怪談話をしようか ドッペルゲンガー編

月巡りの桜と頭痛の種

　校舎の裏には、一本だけ桜の木がある。

　生徒達が「月巡りの桜」と呼ぶその木は、なぜか毎月花を咲かせて散る。

　そんな、ちょっと変わったこの木にも、もちろん噂がある。

　曰く。

　月巡りの桜の下には、死体が埋まっている。

　桜を墓標にするその人は、この学校のことが大好きだった。

　平和で楽しい学校生活を夢見る座敷童として、桜の木の下で眠っている。

　もし悪い夢を見たり、怖い思いをしても大丈夫。

　座敷童は、悪い話を綺麗な桜にしてくれる。

　暗い気分を吸い取って、少しだけ前向きにしてくれる。

　だから桜は、毎月綺麗に咲いて散り。

　学校生活は楽しくなる。

　□　■　□

「僕、サクラさんみたいになりたいんです」

　穏やかな風が吹く窓際で、サカキはそう言った。

　くるりとした瞳は真剣に相手の方を向いていて。黒い髪と淡い橙のマフラーが揺れる。

「えっ。俺……？」

　その言葉に声をあげたのは、背の高い少年だった。

　線が細く、中性的な顔立ちをしている。淡い桜色の髪に白い肌。儚い印象を与えるが、きちんと着込まれた学ランと黒縁の眼鏡が、彼をしっかりと支えている。

　普段は穏やかな濃い桜色の瞳が、今は戸惑いに揺れている。サカキは彼の戸惑いを受け止めながら、「はい」とはっきり頷いた。

「僕、昔からサクラさんにお世話になってましたから」

「あ、ああ。そう。そうだね」

　サクラは何かを心得たように頷いた。

　彼が思い出すのは、校舎裏の桜の下にちょこんと座り込んでいた人影。

　夕暮れになるとやってきて、星が瞬くまで過ごしていた少年は、在りし日のサカキだ。

　あの木が拠り所だったようで、傷をさすっていたり、ぽつりと悩みを零したり。時には、夜遅くに泣きながらやってきたりもした。

　サクラはそんな少年を気にかけ、寄り添うように見守っていた。

　普通の人間だったサカキに、サクラの姿は見えていなかった。

　ただ桜の木の下で、言葉を交わすこともなく共に空を眺め、時を過ごす。

　そんな、お互い干渉しない。できない。けれども寄り添うような日々があった。

　それが、サカキの言う「お世話になっていた」と言うことだ。

　あの頃はこうして並んで言葉を交わす日が来るなんて、思ってもなかったけど。

「そうだね。昔からよく来てたもんね」

　少しだけ当時を懐かしむ。

　サカキにとって良い思い出かと言われると、きっと答えは否だろう。けれどもサカキは「はい」と頷く。

「僕もサクラさんみたいに、寄り添えるような存在になりたいんですが……話が話ですし。そうでなくてもまだまだで」

「ああ。まあ、サカキくんの話だと怖がらせちゃうのは仕方ない、かな」

　でも、とサクラは溜息をつく。

「俺もそんなに、良い話じゃないよ」

「そうですか？」

　サカキはこてん、と首を傾げる。茶色の瞳には純粋な疑問があった。

「桜の木の下には死体が埋まっている、って、なんだか小説みたいですし」

「あはは、うん。そこは実際その通りだけどね」

「えっ」

　サカキの目が丸くなる。元より本をよく読む子だから、その出典も押さえているだろう。

　だが、そうじゃないのだと、サクラは言った。

「この学校で語られてるのはそれが元ネタだと思う。俺の骨は――」

　サクラの視線が遠くへ向く。

　その先は校舎の裏。正門の桜並木から離れた所にぽつんと佇み、花を咲かせている木。

　月巡りの桜、と呼ばれているそれを視線が示す。

「確かにあそこにあるし、俺もずっとあそこに居たけどね。話の方が後なんだ」

「そうなんですか？」

　そうなんだよ、とサクラは頷く。

「噂が形を持って生まれた人も居るし、噂をなぞった結果そうなった人も居る。それが、小説や他の噂と重ねられて、名前や役割を再定義される、なんて事もある。サカキくんも心当たりあるでしょ？」

「はい」

　サカキはこくりと頷く。

「俺はその中だと、再定義されたタイプ」

　それに、とサクラは風に髪を揺らして笑う。穏やかな口元に八重歯がちらりと見えた。

　ざぁ、っと強い風が一陣。吹きすぎて行く。

「俺の場合、問題は後半なんだよなあ……」

「え？」

　聞き取れなかったサカキがサクラを見上げる。サクラはその視線の意図を汲み取って、穏やかに返す。

「ん。俺の場合はちょっと変わってるからな、って」

「変わってるんですか？」

　首を傾げるサカキに頷き、どう話したものかと考えるように顎に手を当てる。

「そうだなあ。例えばサカキくんが生徒に出会ったらどうなる？」

「きっと。僕を見た人は逃げて……それから、僕の話をする人が、増えると思います」

「うん。きっとそうだね。それで、自分に関わる噂話の語り手が増えると？」

「僕達の存在が確かになります」

　正解、とサクラは頷いて話を続ける。

「噂話は俺達の糧になる。力の強さは、語り継がれた長さとか、話す人の量とか、そんなものに比例する。例えばハナブサさんはお馴染みの話だし、シャロンちゃんやエディくんは新しい故に語る人が多い」

