第26話 SIDE GIRLS②

「そう、分かった……。とりあえずマコちゃんと黄緑くんは原因を突き止めて。うん、ごめんね」


 真理は屋上で服部と一ノ瀬から連絡を受けていた。屋上にいるのは教師に見つからないようにするためだ。校内で携帯を使うことは校則で認められていない。


 二人から聞いた情報は、千太の個人情報がネットでばらまかれていること、そしていま彼が窮地に立たされているという二つのことだった。

 それを聞かされ、真理はふうっと息をついた。


「なんでまた千太くんが……」


 あんなに性格のいい千太がどうして、と真理は独り言ちる。

 この世の理不尽に、真理はどうしようもなく打ちのめされていた。


「あ、いた‼」


 そんなタイミングだった。屋上に鳴と勝が到着したのは。


「あなたは……信楽さん? それに永瀬君、だっけ」


 鳴と勝のことを思い出す。たしか千太が学校で仲良くしている数少ない友人のはずだ。

 勝の方はよくわからないが、鳴はたしか千太の幼馴染だったはず。そう確認していると、突如。


 鳴が真理の胸ぐらをつかんだ。


「な、なに⁉」

「あんたがッ‼」


 見ると鳴の目は怒りに満ちている。服を掴む手も尋常じゃないほど力がこもっているし、絶対に離さないという意志がはっきり見えた。


 突然の浴びたことのないほどの憎悪に、真理は戸惑う。


「な……なに………………っ?」

「分かるだろ‼ センのことだ‼」


 声を荒げる鳴。だが力が強いあまり真理の呼吸が困難になっていることに気が付いた勝が慌てて鳴を止めた。


「信楽、落ち着け! 嘉瀬先輩にあたってもしょうがないだろ!」

「げほっ、げほっ……!」


 勝が真理を背中に鳴の正面に立つことで、鳴も冷静に返る。

 目の前でかすれたような咳をする真理を見て、やってしまったと気が付いた。


「あの……ごめん、なさい」

「だ、大丈夫。これくらい大したことじゃないわ」


 だが、寛容に許す真理を相手に、鳴は器の違いを見せつけられたような気がして少し腹が立つ。


「落ち着け、信楽。お前も千太のことで熱くなってるだけだ」


 勝にさとされなんとか冷静さを取り戻す鳴。だがその内にある熱は冷めるどころか燃え上がっていた。


「いきなり、どうしたの? 信楽さん」


 呼吸が戻った真理が鳴に柔らかな口調で問う。

 だが、それは逆効果だった。


「あんた……どうしてそんな平気そうな顔をしてるんだよっ!」


 鳴が叫ぶ。びりりと空気が震えた。


 彼女はつづける。


「あんたのせいでこうなってるのに、どうしてあんたが平気そうな顔をしていられるんだよ‼」


 渾身の力を込めて鳴はお腹を震わせる。


「どうして、どうして……‼ センはあんたを思ってあんたを助けてたのに……どうしてあんたはセンを助けてくれないんだよ‼」


 そして怒りから悲痛の叫びに変わった。それこそが、鳴の隠さない本心だった。


 千太は学校で孤立しても、リンチまがいのことをされても真理を責めずに真理に隠し通していたのに。絶対に真理のせいにせず、真理は関係ないからと彼女を守っていたのに。

 なのにどうして真理は千太のことを自分とは関係のないことのように思っていられるのか。それが悔しくて悔しくてしょうがなかった。


「なんで、それなのにセンはあんたを選ぶんだよ……」


 どうしてこうも無責任な奴に、自分の最愛の相手は恋をしちゃうんだよ。

 自分だったらこんな目に千太を遭わせないのに。どうしてこんなろくでもないやつに千太を取られなきゃいけないんだよ……。

 それが、悔しくて悔しくてしょうがなかった。


 勝もじくりと心が痛みながらその言葉を聞いていた。俯いて鳴の顔が見られなかった。


 だが、真理は。


「わたしだって……わたしだって、どうにかしたいよ‼」


 鳴の悲痛な叫びを聞いて、それに応えた。


「わたしだって千太くんがこんな目に遭ってることが許せないし、おかしいと思ってる。どうにかしたいって思ってるし、自分にできることならなんでもするって思ってる」

「じゃあ」

「でも‼」


 口を挟もうとした鳴を、それより強い語気で振り払う。


 それは真理の魂の叫びでもあった。


「わたしじゃ何もできないの……。この今の状況も、千太くんが学校で孤立してたこの1年間も‼」

「なっ、気づいて……⁉」


