こっくりさんこっくりさん 2
「――っ!!」
ひとりが我慢できずに立ち上がる。が、指は硬貨から剥がれなかった。硬貨も紙に貼り付いたかのように動かない。
床に倒れたはずの椅子は、じゃぶりと音を立てて消えた。
教室中の影は濃さを増して、彼女達の足元を囲む。硬貨の下からも黒い影が伸び、指を絡め取るように巻き付く。
空気が湿気に似た重さを持ち、足に浸った影からは、ぴたぴたと寄せては返す音がする。
彼女達の恐怖は正しい。
教室を埋め尽くすそれは、良い物ではない。見た目通り、感じた通り。悪いものだ。
人の心とか、欲望とか。魂とか絆とか。
そんな「人の大事な物」を食い物にして喜ぶような、そんなものだ。
指に吸い付いて離れない十円玉。彼女達の手に絡み付く影。
影は彼女達の意志とは関係なく――むしろ、指を引きずるように硬貨を動かし、鳥居で止まった。
動かない。
次の質問を待つかのように、壁中に広がった影から視線が注がれる。
質問を急かすように。
恐怖に引きつった顔を眺めるように。
形も人数も分からない聴衆が、影に絡め取られた少女達を凝視する。
「――こ、こっくりさん……こっくり、さん」
ひとりが気丈にも口を開く。その声は掠れ、震えているが、もうそれしかないと言葉を続ける。
「ありがとう、ございました。……おかえりくだ、さい」
少しの間を置いて、十円玉はずるずると重たげに指を引きずり動きだす。
そして行き着いた先は。
いいえ
十円玉が止まる。
彼女達は息を呑む。
同時に、部屋中の空気が急に生暖かくなった。
教室の空気は一気に生臭さを増し、吐息のような湿気を持つ。ねっとりと重く絡み付くような空気が、彼女達を包む。
今にも何かの息遣いが聞こえそうで。
今にもありもしない口が開きそうで。
今にも何かに食われてしまいそうなのに。
身動きが取れない。
ただ、恐怖に支配される。
そうなるとどうなるか。
「や、っ。いああああああ!」
「た、たすけ……て……っ!!」
大体は助けを求める。恐怖に駆られ、心から叫ぶ。
縋れるものなら何にでも、きっと悪魔だろうが妖怪だろうが構わない。藁や鰯にだって縋るだろう。
大体足りない物はそれなのだ。心の底からの、願い事。
力がなければ、心を砕くべき。
それこそが対価となりうる。
と、言う訳で。
こうなると、ヤミの出番だ。
「はいはい、助けをお呼びのようで」
がら、と教室のドアが開いた。教室中を埋めていた影が、僅かに後退する。
ドアの向こうは薄暗い夕闇。そこに溶け込むように立つのは小柄な影。
赤い飾り紐のついた帽子に、学ラン。マントがあるのか、シルエットの一部がはためいている。大きく両脇に跳ねた黒髪と、影から覗く金色の目。その手にあるのは、ゆらめく大きな影。
少女達は、彼の姿を正しく捉えることはできない。
暗闇から現れた影。見えたとしても、金色の目を持つ狐と人の中間のような、曖昧な姿にしか見えないだろう。
「こっくりさんの怖い話を知らないか?」
ヤミは静かに言う。
「失敗したら呪われる。取り憑かれる。戻って来られなくなる……色々あるけど知ってるはずだよな。だってセットで語られるんだから」
少女達は答えない。現れた影だって周りの影と似た存在。その違いなんて分からない。恐怖と警戒に満ちた視線だけを向け、小さく寄り添っている。
ヤミもそれは分かっている。返事なんて期待していない。ただ、教室と廊下の境目から天井を見上げる。
「代償は大きいって言われるのによくやるよ。――にしても、なかなかデカいの喚んだな」
ヤミの口の端が吊り上がると同時に、手元の影が動いた。
