今ならまだ
*
木乃がチョコレートパフェを頬張りながら、まるでこともなげに話すので、理解するのに時間を要した。まずは、こんなところで話す言葉じゃない。そして、こんな場面で話すことじゃない。ましてや、なにかをしながら、まるで談笑でもするかのように、話すことじゃない。あらゆる事柄において、間違っているその言葉は、容易に僕の頭には届かなかった。
「……ん?」
聞き返しながら、心臓の高鳴りが抑えられない。届けられた言葉にはそれだけのインパクトがあった。それから、何度も何度もその言葉が頭の中に駆け巡る。いったいなにを言っているのかが理解できなかった。で、冗談にしては趣味が悪いなと。悪役だからそれは仕方ないのかななんて、人ごとのように思ったりして。
「私、死ぬの。大きい発作が起きたら死んじゃうっていう病気」
それでも淡々と話す彼女が、聞き間違いや幻聴という逃げ道を見事に塞いだ。神町木乃香が死ぬ。この世の中からいなくなる。IWOの世界じゃなくて、現実の世界から。僕の前から、いなくなる。
「……」
「びっくりした?」
「……した。というか、なんで僕?」
とにかく、混乱していた。彼女の言ったことを仮に信じたとして。次々と疑問が湧き出てきたが、まず最初に思い浮かんだのがこれだった。
「ん?」
「そんな話するの、他の人でいいじゃないか」
これは、心からそう思った。それは、不満じゃなくて単純な疑問。僕と木乃は敵同士の関係。それ以上でもそれ以下でもない。罵りながら、いがみ合いながらプリントを渡し合うだけの間柄。彼女には、親友の新井千紗もいる。他にも友達はいくらでもいるだろうし、心配して涙してくれる人もいっぱいいるだろう。
「……あなたに敬意を評して」
「敬意?」
「私は、これでもかってほどIWOをやりこんで、誰も私に敵う者はいなかった。それは……どこか退屈だった」
「……」
「でも、あなたはそんな私にとって、最強の敵となって……最も憎むべきヒーローとなって私の前に現れた」
「……」
それは、そうかもしれない。木乃の強さは異常だ。その狂気的な強さを目の当たりにして生き残れているのは、おそらく僕しかいないということだろう。
ずっと体育ができない彼女が、IWOにハマった理由も理解できる。僕にとっては、寂しさからの脱却。彼女にとっては大地を全力で駆けめぐりたいという願望。理由は違っても、向ける想いがまったく同じであることに妙なつながりを感じる。
でも、彼女はどうしても言って欲しい言葉を決して答えてはくれなかった。一言、嘘だって。単に僕を困らせるためのイタズラだって。きっと僕はすごい怒るだろうし、場合によってはひどく君を責めるだろう。でも、そうであって欲しい。それは、心の底からそう思った。こんな時ほど、君が不誠実な人であればいいと願ったことはない。君が狼少年のような嘘つきで、毎日毎日嘘を言っているような少女であればいいと。
「私……ゼルダンアークは、全身全霊をもってヒーローである君を消滅させる。今日は、それを言いたかったの」
彼女はそう言って手を差し出す。
「……だから?」
「ん?」
「自分が死ぬから? だから、次々とプレイヤーたちを消滅させていったの?」
「……そう」
木乃は歪んだ笑みを浮かべた。ゼルダンアークでいる時と同じような表情で。いつもは、すごく憎たらしくなってくるそれが、なんだか悲しく映る。どことなく泣いているように見える。
「……」
「だって、不公平じゃない。私が死んじゃうのに、みんなは楽しく私が大好きなIWOをやってるんだよ? そんなんズルイでしょ」
「君は……間違ってるよ」
そんな自分勝手な理由で。自分が傷つくからと言って、人を傷つけたら駄目だろう? 自分が死んじゃうから、人を殺していいなんて理屈がまかり通る訳ないだろう? それは……そんなのは紛れもなく悪だ。
「……だったら、止めてみなさいよ、ヒーロー君」
彼女は不敵に微笑む。
「……ああ」
やっと、わかった。僕は彼女に敵として認められたのだ。最後に倒すべき敵として。ならば、僕は彼女の悪を全力で否定する。彼女の幼稚で、自分本位で、許せない悪を。認めるわけにはいかない。どんなに辛くたって、他人に当たるなんて許されることじゃない。
僕にとっては正々堂々、彼女にとっては悪々堂々とした握手は、断固たる決意をもたせた。
それと同時に。別の想いもやってくる。
よかった。
僕は、まだ戻れる。彼女が死んだ後の生活に、まだ戻れる。もしかしたら、もう少しいっしょに過ごしていたら、彼女のことをもっと知ってしまっていたら、自分はもう戦えなかったかもしれない。
彼女は敵同士であると同時に、同じクラスメートだ。よくプリント配布で口論し合う間柄で、体育の時間に二人っきりで話したり、こうして二人で買い物もしたりする。でも、それだけだ。もし、僕が彼女の大親友である新井千紗だったら、僕は彼女の敵となることをためらったかもしれない。僕が彼女の恋人であったのなら、僕が彼女にトドメをさせなかったのかもしれない。僕が彼女の父親である神町陽一だったら……僕は彼女を倒せなかったかもしれない。
木乃への想いを今なら否定せずにいられる。かなりの部分、君に惹かれていたというこの気持ちを、『もう死んでしまうから』という理由で今なら抑えこめる。僕は敵としての彼女の存在の方が大きいから。大丈夫だ。僕は君を倒すべき悪として憎むことができる。消滅させるべき存在と認めることができる。
今なら……まだ……
僕は何度も自分に言い聞かせた。
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