 驚きの顔を見せる鳴。この1年間、千太がどのような立場にあったのか、それを真理が知っているとは思わなかったからだ。


 しかしそこで、別の怒りが湧いてくる。


「じゃあ知ってて何もしなかったの⁉ 自分が原因で千太が学校で生きづらいって知ってたのに!」


 知っているのならなおさら、何かできることがあったはずだろうと言う。


 でも、真理にはできなかった。


「わたしが何か言ったらそれこそ火に油、どんどん千太くんの立場を悪くしちゃうから。だから、何もできなかった……」


 1年前のあの日。もし変えられたとしたら、あの日に何かできていたら、だ。


 ――あの日、真理は女子生徒と言い合いをした。

 別に大した喧嘩ではなかったはずだった。


 だがそれでも、真理が相手の頬を叩くというところまでいった。それなのにそこにいた誰もが真理のことを擁護した。

 真理がやっているのだから許される、真理を怒らせるようなことを言った相手が悪い。そんな空気が教室中に充満して、真理の背中を後押しした。


 だがそこで相手の女子生徒を擁護したのが千太。


 千太だけは「真理が悪い」と口にした。

 暴力に訴えた真理が間違っていると、きちんと指摘をした。


 ――ただそれだけだった。

 特別なことは何一つ起きていない。千太が普通のことをしたまでだ。


 でもそんなことを言われるとは、この時の真理は思ってもいなかった。

 モデルもやっていたころでちょうど有頂天になっていた。


 だから反論を返す。


『彼女がわたしに酷いこと言ったから!』

『それでも先輩は叩いちゃいけない。叩いてしまったのは、どうせ叩いても許されるだろうって思ってるからだ。それを相手のせいにするな』


 だが完全に論破された。

 見事に心の内を言い当てられてしまっていた。


 そこでようやく、自分が驕っていたことに気が付くことができた。自分の方が悪かったと気が付くことができた。


 ――だからそこでわたしが千太くんに感謝を伝えるなり、千太くんの言い分を認めて謝りさえすれば、こんなことにはならなかったのに……。


 真理は間違いを認めるのが恥ずかしくて、次の日になるまで何も言えなかった。

 だから結局、千太は真理に歯向かった人間として学校で居場所を失ったのだ。


 あの時なにかできていれば、とそう思う日は何度だってあった。

 悔やまないわけはない。だって今では感謝すらしているのだから。


 でも、遅かった。


「わたしじゃどうにもできないの……‼ 何も、できないの……」


 鳥のさえずりのような小さな声。

 どんどん声に力がなくなっていくのが分かった。


 今更になって千太をフォローしたところで、誰の気持ちも変わりはしない。

 それほどまで、千太に対する嫌悪感や憎悪はみんなの中で定着してしまっていた。


「でも」


 だが、何もできなかった自分ではあったけど。


「それでも、わたしが千太くんを好きな気持ちは嘘じゃない……!」


 それだけは譲ることのできない、自分の一番強い感情だった。


 ふにゃっと笑う顔が好きだし、ちょっと褒めると照れるところも好きだし、真剣な時に見せる真面目な顔つきが好きだ。

 一緒にいて楽しいし、ずっと一緒にいたいと思う。


「あんたが、それを言うのか……」

「言う。だって、好きだもん」

「――ふざ、けんな‼」


 だがそれに対して激高したのは鳴。


「アタシだって、センのことが好きだ! あんたなんかよりずっと! ずっと一緒にいたし、ずっと支えてきた。振り回してるあんたとは違って!」


 鳴だって千太のことについては譲れない。

 長い時間をかけて育んできた気持ちがあるし、好きという気持ちだって誰にも負けない自信がある。


「でもあなただって、千太くんに好きって気持ちを伝えられえてないじゃない! そんな子が、本当に千太くんを好きだって言えるの?」

「少なくとも現状、センに一番悪影響なあんたよりはましだろうが!」


 勝が見ていることも忘れて、お互いの言い分を言いたい放題言う二人。


 それはまるで子供同士のけんかのようで。


「――二人とも、熱くなりすぎ」


 千太がいることにも、気が付いていなかった。

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