第壱幕之玖「観艦式」
》同日
「
「あ、え~と……ダディにな、観艦式の間は璃々栖を神戸港に近付けんように云われてんねん」
「その為の元ブラデートか」
「ご、ごめん」
「いやまぁ、警戒するのは
「璃々栖!」皆無は慌てて主人を
「テンノウ? ――あっ、
「魔界か
「おらぬなぁ。おったら憎き
「あっ、ごめん」
「良い良い」璃々栖が左手で皆無の頭を撫でてくる。
「餓鬼扱いすんなや」
「餓鬼ではないか。とは云え、この国の粋を集めたという艦隊は見ておきたい。空から眺めるなら、問題無かろう?」
†
皆無は璃々栖を抱き上げ、元町上空を漂う。
「寒ない?」
「大丈夫じゃ。それにしても、この時間帯じゃといつも以上に街が良く見渡せるのぅ!」
神戸は北を六甲山、南を海に囲まれた、非常に細長い街である。この年、人口二十万人。うち数千人が外国人である。その人々の大半が今、神戸港でごった返している。
「おおっ、沢山の船が泊まっておるのぉ」
見れば、何十隻もの艦艇が第
一九〇三年四月十日、神戸沖における『大演習観艦式』。
計六十九隻、総排水量21万7,176トン。まさに海軍の威信を賭けた
観艦式には海外の艦艇も参加している。日本の艦艇も海外の艦艇も、皆一様に
海岸通りでは各国海軍のパレードが行われ、観客達を楽しませている。
やがて、軍服に身を包んだ一人の男性が浅間の甲板上に出てきた。威風堂々たる
儀仗兵達が
「おぉぉぉ……」黒々とした煙を上げながら徐々に速度を上げていく艦隊の姿を見て、皆無は我知らず感嘆の声を上げる。「ふふん、どや璃々栖?」
「……うーん? 飛行艦艇は無いのか?」
「ひ、飛行!?」
「日本国の粋を集めたと云うから、余と父の城たる
悪魔の世界では、その科学力もまた、悪魔的なものであるらしい。
†
大阪湾へと出て行った
艦隊の先頭で堂々たる姿を見せる日本海軍の主力中の主力、戦艦敷島、朝日、初瀬、三笠の四隻が
「皆無、見えるかの?」
「ん?」璃々栖が左手指で指し示す方を見てみれば、父が空中に立っていた。そしてその横には、「……
はっきり云って大、大、大嫌いな相手である。その拾月中将が、父の術で空に浮きながら、何やら印を切ったりまじないを唱えたり、ロザリオをかざしたりしている。
「何やってんねん、あのデブ」
「見えぬのか、皆無? 目をヱーテルで覆ってみよ」
云われた通り目をヱーテルで覆うと、「な、何やあれ?」
神戸港で海の方を見ている観衆から、キラキラと輝く蜃気楼のようなものが立ち上っており、それが上空の拾月中将の所へ集まっている。
「ヱーテルじゃ。熱狂的な行事で
「そんな器用なことが……」云いかけつつも皆無は納得した。拾月中将は、こと戦闘においては物の役にも立たないが、しかし長らく【神戸港結界】を維持してきたのは彼だ。拾月家は結界術と精神汚染術の二つを得意とする家柄なのである。
†
》同日
「「せ~のっ」」
渡し舟から、拾月中将が第壱波止場の鉄桟橋に降り立つ――二人の部下に、船から体を引っ張り上げてもらって。
「ふぅっ、ふぅっ」拾月中将は豪奢な刺繍の入った
港の方を見れば、日本の軍艦数十隻に電灯艦飾が施されている。はっきり云って電力不足であった。今の時間帯、神戸港、外国人居留地、異人館街と、病院や鉄道ステーション等の重要施設を除いて、神戸一帯は停電状態となっている。拾月中将がこの電灯艦飾を実施すると決めた際、兵庫県知事から猛烈な抗議が入ったが、黙らせた。
当然である。こちらとて神戸の存亡を――いや、神戸港崩壊による国内外の物流の鈍化と、列強各国からの信用失墜を思えば、国家の存亡をすら背負っているのだ。
拾月中将の目論見通り、光り輝く軍艦の姿に、群衆は大いに感動しているらしい……神戸港上空に固定した外燃丹田へは、今も人々の
