第29話 病院
「ん……ここ、は…………?」
目を開けると、そこには真っ白な天井が見えた。
真っ白な天井、独特のにおい、そして……。
「あ、成瀬さん‼」
大きな翡翠色の瞳に長く伸びたまつ毛。すっと通った鼻。
そこには、俺の顔を覗き込んでいる相坂さんの顔があった。
「あれ、ここ……」
体を起こそうとするが、そこで肩にびりりと電気が走った。
「――っ!」
「あ、だめだよ千太くん!」
そして相坂さんの隣に嘉瀬先輩がいることに気が付いた。
制服姿のままなので、あれからそこまでは時間が経っていないことに気が付く。
あれから。
「あ、そうか……。俺、ナイフが」
我を忘れた赤田。その赤田から投げられたナイフが俺の肩に刺さった。そして意識が暗い海の底に沈んで……、って。
「相坂さん、無事だったんですね」
「すみません……おかげさまで……」
そう言っている相坂さんは見る見るうちにしぼんでいく。
誰にでもわかるほどの落ち込みようだった。
「それで赤田の方は?」
「彼なら錯乱状態に陥った後、永瀬くんと後から来たマコちゃん、黄緑くんによって抑え込められたよ。今は警察に話を聞かれてるみたい」
「そうだったんですか……」
先輩からの説明にひとまず安心する。
あのあと赤田がもう一本ナイフを持っていて、ほかのだれかに危害が加わる。そんな恐れていた未来はなかったようだ。
「てか警察……まあ、そうか」
先輩の口から出てきた警察という単語にちょっと引っかかりを感じたが、たしかに今回のことを客観的に見たら警察沙汰になるのか。
随分大きなことに関わってしまったな。
「それで勝と鳴は?」
「学校に戻って今は職員室で先生から事情聴取されているみたいです」
相坂さんが答える。
あいつらにも迷惑をかけてしまったみたいで申し訳ない。
「それで、わたしと梨花は千太くんの付き添いってことだね」
「先輩と相坂さんにも迷惑をかけてしまってすみません……」
「いえ、迷惑なんてことは……。もとはといえば私のせいですし…………」
言葉尻がいつもよりも萎んでいる相坂さん。
こんなに弱っている相坂さんの姿は初めて見た。
「まあ、でも千太くんの怪我もそこまで重症ってわけでもなかったんだし! そこは不幸中の幸い、って言ったら良くないけどそれでも最悪の事態は避けられたんじゃない」
最悪の事態。あのまま赤田の投げたナイフが相坂さんに届いて……。
「た、たしかに、肩の傷なんて大したことないですよ! ほら、俺の肩もこの通りっていててててて」
「ちょっと千太くん⁉ まだ動かしちゃダメって言われてるのに!」
努めて明るく振る舞う俺と先輩。
だが一向に相坂さんの顔はすぐれなかった。
「ごめんなさい……私のせいで」
自分を責める相坂さん。それを見た先輩が、相坂さんと同じように
「ごめんね、千太くん。わたしのせいでこんなことにまで……」
「なんで先輩のせいになるんですか」
俺が笑って返すと、だが先輩は反比例するように落ち込んでいって。
「赤田くんがこんなことを起こした理由なんだけど……。わたしが昨日ツイッターに上げた写真なんだって。あの写真、よくみたらグラスに千太くんが反射してて、それで彼も二人でデートしてるって勘違いしたらしくて」
「先輩が謝るようなところが一つも見つからなかったですが」
「わたしの不注意で……ごめんっ、ごめん、ね………………っ」
突如として、先輩の目から雫がこぼれ落ちた。
「せん、ぱい……?」
「ごめん、ごめんね、千太くん……! わたし、千太くんの優しさに甘えて、すごい負担かけちゃってた……ごめ、ごめぇん……っ‼」
先輩が顔をくしゃくしゃにしながら涙を流す。
思い返しても、先輩の涙を見るのは初めてだ。俺と相坂さんが見ているのも気にせずに、ボロボロと大粒の涙を落とした。
「せんぱい……」
