価値観
*
その場所は、草原だった。誰もいない僕たちだけが知る座標。周囲には木々があり、鴉の声がカァカァと鳴いている。彼女と僕はあくまでも敵同士の関係。油断することは禁物だが、少なくとも『魔のバレンタインデー』ほどの絶望を味わうことはなさそうだった。
ゼルダンアークである神町木乃香は、先日の影多き魔王のような容貌とは違っていた。いや、そのまんまだったという方が正しいかもしれない。
少し明るめのブラウンのロングヘア。精緻に整っているが、大人になりきれていないような幼びた輪郭。スラっとしたモデルのような体形。ローブと仮面で隠していた時は加工されているように感じたが、どうやら現実世界の顔をベースにしていじっていないらしい。それでも、加工し尽くした他のプレイヤーたちよりも断然に可愛いのは少し反則な気がした。
「やっと、来たわね」
「……いや、これでも早く来た方だよ」
やはり、教室にいる木乃とは少し違う。性格がどことなくつんけんしている。本当に彼女なのだろうかと疑いたくなるような話しぶりだ。
「まあ、いいわ。あなたを今日呼び出したのは、取引をしたいと思ったからよ」
「取引?」
「私はあなたの正体をバラさない。そして、あなたは私の正体をバラさない。どう? あなただって、クラスに隠してるのは自分の正体がバレたくないからでしょう?」
「……まあ、そうだね」
「それなら! 交換条件成立ってことでいいのかしら?」
「ちょっと考えさせて」
「ひうっ……」
「……」
いくらなんでも動揺が激しすぎる。この子は、絶対にお化け屋敷に一人で入れない。絶対に生涯ジェットコースターに乗るまいと固く誓っている。そんな生粋のビビりだと思って間違いないだろう。
「な、なにを考える必要があるのよ! バラされたくないんでしょう? わ、私が言っちゃったら、あなたはハンドルネームを学校中に知られる羽目になるのよ!」
「逆に僕がバラされたら、『なんで木乃が知ってるの?』ってことにならない? どっちかと言うと、クラスメートはそっちのが気になるんじゃないかな。その時、君はどう答えるの?」
「な、なんて卑怯な……やっぱり、ヒーローって卑怯よ!」
「……」
あくまで、一般的な質問を口にしただけなのだが。
「じゃあ、どうすればいいってのよ! ま、まさか……私の身体を?」
「き、君の中で僕はどれだけの悪人なんだよ!」
両腕で胸を隠す仕草を見て、予想以上に慌てて反論してしまった。脳裏の端にも引っかからなかったことではあるが、言われてみて映像が思い浮かんでしまい、慌てて雑念を振り払う。
「悪人のわけないでしょう! あなたはヒーロー。正義のためだったら、どんな汚いことでも平気でやる輩でしょう!」
「そのわけわかんないヒーローの定義やめてくれないかな!」
話してて、こっちまで訳がわからなくなる。世界は広い。そんな正義至上主義のヒーローが未だかつていなかったのかと問われればそんなことはないと思うが、あくまでそれは特殊例だ。王道はやはり、弱い者を助け、悪を倒すヒーローであろう。
「と、とにかくどうすればいいのよ?」
「うーん……たとえば、ゼルダンアークをやめるとか」
と、自分で提案しておいて虚脱感は拭えない。思い浮かべてたのは、こんな感じじゃなかった。ゼルダンアークと対峙して、ヒリヒリするような死闘。デスゲームでの策略と駆け引き。悪と渡り合うための仲間を集めたり。中には裏切られたりして、それでも育まれる友情と絆。そんなストーリーを妄想していた僕にとって、初っ端から降参を促すなんてのは拍子抜けもいいところだった。
「そんなことできるわけないじゃない! 本末転倒よ! 断固として、本末転倒!」
「そもそも、なんでこんなことやってるんだよ? みんな困ってるぞ! 必死で頑張ってレベル上げして、理不尽に殺されてリセットさせられる身にもなってみろよ!」
だんだん腹が立ってきた。どんなに見た目が間抜けでも、このやりとりが滑稽でも、やってることは最悪だ。はっきり言って、これは法律に引っかからないテロや戦争、殺人と同じだ。現実世界で極刑になるような犯罪を、法の目がないからと好き勝手にやってる、まさしく悪の中の悪だ。
「フフ……フフフフ……でしょ? みんな困ってるでしょ? それ、私がやったのよ。私が……フフフフ……」
「……っ」
その時、僕の背中に悪寒が走った。
彼女は――木乃は笑ったのだ。教室での姿と別人だと思うくらいに、嬉しそうな笑顔だった。
「それ、本気で言ってるのか? 呆れるよ。人が困った顔見てうれしいなんて。見損なったよ」
どれだけ容姿が可愛くても、クラスの1軍に君臨していたとしても、世の中には――もといIWOにはやっちゃいけないことがある。この世界では、神町木乃香は殺人犯だ。テロリストなんだ。人が困っているところを見ながら、悦に浸っているなんて、それ以外の何物でもない。そんな奴の腐った性根は絶対に僕が叩きだしてやる。
「……っ、あなたになにがわかるのよ!」
「わかないよ! でも、お前が悪いって言うことはわかるよ!」
気持ちが悪くて吐きそうだった。こんなに嫌な気持ちになったのは、いつぶりぐらいだろうか。人の不幸を笑っている木乃なんて、見たくなかった。あんなに優しくて、尊い彼女が、人が傷つく姿に快感を覚えるなんて、想像しただけで吐き気がした。
君がどんな家庭環境で育ったかなんて、まったくわからない。稀代の天才プログラマーである神町陽一の娘なんだ。僕が知る由もない、想像すらできないような辛いことがいろいろあったのかもしれない。だからって、人の大切なものを傷つけちゃいけない。
ここは、僕を救ってくれた大事な場所だ。僕はここで人生の大半を過ごし、ひたすらに頑張り、生きてきた。そんなプレーヤーは僕の他にも多数いるだろう。現実世界でうまく生きられず、ここに救いを求めるプレーヤーたちが。ここでの生活を糧に現実世界を生きようというプレーヤーたちが。そんな彼らを、この場所で、その歪んだ想いで、傷つけるなんてことは絶対に許せない。断じて、あっちゃならない。
「じゃあ、あなたの力で止めてみなさいよ! 果たして、あなたにできるのかしら……レベル40程度の弱小プレーヤーが」
「そんなもん、やってみないとわからないだろう!」
そう叫んで戦闘の構えをとった。
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