中編

 「じゃーんけーん、ぽん!!」


 給食残りの揚げパンを巡り、一斉に差し出された手はチョキだった。拳を握りしめた私は心底ホッとした。

 三日経つと、家から食べ物が消えた。これで明日も朝食が食べられる。

 「揚げパン、食いたかったなぁ~」

 恨めしそうに呟く男子を無視して、揚げパンを掴みとる。席に戻ろうとした時。

 「も~らいっ!」

 じゃんけんに参加していた祐司が、私の手からパンをもぎ取った。

 「ちょっと!!」

 奪い返そうとすると、祐司は周りの男子にパンをパスしてしまった。笑いが広がる。私は祐司を睨み付けた。視線で刺せればいいのに。

 「どうしたの?」

 担任の真由子先生がやって来た。ふわふわの髪、柔らかな声。優しい真由子先生は、少しママに似ている。男子に囲まれた私を見て、およよと目が泳ぐ。そんなところもママに似ている。

 「私のパンを盗られたんです」

 仕方なく告げると、先生は精一杯の怖い声を出した。

 「祐司君、こっちに来なさい」 

 祐司はまるっと無視。ニヤニヤしたままだ。

 「唯って今週、ずっと給食じゃんけん参加じゃん。おかしくね?」

 「犬を拾ったから、パンあげてるの!」

 何も知らないくせに。心の中で呟く。残る食糧はカップ麺三個。絶対負ける訳にはいかなかった。

 「犬が揚げパン食うかよ。給食お代わりもバカみたいにするし」

 「余計なお世話!」

 お代わりすれば、夕飯要らないんじゃないか。そう思ったのに、食べても食べても夜にはお腹が鳴った。夕飯を、ママは私に譲ろうとする。ママは昼食を食べていないのに。

 「やめなさい、祐司君」

 おろおろした真由子先生の声。周りの男子の囃し声。祐司の笑い声が重なる。

 「家に飯無いんじゃないの? 貧乏人!」

 「違う!!」

 思わず祐司に掴みかかっていた。ポカンとした顔を、思い切りひっぱたく。バシンと音がして、手のひらがじんじんとなった。それでも止まらない。手を振り上げたら、体ごと真由子先生に抱き締められた。

 「やめて、唯さん」

 先生の柔らかな体の中で、もがいた。

 明日は土曜。給食も食べられないしパンも持ち帰られない。どうにかしなきゃいけないのに。こんなに頑張っているのに、なんでうまくいかないんだろう。苦しくて悔しくて、先生の背中を叩いた。気付いたら、私はボロボロ泣いていた。

 これ以上、私はどうしたらいいんだろう。


 「やめなさい」

 

 厳しい声がして、真由子先生の体から引き離された。いつの間にか校長先生がすぐ近くにいて、怖い顔で私を睨んでいた。真由子先生よりチリチリのパーマ、深い眉間の皺。すぅっと体温が下がっていく。

 「こちらに」

 教室を出て、廊下の隅で校長先生と向き合った。真由子先生もついてきて、私の肩にそっと手を当てた。

 何があったか真由子先生が説明する間、私は俯いていた。反省したオーラを出さないと。

 「なぜ、給食をお代わりするんですか。パンを持ち帰りたいのは?」

 祐司を叩いたことを叱られるのだと思ったのに、校長先生は怖い顔のままそう尋ねた。私は瞬きする。

 「給食が美味しいからおかわりするんです。パンは、犬にあげるために……」

 校長先生は話を遮り、言った。


 「嘘はつかなくていいんですよ」


 私は唇を噛む。そんなの分かってる。でも、嘘をつかなかったら。

 ママの泣き顔が浮かんだ。

 本当のことがバレてしまったら。

 私は、ママを守れない。


 真由子先生がしゃがみこみ、私を見上げた。心配で堪らない顔をしている。

 「唯さん、まだ集金袋を出していないでしょう。『忘れた』とか『失くしたから探してる』とか言うばかりで。先生、気になってたの。今週はずっと元気ないなぁって。困ってることがあるなら、言って?」

