が鼻歌を歌っている。この一ヵ月以上間の中で教えられた悪魔的な童謡の一つ。思えば四月一日の夜に出逢ってから、今の璃々栖が一番
摩耶夫人像の後ろで老婆がしゃがみ込み、像の足元辺りを撫でさすると、
ギイィィィ……
と云う軋む音と共に、像の背後の床が動いて階段が露わになった。
「おおお、隠し階段……」
老婆、皆無と璃々栖、父の順に地下へと降りる。
「【光明】」老婆が唱え、部屋が明かりで満たされる。
地下は五、六畳程度の小さな部屋になっており、部屋の中心に台座があり、台座には魔法陣が描かれており、その上には、枯れ木のようにやせ細った腕が
左腕。
念願の、
「やったな璃々栖ッ!! ついに腕が見つかっ
†
》同月十三日
最初に、『ごりっ』っという音。続いて、『ぐちゃっ』という粘りを伴った、音。
己に微笑みかけてきていた皆無が、その頭部が、握り潰された。
「……え?」呆然とした己の声を、他人事のように聞く。
皆無の腕の力が失われ、己の体が地面に打ち付けらえ、慌てて立ち上がって、頭部を失い倒れようとしている皆無の体を肩で支える。そして。
「ようやく、見つけたぞ」
皆無の父が、笑った。
いつの間にか、彼の右肩の包帯が外されている。そしてその肩には、己がよくよく見知った腕が――十六年間を共に過ごした己の右腕が、
「こうして会うのは初めてだな、
「き、貴様は――…」
「
何者かが笑い、それから舌を出して見せる。その舌に描かれた紋章は、見間違えようも無い――
「余は、やがて
†
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