3ー12 三人称:クラウディア視点 ノア様の聖女

 聖域を展開していた私のもとに、急にノア様が駆け寄ってきた。それを気配で感じた瞬間、なにか自分に危険が迫っているんだって理解した。


 だけど同時に、ノア様が護ってくれると信じた私は聖域の展開を続ける。その直後、背後でノア様の呻き声が響き、レティシアやガゼフくんが息を呑んだ。


「ノア様!?」

「――聖域を解除するなっ!」


 振り返りたい衝動に負けそうになった私をノア様が叱咤する。

 私は不安な気持ちを押し殺し、聖域の展開に更なる魔力を注ぎ込んだ。そしてほどなく、残っていた瘴気が、私の展開した聖域によって消滅した。


「ノア様、やったよ――」


 振り返った私が目にしたのは、ノア様が倒れ行く瞬間だった。すぐさま駆け寄るが、ノア様は血まみれで意識すらない。それを理解した私はすぐにヒールを使おうとするが――


「待って! お兄ちゃんにヒールはダメだよっ!」


 必死なティリアちゃんの声が私を止める。


「お兄ちゃんは左腕を斬られてる。いまの状態でヒールを使ったら、斬られたところで傷が塞がって、腕が繋がらなくなっちゃう!」


 言われて、私もようやく、ノア様の腕が斬られている事実に気が付いた。同時に、ただのヒールを使う訳にはいかないという言葉の意味を理解する。


 ノア様の腕を戻せるのはエクストラヒールだけ。だけど、一度ヒールで傷をふさいでしまえば、エクストラヒールでも腕は戻らない。

 ヒールが使えない事情を理解した私は、布を使ってノア様の腕の止血を始めた。


「ティリア、クラウディア、気持ちは分かるがヒールを掛けるしかない」


 先生がそんな一言を口にする。

 だが、ティリアちゃんはダメだよと首を横に振る。


「ここでヒールをしたら、お兄ちゃんの腕は一生そのままじゃない! そんなことをしたら、騎士としてのお兄ちゃんが死んじゃう!」

「そんなことは俺も分かっている! だが、このままだと出血で死んでしまうぞ! 森を抜けるのに、どれだけ時間が掛かると思っているんだ!」


 そんなやりとりを皮切りに、どうすれば良いか議論がなされた。

 一番有効そうな手立ては、ノア様を運ぶのと同時に、王都からエクストラヒールを使える人材を連れてくるという作戦だった。


 エクストラヒールの使い手は少なく、その力を借りれる人間は極わずか。だが、幸いにして私の師匠は第八階位にいたる偉大な聖女だ。


 その案が使えるか否か、即座に本部へと連絡がおこなわれた。

 けれど――


『残念だけど、それは無理な相談だよ』


 魔導具を通じて聞こえてきたグランマの言葉は無情だった。

 私は思わず、魔導具に向かって叫ぶ。


「どうしてですか!」

『その声、クラウディアだね。私だって、貴方の頼みは聞いてあげたいと思ってるよ』

「だったらお願いです、ノア様を助けてください!」

『だから、それが無理なんだよ。話を聞いた限りじゃ、ノアはすぐにでも治癒が必要な状態なんだろ? 治癒もせずに合流するまで持つとは思えないよ』

「それ、は……」


 ノア様は片腕を失っている。

 その状態で戦っていた彼が、後どれだけ保つか分からない。

 更なる強行軍は不可能だろう。


 対して、グランマは既に高齢だ。

 魔物が存在する森の中で、それほどの移動速度を出せるとは思えない。


 ――つまり、間に合わない?


