第弐幕之拾「腕ヤ何処カ」

》同日一四一〇ヒトヨンヒトマル デウス移動城塞・大浴場 ――皆無かいな


「許せ。はどうかしておったのじゃ」大きな浴槽にどっぷりと浸かったが、小さく笑う。「腕かそなたの命かの二択とう前提からして、おかしかったのじゃ。腕もそなたも両方手に入れる! それでこそ余というものじゃな!」

「せやな」そんな璃々栖を後ろから抱きしめながら、皆無は応える。上は脱いだが下にはぎっちりとふんどしを巻いている。こうでもせねば、興奮し切った己の一物が璃々栖の背中に対して大変な粗相をしてしまいそうであった。「けどまぁ、たまには弱音吐いてれてもええねんで。悪かったとおもてんねん。俺の妄信もうしん所為せいで、璃々栖には要らん心労を掛けさせてたんやって、今更になって気付いてな……俺、強い璃々栖しか見ようとしてへんかった」

「良い良い! 余はそなたの主で、そなたより三つも年上で、いずれは王となる者なのじゃから。そなたが余を崇拝してれたことは、素直に余の誇りじゃ。じゃが……」璃々栖が皆無に背中をこすり付けてくる。これが、皆無の方が体が大きければ、皆無の胸板に璃々栖が後ろ頭を預ける形になってさまになったのであろうが、実際には皆無の方が体が小さいので、璃々栖の後頭部で皆無の鼻が潰れる形となる。「これからは時々、そなたに甘えるかも知れぬ……許せ」

「ええで」皆無は璃々栖を抱く腕に少しだけ力を込める。「そん代わり、俺が弱った時には慰めてな?」

「な、な、慰め……て……」皆無の腕の中で璃々栖がわなわなと震え、物凄い力で腕を振り解き、振り向いた。「か、皆無ぁ……はぁっはぁっ」


 劣情。


 ただその一文字が、璃々栖の顔面に書かれている。

「……え? 璃々――むぐっ!?」

 嚙みつくような勢いで口付けされた。舌まで入れられる。

「ぷはっ、え、ちょっ、璃々栖!? 待った待った!!」伸し掛かろうとしてくる璃々栖を押し返す。

 途端、璃々栖が今にも泣き出しそうな顔になり、「や、や、やはり、生娘ではなくなってしまった余では駄目か……?」

ちゃうて!」

 頭を撫でてやると、一転して璃々栖が喜色満面になり、

「そうか! ならば――」

「情緒!」再び押し返しながら、「せやなくてな、今ここで始めてもたらもう歯止めが無いなってもて、その……た、多分、璃々栖が立てへんようになるまで、してまうと思う……」

「よ、余は構わぬぞッ!?」真っ赤になりながら、高らかに云い放つ王と、

「俺が構うんじゃ、けぇ!!」卒倒しそうになる皆無。「腕を手に入れて、セアと合流するんが先やろ! 腕が本当ほんまに摩耶の忉利とうり天上寺てんじょうじに在るんやったら、今日か明日には手に入るはずや」

「うぅぅ……う~~っ!!」

 皆無は、子供のように駄々をこねる王の頭を優しく撫でて、「楽しみは後に取っとこうや、な?」

「そ、そうじゃな!」


   †


 さっぱりした璃々栖に矢絣やがすり模様の着物と御馴染み臙脂ゑんじむらさき色の馬乗袴うまのりばかまを選んで着せ、抱きかかえながら城を出る。

 ナッケの配下たる人形達は、文字通り糸の切れた人形の如くその場に崩れ落ちていたが、幸いにして城が暴走したり沈んだりすることは無かった。皆無には仕組みも理屈もさっぱりであったが、璃々栖いわく、単に浮くだけなら悪魔ひとの手は不要なのだそうだ。

