日常
*
それがわかった時は、クラスのHRだった。加藤先生が極力平静を装った表情で、彼女の病状を伝えた。それは、まぎれもなく嘘の病状だった。持病が悪化して入院。2、3週間もすれば良くなるだろう。生徒を安心させるように話す先生には、恐らく本当の病状は知らされていないのだろう。
そして昼食の時間、新井千紗に呼び出されて胸ぐらを掴まれた。
「木乃の病気のこと……なにか知ってるの!?」
「……知らない」
約束した。特に目の前の彼女にだけは言わないでって、強く釘を刺された。千紗は結構泣き虫のようで、本当の話をしたら毎日泣いてしまうからだそうだ。大好きな親友が泣くのを見るのは、耐えられないのだと。
思えば、ずっと木乃は自分の身体と戦ってきたのだろう。IWOでの戦いも、必ず彼女から勝負を切り上げた。それは、決して余裕を見ているからではなく、肉体の限界によるものだったのではないか。彼女の身体に起こる異変を微塵も感じさせないその精神力は凄まじい。でも、僕にはどことなく悲しく感じた。
その他、反応はいろいろだった。クラス全員で千羽鶴を折ろうと提案する委員長の坂本君。すぐにお見舞いに行こうとはしゃぐ白石君。様々な形のお見舞いプランが浮上する中、僕らといえば、そんな話に参加もせずに岳とゼルダンアーク討伐の話題で盛り上がっていた。木乃は同情されることを望まない。僕が彼女にできることは、彼女の敵となって全力で立ち向かうことだ。
「はい、お前らも千羽鶴。一人のノルマ25枚な」
その日の休み時間に、坂本君から折り紙を手渡された。悪気のないノルマという言葉に、どうしても違和感を感じてしまう。折り紙を折りながら、こんなことをしてなんになるのだろうという想いが拭いきれない。
神にお祈りをする。彼女の病気が早く治りますようにって。じゃあ、彼女が病気にかかったのは誰のせいだ。彼女の病気は遺伝上のもので生まれた時から決まっていたそうだ。だとすれば、こんな運命を押し付けたのが神なのに、僕らは誰になにをお祈りすればいいんだろう。
木乃はこんな千羽鶴をプレゼントされて喜ぶのだろうか。決して叶わぬ願いをのせた千羽鶴。過半数がノルマを課せられて、特に想いのこもっていない自己満足の千羽鶴。クラスメートの善意という名で作られたそれは、すごく滑稽だ。
「今度の土曜日。午後2時。絶対に来いよ」
昼休み、1軍の取りまとめ役である白石君がみんなに宣言した。彼女と仲良い者も、そうでない者も関係ない。クラス全員で行くことに意義があるんだ。そう言いたげだった。もちろん、それに反論するクラスメートはいない。そんなことをすれば、この先の学校生活で待っているのは地獄だろう。正義という大義名分を得た彼らは問答無用で悪のレッテルを貼って、その生徒を迫害するのだろう。
ただ、僕も彼女の様子が心配だったのでそれは助かった。もちろん、こんな大所帯だから、発言権など与えられはしないだろう。位置としては後方、クラスでの席とは違って、部屋の端っこくらいの場所でかろうじて彼女の顔がわかるくらいのものだろう。でも、それでもよかった。
「ええーー、であるからしてーー」
歴史の授業で松永先生の長ったらしい声を聞きながら、普段ある背中がないことに、どうしようもない寂しさを覚える。こんなにも殺風景な景色だっただろうか。視界が広くて、それが妙にわびしい。プリントは、前の前の席の後藤君が配ってくれるけど、それがこんなにもつまらない行事だったことを今更になって思い出す。
実際には、元に戻っただけだ。プリントを渡すだけという、機械的な作業。それに特化することによって、互いの感情的労力を減らすことができる。互いによく知らぬ間柄の後藤君と、そんなやり取りをするだけ。それはベストではないがベターである。そんな……はずだった。
彼女がいない平日は、まるでなにも起こらぬ平穏だった。それは、感情をかき乱される心配もない日々。安心で安全……そして、なんて退屈な時間なんだろう。まるで、スローモーションのように長く、のんびりと、のろい。
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