第4話 同居生活、はじめました
「ふんふーん♪ ふふん♪」
家賃3万円アパートの
いや、そうじゃない。
今はそんなことよりも……。
「ウチの風呂に……女の子が入ってる……」
さっきまでは、正直あまり現実感がなかった。急に女の子が家に住みだすとか、アニメや漫画なんかではよくあるシチュエーションだし、「生きてりゃそんなこともあるか」と自分を無理やり納得させたと言ってもいい。
しかし、こうして自分の日常へと実際に入りこんできた時に、改めてこの異常さを実感したのだ。
つい数時間前に出会ったJKが一緒に住むと言いはじめ、いまは
いまだ混乱の極みにいる俺に対して、雨宮は「覗いちゃダメだからね」なんて冗談を飛ばしつつ、気負った様子もなく風呂場へと去っていった。
もちろんその時の俺の返事は、「の、のの、のぞかないよ!」なんていう、童貞検定があれば1級認定が取れそうなほどに情けないモノだったが。
「本当に雨宮と同居生活が始まるのか……」
ただでさえ、女の子という上位生物との接点がない人生だったというのに、急にハードモードすぎるだろう。心の準備も、部屋の準備もまるでできていない。
今にして思えば、掃除だってまともにしていないじゃないか。もちろん定期的に掃除機くらいはかけているから、汚いなんてことはないだろうけど……。
俺も健康的な成人男性なわけで、秘蔵コレクションを隠し持っているのだ。
それも、そこそこ見つけやすい場所に。
マ、マズイ! 昨日も読んでいた『チラリズム・モラトリアム』なんて見つかった日には、確実に軽蔑されてしまう!
『チラリズム・モラトリアム』とは、この世界に流れる悠久の時間の中で、チラリズムという刹那的な瞬間を切り取った超哲学的な書物である。
そのチラリズムとはパンチラから始まり、ブラチラ、脇チラ、へそチラ……そして未知の聖域までもが含まれるのだ。
俺が学生時代にドキドキしながら初めて購入した秘蔵コレクションであり、何の試合かは明言しないが、最多登板回数を記録している至極の一品でもある。
「も、もっと見つからない場所に隠さないと……」
「何を隠すって?」
「そりゃ、『チラリズム・モラトリアム』に決まってえええええええ!?」
自然と会話が始まりすぎたために、うっかり口が滑ってしまった!
俺の後ろには、いつのまにかお風呂から上がったジャージ姿の雨宮がいた。大袈裟に驚いた俺を見てキョトンとした顔をしている。
ただでさえ大きくて真ん丸な目をさらに丸め、口を半開きにしながら首を傾げる姿は、なんだか小動物のようなかわいらしさがあった。
着ている薄い水色のジャージもおそらく学校指定のモノで、普通の人が切れば激ダサになるはずなのに、あえてダサい服を着てるオシャレなモデルみたいな印象を受ける。
こうしてみると、やっぱりありえんほどの美少女だ……じゃなくて!
「い、いい、いや、なんでもないデス! それより、お風呂あがるの早いんデスネ!?」
「早いって……これでも30分は湯船に浸かってたんだけど……」
お手本のようなジト目で俺を見つめるジャージ雨宮。
時計を確認してみると、確かに雨宮が風呂に入ってから30分以上の時間が経過していた。あまりにも衝撃的なイベントが多すぎて、ついに相対性理論だかなんだかで、俺の身体がバグっちゃったのかな。時間の感覚がまるでないや。
「それよりさ、『ちらりずむ・もらとりあむ』ってなに?」
「ハ、ハテ? ナ、ナンノコトヤラ?」
しかも、バッチリ聞かれていたらしい。発音はたどたどしいが、作品名は一字一句も間違っていない。
こういう時はどうやって切り抜ければいいんですか。こんな危機の脱出方法なんて義務教育で習ってないよ。これだから日本の教育は実戦的じゃないって言われるんだ!
「なにか隠してるなー? ハイタツくんのクセに生意気だぞー」
そう言いながら俺の正面へとまわり、床であぐらをかいている俺の膝に手を置いて、下から見上げてくる雨宮。
俺の顔を覗くように動いた拍子に、しっとりと濡れた栗色の髪が、俺の鼻先を掠めた。いつも俺が使っているシャンプーの香りがふわりと漂ってきて、ドキリとしてしまった。
距離が近づけば近づくほど、きめ細かく滑らかな肌や、まるで神様が造形した人形のように整った顔に、またドキリとしてしまう。キラキラと輝くアンバーの瞳が、そんな俺の心の内をすべて見透かすように、真っすぐと俺の黒目を捉えてきた。
「お、おお、俺も風呂に入ってくる!」
「あー! 逃げるなー!」
雨宮の非難の声を背中に受けつつ、洗濯籠に入れっぱなしだった着替えをノールックでひっつかみ、お風呂場へとダッシュで逃走。
雨宮の「コラー! 無視するんじゃなーい!」なんて声が聞こえてくるが、俺は聞こえないフリをしてそそくさと服を脱ぎ、お風呂場へと逃げ込んだ。
あのままでは、マズかった。
何がマズイのかは、自分でもよく分からないのだけれど。
「ふぅ……ひとまず、ゆっくりとお風呂に浸かって落ち着こう」
さすがの雨宮でも、ここまで追いかけてくることはあるまい。
つまり、このお風呂の中だけは、一人の空間だ。昨日までの平和な一人暮らしを思い出して、心を落ち着けよう。
いつも通り、いつも通り。
「……いつもと同じシャンプーの香りなのに、どうしてドキドキするんだろう」
雨宮が入ってから時間はそこまで経っていない。湯気が立ちこめる風呂場では、俺がいつも使っているはずの、安いシャンプーの香りが充満していた。
い、いつも通り、いつも通り。
…………。
……………………。
「変にドキドキして、ゆっくり入っていられなかった……」
さっき雨宮から同じ香りがしたせいで、どうにもあのシャンプーの匂いを『雨宮の匂い』だと脳が認識してしまったらしい。
ドキドキしすぎてカラスの行水になってしまった。タオルで髪の毛の水分を取りつつ、雨宮が待ち構えているであろう部屋へと戻っていく。
「……ん?」
当然のように「どうして逃げたの!」とか、「ハイタツくんのチキン!」とか「スクールカースト最下層の陰キャオタク野郎!」とか糾弾されるものだと思っていたのだが……。
雨宮は戻ってきた俺にも気がついていないようで、何かを床に広げて食い入るように見ている。
「雨宮? なにを見て――」
ま、まて……あの肌色の面積が多い雑誌は……ッ!
「――チラリズム・モラトリアムゥ!?」
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