撤退


 それから、数十分が経過したのち、悲鳴がやんだ。


 瞬間、現れたのは勝者――ゼルダンアークだった。しかも、無傷。


「嘘だろ……」


 あれだけの戦力で、無傷なんてありえない。レベル300越えの猛者たちが5人も動員して、一つの傷も与えられていないなんてどうかしている。


「フフフ……無駄な努力ご苦労様」


 木乃は不敵な笑みを浮かべる。


「ブッシャリオンさん!」

「喝!」


 とっさに呼応して、僧アビリティが発動される。瞬間、目には見えない気合のようなものが、彼女に向かって襲いかかった。さすがに、状況把握もプロ級だ。どうやら、敵をゼルダンアーク一人に定めてくれたらしい。相手がいくら強敵とは言えど、初見で300レベル越えのアビリティを防ぐことは難しい。数秒でいい。数秒の時間が止まれば、岳の最強必殺で――


「無駄よ」


 不敵に笑う彼女は、黒い光を発動させて、攻撃を弾く音を立てた。


「ぐっ……南無」


 無防備な身体のブッシャリオンさんに呪縛が襲いかかる。


 カウンタースペル。


 最悪だ。通常のプレーヤーならば指一本すら動けなくなるほどのアビリティを、彼女は瞬時に反射した。これは、結界師のアビリティだ。


 彼女は続けざまに鴉を増殖させ、周囲をまたたく間に暗闇で埋め尽くした。その数は数十……数百……いや、もっと。


「う、うわあああああああああああっ……」


 ブッシャリオンさんは、大群の鴉に飲み込まれて消滅させられた。僕と岳はすぐさま距離をとったので難を切り抜けたが、やはり強い。


「自警団は、過信し過ぎね。自分たちがすでに攻略されているなんて考えもしないんだから」

「くっ……」


 思わず歯を食いしばる。彼らが彼女をマークしていたように、彼女もまた彼らをマークしていた。通常、自警団は狩る側の人間であり、取り締まる側の人間だ。必然的に、自分たちのアビリティは他のプレイヤーたちに知れ渡っている。あくまで同レベルの猛者という前提だが、情報公開されているプレイヤーほど簡単に攻略できるものはない……いや、無傷であるところを見ると、すでになんらかの罠を仕組んでいたのか。


「さて、遊びましょうか」


 彼女はニッコリと薄い唇を歪めた。ローブと仮面に隠されてもなお美しいその姿に、思わず戦慄が走る。これが、あの無邪気な笑顔を見せていた木乃だろうか。本当に、同じ彼女だと言うのだろうか。


「岳、撤退戦だ」

「おう!」


 すでに先手を取られた状態では太刀打ちできない。逃げの一手で心苦しい限りだが、こっちの作戦が崩壊した以上、仕方がない。


「逃がさない!」


 彼女は、細い指先を僕らに向けて無数の鴉を向かわせる。


紅蓮の炎レッド・フレア


 岳が魔法を唱え無数の炎を発生させる、鴉たちは怯み、次々と別の方向へと向きを変える。


「甘い!」


 すでに、間合いを詰めていた木乃の細剣が襲いかかってくる。


「どっちが!」


 マタドール。


 闘牛士職のアビリティ。レベル300、真紅のマントで、それをいなして距離をとる。アビリティレベルの低さはアイテムのレベルと相性で補える。しかし、アビリティほどアイテムは充実してはいないので、可能な戦術がどんどん狭まっている。


「フフフ……さすがね」

「大したことないさ」


 謙遜でなく、本気で答えた。実際、彼女の近接攻撃はその絶対的な防御力に対して貧弱である。防御レベルは少なく見積もっても500を超えているが、近接攻撃は100前後といったところだろうか。先ほどのカウンターは警戒しないといけないが、防御にさえ特化できれば撤退は可能だ。


 あとは、あちらがどれだけアビリティを見せてくれるのかによるのだが……こちらが退却の一手を選択しているのはあちらにも読まれているので、それは期待しないでおく。


「やっぱり、あなたたちって面白いわ。私なんかよりも全然弱いのに、そう簡単に勝たしてくれない……いや、むしろ油断すると足下をすくわれかねない」

「それは、こっちの台詞だ」


 効果的な撤退案が思い浮かばない中、話に乗ってくれるならば、このまま話し続ける。とにかく、時間を稼ぐためには話に真実を織り交ぜないといけない。ブラフばかりだと飽きられるし、すぐにバレてしまう。


「……やめた」


 突然、彼女はクルリと背を向けて歩き出す。


「なんのつもりだ?」

「今のままじゃあなたたちは私に勝てない。かと言って、このままあなたたちを追っても倒すことはできない。これは、私がしたい勝負じゃない」

「……」

「互いの生死を懸けた勝負がしたいの。互いにギリギリの実力でね。あなたたちはヒーロー側。正義の名の下に、卑怯に人数を集めたり、姑息な手を使って全力で私を倒しに来なさい。私は悪の代表として一人で堂々と迎え討つ」


 そう宣言をして、彼女は闇の中へと消えて行った。


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