「だがらっ!」
だが、俺が慰めようとする前に先輩はガバっと立ち上がった。
鼻が赤くなっているが、それ以上にその目は決意が宿っていた。
「わたしが、何とかして見ぜるから‼」
それはいつもの先輩からしたらだいぶギャップがある、不格好な顔だったが。
それでも、その笑顔だけは心強かった。
――――――――――――――――
「先輩、どこに行ったんでしょう」
「どうでしょうね」
そのまま病院をあわただしく去っていった先輩。
そして残されたのは俺と相坂さんの二人だけ。
……き、気まずい。
「こ、この平日の昼間ってあんまりおもしろいテレビやってないですよね!」
「そうですね」
……き、気まずい。
俺が必死に慰めようとしているのが、相坂さんに伝わってしまっているのだろう。
相坂さんの返事はどこか浮ついていて、それでいて質感が伴っていなかった。
俺のために剥いてくれているのだろうリンゴは、もう皮だけではなく実まで剝かれてしまっている。どんどんやせ細っていくリンゴを前に、俺は言葉を詰まらせていた。
「あの、相坂さん。ほんと気にしなくて大丈夫ですよ」
「…………」
「ほら、あそこで逃げたら後ろの先輩が危ないって思ったんでしょ? だから仕方ないですって」
相坂さんのことだから、あのナイフを避けるくらいはできたはずだ。
それができなかったのは、後ろに先輩がいて避けると先輩に代わりに当たってしまうと思ったからに違いない。
だが、そんな俺の言葉は相坂さんには届かない。
「私だってやりようはいくらでもあったはずなんです。成瀬さんが信楽さんにしたみたいに後ろの真理を突き飛ばして先に安全を確保するとか、真理ごと押し倒して避けるとか」
「そ、それは結果論というかですね! そもそもあのときに相坂さんの方にナイフが飛んでいくなんて誰も予想できなかったですから!」
「ああいう訓練は何度も受けてきたのに、ね……」
自嘲気味に笑う相坂さん。
その顔は儚くて、風が吹けば飛んでしまいそうだった。
だから思わず。
「――っ⁉ 成瀬さん⁉」
その頭に手を置いてしまっていた。
その綺麗でさらさらした銀髪を、撫でていた。
「大丈夫ですよ、相坂さん。俺はこの通り無事なんですから」
「~~~~ッ⁉」
そんなことをしていると、すぐさま相坂さんがぴょんと跳ねて俺から距離を取る。
「にゃっ、にゃっ、なっ、なっ、何するんですか――⁉」
「あ、ご、ごめんなさいっ。すみません、つい癖で……」
いつも傷ついた鳴を見るたびに同じことをやってしまっていたから、それが癖で出てしまった。
――てか今、にゃっ、にゃっ、って……。相坂さん、言動とかたまに猫みたいなところあるよな。
そんな相坂さんは顔を真っ赤にして抗議の気持ちを示してくる。
「本当にごめんなさいって……。もうしません、しませんから」
「これが天性の女たらし……」
酷い言われようだったが、しかし確かにいつもの相坂さんらしさが戻ってきている。
いつもの人をゴミのような目で見ている相坂さんだ……ってそれはそれでいいのか?
まあとにかく。
「相坂さんにやれって言われたトレーニングでついた筋肉でやばいところまで怪我しなくて済んだのかもしれませんし、相坂さんが自分を責めるようなことではないですよ」
「…………」
俺がそこまで言うと、相坂さんは諦めたような顔をして「はあ」とため息をこぼすと、
「私も成瀬さんも、まだまだ筋トレが足りないですね」
と口にして照れくさそうに頬をかいて笑った。
とりあえず、ひとまず調子を取り戻したようで何よりだ。
――え、俺も筋トレ足りてないんすか?
「ところで真理は、一体何を考えているんでしょうね」
「嫌な予感だけはしますけど」
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