二章 1-1

 二章


 1


 翌日、ツェリは一人で図書館棟にいた。

 王立学院では午前に必修科目の講義があり、午後は個人が自由に取捨選択できる講義の時間にあてられる。

 女子が選択できるのは裁縫、美容、礼典、医術の四つで、セラは医術を取っているという。

 セラは講義を休んで昨日の続きを案内してくれると言ったのだが、そこまでしてもらうのは悪いと思い、ツェリは先に棟に行って待っていることにした。

 とりあえず迷わず目的の建物に辿り着けたことは重畳ちょうじょうだ。迷ったら、またセラを心配させてしまう。

(これが丸ごと図書館なら、一体どれくらいの本があるの?)

 外から見る限りでは、煉瓦造りの建物の手前側は二階、奥は四階建てになっており、どちらも離宮かと思うほどの大きさがある。内部はツェリが迷子になるのに十分な広さに違いない。

 木製の両開きの扉は片方が解放されている。入ってすぐ、エントランスを挟んだ左右に部屋が一つずつあって、右手側には雑貨屋の、左手側には医務室の札が出ていた。

 雑貨屋の方の扉は開いていて、ツェリは興味本位で覗いてみた。筆記具や帳面などの学用品が並んでいる中に便箋を見つけ、故国への手紙を思い出す。遠方ゆえに届くには時間がかかるだろうから、早いに越したことはないだろうと、昨日のうちに到着した旨をしたためて兄王へ送った。

 学院へ着いたのは昨日だが、アールヴレズル国を出たのはもう半月も前のことだ。兄たちや甥姪は元気か、危険な目に遭っていないか、マリリアーナはきちんと休んでいるだろうかと、故国のことを思うとどうしても心配事ばかりが頭をぎる。自分が気を揉んだところでどうにもならないことはわかっているが、だからといって割り切ることもできない。せめて頻繁に連絡を取ろうと思う。

 雑貨屋には高等学部の制服を纏った女子生徒が三人いて、ツェリへちらちらと視線を寄越している。何か用だろうかと首を捻り、せっかくなので図書室の場所を尋ねてみようと、ツェリは彼女たちに近付いた。

「あの、すみません」

「はっ、はい!」

 三人のうちの一人がこたえて、全員が同時に振り返った。その勢いに、ツェリはややる。

「ツァウラメラ殿下ですよね! 留学していらっしゃった!}

「え、ええ……そうです」

 ツェリが肯定すると、三人はきゃあっと色めき立った。何が起きているのかわからないツェリは、恐る恐る言う。

「その、できれば、殿下っていうのやめてほしいんですけど……」

 三人は手を取り合うようにして顔を見合わせ、また歓声を上げる。

「まあ……! では、なんとお呼びすればよろしいですか?」

「え……普通に」

「でしたら、ツァウラメラ様とお呼びしても?」

「様もやめてほしいです……できれば、ツェリと」

「そんな、恐れ多い!」

「王妹殿下を愛称で、しかも呼び捨てにするなど!」

「わたくしどもにはできませんわ!」

 口々に言われてツェリはますます仰け反った。

「ええと……じゃあ、『さん』で……」

 戸惑いながら答えれば、三人は再び顔を見合わせ、

「承知いたしましたわ、ツァウラメラさん!」

「わたくしどもとも仲良くしてくださいませね、ツァウラメラさん!」

「お声をかけてくださって嬉しいですわ、ツァウラメラさん!」

「ええ……こちらこそ、よろしく……」

 図書室の場所を訊けるような雰囲気ではなく、ツェリは精一杯の笑顔を浮かべて雑貨屋を出た。

(なんだか……『王妹』が一人歩きどころか首位を独走してるような……)

 あまり考えないようにしながら、ツェリは廊下を進んだ。図書室は奥だろうと見当を付ける。

 建てられた年代が違うのか設計士が違うのか、柱や窓などの装飾が中央棟や寮などと異なっていて面白い。

(うわあ……どこもかしこも立派ね)

