ウツロさんの1日 2

 放課後。

 ハナブサが夕食の手伝いに行くと、ウツロは再度校内を見て回る。昼が腹ごなしなら、こっちは軽い散歩のようなものだ。

 

 生徒達が学舎として過ごす校舎と、噂話や怪談話に姿を得た者が住む校舎は、似て非なるものだ。

 ウツロが普段生活する空間は、住人に「裏」と呼ばれている。生徒不在の夜が存在する「表」とは違い、こちらは昼夜問わず誰かが活動している。

 更に、自我がないものや影に燻っているようなものは、夜の方が活発な事が多い。

 裏では、主な活動時間が昼の者と夜の者。両方が動き出す。

 表では、生徒達が一日の学習から解放され、部活に遊びにと活動的になる。

 この一番騒がしい時間こそ、何かが起きやすい。

 だから、ウツロはこの時間に校内を見回ることを欠かさない。


「ウツロさんウツロさん」

 声をかけられて振り返ると、そこには左右対称の二人一組、カガミが居た。

「どうした」

「んとね、部屋の蛍光灯が切れそうなの」

「あのね。部屋の電気がちかちかして目に痛いの」

「蛍光灯か……分かった後で持っていく」

「ありがとー」

「よろしくー」

 用件を言うだけ言って去って行く二人を見送り、ポケットから手帳を取り出す。

 ペンの先を舌で湿らせ、カガミ、蛍光灯、と書き込んだ。


 少し歩くと、向こうからハナがやってくるのが見えた。

 彼女はウツロを見つけると、少しだけ歩く速度を速めて近付いてきた。

「やあウツロさん。いい所に」

「ん?」

「あのね、地学室から音がするとさっちゃんが言ってたんだよ」

 地学室、と繰り返し呟く。

「ああ……あいつらか」

「化石達かい?」

 ああ、と頷く。

 地学室には化石がたくさんある。それらは時々、外に出たいと催促をするかのように、箱から抜け出してドアを叩く。地学室のドアは鍵をかけてあるので外に出ることはないのだが、その物音が時々人を驚かせるのだ。

「彼らは表が好きだねえ」

「ま、あっちの化石展示も交換する時期だからだろうな。あいつらも表に行くのを楽しみにしてるんだろ。片付けとく」

「うん。よろしく」

 ハナは頷くと踵を返し、足取り軽くどこかへ行こうとする。これで用件は済んだと言わんばかりだ。

「そうだ。ハナ」

 呼び止めると、彼女は踏み出した足を軸にくるりと振り返った。

「サカキに言っておけ」

「言付けかい? 承ろう」

 彼女は手を後ろに回してウツロの言葉を待つ。

「地学室の奴らは別に怖くないからお前が対応してもいいって」

「ふふ、さっちゃんは恐がりだからね」

「お前さんがやってもいいんだぞ」

 間髪入れずに言ってやると、ハナは楽しそうに笑い声を上げた。

「あっはっは。ボクだって音を聞いただけで逃げ出してしまうよ?」

「バレバレの嘘をつくんじゃない」

 こん、と額を手帳の角で小突いてやると、彼女は何が楽しいのかくすくすと笑う。

「ああ、それから。ヤミちゃんがまた手合わせお願いしたいってさ」

 ヤミとの手合わせ。ウツロはハナを小突いた手帳を口元に当てて小さく繰り返す。

「それは、気が向いたらな」

「うん。気が向いたら容赦なくやってあげておくれ」

「ああ」


 ハナと別れたその足で地学室へ向かうと、かりかりと引っ掻くような音がしていた。

 音がする引き戸を通り過ぎ、もう一方の入口から鍵を開けて入る。奥でいくつかの石が集まって揺れていた。石からは陽炎のような影が伸び、ドアに張り付いている。開けようとしているのか、それを催促しているのか。どちらにせよ、鍵のかかったドアには意味が無い。ただ、引っ掻くような音がするばかりだ。

