小脱走

平賀・仲田・香菜

小脱走

「この私に金属製の食器を使わせたのが運の尽きだったということでしてよ」


 時刻は深夜の零時丁度。

 私は誰に聞かせるでもなく呟きました。


 ーー私は今日、この家から脱出いたします!


 名家である城ヶ崎家の一人娘とした産まれた私は、十五歳の誕生日である今日に至るまでずぅっと、いわゆる『箱入り娘』として育てられてまいりました。

 蝶よ花よと可愛がり大切に育てている? 自由な外出を制限され続けた生活は、蝶や花の剥製と何が違うというのでしょう。

 私は人間です。素敵な殿方と燃えるような恋に落ちたり、学友の方たちと寄り道や、はしたなくとも買い食いとかもしてみたく思ったりもするのです!


「このスプーンとも長い付き合い。愛着まで沸いてしまうというものです」


 五年前の夕食、だいぶ昔だというに今でも鮮明に思い出すことが容易です。ライ麦のパンにオリーブオイル、鴨肉のソテー、そしてシチュー。食器類も使い慣れたものでしたが、私の手は粗相をいたしました。スプーンを落としてしまったのです。カラカラと品のない音を立てるそれは、ソファーの下、暗闇へと吸い込まれていくこととなりました。

 執事に新しいものを用意させましたが、闇に飲まれたスプーンは何処へやら。私たちの記憶からはすっぽりと抜け出てしまっておりました。落とした私でさえ、翌日まで思い出すことはなかったのです。

 翌朝、ふとその存在を思い出した私はソファーの下へと腕を伸ばしました。埃に塗れたスプーンを指でつまみ、それを処分させようと考えました。


 しかし待たれよ! 私の脳裏には電撃のような閃きが走ることと相成りました。

「こんなスプーン一本で、五年間もよく頑張ったものですわ」


 そう、私は自室のカーペットをめくったその床を、地面を、五年という月日をかけて掘り進めたのです!

 驚くべき破天荒を成し遂げたと自覚はしております。一念岩をも通すと言いますが、五年は私を閉じ込める箱を貫き通したのでございます。


 さあ、私は自由だ!


 ………

 ……

 …


「ここは何処……?」


 さあ、私は迷子だ!


 よく考えてみれば、学園への登下校は全て車で送り迎え。それ以外の外出は一切禁止。そのような私が近所の地理に明るい訳がないというもの。

 なんとか見知らぬ公園に辿り着き、ベンチに腰掛け、しくしくさめざめと涙を零しているのでした。


「隣り、失礼するよ」


 私の隣にお座りになられたのは、赤地にボーダーのシャツが目を引くおじさまでした。大変にくたびれたお顔をしております。しかしその目は何かをやり遂げた達成感に満ち足りた光を宿しているように感じます。

 そしてその右手には、所々が欠け、錆びに塗れた銀色の棒が握られておりました。私は思わず、はしたなくも大声でおじさまに訊ねました。


「それはまさか、元々スプーンだったのではないですか!?」


 おじさまは目をパチクリとさせて返答をしました。


「よくわかるねえ、面影など残っていないと思うが」


 おじさまは愛おしそうに、元スプーンを指でつつうと撫でます。


「私のスプーンも、ほら。同じです」

「これはすごい……!」


 きっとおじさまも苦労なされたのでしょう。何処かに幽閉されて、脱出に成功されたのでしょう。私と同じような境遇なのかもしれません。

 お互いがお互いの苦労を痛み入るように、私たちは微笑み合いました。


「君はさっきまで泣いていたようだけれど、何かあったのかい?」

「実は道に迷ってしまいまして……」


 こちらのおじさまには泣き顔まで見られてしまっておりました。しかしそれも、今の私には渡りに船の救世主やもしれません。


「城ヶ崎という家をご存知ありませんか? この辺りでは珍しい名前なのですが……」

「ああ、あの豪邸か。すると君はそこのご令嬢なのかな」

「ええ。自由を求めて、スプーン一つに身一つ、外出を試みたのですが、お恥ずかしながらこの有様なのです」


 おじさまは呵呵と声を上げてお笑いになりました。


「そうかそうか、やはり私と同じだ」


 くつくつと笑い続けるおじさま。そこまで笑われてしまうとは。私は顔が熱を持つことを感じ、バツが悪く俯いてしまいました。


「君は私とよく似ている。そんな君には無事を祈りたいものだ。君の家は有名だから私も知っている。道を教えるから早く帰りなさい」


 ああ、やはりこのおじさまは私を助けてくださいました。私は礼に礼を重ねて、別れを告げ、家路につくのでした。


 ………

 ……

 …

 翌日、私はお抱えの運転手の車で登校しております。昨日の大冒険の熱も冷めやらず、私は早くも日常に飽いて、ウズウズとした気持ちを抑えているのでした。

 しかし、当分は大人しくせざるを得なくなりました。なぜならば、今朝、父が仰るには『脱獄した殺人犯が町に潜んでいる』とのこと。

 向こう見ずな私でも、事の緊急性は理解に容易いものでした。

 仕方がありません。寄り道の申し出も、内緒の外出も控えざるを得なくなりました。


 こうして私による一夜の冒険は幕を閉じたのでした。

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小脱走 平賀・仲田・香菜 @hiraganakata

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