　でも、とサクラの声が少しだけ自嘲の色を含む。

「俺はね。そんな話に存在を左右されないんだ」

「左右されない……？」

　こてん、と首が傾き、繰り返す口がマフラーに隠れた。黒い髪がぱらっと揺れる。

「そう。誰かが校内で話をする。例えば――」

「怖い話を聞いた」

「気分が晴れない」

「嫌な夢を見た」

「そんな負の感情に傾いた声が届きさえすれば。基本的にはそれが俺の糧になる」

　でもね、とサクラは言葉を繋ぐ。

「俺はそれだけじゃないんだ。極端な話だけど、誰も俺のこと――月巡りの桜や座敷童の話をしなくなったとしても、俺はここに存在していられる」

　この学校に存在する者は、噂話や怪談話によって力を得る。その話が廃れてしまえば、力を失い、消滅する。別の存在へ変化することもあるが、それは稀だ。

　だからこそ、怪談達は存在を維持できるよう、存在を示し、時には噂の流行を操作する。

　だが、サクラには、その制約が無いのだと言った。

「？　でも、それはシグレさんとかも」

　サカキは思い付いた名前を挙げる。

　噂から生まれた人でも、噂に存在を固定された人でもない。校外からやってきて定着した人も居る。それとも違うのか、とサカキは問う。

　サクラもその質問の意図を組み上げて頷く。

「そうだね。近くはあるけど……シグレさんみたいに好きな所には行けない。俺はきっと、骨があるあの場所から動けない」

　そう言って、サクラは柔らかく笑った。

「俺は元々座敷童なんかじゃなかった。あそこに骨があるから居た。今こうして存在していられるのは、ただ偶然が重なっただけ」

「……」

「学校や噂という物に、縛られてすらない。怪談話でも噂話でもない。地縛霊だ」

　サカキが言葉を失って、サクラを見上げる。

　穏やかに笑っているはずの彼の表情が、サカキには酷く寂しそうに見えた。

　たとえ、ひとりになったとしても、彼は存在し続けるのだと言っているように聞こえた。

　噂がなくなって。語る人も居なくなって。この学校が朽ち果ててしまったとしても。

　物音ひとつしない空っぽの場所であっても。ひとり立っていられると。

　確かにそこに居るのに誰も語らないのは。名前を呼ばないのは。存在しないのと同義だ。

　それは。それは、どんなに――。

　ぽろり、と。サカキの茶色い瞳から大きな雫がこぼれ落ちた。

「サカキくん!?」

「え。あ……その、ごめんなさ……」

　サカキはマフラーをグッと持ち上げて顔を覆う。髪から覗いた耳の端が熱を持つ。

　サクラはどうしたら良いか分からずにオロオロと指先を彷徨わせ、躊躇うようにサカキの頭に触れた。撫でると言うより髪を整えるように、指先を滑らせる。

「その……なんか、ごめん」

「いえ……いいえ。サクラさんは全然悪くないです。僕が、勝手に寂しくなってしまっただけ、で」

　首を横に振るが、サカキの声は涙混じりだ。鼻をすすると、マフラーの隙間から濡れた頬が見えた。

「うん、ごめん。ごめんね。今は大丈夫だから。ね？」

　はい、とサカキは頷いたが、涙はもうしばらく止まってくれなかった。

　□　■　□

　月巡りの桜は、夜に散る。

　夜風に吹かれ、はらはらと花弁を落としては、昼間に集めた物を土に還す。

　薄桃色の花弁は、土に触れると赤黒い雫になり、そのまま染み込んでいく。

　花弁はひとつも残らない。

　残してなんて、くれないのだ。

　夜になると、サクラは部屋に鍵をかける。

　そんな事したってどうにもならないというのは分かってるけど。自分の中のちょっとした儀式のようなものだ。

　かちゃん、と鍵が落ちる音がすると同時に、チカチカと部屋の電気が瞬いた。

「――おはよう。施錠ご苦労」

　サクラは口元をつり上げて呟いた。昼間とは異なる口調。声もいくらか低く響く。

　全身から力を抜いたような立ち方は、まるで別人のようだった。

「相変わらず鍵なんかかけて。意味ないってのに。――分かってる。心配だから、だろ。いつも言ってんなそれ」

　誰かと会話をしているかのように、彼は喋る。

　たった今自分がかけたの鍵を見下ろして笑うと、尖った八重歯が小さく音を立てた。

「たまにはいいだろ。そもそも俺にメリットなんて……はいはい。外には出ねえよ」

　うるさいと言いたげに手を振ったサクラは、ドアに背を向けて離れる。

　教室を半分に仕切って作られた細長い部屋。ドアの向かいにある窓の下には、正方形を下段に四つ、上段に二つ並べた棚があった。

　乗ってるのは座布団と数冊の教科書。それから三角フラスコに挿した桜の枝。

　窓を開け放すと、春と呼ぶにはまだ冷たい夜風が吹き込んできた。

