第3話 なんとでもなる3時間の過ごし方
さて、いきなりだが俺は、とある長門の住まいにやって来た。まあ、要はやっぱり、長門の住まいなんだけどな。
「おーい。ありがちだけどリンゴ、剥いてやっぞ」
玄関に通されるやいなや、俺はスーパーで割と丁寧に選んだつもりのリンゴが入った買い物袋を、寝込んでいる長門に見せてやった。
「……」
長門・イン・サイレンス。どうしても言葉を発したくないほどの容態なのかもしれず、よくよく顔色を確かめてみると先日よりむしろ青々しており、つい心配になってしまう。
「もしかして、リンゴは好きじゃなかったか?」
「いえ」
「おう。じゃあ、すりおろせば食えるかな……。おろしガネ借りるぜ?」
「……そう」
俺はリンゴを大根おろしみたいにすりつぶし、病人でも食べやすい形状にした。
見た目はリンゴとは分からないし、病人食と呼べるほど立派なモンじゃない。でも実を言うと、俺が小さい頃、風邪を長引かせた時にオフクロが同じことをしてくれたんだ。
それを俺はとっさに思い出し、長門にもそうしてやることにしたってことだ、うん。
「……あなたに伝えねばならないことがある」
「なんだ、大切なことなら遠慮なく言ってくれ」
すりおろしリンゴを食べながら、神妙な面持ちで長門は俺にポツリと語り始めた。
いわく、この世界は普通の状態とは違ってしまっており、長門の病気もそれによる影響とのことだ。
「それって、統合思念なんたらが関係してるのか。それとも……アイツか?」
アイツ、とはハルヒのことだ。
北高に入学してから、ひいてはSOS団に入ってから俺を取り巻く世界はたびたび非日常に突入した。
それは比喩とか妄想とかじゃなく、実際に本来あるべき日常が別の非日常に置き換わり、果ては俺や団のメンバーがそこに入り込んでしまうという厄介な事象。
大体はハルヒが元凶なんだけど、無意識にとか無自覚にとかいう場合がほとんどであるがために、解決策は自分で見つけないとならない。
「……情報統合思念体。それが正確な名称」
「おう、そうだったな」
「はっきり分かっている。今回のケースも、やはり思念体ではなく彼女が原因であると」
「そっ、……か」
まあ、いつものことながら緊張が走る。
ハルヒ自身は根っからの悪いヤツじゃないんだけど、何の因果かストレスで閉鎖空間と呼ばれる異次元を発生させたり、同じ1日を何度も繰り返させたりと無意識にしては少々スケールがデカいことをやってしまうのだから。
「ただ、気を付けて欲しい」
「ん、何に気を付ければいいのかよろしく」
「……彼女だけど、彼女じゃない」
「ほう、なるほど。分からん」
俺は適当に相づちを打っていたかったのだが、あまりに曖昧模糊とした答えだからこそ、げに正直に返事をしてしまった。
「私は、通常より希薄になってしまっている。それは私だけではなく、程度の差こそあれどこの世界の人はあなたを除いてほとんどがそのようになってしまっている」
「通常より希薄。つまり薄まってるってことか。それは元気がとか、そういうことか?」
「一言で説明するのは不可。生命力を包括しながらも、あらゆる私という個がいつもより無力だと言い及ぶので精一杯。たとえば、……運命に対して」
「運命。ははっ。ハルヒのヤツ、ついに不特定多数の運命に支障を来たしちまったのか。やれやれ、だな」
俺は長門による、小難しいながらも明瞭で知的な説明によって多少は彼女が言わんとすることを飲み込めたような気がした。
長門が病気って以外に、取り立てて異変じみたことはまだ起きてない。でも、実際に対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースとして某朝倉と戦ったり某脱出プログラムを作り上げたりしてきたコイツが言うのだから、これからある程度は色んな何かが始まってしまうんだろう。
リンゴを研ぎ汁まで飲み干した長門の顔色は良くならなさそうだった。なんなら、ショウガ湯とかもっと気が効いたモノを見舞えばマシだったかもしれない。
「……散歩」
「散歩?」
「同行を要求したい」
病気だからか、げに長門らしくない。
それとも今回の非日常はこれまでにないほどなのか、寡黙な短髪少女はただ不安げに俺を見つめてきた。
ちなみに、もし病気のメガネっ子にそこまで言われて、断る勇気がある男子がいたら俺に教えて欲しい。つまりは結局、俺は長門の頼みを引き受けることにした。
「うおっ、まぶし」
日差しが強い日だ。
風は激しくない程度。4月に時たま吹きすさぶ春一番ほどではなく、外出を楽しむにはうってつけと思えるくらいに程よい微風だ。
えっ。春一番なんだから一回しか吹かないって?
それはそうだけど、それくらいの存在感の風ってことだ。そこは察してくれたら嬉しい。
「……夏は、より一層厳しい日差しが待ってる」
「だな」
「……」
やはりいつも以上に長門の口数は少なかったけど、そこは俺がいつも以上におしゃべりになることで散歩を乗り切ることにした。
ふらふらと覚束ない足取りなので、不意におんぶなど申し出をしたくなる長門の容態だ。しかしセクハラなど何かとうるさい昨今にそんな真似をしたら、増してインターフェースな彼女との身体的距離を不当に縮めようものなら様々な天罰が下ってしまうことだろう。
「……シュレディンガーの猫」
「ん? なんだっけ、それ」
「……量子効果の証明実験。平和な結末と残酷な未来は等価に起こり得るという不条理」
「世の中は理不尽ってヤツか。ま、だけど、だからって何もしないって選択だけはない。そうだろ、長門?」
「……」
「弱気だな。シュレディンガーの猫だか未来の世界の猫型ロボットだか知らんが、ハルヒが何かと抱えがちなのはSOS団がなんとかしていくしかなさそうなのは必定。あのじゃじゃ馬暴走プリンセスを救えるのは、毎度ながら俺たちだけなんだぜ」
「……おもに、あなたが中心人物」
そこへヨークシャーテリアらしき犬とその飼い主が通りかかり、犬はこちらをちらりと一瞥したがおとなしいもので足早に、主婦らしき飼い主の中年女性と共にどこかへと去って行った。
俺が非日常を日常に戻す中心人物かどうかは自信がないけど、今の数秒で見つけた言葉があった。
「色々あるかもだけどさ、とりあえず……ラジオ頑張ろうぜ」
何の抜本的解決策でもない。それは、そうなんだろう。
ただ、ハルヒがいる非日常なんだからアイツのわがままに付き合うことで多少なりとも光明があるかもしれない。
ハルヒ不在の、もっと大変な非日常だって乗り越えてきたんだ。長門が病気な非日常ごとき、ラジオと並行しながら突破してみせてこそSOS団ってものだ。
……まあ、少なくとも気持ちの面では、絶対にそうなんだ。
コクリと頷く長門に小動物的愛らしさを見つけそうになった頃、俺と長門は近所を一周し長門の住まいであるマンションに戻ってきていた。
「しまった」
「……何」
「3時間も付き合わせちまった。本当、すまん」
休日の昼下がりだから良かったものの、平日に、しかも放課後だったら夜道に女性をはべらせる悪徳高校生になってしまうところだ。
俺が謝るのを見て、少しばかり意地悪がもたげたのか長門は心なしか冷ややかに口元を歪ませた。
やれやれ。さっきまでの愛らしさはどうやら気のせいだし、何なら長門が薄まってるってのも怪しくなってきたんじゃないかな。
何はともあれ、病の女子高生にその程度で済まされた俺はそそくさとマンションを後にした。
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