揺らいでいた影の輪郭がはっきりと形を為す。狐の尻尾のようだった影は鋭い弧を描き、鋭利な刃物の輝きを持つ鎌へと変化した。
「なあ、お前」
ヤミは少女達ではない何かに向けて話しかける。
「学校ってのはな、平和であるべきなんだ。俺達が、俺達のような存在(もの)が侵して良いものじゃない。分かったか? 分かってないな。よしよし」
自身の背丈程もある刃を軽々と回し、ヤミは一歩、教室へと足を踏み入れる。
ぱちゃん、と踏まれた影が音を立てた。
同時に、鎌の刃先で影を引っ掛け、床から剥がすように掬い上げる。真っ黒な波と化した影は、自分に傷を与える存在を許さないらしい。少女達より優先して処理すべきものと判断して、ヤミへと襲いかかる。
「へえ。それくらいの考えはできるんだ」
呟いた一言と共に振るわれた一閃で、浪はきれいな断面を見せて崩れ落ちた。
切り落とされた影は、ばしゃ、と水風船が割れるような音を立て、机を真っ黒に濡らす。
飛沫が掠めた頬が、焼けたような跡を残すが、気にする素振りもなく獲物を構え直す。
「威勢だけはいいな。ん。結構結構」
様々に姿を変えて降ってくる影を躱し、斬り捨て、飛び越えて。少女達から少し離れた机の上に着地する。
憤るように打ち寄せた影に、鎌を真っ直ぐ打ち下ろす。こん! と床に響く音から飛び退くように影が引いた。円形に床を覗かせながら壁際へ下がっていく。
金色の視線がそれを辿り、厚みを増した天井を確認した瞬間。
天井から大量の影が降ってきた。
一番の邪魔者を押し潰さんと降り注ぐも、ヤミには当たらない。
「なるほど。こっくりさんの失敗例としては上出来だ」
机を潰されるより先に、軽いステップで隣の机に飛び移る。着地と同時にひとつ後ろへ。
影の波が追いかけるように机を潰し、飲み込んでいく。ヤミはどんどん教室の後ろへ、隅へと追い詰められていく。
最も奥の机に着地する靴の音。それを逃がさないと追う影。
これで最後。小柄な少年を飲み込もうと天井近くまで波が立ち上がる。
「けど、生徒を怖がらせるような悪い子は」
黒い飛沫の中で金色の目が波を見上げて笑った。
「――狩ってやらないとなあ」
□ ■ □
夜。
あくびをかみ殺しながらヤミは廊下を歩いていた。
今回の獲物は大きかった。なにせ教室いっぱいだ。一通り狩り尽くしたら疲れてしまい、部屋で一眠りしたら夕食の時間はすっかり過ぎていた。
夕食時は逃したが、まだ起きてる人も多い時間。夜食でもないかと調理室へ向かう。
疲れを溜息に変えて吐き出しながらポケットに手を突っ込むと、夕方手に入れた十円玉が指先に当たった。
全て終わった時、彼女達は全員気を失っていた。
なのでそのまま寝かせて、十円玉だけもらってきた。夜まで目が覚めなかった時のことも考えて“用務員さん”であるウツロにも頼んでおいたし、心配はないだろう。
彼女達はどれだけのことを覚えていて、何を語るのだろうか? なんてことを考える。
語られるのは大いに結構だが、それであの影に興味を持たれては困る。しばらく様子を見て調整が必要かもしれない。
できるだけ恐怖体験として語ってもらいたいな、と小さなあくびをすると、廊下の窓にゆらりと現れた二人分の影を見つけた。
即座に窓から目を逸らす。見なかったことにする。
そんなことしたって逃がしてくれる二人ではないと知っているのだが。何を言われるか分かりきっていた今、彼らを視界に入れないのが一番の対応策だった。
「お疲れヤミくん」
そんなの気にしない様子でカガミが言う。
「今日も格好良かったよ」