　窓の外には桜の木。月巡りの桜。

　はらりと散った桜の花弁が、窓から入り込んで棚の上に落ちる。

　棚に腰掛け、頬杖をついて夜風を楽しみながら、サクラは今日の記憶を遡る。

「んで、今日は何があった？　――ふうん、サカキと雑談か」

　ラジオを聴くように目を閉じてうんうんと頷き、突然あはははと笑った。

「おまえみたいになりたい、か。まっすぐな後輩で良かったじゃないか。――で？」

　その時どんな気持ちだったか、と問う。

　しばらく黙って何かを待つ。

「無視か。いいよそれなら勝手に見るだけだ」

　棚に落ちていた花弁を拾い上げると、それは指の上でとろりと解けて赤黒い雫になった。

　それを躊躇いも無く舌に乗せる。

　少し焦がしすぎたべっこうのように、ほのかに苦くて甘い。

　例えるなら、罪悪感の味。

「く――ふふ……あはははは！　いいな！　おまえは本当に良い味を作る。いや。いやいや怒るなって。褒めてるんだぞ？」

　指に残った雫を舐め取り、彼は宥めるように笑う。

「ほら、機嫌直せって。それも俺にとっちゃ甘露だからな？」

　だが、と散る桜の花を見上げる。淡く広がる桜の向こうに、夜空が透けて見える。

「隠し通せるのも時間の問題じゃないか。分かってる？　いーや、おまえはまだ分かってねえよ。嘘だって？　本当さ。俺はよく知ってるから言える」

　隠し通せる訳無いだろうが、とサクラは呟く。

　サカキに寄り添っていた存在が自分ひとりではない事を。

　サカキを利用した存在がサクラの中にある事を。

「今まで隠せてたからこれからも大丈夫なんて、とんだ慢心だ。今日までできてた事が、明日できなくなる。そんなのおまえもサカキもよーく知ってるだろ？」

　は、と小さく笑い捨てる。

「それがいつ起きるかなんて分からない。どんな形で崩れるかも分からない。な？　はは、図星を指されると黙るのは悪いクセだぞ」

　よく分かってるじゃないか、と彼はひとり風に吹かれ。

「俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる――ってなあ」

　機嫌良く何かの一文を諳んじた。

　桜の木の下には死体が埋まっている。それは信じて良い事だ。

　毎月繰り返すように狂い咲いては散る桜。

　そこには、恐怖や不安といった、悪いものを桜に変える何かが居る。

「ああ、良い話だよな。悩み多き生徒を救う、素敵な話だ。問題は後半。うん。おまえが今出せる精一杯を聞き逃してくれて良かったな。誤魔化すなよ。俺にそんなの無駄だっていい加減覚えろ」

　少し黙ってみるが答えはないらしく、彼はくつくつと静かに笑う。

「ま、俺はそういう諦めの悪い所も気に入ってるんだ。だから長いことこうして……ふふ、疑うなよ。こればかりは本心から言ってるんだぞ？」

　フラスコに挿された枝をつまんでそっと抜く。

　薄桃色の蕾を綻ばせている枝の切り口の雫は、ふるりと震えながら赤黒く濁っていく。

　それを指ですくい取りながら「で、続きは？」と目を閉じた。

「たとえ誰も俺の話をしなくなったとしてもここに居られる、か」

　嘘つきめ、と口が歪んだ。

　桜の木の下の座敷童は、集めた悪夢にうなされる。

　その悪夢を、キレイに平らげていく者がいる。

　悪夢を得るために、校内に蠢く何かを作る者がいる。

「噂がなくなっても、“そう言う話”にふさわしいものがまた生まれる。そのきっかけを作るのが俺だ。これが真実だって言えないのが苦しいか？　苦しいだろうな」

　それでいい。と、風に前髪を揺らしてサクラは笑う。

「俺は、昔からおまえの夢が好きだよ」

　頬杖をついたまま、機嫌良さそうに言う。

　答えはないのだろう。待ってもいないのかもしれない。

　サクラはひとり、姿のない自分へと語り続ける。

「色はあるのにくすんでて、繋がっているように見えて断片的で。――良い夢もあるが、悪夢の方が圧倒的に多くて。人の話を聞いては、それを自分の夢にして。その加減がまた、丁度良い。おまえ自身の悩みはまたちょっと違った味がするが、それも良い。これからもたんと悩んで迷って夢にうなされろ」

　そうしてまた、彼は笑う。

「ふふ。嫌そうな顔してるな？　それはおまえの性分ってヤツだ諦めろ」

　あとあれだ、と言葉が続く。

「きっと、それが青春ってやつだ。そう。おまえが欲してた、自由で楽しくて葛藤もある日常だ」

　そういうもんだよ、と呟いたサクラは枝をフラスコに戻す。

　赤黒かった雫は水に溶けるとあっという間に滲んで見えなくなった。

　サクラは満足そうな顔で、窓辺に頬杖をつく。

「ああ。今日もいい夢が食えそうだ。――それじゃあ、おやすみ」