 内装に気を取られて歩いていたせいで、近付いてくる足音に気付かなかった。

「そちらにおわすのは、ツァウラメラ殿下ではございませんか」

 突然の声に息を呑んで身体ごと振り返ると、四人の少年が立っていた。三人を従えるように中央にいる男子生徒が形式に則った礼をする。

「偶然にもお会いできましたのは、この上なき僥倖ぎょうこう。お呼び止め申し上げた無礼をお許しください」

「え、ええ……」

「お初にお目にかかります。私はカルネロ・ススト・フレゴーナと申します。以後お見知りおきを」

「そうですか……」

 何やら常ならぬものを感じ、気圧けおされたツェリは曖昧に返事をしながらカルネロの後ろにいる三人へ視線を遣った。しかし、彼らは黙礼しただけで名乗るつもりはないらしい。

 カルネロは作り笑いを貼り付けたような顔で続ける。

「お一人でご散策ですか、姫。この建物は増築のせいで少々入り組んでおりますから、居所を見失いやすいのです。我々がお供つかまつります」

 声音にあからさまな媚びが感じられて、ツェリは考えていることが表情に出ないように努めた。

「あの、わたしを姫と呼ぶのはやめ……」

「この学園の警備は万全ですが、不測の事態が起こらないとも限りません。姫君お一人では危険もあるかと存じます」

 どうやら彼は他人の話を聞かない性分らしい。ツェリは早々に退散することにした。  

「……お気持ちはありがたいのですけれど、人と待ち合わせをしているので」

「待ち合わせというのは、どなたと、どちらででしょうか。僭越ながら、ご案内いたします」

「大丈夫です、ここでの待ち合わせですから。それでは……きゃっ!」

 なんとか切り抜けなければと早口で言い、身をひるがして奥へ進もうとした瞬間、ちょうど角を曲がってきた誰かと激突してしまった。ばさばさと本が落ちる音がする。

「ごっ、ごめんなさい」

 ぶつかった拍子に男子生徒が取り落とした本を慌てて拾い上げ、ツェリは目を見開いた。

「目玉スープの人!」

「は?」

 本を受け取った彼は、わけがわからないといった表情になった。

 読書の邪魔をしただけで目玉をスープの出汁にしてやると怒られたのだ、ぶつかってしまった今回は、耳を削いで撒き餌にしてやるとでも怒られそうだと、ツェリは身構えた。

 しかし彼は怒らず、ツェリの顔を見てぎょっと目を剥いた。何故そんなに驚くのだろうと思っていると、後ろから回り込んできたカルネロが大仰な仕草で両手を広げた。

「おやおや、平民特待生のアルテア・ネーエルンじゃないか。貴様ごときが姫を煩わせ申し上げるなど、分不相応にも程があるぞ」

「姫……」

 アルテアと呼ばれた少年が、たしかめるように低く呟くと、カルネロは不快な羽虫を見たとでも言うように顔を顰めた。

「知らないのか? これだから本の虫は困る。過去の知識よりも現在に目を向けたらどうなんだ。しかし、ここが平民には垂涎すいぜんの場だということはわかるぞ。いくら読んでも金がかからないからな。せいぜい今のうちに詰め込んでおくことだ。どうせ役には立たないだろうが」

「な……」

 あまりの暴言にツェリが唖然としている間にカルネロはよく喋った。

「教えてやろう、アルテア。こちらはアールヴレズル国から留学していらっしゃったツァウラメラ王妹殿下であらせられる。いくら特待生とはいえ平民風情が軽々しく口をきいていいかたではない。わきまえろ」

 吐き捨てるように言ってから口調と表情をがらりと変え、カルネロはツェリに笑みを向ける。

「姫、どうか学院の生徒が斯様かような人間ばかりだとはお思いになりませんよう。ここは本来、我々のような由緒正しき家の子弟が通う場所。そこのは例外中の例外ですから。貴族の中には、平民の入学を快く思わない者も多々いるのですが、学院の規範がなかなか改正されないのですよ。我がフレゴーナ家を始め、陳情を続けているのですがね」

 カルネロの言っていることを理解するのに少々の時間を要した。そして、意味が頭に浸透してくるにつれ腹の底から耐え難い灼熱の塊が込み上げてくる。

 笑っているカルネロを睨み、ツェリが感情のままに平手を振り上げようとした瞬間、朗らかな声がその場の空気を粉砕した。

「今日も取り巻きとお散歩か? 図書館棟にいるなんて珍しいじゃないか。おまえに本を読む頭があったとは驚きだな、カルネロ」

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