そんなの気付かない様子でカガミが言う。
「嬉しくねえ」
「いいじゃない、またひとつ噂が広がるよ」
「よかったね、またひとつ噂が確かになるよ」
二人はヤミに歩幅を合わせて歩きながら、機嫌良さそうに語る。
「「こっくりさんで困ったら、ヤミコさんが暗闇から現れて助けてくれる、って」」
「ヤミコ、ねえ……」
ヤミは溜息をつく。
「こっくりさんと狐の合わせ技でヤミコさんって、なんでだよホント」
ヤミ、とみんなは呼ぶが、彼の名前は「ヤミコ」だ。
こっくりさんをすると暗闇から現れる狐。それを縮めてヤミコだと生徒は言う。だが、ヤミ本人は、その由来が微妙だと常々思っている。
「「あ。いつもの愚痴だ」」
「仕方ないよ」
「仕方ない」
口々に言って「ねー」と頷き合う二人に、ヤミは軽く頭を振る。
「こっくりさんも狐も、どっちも俺だし。自作自演か。違うよあいつらの自業自得だよ。呼び出されるか、自分から出向くかの違いしかないだろうが……」
「でも、助けるでしょ?」
「叶えるでしょ?」
二人の言葉を否定はできない。現に今日だって、生徒を助けてきたのだから。
ちら、と視線を窓に向けると、にこにこと機嫌良さげなカガミ達が居た。
「……出来る限りだけどな」
溜息交じりの返事に、カガミは寄り添って笑い合う。
「いーじゃん。格好いいよー正義の味方のキツネさん」
「いーねえ。素敵だよーなんでも知ってるこっくりさん」
その言葉はストレートにヤミを褒めてくる。その真っ直ぐさは嬉しくもあるが、一方でむず痒く落ち着かない。
「ああもう。うるさいぞお前ら! さっさと部屋に戻れ。何時だと思ってんだ」
声を上げると、二人はきゃーと騒ぎながら廊下の窓をぱたぱたと駆け抜けていった。
「……ったく」
溜息をつくと、後ろからひょっこりと新たな気配が現れた。
「聞いたよヤミちゃん、今日は大活躍だったって?」
楽しそうな口元と声を隠しもしないハナだ。
「次はお前か」
「ああボクさ。当たり前だろう?」
「何がどう当たり前なんだよ」
「そりゃあ君の話を聞いたからさ。一日の頑張りには労いが必要。違うかい?」
「そーですね。部屋に帰れ」
「まあまあ、そう言わずに」
彼女はそう言いながら、くるりとヤミの前に回り込んできた。
「言われなくてもボクはすぐに退散するさ。今日はボクも呼び出されては眺めたり遊んだりして疲れたからね。あ。あとこれ」
一方的に喋りながら勝手にヤミの手を取り、ぎゅっと何かの包みを押し付けて来た。
「なにこれ」
「ハナブサさんからの言付けさ。今日はお疲れ様、夜食だよ。って」
それじゃあまた明日、と彼女は言うべきことは全て言った、と言わんばかりにぱたぱたと去っていく。
彼女を見送ったヤミの手には、小さな包みが残された。
彼の両手に納まる程のそれは布で包まれ、温かく重い。少し手に力を入れると柔らかい。ハナの残した夜食という言葉も合わせて考えるに、おにぎりだろうか。
「……部屋で食べるか」
包みを手にしたまま、調理室に行くのはやめて部屋へと戻る。
夜の廊下は静かだ。至っていつも通りだ。
明日もきっといつも通り。
生徒達を眺めたり、時には話に混ざったり。
たまにはこんな騒ぎが起きて疲れる日もあるけれど。
生徒の願いを叶え、問いかけに答え、助けを求める手は握り返すのをやめない。
それが自分の役割だから。とヤミは言うけれど。
なんだかんだ言って、この学校のことは嫌いじゃないのだ。
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