翌日

           *


 翌日の教室は怖いぐらいにいつもどおりだった。中間テストはつつがなく続き、前の席にいる木乃からいつもどおりプリントを受け取り、回収された。昼休みの間には、2軍の井土君が「ゼルダンアークにやられた!」とお涙頂戴話を騒ぎだし、一方、僕ら4軍はそんなこととは全く関わりがなく、ヒソヒソと深夜アイドル番組の話で盛り上がる。


 ただ、ひとつ違っていたのは、僕が彼女の行動をよく観察するようになっていた。普段から、その尊さゆえに目につきがちであったが、テスト中にはその背中を穴が開くほど凝視していた。まったく偶然ではあるが、昨日と同様、ほんのり薄いピンクの下着が浮き出ていたので、ピンクが好きなのかなという推測もした。10分の休憩も、より耳を傾けるようになった。


 神町木乃香は尊い。結果的にそれは、どうやら間違いないようだった。1軍の集団では、その攻撃性と尊大な態度はなりを潜め、まるで聖母のような性格だった。特に人の悪口も言わずに、やわらかな微笑で、おしとやかに1軍クラスメートの話を聞き入っている。自分から積極的に話すようなタイプではなく、どちらかと言えば1軍のクラスメートたちが群がってくるので丁寧に応対しているというような感じ。特定で仲がよいという子は新井千紗。彼女とは相当仲がいいらしく、いつも隣同士でお弁当を食べている。ただ、たまにみんなが盛り上がっている中、ポツンと一人黙って座っている光景も見つけた。


 もっと、学生生活を謳歌している感じかと思っていたら、どことなく寂しげな印象も受けた。係は生き物係で、時間が空いていれば、いそいそとハムスターにひまわりの種をあげていて、排泄物処理も毎日欠かさない。客観的に見れば、真面目でおしとやか、それに優しい心を持った美少女そのものだった。


 あくまで補間的に気づいたことではあるが、1軍の中にもいろいろな人がいた。イケイケ女子、やったれ男子、比較的大人しいスポーツマンのイケメン、もう完全なお笑いポジションの男女漫才コンビ(どうやら付き合っているらしい)。僕らは僕らで『全員ロクでもない奴ら』と一括りにしていたが、どうやらそうでもないらしい。


『2105.249、926.78』


 中間テストの最後。数学のテスト配布時、ミッフィーちゃんのタッグメモと共に手渡されたメッセージ。木乃の表情はいつもと変わらぬ微笑だったが、それは偽物(フェイク)だとわかっているので、感情は読み取れない。一つだけ、この数字を見て思い浮かぶものはあるが、果たしてそうなのだろうかと半信半疑になる。


 放課後になると、挨拶もそこそこに一人で帰って行く木乃を見かけた。彼女も僕と同じく帰宅部である。いや、そもそも部活なんかをやっていれば、あれだけの化け物プレーヤーにはなっていないのでむしろ当然の話なのだが。


「めずらしいな。いつもチャイムが鳴ったらダッシュで帰宅なのに」

 岳がカバンを背負いながら声をかけてくる。

「……そっちこそ」


 痛いところを突かれて、思わず反論する。岳に彼女を見ていたなんて話したら、即座にストーカー防止条例の話をされるのがオチだ。できれば昨日の出来事を相談したいが、彼女の正体はバラさないと約束した。たとえ、相手が悪の総帥ゼルダンアークだとしても、ヒーローを自称する僕は、約束を無下に破ることはできない。


「俺はいつもこれぐらいだよ。どうせ早くプレイしたって、お前が来なかったらずっと待ってなきゃいけないしな。それより、今日教えろよ。どうやって、あのゼルダンアークから逃げのびたのかをさ」

「あっ……っと……今日はちょっと予定があるんだ」

「はぁ、マジで!? 何の用事だよ」

「えっと……妹! 妹の誕生日!」

「嘘! あの可愛い柊ちゃんの!?」


 パッと思い浮かんだ言い訳に、めちゃくちゃ食いついてくる親友。


「う、うん……可愛いかどうかは知らんけど」

「なるほどなぁ……お前の妹とは思えないほど、あの子は尊いからな」

「失敬な。骨格とか輪郭とかは結構似てるだろうが」


 と言いつつも、中学校でバリバリ1軍を張っている3歳下の妹は、4軍である兄の存在を秘匿としているなんとも失礼な輩である。「顔だちは似てるんだから、もっとオシャレしてよ」と顔を合わせるたびに文句を言われるのだが、生まれついた性分はなかなか変えられない。


「……俺も一緒に行ってお祝いしていい?」

「だ、ダメに決まってるだろう!」

「なんでだよ、義兄(にい)さん」

「やめろ、縁起でもない!」


 はっきり言って気持ち悪い。友達と妹が結婚するなんて、なんとなく想像したくない未来だ


「くっ……なんて友達甲斐のないやつなんだ」

「友達の妹に手を出そうとしてるやつこそ、友達甲斐がないと僕は思うけど」

「まあいいや。俺も、ゼルダンアークに敗北して己の不甲斐なさを思い知ったからな。ちょうど、一人で武者修行でもしてくるわ」


 そんな感じで、岳とは校門で別れた。今日は金曜日。やつのことだから、54時間休みなし、ご飯なしのモンスター討伐という狂人プレーにでも興じる気なんだろう。


「……」


 どことなく気持ちが落ち着かないのは、気のせいだろうか。まるで、バレンタインデーのあの日のように。小学校5年生の時だった。下駄箱にチョコレートが置いてあって、必死で隠した。学校にいる時は、中身をあけられず家に帰ってから空けたら、いたずらの泥団子だったこと。そんな純粋な少年の心を傷つけるような残酷ないたずらが、高校生となった今でも横行しているというのだから、世の中と言うのはまったく怖いものだ。


 なるほど、彼女が本物の悪だったらそんなことをしそうである。


 いつもどおり自転車を漕いでいるつもりでも、なんとなくその足は遅い。早く辿りつきたいようで、なんとなく辿りつきたくないような感覚。そんなものに身体中が支配されていた。そして、とうとう自宅に到着してしまい、部屋に入ってカプセルに入ってボタンを押した。


【X】2105.249 【Y】926.78


 それは、IWO内における座標の位置を示していた。他の可能性はないか、これだと、あまりにあからさますぎるようにも思ったが、結論はどう考えてもそこにしか向かわなかった。


 そして。


 目を開くと、神町木乃香がそこにいた。

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