屋上

                  *


 彼女の不在は、IWOの世界でも影響を与えた。周囲は突然、ゼルダンアークの攻撃が止んだので活気があった。まるで、平和が訪れたかのような振る舞いを見て、なんだか無性に悲しくなった。僕らは僕らで、彼女の復活に備えてコンビネーションの連携を磨いたが、やはりどことなく千紗の行動に精彩が欠けた。


「おい、体調が悪いのか?」


 いつも悪態をつく岳が珍しく心配をすると、不意に彼女は顔を両手で覆ってすすり泣き始めた。木乃の病状はわかっていないが、もしかしたらと不安な気持ちがあるのかもしれない。岳はオロオロしながらも、彼女の両肩に手を添えた。


「げ、元気出せよ。お前がそんなだと、調子狂っちゃうよ」

「……うん、ありがと」

「い、いや……」


 普段見せぬ弱さに、岳は顔を真っ赤にさせながら固まっている。


「でも……気安く触んないで」


 バシッ。


「……」

 強めに払われた岳の両手は、すごく切なそうだった。なんだか、この2人の関係性は先が長そうである。


「さっ、始めましょう」

「……大丈夫?」


 僕のそれは、心配じゃなく確認だった。ゼルダンアークは神町木乃香であり、新井千紗の親友だ。彼女を知っていればいるほど、この先戦っていくのには覚悟がいる。正直言って、彼女の戦線離脱は痛い。治療師はパーティーの核だ。高レベルのそれは、消耗系アイテムでも補うことができないし、回復に特化したプレイヤーがいるだけで安心感が違う。今更、代わりを探すのは難しいし、そんな時間が残されているとも思えなかった。でも、それでも、彼女と戦うべき資格がある者は、彼女と戦う意思がある者だと思うから。


 その問いかけに対し千紗は首をユックリと縦に振った。


「私は、最後までゼルダンアークと戦う。それは、私が決めたこと。あんたからダメだって言われても、なにがなんでもついていく」

「……そうか、わかった。じゃあ、しっかりと集中してくれ」


 それ以上は、なにも言わずに訓練を再開した。それ以降は千紗も、必死に雑念を振り払い食らいついてきた。


 過ぎ行く時間に対し、面会までの日にちを数えるようになり……


 そして、面会日当日になった。


                  *


  神町木乃香の病室は、やはりVIP並みに広いものだった。高級ホテルの一室のようなそれはクラスメート全員がスッポリと入るぐらいの広さである。どことなく、遠足のような心地ではしゃいでいるクラスメート数名に、いつものように優しい笑顔を浮かべる木乃。なんとなく、少し痩せたようだったけど、そこまで体調が悪そうじゃなくて安心した。


「わぁ、千羽鶴……ありがとう」

「俺たちクラス全員の想いが詰まってるんだぜ! まあ、詰まってなくてもいい奴はいるかもしれないけど!」

「そんな人いないわよ」


 白石君とのやり取りでドッと室内が盛り上がる。千紗は、もう離さないとばかりに木乃の手を握っていた。今日までは面会謝絶だったが、恐らく彼女は毎日ここに通うのだろう。


 クラスメートの面々が次々と木乃に声をかけていく。制限時間を設けられ、一人ずつ。まるで、アイドルの握手会みたいだった。しかしそこでも、やっぱりヒエラルキーは存在していて、1軍は5分間。2軍は1分。3軍は30秒。そして――


「お前らは、そんなに仲良くないから5秒な」


 白石君がみんなに聞こえるように、僕と岳に耳打ちしてきた。クラスメートから嫌なクスクスが蔓延する。そんな嫌がらせは、2年間ずっと受け続けていたので慣れてるはずだった。ただ、5秒……この短い時間でなにを伝えられるのか。でも、それは、30秒だろうが、1分だろうが、5分だろうが、変わらない。たとえ、1日の時間をもらえたって僕が彼女にすべてを伝え切れるなんて思わない。


「あ、あの……このたびは……」

「はい、ブブーッ。岳君制限時間です」


 テンパってロクに話もできない岳を囃し立て、笑い者に仕立てた白石君は、早速引き剥がそうと服を引っ張る。クラスメートはほとんど全員嘲笑ってた。そんな中、唯一笑ってない千紗が立ち上がった時、


「あっ、ちょっと待って……岳君。本当にありがとう」


 木乃がギュッと岳の手を握り、一瞬にしてクラスに静寂が訪れた。


「お、おい木乃。お前、そんなやつ……伝染(うつ)んぞ!?」

「「「ははっ……」」」


 数名の乾いた笑い声が、寂しく響く。ジョークのつもりだったようだが、いささか趣味が悪過ぎたようだ。おそらく、この行為で白石君は2軍落ちの憂き目に遭うのだろう。


「ううん……今日は、来てくれてありがとう」


 木乃は明確にそのジョークを否定した。そして、岳に堂々とお辞儀をした。そこには、いっぺんの曇りもなかった。


 そして、僕の番になった。


 ずっとなにが言えるだろうって考えてた。彼女が入院してから、毎日毎日そのことを考えない日はなかった。敵同士としての関係。クラスメートとしての関係。僕が彼女に抱いている思いは無数にあったけど、最後には、この言葉に行き着いた。だから、僕は一言伝えた。それは、白石君に5秒と言われたからじゃない。心の中の本心を、ただ、言い表しただけの言葉を。ただ、伝えたいだけの言葉を。


 ただ、一言。


「……待ってるから」


「うん……ありがと」


 岳と同じように、木乃は僕の手を握った。ひんやりと少し冷たい掌の感触に、無機質ななにかがザラリと伝わる。彼女は変わらずに笑顔で僕の手を握り続けていた。


「ちょ、ちょっと長くないか?」


 白石君が挽回しようと、はしゃぎたてる。今度は、誰も笑う者はいなかった。なにも言わずに、ただ黙ってその様子を見ていた。


「フフ……だって、冬馬君の手、あったかいから」

「……」


 十数秒の時が経過しただろうか。彼女の掌に少しの温もりが戻ってきた時、やっと、手を離した木乃は、最後の出番である白石君と話し出す。恐らくは5分以上は粘っていたように思うが、話は特にまとまっておらず、空回り感は半端じゃなかった。空気としてはすごくシケていた。非常にひんやりとしていた。握手もせずに終わった白石君はションボリと言うよりも、どこかキレているように見えた。噂では、『彼女に告るんじゃないか』と言われていたので、雰囲気次第ではというところもあったのだろうか。


 クラスメートがそれぞれ帰宅する中、僕は帰らずに一人だけ残った。30分ほど、病院の外回りを回った後、握りしめたミッフィーちゃんのノートの切れ端を取り出して、指示された場所に向かった。

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