「じゃあ……どうしたら、良いんですか?」

『決まってるだろう。貴方がノアを助けるんだよ』


 魔導具から聞こえる言葉が私の胸に響いた。


『貴方は第四階位までしか使えない。でも、魔力は残っている、そうだね?』

「――はい」


 エンド王子の婚約者だった数年間、魔力を伸ばす訓練は必死に続けていた。

 魔力の残量だけは、なんの心配もないほど残っている。


『なら、話は簡単だ。貴方がいまその場所で、第六階位にまで至ればいい。大丈夫。儀式用の魔法陣の書き方は私が教えてあげよう。だから、貴方がノアを助ければいい』

「――グランマ、なんて無茶を言っているんですか! クラウディアはまだ第四階位に至ったばかりの高等部の生徒ですよ! いまこの場で第六階位に至れるはずがない!」

『普通なら無理だろうね』

「だったら、ありもしない希望を与えるのはお止めください!」


 グランマの言葉に、カルロス先生が反論を始めた。

 そのやりとりを聞きながら、私はぎゅっと拳を握り締めた。


 第六階位。

 それはグランマを除いた聖女の最高到達点だ。グランマを含めたとしても、高等部のうちに第六階位に至った聖女はいないだろう。


 その極地に、学生で、第四階位に至ったばかりの私が到達する。

 普通に考えて不可能だ。

 だけど、私がやらなければノア様の騎士人生が終わってしまう。


「グランマ、儀式用の魔法陣の書き方、教えてください」

「冷静になれっ! いまからそんなことを本当に出来ると思っているのか? ノアはいまも、状態が悪化している。時間を掛けるだけ、ヒールで助かる可能性が下がるんだぞ!」


 先生の言葉が私に迷いを生じさせた。

 私は本当にノア様を救えるのだろうか? 救いたいという想いが、私なら出来ると、都合のよい妄想を抱かせているのではないだろうか? そんな風に不安になる。


 だけど――


「私は、クラウディアお義姉ちゃんに託します」


 凜とした声が響いた。

 ハッと顔を上げれば、ティリアちゃんが先生から私を護るように立っていた。


「……ティリア。ノアの命を賭けることになるのだぞ?」

「分かっています。でも、お兄ちゃんに意識があったのなら、きっと同じ決断を下したと思います。だから私は妹として、クラウディアお義姉ちゃんにすべてを託します」


 ティリアちゃんがちらりと私を見た。

 お兄ちゃんを任せるねと、そう言ってくれているような気がした。


 そうだ。

 私はティリアちゃんにノア様を託された。


「先生、お願いします。どうか私に時間をください。必ず第六階位に至って見せます!」


 ティリアちゃんの背中から飛び出して、まっすぐに先生の目を見て訴えかける。

 わずかな沈黙。

 先生は「分かった……」と呟いた。


「だが、ノアの容態が安定しているあいだだけだ。ノアの容態が悪化して、これ以上は保たないと判断したら、そのときはヒールを使ってもらう」

「……分かりました」


 時間がないと、私は即座にグランマの指示を受けて儀式用の魔法陣を描き始めた。

 魔法陣についてはレティシアも手伝ってくれる。

 授業でも書き方を軽く習っていたおかげで、それほど苦労せずに描き出すことが出来た。


 そして――


 私は神に祈りを捧げた。

 胸の前で指を組み、聖女としての新たな力を神に願う。


 私が聖女になったのはノア様のためだ。

 ノア様と再会するために聖女となり、ノア様の側にいるためにその階位をあげた。

 ノア様の力になりたくて聖女になった私が、ノア様の騎士としての人生を終わらせる切っ掛けとなる。そんな結末、受け入れられるはずがない。


 ――だから神様。どうか、ノア様を助ける力を私にください。


 あの日と同じように、ノア様のために祈りを捧げる。ノア様を救いたい。ノア様の力になりたい。ノア様にまた騎士として戦って欲しい。


 必死に、ひたむきに、ただ純粋に、ノア様を救う力が欲しいと祈り続けた。


 ――だけど、どれだけ祈っても天啓が降りてこない。ふと目を開ければ、森がわずかに明るくなっていた。もうすぐ夜明けを迎えようとしている。


 ……あれからどれだけ経ったの?

 ふとノア様を探して視線を巡らせば、不安げにこちらを見守るみんなの姿が目に入った。


 ノア様の意識は戻っていない。

 その容態は、さっきの記憶にあるよりも確実に悪化している。


「……クラウディア。無理、なんだな?」


 先生が、私に死刑宣告にも近い言葉を投げかけてきた。


「無理じゃ……ないです」

「分かっている。おまえはいつか必ず、グランマのような聖女になるだろう。だが、それはいまじゃない。そのとき、ノアが側にいなくても良いのか?」

「それ、は……」


 ノア様が死ぬ。そんなの絶対に耐えられない。

 でも、だからって、ノア様の片腕がなくなることも同じくらい耐えられない。


「クラウディア。ヒールでノアを癒やすんだ」

「……嫌、です」

「もうこれ以上はノアが保たない!」


 それでも、諦められない。

 表情から私の内心を察したのか、先生はレティシアに視線を向けた。


「レティシア。しばらく休んで、ヒールを使うくらいの魔力は回復しただろう。このチームを束ねる上官としての命令だ。ノアにヒールを使え」

「はい、いえ……それは……」


 レティシアが迷った様子で私を見た。

 それでも、レティシアはノア様の元へと歩み寄る。


 ヒールを使おうと、魔法陣を展開した。

 私はそれを止められない。私だって、ノア様に死んで欲しくないから。

 でも、だけど――

 視界が滲み、頬を熱い雫が伝い落ちた。


「――どうしてよっ! どうして力を授けてくれないのよ! 神様、いるんでしょ! いるなら私に力を寄越しなさいよ! ここで第六階位に至れないなら意味ないでしょ!」


 突然、神に暴言を吐き始めた私を皆がぽかんと見ている。

 だけど私は止まれない。


 だって、私は――


「ノア様のために聖女になったんだから――っ!」


 ぎゅっと目を瞑って叫ぶ。

 そんな私の視界が真っ白に染まった。

 

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