第13話 尊ちゃんを名前で呼ぼう

「あのさ……撫でるのに夢中になりすぎじゃないー?」


 もう何往復しただろうか。その柔らかい髪の毛の感触を、俺は夢中で味わい続けていた。ひたすらに、手のひらから伝わる心地よさに身を委ねて。

 雨宮の声で現実に戻ってくると、ジト目で俺を見つつ、ぷっくりと頬を膨らませている美少女の姿。


「ご、ごめん! つい気持ちよくて撫ですぎた!」


 俺が慌てて手を引っ込めようとすると、パシッと雨宮の手にキャッチされ、また頭へと戻された。手のひらから再度広がる幸福感。

 ……はぁ、幸せ。

 美少女の頭って違法じゃないよね、さすがに脱法だよね。これはひどい中毒性がありそうだ。俺ってば、ちゃんと社会に戻れるかな。


 ――じゃなくて!


「あ、ああ、あの? イヤだったのでは?」

「……イヤなわけないじゃん。ほんと、女心が分かってないねー」


 そんなことを言いつつ、頭をグリグリと動かして、また撫でろと催促する雨宮。

 俺はその命令通りに手のひらの動きを再開させつつ、雨宮の謎行動について考えてみるが、どうにも答えに辿り着くことはできなかった。

 そもこの年まで彼女が出来たこともない男に、女心なんぞ分かるはずもないのだ。仕方がないのだ。


 そんなある種の開き直りをしている俺に、雨宮は出来の悪い生徒を教える教師のように眼鏡(かけていないが)をクイと上げる動作をして、溜息を吐きながら指を2つピンと立てた。


「いいですか、ハイタツくん。私は2つ条件を出しました。思い出してみなさい」

「2つ……?」


 頭を撫でることに緊張しすぎて、どうにも記憶が曖昧だ。

 ヒントを求めて雨宮を見てみるも、すでに目をつむって撫で撫で堪能モードに移行している。

 ダメだ、この状態の雨宮の邪魔をすることはできない。


 うぅん、条件……条件……。


 あっ!


「あ、あのセリフか……」

「ぴんぽーん! 『よくできました尊ちゃん、よしよし』です!」


 ふふんと得意げに鼻を鳴らす雨宮。

 こ、これはまたハードルが高い……。


「ほらほらー、早くしないとハンバーグ冷めちゃうぞー。ってもう冷めてるけど」

「本当だ!?」


 俺はどれだけ雨宮の頭を撫で続けていたんだろう。

 あっつあつで湯気をたてていたはずのハンバーグが、すっかり冷めてしまっていた。俺の腹の虫もドンチャン騒ぎすぎて疲れたのか、それとも緊張でおかしくなったのか、なんだか静かになっている。


「あっため直すからさ、ほらはやくぅー」

「うぐぐぐぐ」


 頭を撫でることもかなり緊張したが、名前で呼ぶというのも、なんだか違う緊張があるらしい。

 陽キャはファーストコンタクトから名前呼びをしたりするよな。アレはいったい、どういう原理なんだ。俺達とはまったく違う倫理的観念を持っているとしか思えない。


「雨宮ちゃんじゃ、ダメですか?」

「ダメでーす」


 代案を提案してみたわけだが、にべもなく却下されてしまう。わざわざ指でバッテンマークまで作ってウインクされた。それがまたかわいいだけに、なんとも腹が立つ。


 み、みみ、みこ、みことちゃん。

 チクショウ。頭の中で呼ぶのですら、壊れたラジオみたいになってしまうぞ。雨宮と同じ人物を表す名称だというのに、どうしてこんなにも緊張するんだ。


「あたし、尊って名前が気に入ってるんだ。だから大好きなハイタツくんに呼んで欲しいな?」


 上目遣いで小首を傾げる雨宮。

 なんて至近距離で、なんて甘い声で、なんていじらしい表情で、なんてかわいいことを言うんだろう。演技だと分かっていても、ドキッとしてしまった。

 俺の中に巣食う緊張を上塗りしていくように、「この子を喜ばせてあげたい」という気持ちが湧いてくる。


「み、みこ、みこ、みこ!」

「あはっ、もうすこし! がんばれハイタツくん!」


 どうにかこうにか口を動かして、みこまでは言えた。雨宮が言うようにもう少しだ。

 ここまで来れば、あとは勢いに任せるしかない。俺は出来る子。なんだか、いまなら余裕で言える気がしてきた。


 いざ!


「よ、よよ、よくできました、みことちゃん。よしよし」


 めちゃくちゃドモりました。やはり人生、そんな簡単にはいかないようだ。

 しかし、きちんと台詞を言いながら、雨宮の頭を撫でることは出来たぞ。これならば文句あるまい!


「…………」


 雨宮の反応を待っているわけだが、当の雨宮は口をポカンと開けたまま、頬を赤く染めてフリーズしている。

 なんだ、ここだけ世界の時間が停止したのか? 放置されることで、じわじわと恥ずかしさが増してきているんですけど?


 そうして無言のまま、頭を撫で続けていること数分――――。


「――ハッ! よ、よくできました! すぐにあっため直すから、待っててね!」


 ふと意識を取り戻した雨宮は、ハンバーグの大皿を掴むと、パッと身を翻して風呂場へと逃げていった。


「……どうやって風呂場でハンバーグをあたため直すつもりなんだ?」


 雨宮の不可解な行動に首を捻りつつ、俺は右手に残るやわらかい感触を思いだし、クッションに顔を埋めるのだった。




 雨宮は風呂場に15分も立て籠ったあと、バツの悪そうな顔でいそいそと出てきて、普通に台所のレンジでハンバーグをチンしていた。

 さすが居酒屋でバイトをしている雨宮の手料理は、まさにほっぺたが落ちるほどの美味しさだった……ような気もするが、緊張と恥ずかしさであまり味が分からなかった。今度またハンバーグを作ってもらおう。

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