 神戸港の方へ知覚を飛ばしてみると、「ダディ……と、豚の拾月じゅうげつ。璃々栖、【瞬間移動テレポート】するけどびびらんとってな」

「【瞬間移動テレポート】まで使えるようになったのか!? セアの面目が無くなってしまうではないか」

「いやぁ、あいつみたいに地球の裏側まで飛ぶとかは無理やで。やっぱグランド印章・シジルって凄いわ」

 ぱっと目の前の風景が変わる。海上から、海岸通り上空へ。

「やぁ皆無!」ヱーテル不足で影が薄くなった父が、こちらを見上げながら声を掛けてくる。「悪魔侯爵ナッケは?」

「めっためたに千切り殺して磨り潰したったわ」父の前に着地する。

「ひ、ひえぇぇッ!!」拾月中将が尻もちをつく。

「これ、ナッケのヱーテル核」虚空から引っ張り出したヱーテル核は、手のひらほどの猫か獅子ライオンのような形をしている。「喰う?」

「いいよ。お前が仕留めたんだからお前がお食べ」

「じゃあほら、璃々栖」云って主の頬に猫を押し付ける。

「うぇぇ……あやつのじゃろう? 気持ち悪いんじゃが」

「云うても璃々栖、消耗しとるやろ? 俺はヱーテル全然減っとらんから」

「うぅぅ、そなたの云う通りじゃなぁ。良かろう、一思いに喰わせよ! ――もがっ……ごくん。こら皆無ッ、もうちょっと優しくせんか!」

「あはっ、一思いにって云うたんは璃々栖やん」

 などと二人していちゃついていると、

「ごほんッ!!」ようやく立ち上がった拾月中将が、「阿ノ玖多羅少佐……いや、グランド悪魔・デビル阿ノ玖多羅殿」何やら改まった口調で話し掛けてきた。「貴殿には、日本国に対する害意は無い……そうですな?」

「勿論です」皆無は努めてにこやかに微笑む。拾月中将が一歩後ずさったのは心外である。「但し……我が主に害を為すようなことがあれば、国を滅ぼす覚悟で敵対させて頂きますので、悪しからず」

「ヒィッ!」

「こら、皆無!」璃々栖が皆無の顎に頭突きしてたしなめる。「済まぬな、拾月中将閣下。こやつは余がさらわれたばかりで少々気が立っておるのじゃ。が、この通りちゃんと手綱は握っておる故、安心召されよ。先日来提案している通り、祖国奪還の暁には貴国と軍事同盟を結び、露西亜との戦争では全面協力しよう。悪い話では無かろう?」

「そ、そうですな」

「じゃから、余と余の眷属たる皆無とセアに、この国における行動の自由を保証してもらいたい。腕が在る方が、手綱もよりしっかりと握れるというものじゃ」

「分かりました、と云いたいところですが……生憎とわたくしめには権限がございません」拾月中将が手巾ハンケチーフで冷や汗を拭う。「天連関理府テレガラフにて東京に確認を取らせて頂きますので、今日のところはお休み下さい。少将、早くオリエンタルホテルで最上の部屋を――」

「良い良い! いつもの屋敷――皆無の部屋に泊まることは許してもらえるかの?」

「も、勿論でございます」


   †


 外国人居留地、『パリM.外国E.宣教会P.』神戸支部の屋敷。一ヵ月ぶりに戻って来た自室。皆無と璃々栖の城だ。

 腹を満たした後、二人して同じベッドに潜り込み、何度も何度も口付けし合った。が、それ以上はしなかった。ひとたび始めてしまえば、一ヵ月以上に渡って溜め込まれてきた璃々栖に対する思いが、情欲が爆発してしまいそうだったからだ。

「皆無ぁ……」が、璃々栖はそんな皆無の葛藤などお構い無しに、その悪魔的な乳房を擦り付けてくる。

「待てってば! 明日、腕を見つけてからにしよ、な? 今日だけの我慢やから」

「皆無のいけずぅ」なまめかしい、などという言葉では云い表せないほどの悪魔的かつ暴力的なつや

 生唾を呑み込む。たまったものでは無かった。


   †


 翌日の、昼過ぎ。空は晴れ渡り、空気はからっとしている。

 指示された時間に間に合うように布引の滝にやって来た皆無と璃々栖の眼の下には隈がある。あの後結局、二人して興奮してしまって中途半端な乳繰り合いを朝まで続けてしまったのである。

「何故、腕のを教えて下さらないのですか!?」

「だから、他ならぬ貴方が知らないのはおかしいじゃありませんか!」

 滝の音と共に、父と、皆無の母を名乗る尼の老婆の論争が聞こえてきた。

「何じゃろう、揉めておるな」

「せやな。お~い、ダディ!」

 茶屋の前で云い争っていた父と老婆がこちらを向く。

「やぁ皆無!」険しかった父の顔が一転して笑顔になる。今日は仕事ではないと云うことなのか、いつもの軍衣ではなく、上は格子模様の着物、下は袴だ。そして相変わらず、右腕は包帯でぐるぐる巻きにして首から吊っている。父は老婆を示し、「こちら、尼の阿印あいん育子いくこ大姉たいし様だ」

