世界変革

                    *


その聞き覚えのある単語から、僕は思わず机から飛び起きた。急いで携帯電話を確認すると、突然、変な景色が映り込む。画面を触ってもなんの反応もしない。チャンネルを合わせた訳でもない。携帯電話にひたすら奇妙な動画チャンネルが映る。まず、初めに虚ろな瞳がドアップで表示してされる。それにはなんとなく見覚えがあったが、それがなんなのかが思い出せない。


「おっ、ついたついた。まったく……カメラワークNGか。テレビってのは案外難しいもんだな……まだ、ちょっと近いか。ここらへんかな」


 その無邪気な声には聴き覚えがあった。どことなく、身近で似ている声質が、その近しい存在を示していた。現れたのは、黒いシルクハットを被った道化のような格好をした男。白塗りにされたその顔の輪郭は、まぎれもなく知っている顔だった。

 場所はどこかの草原のようだった。なんの変哲もないその光景だったが、それもまたどこかで見覚えがあった。


「やあ、諸君。我々はゼルダンアークです」


 その笑顔は同じハンドルネームを名乗った神町木乃香のそれとは違い、あまりにも禍々しかった。礼儀正しくお辞儀をして、ケタケタと人形のように首を左右に振る。


「一応、すべての画面に映るよう手配をしたが……まあ、半分くらい見えていればいいか。諸君、ショーは楽しんでくれているかな?」


 手を広げて、挑発するかのような物言いで道化は語る。


「なんのことかわからない人は――少ないと思うが、まあ携帯電話を持っていないご老人や子どもたちのために。私は、全人類平等にこの放送を楽しんでもらいたいからね」


 まるで、子ども番組の司会者のような陽気さで、モニターを映し出す。そこには、現実と呼ぶにはあまりにもチープなジオラマのような映像が流れた。モンスターや怪人たちが人々に襲いかかっていく。たてものを次々と破壊していく。


「1日目。まずは、都市部にドーンと。この映像が流れたよね。楽しかっただろう? 『えっ、これって現実?』、『ドラマの宣伝じゃないよね』、『新しいVRMMOじゃない?』、あらゆる他人事の意見を本当にありがとう。面白かったかい? 他人が死んでいく姿は。自分以外の誰かがが不幸に堕ちて行く光景は」

「なんだよ、これ」


 モニターが30個ほど分裂し、あらゆる阿鼻叫喚が津波のように押し寄せてくる。その中で見覚えがあったのは、東京タワーと東京スカイツリー。怪人たちがカメラを回し、逃げ惑う人々を撮影している。


「2日目。これが、今日に当たるわけだが、そんな他人事の人々には、今からこれをプレゼントだ……ドーン!」


 道化は面白おかしく、まるでバラエティ番組の司会者のように人差し指を突き出した。瞬間、外から叫び声が聞こえた。窓を開けると、空に煙が舞い、空に巨大な怪物が飛翔しているのが見える。恐らく……アレは……ドラゴン。


「これでも、現実がわからない君! 外で危機が起きているのに画面から目が離せない他人事の君! 私が君たちに望むのはひとつだ……死ね」


 そうつぶやき。


 道化は、ケタケタと笑いはじめた。


「君たちはさぁ、ヒーローが好きなんだろう? 私の愛する妻を殺した男も、そう名乗ってたよ。私はそれから、嫌いなんだよ。君たちが大好きなヒーローがさあああああああぁ!」


 それは、まるでひとり舞台の演劇のように、大袈裟な身振り手振りを交えて、説明する。


「私は、その男を死刑にしろと言った。でもさ……司法という名の法の番人が私に言ったんだよ。『その男を殺してはダメだ』って。ああ、一応実名を控えているから読み上げさせてもらうね。まず、犯人の名前が長良寿一。そのときの正義の最高裁裁判長は清水恭仁、担当した正義の検事は高遠愛理。こんな裁判すら勝てないヘボ正義の弁護士は岸昇史。で、高裁では――」


 ツラツラと、長々と記された関係者をひとりひとり順番に読み上げていく。呼ばれた者は顔写真と現在地が表示されていく。途方もない悪意。純然たる殺意がそこには存在した。


「今、読みあげた彼らのために、僕は地獄を味わった。本当に地獄だったよ。彼女のいない世界なんて、僕にとっては地獄だった。だから、今、読み上げた彼らの正義によって私という悪が生まれたことを今、ここに宣言しておく!」


 滑稽な仕草で胸に手を当てて、まるで独裁者のようにビシッと手を上げながら声をあげる。

 明らかに扇動していることがわかった。神町陽一は、今読み上げた人々を殺せと言っている。本当に幸せそうで、あまりにもおもしろおかしそうに、醜い正義を晒せばいいと人々に問いかけている。