 真由子先生まで。私はまた泣きたくなった。

 貧乏人。囃し声が過る。

 「違うんです、ちゃんと払えます。来週になればホゴヒだから、あとちょっとだから……」

 思わず口走ったら、先生達の顔がいっそう険しくなった。

 しまった。背中がゾゾゾッとなる。

 校長先生が私を見下ろしてきっぱり言った。

 「……お金が無いのね。それで食べ物も無いんでしょう」

 「違います!」

 「違うかどうか、お母さんにお聞きしましょう」

 どうしよう。ぐるぐる考えても、もう嘘が出てこない。心臓がばくばくする。

 「三石さんのお家、お電話しても出られないことが多くて。家庭訪問もできないままですし……」

 恐る恐る言った真由子先生を、校長先生は睨む。

 「とにかく家庭訪問して。場合によっては、児童相談所に連絡しなくては」

 聞き慣れない言葉にどきっとした。児童相談所。ドラマで見たことがある。親から引き離されて、泣いていた子ども。

 「やめて! ママに言わないで! ママは頑張ってます。だから……」

 「頑張ってるって、何をですか?」

 校長先生の言葉に言い返そうとして、詰まった。


 勇気を出して、警察に相談に行ったママ。大きな警察署で落とし物の窓口が分からず迷って、初対面の警察官に緊張して真っ白になって、書類を書くよう言われたけど漢字が読めずに困って……。

 やっとのことで届が出せたけど、お財布はまだ見つからないままだ。

 電話を見つめて考え込んで、震える指でホゴの人に電話をかけた。担当者はいないと言われて、パニックになって電話を切った。もう一度電話をかけようとしたけど体が震えて、ママはしゃがみこんで泣いていた。

 土屋さんに電話したら。言いかけて、やめた。ママは土屋さんにも怒鳴ってしまっている。私は黙ってママの背中を撫でた。


 「食べさせてもらえないなんて、可哀想に。嫌なものは嫌と言っていいんですよ。あなたにはあなたの幸せがあるんだから」

 校長先生は溜息をついた。

 私は目の前が真っ赤になって、怒りで体がぐらぐらした。

 「私はママといて幸せだもん!何も知らないくせに、勝手なこと言わないで」

 呆気にとられている先生達に、怒鳴った。


 「二度と関わらないで……ください!」


 ねぇママ。ママは、こんな思いをしてきたの?


 くるりと背中を向ける。慌てた真由子先生に肩を掴まれたけれど、振り払った。廊下を駆け出す。

 「待って!唯さん!」

 先生の声は、全速力で走るうちに途絶えた。昼休み始まりのチャイムが響く。笑顔で教室から出てくる皆を避けるように、私の足は校舎の外れに向かった。


 渡り廊下の端。ふらふら歩いていた足が止まった。色とりどりの花が咲くプランターの中で、かくれんぼしてるみたいな人影。近づいて、一緒にしゃがみこむ。

 教頭先生は、黙って作業を続ける。ほわほわの白い髪。くったりしたジャージ。毎朝、一人一人の名前を呼んで「おはよう」と笑ってくれる先生。

 「何してるんですか」

 先生の手元を眺める。プランター一面に生えた小さな芽。先生は、その芽を一本ずつ抜いていく。

 「間引きです」

 「間引き?」

 ほら、と先生はプランターの中を指差す。

 「このままだと芽が多すぎるんです。土の栄養が行き渡らなかったり、日光が当たりにくくなったりしますからね。育ちにくそうな芽を抜いて間隔を空けるんです。植物を育てるのに必要なことなんですよ」

 私は先生の手の中の芽を見つめた。剥き出しになった白い根っこ。もう、元の土には戻れない命。

 ひょろひょろの芽は、痩せっぽっちのお母さんみたいだ。

 「先生が、選ぶんですね」

 先生は手を止めて私を見た。

 「キレイな花だけ、残るのかな。ひょろっとして、弱くて……みんなと違う芽は、一緒に生きられないのかな……」

 鼻の奥がツンとして、また涙がじわりとこみあげた。

 ママの話をしながら、溜息をついた校長先生。

 プランターの中はどれも、強くて真っ直ぐでキレイな花ばかり。きっとお母さんはそんな花じゃないし、私もそんな風になれそうにない。私とお母さんが生きていける場所は、此処に無い気がした。

 俯いた私に、教頭先生がしみじみと言った。

 「そうですね、僕が勝手に選んでいるんですね。どれも、一生懸命生きている命なのに」

 でも、先生は間引きを続けるんだろう。私は立ち上がった。

 「教室に戻ります。昼休み終わるから」

 もうプランターの花を見たくなかった。教頭先生の視線を感じたけど、振り向かなかった。

 教室へ続く廊下に戻ろうとした足が、止まった。

 男子の囃し声。校長先生の厳しい顔。真由子先生の泳いだ瞳。

 プランターの中で抜かれていく芽。


 此処に、私の場所は無い。

 ……帰りたい。


 裏門が目に入った。あの向こうはもう、外の世界だ。

 上履きのまま、一歩廊下を外れて地面に触れたら少し自由になった気がした。そのまま裏門へ歩き出す。

 ママと一緒にいたい。そこが、私の生きる場所だ。

 背後で昼休み終わりのチャイムが響く。

 私は駆け出した。

 

 

 

 

 



 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

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