「育子と申します」老婆が頭を下げる。「昨日は名乗るのも忘れてしまっていて……ごめんなさいね、皆無」

「あんたは昨日、俺らのことをダディに告げ口した……けど、俺らがダディに追われているのを知らん様子やった」

「そう、確かに私は、不思議な術式による手紙を受け取った」ダディが頷く。「で、その残り香――ヱーテルの残滓を追ってみれば、それが摩耶山だと分かった。だから、ああして待ち伏せすることが出来たんだ。私は手紙の主が育子さんだと知らなかったし、そもそも育子さんとは初対面だと思っていた」

「そこからしておかしいのですよ、阿ノ玖多羅さん!」老婆が少し怒った顔をする。「百年前、デウス先王様に誓って下さったではありませんか。皆無を守り育て、皆無が姫君と邂逅かいこうした暁には、グランド・シジルの復活を見届けると!」

「う~ん……」父が心底困った顔になり、「…………覚えていない」

「じゃあ、あんたは俺らを売り渡すつもりでダディに連絡したんや無いってこと?」

「勿論ですとも」老婆が頭を撫でてきて、「百年もの間、お前をお腹の中ではぐくんできたのよ? そんな可愛いあなたを、危険な目に遭わせたいなんて思うわけが無いでしょう」

(うーん……)相変わらず、老婆とのやり取りは何やら『ふわふわ』としていて足元が定まらない感じがする。が、老婆に己と璃々栖への害意が無いのは確かなようだ。「つまりダディがその、百年前の約束とやらを忘れたんが全ての元凶ってことやな」

いこと云うね!?」

「えぇぇ……事実やん。ってかええ加減日記付けぇや」

「付けても日記を置き忘れ、忘れたことをも忘れてしまうのだから仕様が無い」

「ともあれ、璃々栖お嬢様がご無事で本当に良かった!」老婆が云う。「今度こそ、ご案内致しますよ」

「うむ! では行くとしようぞ!」

 璃々栖の号令で、一同は山道に入る。少し歩いてから人気ひとけの無い脇道に入る。

「ほな【瞬間移動テレポート】で移動するで」皆無は移動先である天上寺てんじょうじ手前の森の中を知覚し、周囲に人が居ないことを入念に確認する。居たら驚かせてしまうし、転移先に人が居て『接触事故』が起きてしまうと、最悪人死にが出てしまうからだ。「行くで――参、弐、壱、今」

 果たして全員の体が、寺手前の森に転移する。

「座標も標高もぴたり、だね。本当、大したものだよ」父が満足げに頷き、「ヱーテル体の操作の方はどんなものだい? ここはちょうど人目に付かない。見せてれないかな?」

「こんな感じ」右手を南部式のような形に変じ、「ばんっ」

 銃身に変じた人差し指の先から弾丸が放たれ、すぐそばの木の幹を穿つ。

「へぇっ! 自分の体を分離させることも出来るのか! じゃあ分身は?」

「うーん……」手の形に戻した右手の平の上に己の人形を生み出し、歩行させてみようとするが、人形はすぐに倒れ、ぴくりとも動かない。「難しい。やっぱダディは凄いわ」

「ふふん。じゃあセア卿のようにレディ・璃々栖の腕に変じることは?」

「え、えぇぇ」戸惑う。全身を変身させるという感覚が上手く想像出来ないのだ。

「何だ、出来ないのかい? どうですレディ、私が腕に成って差し上げましょう」

「り、璃々栖に触んなや!」慌てて腕に変身し始める。何とかかんとか関節付きの棒っ切れに変じる。その身を宙に浮かせながら、腕の先をぐねぐねと動かして五指を形成する。

「あはっ、嫉妬する皆無も可愛いのぅ!」頬を染めながら、璃々栖が左肩を突き出してくる。

 皆無は【念力テレキネシス】の魔術で璃々栖の肩をまくり、その肩に己が変身した腕の肩を擦り合わせる。が、

(あれ?)ぼとり、とその場に落ちる。

「余の肩周りを薄くヱーテルで覆うのじゃ」

 云われた通り、もう一度擦り合わせて肩回りをヱーテルで覆うと、果たして落下はしなくなった。が、璃々栖が己を動かそうという気配は無い。「……なぁ璃々栖、これって俺が動かすん?」セアのように手の甲に口を開いて主に問う。試しにと、肘の関節に力を入れて前腕を持ち上げ、璃々栖の右乳を揉もうとするが、璃々栖に頭突きされた。