鉄桟橋の先端に佇む全長一五三メートルの十字架に向かって歩き始めるも、拾月中将の足取りは重い。
【神戸港結界】を成す為の巨大十字架は四ヵ所に設置されている。一つ、兵庫港の西隣、海防砲台の
今の今までその四ヵ所を鉄道・馬・渡し舟を駆使して行脚し、三本の巨大十字架へヱーテルを込めてきたのだ。
(まったく……阿ノ玖多羅少将の【渡り】が使えれば、かような苦労などせずに済むというのに! 肝心な時におらぬとは……あの愚図めが)
少将は現在、【渡り】の秘術で
(あやつが纏う瘴気は臭くてたまらんのだ。今度何かへまをしたら、異端審問に掛けてやる)拾月中将は巨大十字架に両手で触れ、厭らしく微笑む。「これで【神戸港結界】が完成する。あの忌まわしい悪魔も用済みだ。【イエスは云われた・『舟の右側に網を打ちなさい・さすれば獲れるはずだ』】」
結界起動の詠唱と共に、巨大十字架が徐々に白い光を帯び始める。
「【そこで網を打ってみると・魚があまり多くて――】……な、な、なっ」
拾月の詠唱は続かなかった。南の海上から、とてつもなく巨大な、そして忌々しいヱーテル反応を感じたからだ。海の向こうから凄まじい勢いで迫ってくる。
ふと、視界の先――南の海上に違和感。蜃気楼のような揺らぎの後、
城。塔という塔、窓という窓を煌々とした明かりで満たした、それは巨大な、
†
》同日
第壱波止場南の海上で、膨大な量のヱーテル反応。皆無と璃々栖は顔を見合わせ、
「痛っ!」見えない壁――屋敷を取り囲む、璃々栖と皆無を閉じ込める為の結界に鼻先をぶつける。この結界はいつも、毎晩の出撃前に父が解除するのだ。
仕方がないので、皆無は屋敷の屋根の上に降り立つ。そして見た。
第壱波止場南の海上に浮かぶ、煌々とした明かりを纏った巨大な城を。
「あ、あぁ……来た…来てしもうた……
「え? ど、どういうこと――」
「あれは……あれこそが、
空に浮かぶ城は、強烈な幾本もの
「あの城を動かしておるのは、憎き
いつだったか、璃々栖が悪魔侯爵
その時、【遠見】の術で望遠化させた視界の中、海上で幾つかの火花が上がった。
「えっ、撃った!?」
†
》同日
空飛ぶ城に最も近しい位置にいた、第壱波止場の鉄桟橋に停泊している防護巡洋艦『
「何ッ!? 【
観艦式であるが為、どの艦も主砲の砲弾は積んでいないが……積んでいたとしても結果は何ら変わらなかっただろう。城が展開する見事な防護結界術式を見ながら、拾月中将は絶望する。済遠から、なおも砲撃が続く。
「莫迦――」
天高く舞い上がった矢を中心に光り輝く晴明紋が展開され、それが第壱波止場を覆うほどの大きさにまで巨大化していく。その清明紋から白い雪が降ってきた。瞬く間に、第壱波止場に停泊している艦艇の乗組員や、海岸通りに溢れ返っていた人々から狂乱や恐怖が取り除かれていく。済遠からの砲撃も止んだ。
だが、問題はまだ何も解決していない。
視界の先で浮かんでいる、あの城は何だ。報復措置があるかもしれない――などと拾月中将が考えていると、果たして城の方で動きがあった。砲門らしきものを開いたのだ。
「ヒッ!? 【空間遮断結界】!」
視界が、爆炎に包まれた。
† † †
》同日
遠目にも、拾月中将が精神系の術を使ったのは分かった。そして次の瞬間、
「――あっ」
移動城塞から、一発の砲弾が撃ち放たれた。上空から突き刺すように撃ち込まれた砲弾は防護巡洋艦『
「な、なんやあれ……」視線の先では済遠が、まるで子供に嬲られる玩具のように艦尾を天高く突き上げている。
腕の中では、璃々栖がまるで年相応の少女のように震えている。
† † †
》同日
亀のようにうずくまっていた拾月中将は、やがて爆風と波が収まっていることに気付く。結界を解きながら顔を上げてみると、自分に同行していた二名の下士官も生きていた。咄嗟にこの二人を結界で包み込んだ己を褒めてやりたい。ヱーテル消費度外視で術式を使ったが為に、丹田がキリキリと痛む。そんな状態だから、
