其の二

 ……おや、随分と濡れておりますね。拭くものと何か温かいものをお持ちしましょう。そちらの椅子に座ってお待ちいただけますか。



 どうぞ。タオルと、コーヒーです。生憎と砂糖とミルクはないのでブラックですが。お口に合わなければ、そのままにしておいてください。

 制服を着てらっしゃってるのを見るに、高校生の方でしょうか。本日は一体どういった理由でこちらに?ここに来る要件は決まっているでしょうからそちらをお願いできればと。


「…………実は、ついさっき。恋人だった人に振られたんです」


 ふむ、それはそれは。心中お察しします、とまでは言えませんが。

 事情を深く知らない他人に言われても困るでしょうしね。

 ですが、恋人との別れがここに来る理由になるのは何かしらがあるのではないでしょうか?当店にお越しいただいた皆様全員に、理由のほどを伺っておりますので大変不躾ではございますが、ここに来ようと思った理由を詳しくお聞かせ願えますか?


「……今日で付き合ってから2年目だったんです。彼とは別の高校で、友達の紹介で付き合い始めたんです。最近、受験勉強であんまり会えてなかったりもしたんですけど、記念日に会おうか、ってなってプレゼントも用意して会いに行ったら別れ話をされました。何も考えられなくて、ただただそのまま立ってたらふと、このお店のことを思い出したんです。それで、何か交換してもらえないかなって言うのが理由です。これでいいですか……?」


 はい。理由としては結構です。当店へお越しくださる方は、どこかで聞いたここの話を思い出してきてくださることがほとんどですので。

 酷ではございますが、然るべき手順を踏んでから交換をさせていただいております。では、交換させていただくものについてはお伺いしても?


「……さっき言ってたプレゼント、いや、もうプレゼントでもなんでもないんですけど……ペンダントです。ブランド品じゃないですけど安くもないものですので、どうにかなりませんか?」


 1つ確認をいたしましょう。本当にそのペンダントに価値があるとあなたはお考えですか?


「それは……」


 そうは思っていないのではないでしょうか。むしろ手放したい、とさえ思っているのでは。

 手に入れたいものの差はあれど、どうにかなりませんか、という問いはこの店ではあまりないのです。

 勿論決めつけではないですが、いかがでしょうか?


「………………それは、そうじゃないですか。だって。別れようとして相手にプレゼント用意してたなんて、バカみたいじゃないですか。そんなもの手放したくなるのも当たり前だと思いますけど……」


 ええ、私もそう思いますとも。

 しかし、当店は価値の交換屋でありますので。ご自身が価値がないと思うものと交換させていただけるものはほとんどないのです。


「じゃあどうすればいいんですか……!これ以外なんて私何も持ってないですよ。身体でも差し出せって言うんですか……」


 そういう趣味も業務もありませんので。心から望んだ場合のみ当店に来ることができるようにしている以上、ご来店いただいたお客様には何かを得てお帰りいただきたいのです。


 ……では、そうですね。そのペンダントに価値を付け加えてみるのはいかがでしょうか?


「……それってどういうことですか?」


 話はそれほど難しくないものです。今現状、別れを想起させるものであることがあなたの中でのペンダントの価値を下げている要因ですね?


「当たり前じゃないですか。誰だって欲しがりませんよ」


 それがそうでもないのです。

 例えば遊園地というものは本来必要のないスリルや恐怖感を味わうためのアトラクションが用意されていますが、恐怖心を欲しがるのは当たり前でしょうか?

 安全を保障されているからこそ、という人もいるでしょうし恐怖心を忌み嫌う人もいるでしょう。逆に安全を保障されているから満足できない人というのもいるわけです。


 要するに、人間どんなものでも価値を見出すことができるわけです。

 故にそのペンダントに価値を見出すことができれば、私としても交換に値すると判断できるかもしれません。

 それをどうすればいいんだ、という表情はごもっともです。今から説明させていただきますので少々お待ちください。


 そうですね。今回はシンプルに文章を添えましょう。

 あなたが今回抱いた思いを一切合切全部込めて書き綴ってはみませんか?