「それでも、娘がいたから。木乃がいたから。私は我慢してやってたんだ……それを……それを……貴様らが無能なせえでえええええええええええええええええええっ!」


 急に豹変して狂ったように叫びだす。

 その姿は滑稽で。

 どこまでも不気味だった。


「はぁ……はぁ……フフフ、すまないね取り乱して。とにかく、私は可愛い娘の願いを聞き入れてやりたいんだ。なあ、木乃?」

「……っ」


 そこには、彼女の姿があった。白い純白のベッドに包まれており、スヤスヤと眠っているように見えた。しかし、あり得ない。彼女は、火葬で焼かれたはずだ。僕もそれを見たし、彼女の遺体も見た。彼女がそこに存在することなど……絶対にありえないんだ。


「わかるだろう? この世界の不条理さを。なぜ、こんなにいい娘が死ななければいけない? なぜ? なぜ? なぜ?」

「……」

「眠っているようだろう。肉体があると劣化してしまうからね。意識だけを取り出して、今はグッスリと眠っているところさ」

「……」


 IWOの世界だ。陽一さんと木乃は、そこにいる。


「見たまえ! これが、娘の意志だよ! 地球上に死者が溢れかえっているだろう? 聞きたまえ、この悲鳴の鎮魂歌を。血で染まった大地を。ヒャハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「……」


 そこには、ありとあらゆる無残な映像が流れた。アメリカ軍の兵器がことごとく無効化されている。街で暴れまわっているモンスターたちに蹂躙されつくす人々。街に溢れた怪人たちから逃げ惑っている人々。炎上する建物の外を脱出しながらも、怪人に見つかって無残に殺されていく人々。


「とにかく、君たちはこのままヒーローが現れるのを、待ちながら叫び続けているといい。まあ、決してこないがね…キャキャキャ、キャキャキャキャキャキャ」

「……っ陽一さん」


 まるで、笑い声が泣いているかのように見えた。これが、あの優しかった父親だというのか。優しく彼女の頭をなでて、暖かい微笑みを浮かべていた彼と、同じ人物だというのだろうか。


 僕は不意に立ち上がった。すぐに教室を出て階段を降りる。外を出て自転車をモリ漕ぎしながら周囲を確認する。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 世界はすでに、混沌としていた。老若男女問わず、モンスターや怪人に襲われていく。現実に人が殺されている光景はIWOの世界なんかとは比較にもならなかった。


「うわああああああっ、助けてくれっ!」「なんだこいつらは……」「恵! どこ、恵!」「死にたくない死にたくない死にたくない」「なんでもする! だから頼む! 助けてくれえぇ」「ぎゃああああああああああっ」「おい! ふざけるな! 早く俺を助けろ! 助けてくれぇ!」「妻も子どもがいるんだ! 俺はまだ死ぬわけにはいかないわだぁ」「動け動け動けーーー! 身体よ動けーーー!」「お母さんお母さんお母さんお母さんー! 死にたくない死にたくない死にたくない」「殺すぞ貴様! 絶対に殺す! 殺す殺す殺す」「頼むから! 金ならいくらでも払う! だから、頼む。助けてくれぇ!」「家族がいるんだ! 死にたくないー」「助けてくれ頼むなんでもするなんでもするなんでもする!」「呪ってやる呪ってやる呪ってやる!」「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいー、頼むから殺さないでくれ!」「神よ神よ神よ神よーー! 御心のままに」「殺してやる、絶対に殺してやる!」「おい、神様! なぜ、こんな仕打ちを! 俺は毎年祈ってただろうがぁ! 死にたくない死にたくない死にたくない」「殺すなら殺せ! 絶対にお前を殺してやる!」「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」「死ね死ね死ね! みんな死ねー!」「ふふ……これは夢だ……ふふ、ふふふふふふふふふふふ」「おい、頼むから助けてくれ! なんでもする!なんでもするからさぁ!死にたくない……俺は死にたくないーーーーーー!」


 子どもが襲われて。彼氏が傷ついて。主婦が殺されていく。彼女らしき人が逃げ出して、犬が吼え猛け、高校生らしき人が悲鳴をあげている。人型の黒怪人。あらゆる種類のモンスターたち。それらはワラワラと人々を襲っていく。信じられなかった。木乃がこんなことを望んでいるなんて。こんな結末を、彼女が求めているなんて……信じたくなかった。


 到着したのは、自宅だった。もちろん、家族はすでにない。リビングのテーブルの上に、『先に避難してるから絶対来てね、お兄ちゃん。死なないで』、そんな書き置きが置いてある。避難指定場所は最寄りの市役所なので、恐らくはそこに行っているんだろう。


「ごめん……母さん、柊」


 今までの記憶が走馬灯のように巡り、僕は思わず謝った。もう、多分会えない。僕は……行かなきゃいけない。


 たどり着いたのは、いつもどおりの四畳半。そして、空間の半分を占めたVRMMO用のカプセルが、いつもどおり、そこにあった。ボタンを長押しすると、やはり起動する。プラスチック製のカバーを開けて、操縦席へと寝転び、目を瞑った。

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