ウツロさんの1日 1

 用務員、ウツロの朝は早い。


 朝。

 日が昇る少し前に目を覚ましたら、まずは身支度。

 顔を洗い、ひげが伸びていたら整える。

 木綿のシャツに、ズボン。動きやすさを重視した服に袖を通す。

 そんなに寒くないし、どうせ一度戻るからと、ジャケットは置いていくことにした。


 朝食作りの手伝いがない日は、談話室と化している理科室で熱いコーヒーを淹れる。

 基本的にインスタントだが、気が向けばフラスコやビーカーを改造した容器でドリップする。ついでに急須と茶葉を出しておくと、コーヒーができる頃にハナブサが起きてくる。

 

 ハナブサはにこやかで礼儀正しい少年だ。ヤミより少し背が高いが、小柄な部類に入る。

 淡い色の髪を緑の紐で束ね、制服も着崩さない。長袖シャツにハイネックのインナー。両手には手袋と、少々着込んでいる。だが、特筆すべきは、顔の半分を覆う布だろう。長い前髪も手伝って、顔の右半分は厳重に隠されている。

「おはよう、ウツロ」

「おはよう。茶はそこに用意してある」

 そんな彼は、寝ぼけた様子ひとつなく、コーヒーを淹れるウツロの隣に立つ。

「うん、いつもありがとう」

「別に。ついでだ」

「うん」

 何が嬉しいのか、頷いたハナブサはにこにこと用意された急須にお湯を注ぐ。


 慣れた手つきで茶を淹れるハナブサの仕草や表情には、年期を感じる事がある。いや、実際この学園の中では年長者だから、その認識は間違っていない。

 それなのに、一見すると小中学生と見間違うほど幼い。ウツロと並べば、良くて親子、下手すれば祖父と孫だ。

 

 いや、このような不整合は彼に限った話ではない。

 この学園の「住人」は、学生と同世代の若者が大半だ。大人や子供の方が珍しい。

 最も大きな理由は「都合がいいから」だろう。噂話や備品に出自を持つ者は特にそうだ。生徒に混ざるなら近い姿が望ましいというわけだ。

 次点は「こっち側へやってきたのがその年代だった」になる。生徒であれ教師であれ、校内で命を落とし、こちら側の存在と成り果てた者は、そのままの姿で在ることが多い。

 だが、時折その枠から外れた姿を持つ者がいる。その内のひとりが、彼だ。


 ハナブサと一服を終えたら、朝食の時間。

 食事は基本的に調理実習室で済ませる。

 調理担当が腕を振るうが、朝夕は手伝い当番が割り振られている。当番はおかずなどのリクエストが可能なため、その日を心待ちにする者もいるらしい。

 並ぶ皿から食べたい物をトレイに乗せる。

 白米。目玉焼き。味噌汁に小鉢。なんとなくフルーツも追加する。

 朝食のメニューはある程度定番化しているが、食材の使い方や焼き方で誰が当番だったのかはなんとなく予想はつく。

「今日はヤミとハナか」

「ん」

 こくりとトーストをかじるヤミが頷く。

「ボクはオムレツの気分だったんだが、トーストなら目玉焼きがいいとヤミちゃんったら譲らないんだ」

 隣に座るハナが、トーストに目玉焼きを乗せながら口を尖らせる。

「嘘をつくな。お前最初だし巻き卵って言っただろうが」

「やだなあヤミちゃん。君なら妥協案でスパニッシュオムレツとか言ってくれるっていう期待だよ。春の空のように移り変わる乙女心を理解しないとモテないぞ?」

「秋な。そんな山の天気より変わりやすいもん理解できてたまるか。大体、俺に何を期待してんだ。結局作んの俺だし……」

「ボクだって盛り付けは手伝ったじゃないか」

 からっと笑うハナの答えにヤミは心底疲れたような溜息をついて、味噌汁の椀に手を伸ばした。


 ヤミは和食を好む。けれども作る物は洋食で比較的手軽なものが多い。

 料理は得意じゃないから、とヤミは言うが、彼の作る食事にハズレがあった記憶はない。

 一方ハナは和洋折衷。興味を持っては色々と挑戦・披露してくる。

「どうだい。印象に反して料理は上手いだろう?」

 彼女は自分でそう言って笑う。否定はしない。それなりに教え込まれてるのは分かるし、味も悪くない。ごくたまに小麦粉と片栗粉とか、砂糖と塩とかを間違えたりしなければ、文句はない。

 なので、彼女の言葉に対するウツロの返事はいつも同じだ。

「そうだな。だが、ブラックでと頼んだ俺のコーヒーにシーザードレッシングを注いだ事は忘れんからな」


 では。こうして食事にあれこれ思うウツロ自身はというと、インスタントを愛用している。作ろうと思えばある程度は作れるが、便利さには敵わない。

 元々料理なんてほとんどしたこと無かったのだ。当時に比べれば上出来だ。


 □ ■ □

 日中は特にやる事がない。

 だから、適当に中庭の掃除や花壇の手入れをする。備品が足りなかったら手帳にメモをして、後で調達する。たまには表――生徒達が学び舎として使用している側にも出向き、花壇の世話をしたりする。

「あ、こんにちは」

「……どうも」

 生徒達はウツロを「時々居る用務員」と認識している。それは正しい。

 存在しないはずの用務員。それが学校の怪談としてのウツロだ。

 たまに挨拶を交わす生徒も居る。だが、それ以上の関わりはない。というか、持たないようにしている。そもそも今時の若者との付き合い方など分からない。

 生徒から見れば無愛想だろうが、その位の距離が一番楽だ。

 

 適当に昼食を済ませ、腹ごなしがてら表の校内も一通り見回る。

 設備で気になることあれば、適当にメモして事務室に放り込む。生徒に悪さをしようとするものを見つけたら軽く追い払ったりもする。


 午後の授業が始まると、休憩の合図。

 理科室に戻ってハナブサと世間話をしたり、読書をしたり、気ままに過ごす。

 そんなウツロの姿を見て、ハナブサは湯呑みを手に言う。

「ウツロは勤勉だよね」

「そうか?」

「うん。こうして毎日平和なのはウツロの力があってこそだよ」

 そうだろうか、と考える。

「勤勉、なあ。……まあ、ハナブサがそう思うのなら、それが俺の性分ってやつなんだろう……どうにもこういう仕事が向いてるらしい」

「そうだね。おかげでみんなもウツロの事を慕ってる」

「慕われてる……か?」

 思わず首を傾げる。

 表の生徒達とは深い関わりを持たず、裏の住人も近所の子供のような扱いをしている。うるさい時にはうるさいと言い、怪我したと騒げばツバをつけとけ嫌なら保健室に行けと言う。そんな対応で慕われるものなのだろうか。

「うん。慕われていると思うよ。良い保護者だね」

「そういうものか?」

「そういうものだよ。私にはできない事だから」

「俺には英の方が良い保護者に見えるが」

「はは。それは隣の芝生が青く見えるってやつだよ」

 ハナブサは穏やかに肯定する。ウツロはよく分からないと呟いてコーヒーを口にした。

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