屋上


 病院の屋上は、怖いぐらい晴れ晴れとしていた。これ以上ない、群青日和。僕にとってそれは、ある種皮肉めいて映った。


「……多分、次が最後になるわねー」


 待ち合わせ場所を指定した張本人。すでに、ベンチに座っていた木乃はそう言って笑った。


「……」

「2週間後の金土日でどう? それぐらいすれば体力も戻ってくるんだって。だから、その日」


 まるで、お茶のお誘いのように軽い感じで、彼女は決戦の時刻を提案する。


「ああ……でも、身体は大丈夫なのか?」

「うん、平気。お父さんが大袈裟なのよ。退屈もしてない。隙を見て別室でIWOやってるからね。むしろ、自由時間が増えて楽しいよ」

「そりゃ……いいな」

「入院生活って、ご飯がとにかく味気ないけど」

「……また、キムチ鍋食べよう」

「フフ……あれは美味しかったね。あと、私、あの時食べたパフェが食べたい。あれ美味しかったぁ」

「……もし、アレだったらお見舞いに持ってくるけど」

「じゃあいいや」

「なんだそれ!?」

「私との最後の戦いよ? そんな暇あるの?」

「うぐっ……」

「ちゃんとしてよヒーロー君。私に全力で立ち向かって、無残に負けて命乞いしてください」

「ゆ、歪んでるよ君は」

「アハハ……」

「……」

「……」

「ねえ……」

「ん?」

「もし……」

「うん」

「もし……私が、どっか遠くに行きたいって言ったら、連れ出してくれる?」

「……」

「……嘘。今のは嘘。まあ、でもそれは無理だよね。それは、悪いことだもん。ヒーローのあなたには無理よね」

「連れ出すよ」

「だから……嘘だって」

「連れ出す。東京だって、ニューヨークだって、アフリカにだって連れ出す」

「……富士山は?」

「上を目指すの!?」

「ありがと……嘘だけど、嬉しい」

「……」


 そんなこと、できないってわかってた。僕は、少しでも木乃に……彼女に長く生きていて欲しい。たとえ、一生この病院で軟禁状態だって、死なないならここにいて欲しい。


 それが、紛れもない僕の本心だった。


 それから、僕らは本当に他愛のない話をした。いつも通りの会話を、いつも通りの調子で。やがて、陽が沈んでいき、


「……そろそろ、帰ろう。もう、寒くなってきた」

「まだいいわよ」

「でも、身体の調子が悪くなるよ。帰ろう?」

「……やだっ」

「なんで?」

「だって……」

「……ほらっ、プリント渡すときに書いた言葉のやり取り。あれ、またやろうよ。退院して、学校に戻ったら、またやろう」


 そう言いながら、今はもう……どうやってたのかがわからない。なんで、あんなに無邪気だったのだろう。なにも知らなかった時の方が、本当の気持ちを伝え合えられたなんて。


「……」

「君がいなくなったら……もう、できなくなるじゃん。できないほど……遠くに行くなよ」

「どうせ……死ぬもん」


 その言葉がどうしようもなく胸に響いた。ずっと弱さを見せないのが、神町木乃香だって思った。死への恐怖を笑い飛ばして、悪としてただ堂々としている姿が本当の彼女だと。でも……目の前にある姿はすごく、弱々しくて悲しい。


「……人はいつか誰でも死ぬよ」

「でも……私はすぐに死んじゃう」

「……」

「私……死にたく……ない」

「……」

「死にたくないよ……だって……ずるい……」

「……」

「私だけ……なんで……世界中の人間。日本中の人々。この街に住む人たち。アメリカの大統領。スキャンダルに追われている政治家。人気絶頂の芸能人。住む家もない浮浪者。刑務者に入った犯罪者。なんの罪のない子ども。クラスメート。みんな……みんな生きてるのに……なんで……なんで?」

「……」

「みんな……死ねばいい」

「……」

「世界中の人間。日本中の人々。この街に住む人たち。アメリカの大統領。スキャンダルに追われている政治家。人気絶頂の芸能人。住む家もない浮浪者。刑務者に入った犯罪者。なんの罪のない子ども。クラスメート。家族……千紗……冬馬くん……みんな……みんな……死ねばいい」

「……」

「ねえ、冬馬くん……」

「ん?」

「私……死にたくない……」

「……」

「……死にたく……ないよ」

「……」

「ひっく……ひっく……」

「……木乃……帰ろう」

「……」


 僕に唯一できることは、彼女に胸を貸すことぐらいだった。

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