ゼルダンアーク


 IWOの世界から戻って少しすると、木乃が病院に運ばれたと聞いた。それは、僕らが彼女を倒して半日後のことだったという。容体が急変して、すでに意識はなくて、簡単に言えば、もう駄目らしいということだった。


 その間も、僕は普通に授業を受けて、クラスメートも普通に授業を受けて。昼休みはその話題で持ちきりだったけど、みんなでまた千羽鶴を折ろうなんて副委員長の松井さんが提案したり、新井千紗が机に突っ伏して泣き出したり、先日恥ずかしい想いをした白石君がクラスの数人を集めて他人事のようにニヤニヤ笑っていたりしたけど、基本的にはつつがなく日常は進んだ。


 この現実の世界も、怖いくらいに変わらなかった。彼女がいなくなったとしても、地球の自転が止まるわけでもない。太陽の光が来なくなるわけでもない。ただ、この世界に彼女の意識だけが存在しない状態で、それでもどうしようもなく僕らは……生きていた。


 そして、何日も経過しても、面会謝絶で、一向によくならない木乃は、そのまま現実世界にも、IWOの世界にも姿を現さずに……死んだ。


 彼女がいなくなってからも、すべてがつつがなく進んだ。葬式は近親者と2年A組のクラスメートたちが呼ばれた。父親である陽一さんは、ほぼ放心状態で、ずっと彼女の遺影の前で立っていた。すべての水分を出し尽くしてしまったような……辛い表情をしていた。


 クラスメートの表情は、みんな可哀想な顔をしていた。号泣している親友の新井千紗、涙を堪えているのは委員長の坂本君、悲しそうな演技をしている単なるクラスメートの白石君、その他空気を読んで厳かにしているクラスの人々。僕の親友である塚崎岳もその一人。本当に悲しんでるのはごく一部でしかなくて、実はそうでもない人の方が圧倒的に多い。きっとそれは、木乃のことを知っているようで知らないからなのだろう。父親である陽一さんですら、クラスで誰と仲がよかったのかなんてわからない。もう……彼女の声が聞けないから。


 参列者が多くて、あんまり時間はなかったけど、この人にはすべて話した。木乃との戦いのこと。僕がゼルダンアークを――木乃を倒したことを。陽一さんはそれを黙って聞いてたけれど、最後に吐き出すように『ありがとう』とつぶやいた。


「ねえ、これヤバくない?」「うわっ……なんだよ、これ」「違う違う。現実の映像。ツイッター見てみ? 世界中でこんな映像ばっかり流れてるんだから」「いや、あり得ないだろう? また、どっかの大企業のVRRMOの宣伝だろう?」「違うって……」


 携帯電話をいじるクラスメートたちの声。それは、だんだんと大きくなって、さすがに無視できない声になった。


「白木、高嶺、場をわきまえろ。不謹慎だぞ」


 加藤先生の、どちらかというと形式ばったその声色は、どこか無機質さを感じた。


「だって……これ見てくださいよ」


 クラスメートの一人が携帯電話のモニターを映し出す。


「……なんだ、こりゃ!」


 あまりのすっとんきょうな声に、陽一さん以外のみんなが振り向く。そして、クラスの数人もそれに合わせて、堂々と携帯電話を取り出す。ガヤガヤとした声が広がり、やがてそれは全体を包みこむ。


 でも、僕にはどうしてもそれに興味が持てなかった。今は、たとえ世界が滅亡したとしても、他人事でいられる自信があった。そのまま小さく陽一さんにお辞儀をして、僕はこの場を去った。もう、すでに伝えたいことは伝えた。もうここにいる理由もない。


 家に帰ってベッドにダイブした。とにかく寝たくて、顔を突っ伏して目を閉じる。かなり疲れているはずなのに、なぜだか目は冴えていた。浮かんでくるのは、木乃の顔。それは、高画質カメラの写真なんかよりも鮮明だった。


「……消えろよ」


 もう死んだんだから、消えてくれ。頼むから。何度も何度もそう願った。それでも、彼女は一向に消えてくれない。遺影なんかよりも、遥かに生き生きとした表情で、視界の奥へとい続ける。


 起き上がって、音楽を聴き始めた。しかし、それはいつも聞いていたそれじゃない。夢中になって聞いていたはずの名曲たちが、今では妙に冷めて聞こえる。


 またしても彼女が網膜に浮かんだので、慌てて携帯電話の画面を見つめた。楽しい映像なんて、世の中には腐るほどある。見たくないものは見なければいい。だから……頼むから、消えてくれ。


 彼女がいない世界。もう、どこを探しても、神町木乃香という存在はいない。全身の力が入らず、自分が自分じゃないかのような感覚。四六時中それが続いて、浮遊感に襲われる。ゼルダンアークがいなくなって、IWOの世界は平和を取り戻した。正義が勝ち、悪が滅びた。多分、みんなは喜んでくれるだろう。


 でも……なんでこんなに胸が……痛いのだろう。


 彼女は、悪人だった。なんの罪もないプレーヤーを消滅させた。自分の欲望のままに弱者を踏みにじった。本当に身勝手な理由で大事な人を奪った。決して、許されない、許すことができない悪のはずなんだ。


 なのに、この気持ちはなんだのだろう。


 彼女が救われることはなかった。僕にできることはなかった。到底倒されるはずの悪だった。報いを受けねばならぬ存在だった。たとえ、死の直前だったとしても、誰も彼女に同情したりしない。そんな身勝手な理由で周りを巻き込むなんて、誰も承知したりなんかしない。


