第12話 尊ちゃんをよしよししよう
「食べるには、条件があります!」
歌舞伎の見得ポーズのまま、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべる雨宮。またこの笑みだ。絶対にロクなことじゃない。
「ふっふっふっ、ハイタツくんも分かってきたようですねぇ」
「何回もこの展開を味わっているし……」
大きな溜息を吐いた俺を見て、口角を更に上げる雨宮。
鼻歌を歌いつつエプロンを畳んだ雨宮は、軽くスキップしながら俺のすぐ横までやってくると、チョコンと正座をして上目遣いで見上げてきた。
「『よくできました尊ちゃん、よしよし』って言いながら頭を撫でてくれたら、食べてもいいでしょう!」
「な……!?」
雨宮の頭を……撫でる……ッ!?
しかも、雨宮を『尊ちゃん』って呼ぶ……ッ!?
「む、無理だ!」
レベルが高すぎる。女の子の頭を撫でるなんて、いままで生きてきて一度もしたことがない高難易度ミッションだぞ。女の子を下の名前で呼ぶことだって、覚えている限りなかったはず。
それを同時にクリアしろだなんて、どう考えても無理だ。こんなの人間がやることじゃない。
「いいのかなぁ~? 尊ちゃんお手製の絶品ハンバーグ、食べれないぞ~?」
「ああっ!」
遠ざかるハンバーグの大皿に、俺はつい情けない声をあげてしまう。
依然として、俺の腹は銅鑼を鳴らすように大きな音を立てているし、このままでは腹の虫がクーデターを起こしてしまいそうだ。
迷う俺の鼻へと湯気に乗って届くのは、焼けた肉の香ばしくて食欲をそそるイイ匂い。
しかも上にかかっているのは、俺が大好きなケチャップとウースターソースの黄金ソースじゃないか。それは家庭ハンバーグの模範解答と呼べるもので、俺が実家を出て以来、一度も口にできていない伝説の料理でもある。
た、食べたい……ッ!
「ほらほら~、早くしないとハンバーグが冷めちゃうぞ~」
「ぐぬぬぬぬぬぬ」
さっきまで悪魔のような顔をしていたくせに、いまは子犬のようなつぶらな瞳で俺を見上げながら、俺の肩へと頭を擦りつけて撫でろ撫でろと催促をしてくる雨宮。
とてつもなく悔しいが、その小動物感がかわいらしく、撫でてしまいたい衝動に駆られていたりする。
や、やっぱり食べるなら出来立てアツアツのハンバーグがいいもんな。俺が迷っているこの瞬間にも、少しずつ鮮度を失っていってしまっているのだ。
俺のちっぽけな羞恥心やプライドにこだわっている場合じゃないだろう。そも人間という生き物は、食べなければ死んでしまうのだから。
これは生きるため……そう、生きるためなんだ……。
「わ、わかった……」
「えへへ、優しくしてね?」
正座で向き合う俺と雨宮。既に雨宮は頭をこちらに差し出して、目をつむっている。撫でられる準備は万端だ。
「な、なな、なでるぞ……」
震える手をおずおずと雨宮の頭へと近づけていく。たった数センチの距離なのに、果てしなく遠い。遠近感がおかしくなったみたいだ。
ドクドクドクと、世界から他の音が消え失せたかの如く、自分の心臓が暴れる音だけが聞こえてくる。ただ頭を撫でるだけなのに、人生における緊張のMAXだと確信していた就職の最終面接よりも緊張しているぞ。
「ふ、ふーっ、なでるぞ、なでるっ」
「あの、ハイタツくん。ちょー息が荒いんですけど。あたしが目をつむっているのをいいことに、えっちなことしようとしてない?」
「し、ししてませんよ!」
なぜか敬語になってしまう俺。動揺しているのがバレバレである。
くっ、雨宮が変なことを言うから、更に緊張してきたじゃないか。
確かに目をつむっている今ならば、ちょっとえっちなことをしたって……いや、ダメだ! 何を考えているんだ俺は! それでは変態じゃないか!
雨宮の頭を撫でるんだぞ、頭を。
これはえっちな行為ではない。それこそ、普通のスキンシップの
よし。
大きく深呼吸をひとつ。
「いざっ!」
自分でもよく分からないかけ声をかけて、思い切って手を前へと伸ばした。
ふわり。
柔らかい雨宮の頭に触れる感覚。
天日干しをした布団のようにふわふわで、あたたかくて、とても気持ちがいい。
緊張でいまだに震えつつも、なだらかな頭の形に沿って手を動かしてみる。サラサラの髪の毛が形を変えて、俺の手を優しく受け入れてくれるようだった。
「んっ……」
声が聞こえたので視線を向けると、とても気持ちよさそうに目をつむって笑う美少女がいた。俺はいま、この女の子の髪を撫でているんだ。まるで恋人のように。
なんだかその事実を再認識した時、今まで味わったことのないような、心の底から湧き上がってくる、得も言われぬ幸福感を感じたのだった。
「あはっ、撫でられちゃった」
目をつむりながら幸せそうに笑う雨宮。
その顔と言葉を前に、俺の中に残っていた理性というブレーキが、完全に吹っ飛んだ。
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