「動かすのは確かにそなたじゃが、あくまで余の意志によるものじゃ。セアは少しだけ余の肩口にヱーテルの根を張り、余の神経を読み取るのだと云っておった。そうすることで、余が『こう動かそう』と思うと同時に同じ動きが出来るのじゃと」

「え、えぇぇ……やっぱセアって凄いんやな」

 魔王化サタナイズに至ったとは云っても、まだまだ学ぶべきことは多そうである。現に、十億もあるヱーテルをしかし、皆無は思うままに引き出すことが出来ない。一度に扱えるのは精々が数千万から一億程度。


   †


 天上寺てんじょうじに入る。門をくぐり、参道を上がり、大きな社が見えてきた辺りで、皆無は違和感に気付く。

「誰も居ない?」正確には居住区にちらほら人の反応はあるが、参拝客が一人も居ない。

「昨日、今日とお人払いをお願いたからねぇ。本当は明後日にある仏母忌――摩耶夫人様の追悼式の準備で大変なんですけれど、住職様が無理を聞いて下さったのよ」

「おおっ、御母堂様も住職様も、良く分かっておるではないか!」

「それはもう。腕と主様の再会は静かな場所で行うべきでしょうし、それに……不慣れな腕が暴れてしまっては危ないですから」

「それなのじゃ!」

「え、何、暴れる? 怖いんやけど」

「いやぁ、実際良くある話なのじゃ。印章シジルの制御に不慣れな者が、魔術を暴発させて周囲を破壊してしまうというのは」

「えぇぇ……」

「さぁ、こちらですよ」老婆が先導する。社は幾つかあるが、案内されたのは、「ここ、摩耶夫人堂です。お釈迦様のお母様、摩耶夫人様をお祭りしている社です。ささ、ここで靴を脱いでください」

「えっ、脱がねばならんのか?」

 両腕が無く、補助魔術しか使えない璃々栖にとっては、蹴りだけが唯一の攻撃手段だ。今璃々栖が履いている革靴の爪先とかかとには、父が璃々栖に貸与した日本刀――ヒヒイロカネが混ざった良質な鉄を魔術で鋳造した物が仕込まれている。

「璃々栖は俺が抱っこするわ」云ってするりと璃々栖を抱き上げる。

「ふんふんふ~ん♪」璃々栖が鼻歌を歌っている。この一ヵ月以上間の中で教えられた悪魔的な童謡の一つ。思えば四月一日の夜に出逢ってから、今の璃々栖が一番弛緩リラックスしているように見える。腕は目前なのだ。

 摩耶夫人像の後ろで老婆がしゃがみ込み、像の足元辺りを撫でさすると、


 ギイィィィ……


 と云う軋む音と共に、像の背後の床が動いて階段が露わになった。

「おおお、隠し階段……」

 老婆、皆無と璃々栖、父の順に地下へと降りる。

「【光明】」老婆が唱え、部屋が明かりで満たされる。

 地下は五、六畳程度の小さな部屋になっており、部屋の中心に台座があり、台座には魔法陣が描かれており、その上には、枯れ木のようにやせ細った腕がった。


 左腕。

 念願の、デウス家の悪魔グランド・シジル大印章・オブ・デビル


「やったな璃々栖ッ!! ついに腕が見つかっ


























   †


》同月十三日一三五〇ヒトサンゴーマル 天上寺てんじょうじ ――璃々栖リリス


 最初に、『ごりっ』っという音。続いて、『ぐちゃっ』という粘りを伴った、音。

 己に微笑みかけてきていた皆無が、その頭部が、握り潰された。

「……え?」呆然とした己の声を、他人事のように聞く。

 皆無の腕の力が失われ、己の体が地面に打ち付けらえ、慌てて立ち上がって、頭部を失い倒れようとしている皆無の体を肩で支える。そして。


「ようやく、見つけたぞ」


 皆無の父が、笑った。

 いつの間にか、彼の右肩の包帯が外されている。そしてその肩には、己がよくよく見知った腕が――十六年間を共に過ごした己の右腕が、右腕シジルが付いている。そして彼が、その腕で、手でもって皆無の頭を握り潰したのだ。

「こうして会うのは初めてだな、デウスの姫君」皆無の父の姿をした何者かが、云う。

「き、貴様は――…」

か?」

 何者かが笑い、それから舌を出して見せる。その舌に描かれた紋章は、見間違えようも無い――


「余は、やがてアッシャーアストラルの両世界を支配する王となる者――――大魔王モスである」





   † 





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