 それなのに。


 ……そのはずなのに。


 この世に神なんてものがいるのなら、どうして欲しくて彼女を生み出したのだろう。木乃はこの世界を愛したが故に、死に絶望し、耐えきれなくなって他人を傷つけた。こんな結末が見たかったと言うのだろうか。


 不平等であることが平等であるなんて、なんて皮肉なんだろう。この世に生を受けた彼女だけが逃れられぬ十字架を背負っていた。『彼女だけじゃない』、そう言う輩は、ただ自分がそうじゃないだけだ。もし、自分が同じ立場だったら、きっとこう叫ぶのだろう……『なんで自分だけが』って。勝手にそんな運命を押しつけておいて、悪に染まらずに生きていけというのか。他人に優しく、清廉潔白に、神に感謝しながら死んでいけというのか。全員が平等の運命なら、道を踏みはずさなかったかもしれない。どうしようもない不平等を押しつけておいて、断崖絶壁の崖に糸を垂らしたような偽りの希望すら残さずに、正しく歩けと言えるのだろうか。


 なぜ、僕だけがこんな気分なのだろう。なんで、自分の身体の大事な部分が持っていかれたような感覚に陥っているのだろうか。悪が滅んで、世界が平和になって、みんなが喜んで、それでハッピーエンドじゃないか。日曜日のテレビドラマだって、ヒーローアニメだって、デパートのヒーローショーですらそうなのに。それなのに。僕だけが……これが正義か……こんなものが正義……なのか。


「……お兄ちゃん、入るよ」

「……」

「いつまでそうしてるのよ」

「……」

「これ……おにぎり……」

「……」

「ちょっとくらい食べないと、死んじゃうよ?」

「……」

「もう! 知らないから」

「柊、ありがと」

「……お母さんも心配してる。早く、降りてきなよ」


 妹がそう言い残して階段を降りて行った。多分だけど、僕の様子がずっとおかしいからだからだろう。そんな妹や母親の愛情にすら、僕は通り一辺倒な礼儀でしか返すことができない。家族は僕と木乃のことなんて知らない。たとえ知っていたとしても、信じやしないだろうし、彼女と僕らのことを説明することなんてできやしない。とにかく、もう身体に力が入らないんだ。


 僕と木乃は敵同士の関係。それ以上でもそれ以下でもない。多分、クラスメートの半数以上が僕より彼女と話したことがあるだろう。親友の新井千紗の方が、きっと僕より悲しんでいるのだろう。父親の陽一さんの方が人生に絶望しているのだろう。僕が彼らと同じような顔で同じようにするのは、きっと許されないのだろう。でも、だからといって自分の空いた胸の風穴が埋まるわけでもない。周囲がどんなに彼女の死を悼んでいるかなんて、僕にはなんの足しにもならなかった。


 それから、どのくらい時間が経過したのだろうか。携帯電話の音が、何度も何度もうるさく、うるさく鳴っている。千紗だろうか。岳だろうか。それとも、見知らぬお節介なクラスメートだろうか。それでも、僕はメッセージを見る気にはなれなかった。多分、気分を変えた方がいいのだろう。それから、好きな音楽を聴いて、録画していたユーチューブのお笑い動画を片っ端から見た。世の中には、他にいくらでも楽しいことが転がっている。もう、とにかく僕は疲れたんだ。もう、すべてを忘れたいんだ。IWOのことも。木乃のことも。そう思った。


 やがてそれも耐えられなくなり、ベッドから起き上がった。礼服のズボン。カッターシャツのままの恰好で外に出て自転車を漕ぐ。太陽はこれ以上ないくらい照りつけていた。きっと、どんなことがあっても、変わることなくこの世界を照らしているのだろう。なかなか変わらない信号機を待っている間、それを眺めながら、なんだか酷く憎らしくなった。横断歩道横の信号機がなかなか青にならず、すごくイライラした。通行する車もまばらなのに、なんで等間隔でしか変わらないのか。彼女がどんな気持ちで時を刻んでいたのかもまったく考えもしないで、信号機はいつも通り等間隔でしか変わらない。もう行ってしまおうかと少し前のめりになってると、パパーッとクラクションを鳴らされた。やっと青になった信号機の電柱を蹴って、ペダルを全力で踏み込む。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 はちきれそうな胸の痛みを抑えるために、あえて全力で自転車を漕いだ。その息苦しさがなければ、もう息もまともに吸えないと思った。激しい動悸だけが、突き刺さるような痛さだけが、どうしようもないこの空虚から救ってくれる……心からそう思った。


 夕焼けの校舎は、まるでそこが別の場所であるかのような錯覚を覚えた。いつもは、朝方と帰りがけにしか見ない景色だからだろうか。そのオレンジに染まった下駄箱が、なんだかすごく寂しそうに映る。駐輪場に自転車を置いて、中に入ると職員室だけに灯りがついていた。生徒たちがいないのに、なにをやっているのだろうか。軽音部の演奏がやけにうるさい。体育館からバスケのかけ声が響いている。別のことに思考を使わないと、頭の中がパンクしそうだった。


「……」


 2年A組の教室。いつもの席に座るけど、木乃はいない。


 当たり前だ。


 彼女は死んだんだから。


「ぐっ……」


 誰も彼女を助けることなんて出来なかった。彼女を助けられる人はいなかった。彼女は誰よりも助けを求めてたのに。誰よりも大きな声で助けてって叫ん出たのに。そんな彼女を助けてくれる人は……ヒーローは……いなかった。


 違う。


 僕が助けたかったのは見ず知らずの人々なんかじゃない。


 僕が……助けたかったのは……














 

「やあ、諸君。我々はゼルダンアークです!」


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