「そんなのでいいんですか……?」


 実際には心にある負の感情を明文化するというのはかなり難しいのですが。紙とペンはサービスいたしましょう。さぁどうぞ。

 時間は気にしなくて結構ですよ。書かずとも結構ですし、もし書くのに疲れたら無理にとは言いませんので、心行くまで没頭してみてください。

 私は奥にいますので、何かあれば音を立てていただければ参ります。1時間ほど経ちましたら様子を見に来ます。それでは後程お会いしましょう。



 お客様を店の中に放置して平気なのか、という疑問が浮かぶかもしれませんが恐らく大丈夫でしょう。品物に関しては全て把握してますので、位置が寸分でも変われば気づきます。

 品物を損傷させるような方に関してはここに来れないようになっています。何かを欲して来る人間は、他の誰かが欲する物を壊したりはしないものです。

 まぁ、そもそも失恋した彼女が来店されてから暴れなかったところから、今の彼女に必要なのは感情を発散させることよりも感情を整理させることでしょう。


 来店いただいたお客様に何かを得て帰っていただきたいというのは私の本心です。理想はお客様にとっての宝物と、それに見合ったものを交換することですが、今回のようなケースもごくたまにございます。

 自分が何が欲しいかが分からない。けれどその時苦しい状況から逃げ出したい。そんな方には僭越ながら話の相手を務めさせていただいております。長くこのような商いをさせていただいておりますので、多少なりとも感情を落ち着かせるのに一役買えるかと思っております。

 その後ですが、窮地のお客様が宝物などを持ってるはずもなく。そんな時にはどうにか価値を見出すためのお手伝いさせていただいております。



 さて、それではそろそろ戻りましょう。彼女は一体どういった様子になっているでしょうか?





 ……集中して書き進めていらっしゃるようですね。声をかけるのも憚られような気がしますが、一言伝えておくべきでしょう。


 お客様、進捗のほどはいかがでしょうか?


「あ、店員さん。思ったより書けてます。辛いことで、見たら思い出しちゃいそうもののはずなのに自分でも不思議なくらいに考えてることを文字にできるっていうか……」


 それは重畳。あなたには文字を書く分野の才能があるのかもしれませんね。

 まだ書き続けるのであれば止めはしませんが。どうなさいますか?


「いえ、今はこれで精いっぱいなので終わりにします。これで価値がつくのかどうかわからないですけど……」


 いいえ。リアリティが詰まったとてもいい文章だと思います。

 あとはあなた自身がこちらのペンダントと、それにつけた心情の文章に価値があると見出せるかどうかだと思いますよ。いかがですか?


「……ここに最初来た時よりは気持ちがぐちゃぐちゃになってましたけど、今はなんていうか、スッキリしてる、と思います。あんまり人に話したりとかしたことなかったから文字を書いて落ち着くなんて思いませんでした。ペンダントはやっぱり持っていたくはないですけど……誰か欲しがる人が居るならその人に一緒に渡せたらいいと思います」


 それは多いに結構。

 それでは肝心要の質問をさせていただきます。あなたが今交換を希望する物はなんでしょうか?


「ええと…………それじゃあ、ペンとかってありますか?」


 ほう。ペンですか?その心はなんでしょうか?


「なんとなく、です。最初はもっと高いものと交換してもらおうと思ってたんですけど……結局、嫌な思い出のものと交換してもらったものって結局扱いにくいんじゃないかなって思ったんです」


 なるほど。しかしそれではペンもそれに該当するのでは?


「まぁ、それはそうなんですけど……ただこれからやりたいことが出来たので。ペンなら何するにも困らないですし。もらったペンで書いた文字に価値が付けることができたなら、それはもうペンダントとは関係ないんじゃないかなって思うんです」


 ふむ。随分と良い方向に変わられましたね。

 お客様のお望みが固まったのであればそれ以上は野暮でしょう。それではこちらをお持ち帰りください。

 ペンというよりは万年筆ではありますが、お客様のこれからにきっと役に立つでしょう。


 さて、それではこれで退店となるのですが……何か仰りたいことでもございますか?


「あ、あの!……本当にありがとうございました!まだ全部振り切れてはいないですけど……ここに来た時よりもずっと楽になりました。この事は絶対忘れません!」


 ……そのお言葉、有難く頂戴致します。ただ、名残惜しくありますが次のお客様も参られます。ご来店、誠にありがとうございました。これからの旅路に華を添えられたことを嬉しく思います。


 2件目のお客様は中々に難しい問題を抱えていましたが、不安を希望と交換できたでしょうか。

 当店は、思いを渡すための手段であり、不安を解消するための手段であり、当店の交換は様々な人の様々な架け橋になれればと思っております。


 さぁ、本日最後のお客様をお招きしましょう。

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