第16話 いってきます、いってらっしゃい
「ほんとおいしかったね! なんだか、まだ胃が喜んでる感じする!」
「また、独特な表現だなぁ……それが分かってしまうくらい、美味しかったけど……」
奇抜なシステムや雰囲気で入店を避けていたが、会社の先輩が言っていた「マジで美味しいから騙されたと思って食べろ」という言葉に嘘偽りはなかったというワケだ。少しだけ、俺の中で先輩の評価が上がった。
確かに申すバーガーを食べていない人は、騙されたと思って食べに行くべきだな!
ただし、注文の得意なパートナーを連れて!
「これはハマっちゃうかもねー」
「うん、また来たい……注文は、絶対に、したくないけど……」
「あはは、尊ちゃんがいるから余裕のよっちゃん!」
まったくコブの隆起がない上腕二頭筋を見せびらかしつつ、ふふんと得意げな顔をする雨宮。
「優秀な同居人がいてよかったです」
「はっはっはっ! 尊ちゃんを買ってよかっただろう!」
「買ったとか外で言わないでもらえますかね……」
その通りではあるのだけれど、誤解しか生まない。
いますれ違った40代くらいの主婦が、すごく怪訝な表情をしていたことからも明らかだ。どうかお巡りさんに通報だけはされませんように。
「さて、ハイタツ君は電車だよね?」
気が付けば、俺が住む『あぶな荘』の最寄り駅である『中上駅』に着いていた。
駅前の申すバーガーにいたのだから当然だけれど、なんだか通勤の道がいつもより短かった気分。人と一緒に歩くのって、なんというか、こんなに有意義なものなんだ。
「どうしたの、ボケーッとして。これから仕事でしょ、シャンとする!」
「う、うん」
「大丈夫? なんか顔が赤いよ?」
下から覗き込んでくる雨宮に、なんだかドキリとしてしまった。
確かに信じられないくらい美少女ではあるけれど、そろそろ雨宮の顔だって、見慣れていいものじゃないか。
『美人は三日で飽きる』なんて言葉もあるくらいだし、金曜日に雨宮と出会ってもう三日……そろそろ……。
「んー?」
人差指を顎に沿えて、不思議そうに小首を傾げる雨宮。
なるほど。
美人の顔は三日で飽きても、美少女の顔は三日じゃ飽きないみたいです。
「な、なんでもない」
「そー? 体調が悪いなら、早退して病院に行くんだぞー」
お前は俺のお母さんか。
とツッコミたいところではあるが、ここで俺が言い返したところで、墓穴を掘るだけだろう。申すバーガーの件で、雨宮に口で勝とうなんて無謀だと実感したからね。申し引き最高レベルは伊達じゃない。
「そ、それじゃ――」
「ハイタツ君、いってらっしゃい。そしていってきます」
ボケットからスマートフォンを取り出し、改札にかざそうとする俺の腕を、雨宮が後からガシリと掴む。
何をするのかと振り返れば、素晴らしい笑顔で俺を見つめる雨宮がいた。この笑顔は、笑顔だけど笑顔じゃない時の、笑顔だ。
家を出る時もそうだったが、雨宮は挨拶というものにうるさい。
まあ、挨拶が大事だということは理解しているし、とてもいいことだと思うけれど。
ただ俺がずっとひとりだっただけに、挨拶をする習慣というものが抜けているのだ。
「い、いってきます、雨宮も、いってらっしゃい」
「うむ、よろしい! じゃあね!」
俺が挨拶を返すと、雨宮は今度こそ本当の笑顔になって、短いスカートを膝上で揺らしながらパタパタと走り去っていった。
挨拶を返しただけで、よくあんなに楽しそうな顔になるものだ。
あの雨宮の笑顔がみれるのなら、ちゃんと俺も挨拶を習慣にしないとな。
「……なんだか、年下に教育されている?」
スマートフォンの画面に写る、ニヤケ顔の男と目があった。仕事なんて憂鬱なだけだろうに、どうしたんだろうこの男は。
ちょっぴり複雑な気持ちになりつつ、今度こそスマートフォンを自動改札機にかざす。
そうして、俺はいつも通り……よりもちょっぴり前向きな気持ちで、通勤を開始するのであった。
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