時間
「……」
「……」
・・・
とりあえず、ここの空気は死んでいる。今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られるが、もはや後の祭り。恐る恐る横のベッドに寝転ぶが、尋常じゃないほど気まずい感じである。
「……」
「……」
ち、沈黙の音がうるさい。
「仮病使うなんて、やっぱり正義って卑怯ね」
口撃は彼女から開始された。IWO内の応酬や、プリント配布とは違って、現実世界の肉声は結構つらいものがある。
「けっ、仮病じゃないよ。ちゃんと僕はお腹が痛くて――」
「嘘つき」
「……っ」
な、なんて女だ。なんの根拠もなく嘘つき呼ばわりして。もし、僕が嘘をついてなくて、ただ純粋にお腹が痛かったらどうするつもりなんだ。この傷ついた心に対して責任はとれるのか。
まあ、嘘なんだけど。
「私に同情して? 興味本位で?」
矢継ぎ早の敵意。当たり前だけど、穏便なコミュニケーションを取る気はなさそうだ。
「そんなんじゃないよ! そんなんじゃない……僕はただ……」
「……ただ?」
「よく、わかんないんだけど……来たかったんだ」
自分でも、自分でやってることに理解ができない。うまく、言葉がみつからない。だから、頭に浮かんだ言葉を、ただ出した。
「……」
「ごめん……嫌だったら帰るよ」
そりゃ、気分を害したであろうことは容易に想像がついた。あらためて、行かなければよかったという後悔が僕の心を支配する。やらなきゃよかったと後悔するよりやっておけばよかったと後悔する方がマシだって人もいるけど、そうじゃないパターンも多く存在するってことが、このクソ現実社会なのだろう。
「べ、別に嫌じゃない。って言うよりあなたの存在がここにいようとそうじゃなかろうと、私にとって大きな影響がないってだけで」
「……うん」
「な、なによ……いつもはもっともっとガッって反論してくるのに」
「……」
「お腹……痛いの? 大丈夫?」
「……同情? 興味本位?」
「ひ、ひどっ! 騙したわね! 人が心配しているのをいいことに」
「……ああ、そうか」
「な、なにが?」
「僕も君を心配してたんだ」
やっと言葉が見つかった。と言うか、君が見つけてくれた。
「……っ、もういい!」
木乃は掛け布団に潜り込んだ。
「大丈夫?」
言いたかった言葉がやっと口から出た。
「平気よ。小さい頃からずっとこうだったんだもん。それに、体育なんて全然楽しそうじゃない。IWOの世界に行けば、私は自分の好きなことを自分の好きなように全力でできる」
「……その好きなことがねじ曲がってるんだけどね」
「ねじ曲がってるのはそっちでしょ!」
「いや、一般的に言えばそっちだよ」
「フフ……すぐに正義って言うのは多数派を味方にしたがる。覚えておきなさい、数が多いってことがすべての人にとっての正解とは限らないってこと」
「……そう言うのをねじ曲がってるっていうんだよ」
「うぐっ……」
「でも、大丈夫そうだったから安心したよ」
「ど、どうせ私を倒せないから、本当は毒殺しようとでも企んでたんでしょう? 白状なさい」
「怖すぎることをいうなよ! 現実世界でまで君と争う気もないし、そもそも僕は正々堂々と倒して、君の目を覚ましてあげたいんだ」
「ふーん……そういう礼儀はわきまえている訳ね。ヒーローの中でも、いくぶんだけまともなヒーローだという認識はしてあげるわ」
そんな風に自己完結する彼女を眺めながら、ふと脳裏に疑問が湧いてくる。
「……どっち?」
「な、なにがよ?」
「だって、他の友達と話している時とか全然口調違うじゃん。で、IWOで話している時は、いっつもこんな感じだし」
圧倒的に尊いのは、もちろん前者だ。でも、後者の自分にしか見せないような口調がそうであって欲しいとも同時に感じている。
「……別に使い分けてるわけじゃないわ」
「バリバリ使い分けてるじゃん!」
それ以外になにがあるってんだ。
「ほんとよ……なんか、緊張するのよ。クラスの人たちと話す時って」
「……僕は?」
「敵」
「ひどっ! なんだよそれ!?」
「それ以外になにがあるってのよ?」
「……」
そう言われて、なんだか言葉に詰まってしまう。確かに木乃とは友達じゃない。ましてや、今日のイケメンみたいに付き合いたいなんて大それたことも思わない。
「な、なによ……黙らないでよ」
「……」
「……怒った?」
「……」
「でも、敵としては大分マシな方よ? 今まで私と張り合える敵なんていなかったんだから。その……なんていうか張り合いがあるって言うか。実力だってなかなかのもんだし、すっごくマシな方かもしれない」
「……」
「……怒ったの?」
「クックククククク……ハハハハハハハハハハハハ!」
「な、なんで笑うのよ?」
「嬉しかったから」
なんだか、あたふたしながら必死にフォローしてくれようとしている彼女を見ていて、自然と笑いが溢れてきた。随分と変わってて、性格もねじ曲がってる子だけど、絶対に悪い子じゃない。本人にそんなこと言ったら、断固として私は悪い子ですと言い張るんだろうけど、決して悪い子じゃないはずなんだ。
「……っ、意味わかんない。やっぱり、前言撤回。あなたって最悪のヒーロー」
「それだと、意味としてはマシな方になんない?」
「ま、間違えた! 最高のヒーロー! これでいいでしょ?」
「むしろ、僕にとってはそれは褒め言葉だけど」
「うぐっ……じゃあ、どうしたらいいのよ?」
「さあ」
「うぐぐぐぐぐぐぐっ……いじわる」
「……」
「な、なによまた黙って」
「なんで悪が好きなの?」
「……な、なによ。好きで悪いの?」
「悪いから言ってんだよ。どう見ても、君って悪いことが好きなようには見えない」
「そ、そんなことないわよ!」
「だって、いつも礼儀正しいし、クラスメートには優しいし、どちらかと言うと、正しいことばっかりしてるじゃないか。ほら、もっと悪いことしてれば話は違うよ……ほら、万引きとかカツアゲとか」
「訂正して! それは悪なんかじゃない。偽物よ。悪というカッコイイ言葉をまとわせるだけの価値のないもの。そうね……それが正義であり……偽悪よ!」
「……それだと意味が違ってくる」
偽悪は偽善の対義語で、悪ぶっても実はいい人であるとか、要するにツンデレさんだ。
「なんでよ!」
「知らないよ。広辞苑に聞いてみれば?」
一生懸命に食い下がる彼女から目をそらすと、
「くっ……世間知らずね……」
彼女はまたしても意味の違う言葉で悔しさを表現する。帰国子女だからだろうか、時々、いや多分に、ズレた反論が帰ってくる。
「まあ、いいわ。でねっ、本当の悪というのはね、言うなれば悪の怪人よ。本物の悪というのはね――」
その可愛らしい瞳を輝かせながら、彼女が大好きな悪役たちを語る。
僕は、それに耳を傾けて、ちょくちょく意味の違う言葉を正しながら、対するヒーローサイドの反論を熱弁する。
そんな時間が続いた。
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