「こら」

 揺れる石を後ろから軽く踏んづけ、黙らせてから拾い上げる。

「お前さん達は自分達が価値あるもんだっていう自覚がないのか。下手したら俺かヤミが割っちまうぞ。英に怒られるのは割った方なんだから勘弁してくれ」

 言い聞かせながら、蓋の外れていた標本箱へしまい直す。が、彼らの主張は止まない。カタカタと箱を揺らして訴える。

「はいはい。騒ぐな騒ぐな。表なら今度運んでやるから。な」

 ぽんぽんと標本箱を叩いて言い聞かせると、化石達はようやく静かになった。

 ウツロは石に興味はないが、地学教師がここに保管してある化石や鉱石――この石達を、実に興味深く、愛おしむ目で見ているのは知っている。石達はそれが嬉しいのだろう。

 化石標本、移動、と手帳に書き込む。

 少しだけ考えて、ヤミと手合わせ、と追記した。


 地学室を後にし、二階と三階まで見て回る。

 一階の売店ホールまでくると、そこには桜色の髪の少年が居た。

「あ。ウツロさん」

 サクラは紙パックをテーブルに置くと「見回りお疲れ様」と微笑んだ。

「どうも。それより何か変わった事はあったか?」

「ううん。特には」

 ああでも、サクラの言葉が繋がれる。

「新しい噂話があったかな。けど、こっくりさんの亜種みたいだから、ヤミくんの領分だろうし……」

 一瞬だけ表情が陰りを見せたが、それはすぐに穏やかな表情に戻る。

「アイツも興味なさそう」

「そうか。ならヤミが忙しくなるだけか」

「そうだね」

 サクラは苦笑いで頷く。

「自然発生なら仕方ないが、もし彼が興味を持ってるようだったら……まあ、お前さんのことだから既にやってると思うが、話を聞いといてくれ」

「うん」

 サクラは少し表情を曇らせながらも素直に頷いた。

 その表情にウツロは少し考え、声をかける。

「サクラ。お前さんはもう少し自信を持て。サクラはサクラ、彼は彼だ。長い付き合いだからお前さんが一番よく知ってるだろう?」

「はは……そうだね。ありがとう」

 それじゃ、とサクラと別れたウツロは昇降口を通り過ぎ、手帳を取り出す。

 しばし考えて、表の噂→ヤミに任せる、と書き込む。

 そうして見回りを終えたウツロは、そのまま調理実習室へと向かった。


 □ ■ □


 朝が洋食だったからか、夕飯は和食だった。

 焼き魚と煮物、味噌汁。綺麗に盛り付けられていて味も良い。日本人には嬉しい。

 夕飯となれば人も少し多めで、それぞれのテーブルが賑わいを見せていた。

「今日のご飯もおいしい」

「明日のご飯も楽しみ」

「明日の朝ご飯当番、カガミだっけ」

「明日の朝ご飯当番、カガミだよ」

「「何にしようー」」


「ハナ。俺の皿にしれっと増やすな。サヤエンドウくらい食え」

「バレてしまったか。仕方ない食べるとしよう」

「そして里芋まで持っていくな」

「ボクの頑張りに対するちょっとしたご褒美だよ」

「お前は今、何を頑張ったって?」


 あちこちで会話が飛び交う。

 賑やか過ぎて少々騒がしい時もあるが、ひとり静かに食べていた時よりは良い気がする。

 こういうのも、悪くはない。

 

 夕食を終え、一息ついたら手帳を見直す。


 蛍光灯。

 倉庫から一本取り出し、はしごを抱えてカガミの部屋へ行く。

「蛍光灯。持ってきたぞ」

「ありがとう、ウツロさん」

「あそこなの、ウツロさん」

 カガミが揃って指差す方を見ると、奥の蛍光灯がチカチカと瞬いていた。じー、という特有の音もする。

「よし、電気消せ」

「あいあいさー」

 真っ暗になった教室でペンライトを咥え、手際よく交換する。

「よし――」

 できた、と言うが早いか、すぐにぱちんと電気をつける音がした。

「わー、明るい!」

「わあ、眩しい!」

「……お前ら」

 咄嗟に顔を背けなかったら目をやられていたに違いない。

 点けるときは点けると言え、と二人の額をノックすると、声を揃えて「はあい」と言う。

 返事だけは良い。

 教室を出て、蛍光灯の文字を横線で消す。


 残りのメモは。

「標本。手合わせ。噂……明日以降だな。よし」

 これで今日の仕事は終わりだと、手帳を閉じて一息つく。

 その足は自室ではなく、理科室へと向いた。

 □ ■ □


 理科室のドアを開けると、窓の外を眺めるハナブサの小さな背中があった。

 お茶を飲んでいたのだろう。ほのかに緑茶の香りがした。

「やあウツロ。一服?」

「ああ」

 頷いて窓を開ける。近くの椅子を引っ張ってきて、タバコをケースから取り出し、火を点ける。煙を深く吸うと、一日の疲れに染み渡るようだった。

 窓の外はすっかり暗い。だが、校内が眠る気配はなく、廊下や部屋の明かりが夜の色を少しばかり薄くしていた。

「今日はどうだった?」

「どうもなにも。いつも通りだ」

 紫煙を吐き出しながら答えると、ハナブサは「そっか」と答えた。

「ここは、賑やかだな」

「そうだね」

「賑やかすぎて……時間が早い」

「うん」

 二人で静かに言葉を交わして、外を見上げる。

 初めてここからみた空に比べ、月は細く霞み、星も少なくなったように感じる。

「街も随分と、明るくなったな」

「そうだね。多分、まだまだ賑やかになるよ」

「噂がある限り安泰だろうしな」

 疲れるな、とウツロが紫煙を吐くと、ハナブサはくすくすと笑った。

「でも、保護者がしっかりしてるから大丈夫でしょう?――期待してるよ、用務員さん」

「お前さんもな。じゃじゃ馬達の手綱を握っててくれよ?」

 そうして、小さく笑い合う声が夜の理科室に響き渡った。

 

 ウツロの一日はこうして終わる。

 明日もまた代わり映えのない。もしくは少しだけ騒がしい日が待っている。

 だから。

 用務員、ウツロの朝は明日も明後日も早い。

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