「この港の管理者を出せ」
目の前に佇む人影――いや、少女を模した精巧な人形達に、気付かなかった。
「なっ!?」
金髪で赤い瞳、豪奢なドレスを着ていて、一対の白い翼を持つ人形。どことなく、あの小憎らしい
「この港の管理者を出せ、と云っておる」しわがれた老人の声が出てくる。言語は仏蘭西語だ。
「き、貴様があれをやったのか?」艦首を失った防護巡洋艦を指差しながら、拾月が仏蘭西語で返す。
「
「ヒッ」拾月はその場に尻もちをつく。逃げ出したくなったが、腰が抜けてしまっていて動けない。後ろを見るも、二人の部下は震えるばかりで盾にすらなりそうにない。
「撃たれたから撃ち返した。そちらが主砲を用いていないから、こちらも副砲で応じた。しかも、そちらは複数発撃ったのに、こちらは一発で済ませてやった」少女人形の口から、ひどくつまらなそうな老人の声が続く。「貴様ら猿どもに国際法があるのかは知らんが、
「さ、猿だとッ!?」
「さっさと我が問いに答えよ。状況が分かっておらんのか? それとも、脅しが足りておらんのか……もう一発、次は
「ま、待て! 待って
この
「儂、いや私です! 貴女は
「名乗れ」
「大日本帝国陸軍、退魔機関たる第零師団の師団長、拾月であります!」
「ふん……よもや斯様な小国の、退魔機関と取引することになろうとはな」
「取引……?」
「我は悪魔侯爵
† † †
》同日
「船は……沈まずに済んだか」
「うん……」
軍艦は被弾を前提に設計されている。艦内は幾重もの層に分けられ、火災や浸水が艦全体に伝播しないようになっている。
「人が……死んだであろうな」
「うん……」
「余の……
「そんなことは」無い、とは云えなかった。
「あやつの狙いは余と、
つまり、あの巡洋艦に乗っていた兵達は――先制攻撃したという理由はあれども――璃々栖の戦いに巻き込まれて死んだ、と云うことになる。
「人の子らよ……すまぬ」
璃々栖は人が傷付くのを嫌がる。実際、璃々栖は毎晩、皆無を使って積極的に兵や民間人の救助、治癒をして回っている。そして、
(四月一日の、あの夜)
璃々栖は貴重なヱーテルを割いて自分を助けて
「降ろして呉れ」
「うん」云われるがまま、璃々栖を屋根の上に降ろす。
璃々栖がひょいっと地面へ飛び降りたので、皆無もそれに続く。
「港が静かじゃ……
「もしそうだとして、第零師団がそんな脅しに屈するわけ無いやろ!」
皆無は国家というものを、列強諸国の遊び場たるこの世界で、かくも難しい『独立』という一大事業を維持している日本国を信じている。その日本が、よりにもよって
「屈するであろう。屈さねば、
「なら、僕が今から
「無理じゃ。
「
「はは……まぁ悪くない案だと褒めてやっても良い」
「せやったら!」
「
皆無は言葉を失う。
「のぅ、皆無。我が愛しき使い魔よ」璃々栖が道路の方へ歩き、立ち止まる。編み上げの革靴で何もない空間を蹴り上げると、ゴン、という音がする――目に見えない、結界の境界線だ。「この国は余を捕らえ、
璃々栖が振り向いた。赤い、覚悟を秘めた瞳が皆無を射貫く。
「余は、これよりここを抜け出す。
「一体何云って――」
「一緒に、来て
「り、璃々栖……」
「頼む」璃々栖がその場に両膝を付く。璃々栖が、あの気高い璃々栖が、深く深く
「――ッ!?」皆無は顔を歪める。恐怖と困惑と怒りと悲しみが一緒くたになった不快感。
人として生きるのか、悪魔として生きるのか。
国家の
選択せざるを得ない時が来た。
来てしまった。
†
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