一章 7

 7


 付き合わせるのも悪いかと思い、セラには先に食堂へ行ってもらった。

 女性護衛官宿舎は、隣り合っている女子寮に比べて随分と小ぢんまりしている。護衛官宿舎の裏に小さな空き地があるので、ツェリとロベリアはそこで話をすることにした。談話室などがあるにはあるが、どうしても人目が気になってしまう。

「初日はいかがでしたか? 何かご不便などはございませんでしたか」

「ええ、概ね順調に。セラっていう、同室になった子にいろいろ案内してもらったんですけど、広くてびっくりしました。―――そういえばロベリアさん、それ私服……じゃないですよね? アールヴレズル軍の制服とも違うし」

 再会したロベリアは、深緑を基調にした軍服ふうの衣装を纏っていた。ツェリが初めて目にする服装である。

「これはシーグルム王立学院生徒の護衛官の制服なのだそうです。学院内では着用の義務があるとのことで、貸与たいよされました」

「そうなんですか。やっぱり他国の軍服は無用な警戒を招くということでしょうか」

「それもあるかと存じますが、他国の武官であろうと、私兵であろうと、傭兵であろうと、生徒付きの護衛官であれば例外はない模様ですので、外部の人間や、学院の警備と区別するという目的が大きいかと」

 ふむふむとツェリは頷いた。学院の警備の制服は黒なので、簡単に見分けがつく。

「女性の護衛官は私を含めても六人しかいないそうで、できれば他の女子生徒も気にかけて欲しいとミセス・ネルケに頼まれてしまいました」

「ええ、それはもう。男子生徒だって立ち入り禁止なのに、護衛官といえども男の人が女子寮に入ったら騒ぎになりそうですもんね。目を配ってあげてください」

「はい。我々もなるべく女子寮へ入ることは控えるようにと。学院の警備が巡回しているとはいえ、それはあんまりだと抗議したのですが聞き入れられず……ツァウラメラ様の御身おんみをお守りするのが第一だというのに、申し訳ありません」

「そんな、謝らないでください。ここまで一緒に来てくれたことだけで、ロベリアさんにはいくら感謝しても足りないくらいなんですから。兄様が指名したばかりに……ごめんなさい」

 ツェリの護衛官である以上、ロベリアも冬期休暇まではアールヴレズルに帰れない。ただ若い女性将校だからというだけ選ばれてしまったロベリアに、ツェリは申し訳なく思う。彼女は望んでここへ来たのではない。

 ロベリアは胸に片手をあて、生真面目に頭を垂れた。

「とんでもないことでございます。お褒めのお言葉として頂戴します。最もお側でツァウラメラ様をお守り申し上げる役目は身に余る栄誉、光栄に存じます」

「……ええ、ありがとう。わたしもロベリアさんが来てくれて嬉しいです」

 ツェリはため息を堪えて笑顔を作った。不意に込み上げた寂しさと共に沈んでしまいそうになる気持ちを切り替え、改めて口を開く。

「講義がある日は話す時間がとれなくなりそう。毎日ここで会うことにしませんか? 朝食と夕食の鐘を合図にして」

 講義の開始、終了とは別に、一日に五回、朝食、昼食、夕食の前と、起床、消灯の合図に鐘が鳴る。生徒はそれに従って寝起きしたり食堂へ移動したりするが、護衛官の宿舎はそれだけで独立しており、食堂なども宿舎にあるのだという。

 それをセラから聞いた時、護衛官と生徒の接触は最低限になるようにしてあるのかもしれないとツェリは考えた。ロベリアと意識して会う時間を作らなければ、一度も顔を合わせぬまま一日が終わってしまいそうな気がする。

 ロベリアは大きく頷いた。

「承知いたしました。朝と夕にこちらでお待ちします」

「うん、お願いします」

 そこで、夕方の鐘が鳴った。そろそろ食堂へ向かった方がいいだろうかと、ツェリは話を切り上げることにする。

「それじゃあ、今日はこれで」

「これからどちらへ?」

「ご飯を食べに食堂へ行きます」

「お供いたします」

「大丈夫ですよ、そっち回ればすぐですから。また明日」

 引き留められる前にと、ツェリは片手を振って踵を返した。女子寮と食堂の間にはさほど距離はない。寮の裏側を回れば、あとは一本道なので迷う要素はどこにもない。

(さすが、兄様が選ぶだけあって過保護よね、ロベリアさん)

 ついてきていないだろうかと心配になり、ツェリは背後を振り返ってみた。隠れられるような場所はなく、人影もないので、今日は諦めてくれたらしい。

(ロベリアさんだって疲れてるんだから、今日くらいわたしのことを気にしないで休めばいいのよ)

 道中、ツェリは馬車に揺られていればいいだけだったが、ロベリアを始め衛兵や侍女たちは細々とツェリの世話を焼いてくれた。疲労もツェリとは比べものにならないに違いない。

 考えながら歩いているうちに食堂が見えてくる。それにつれて生徒の数も増え、比例するように向けられる視線も増えて、ツェリは内心で自分の迂闊さを呪った。今の己は目立つ存在なのだから、もう少し目立たない方策を探すべきだった。

(……うう、セラはどこだろう)

 注目されるのに慣れていないツェリは、精一杯平静を装いながら入口へと足を進めた。段を上ろうとしたところで、横から声がかけられる。

「ツェリ」

 声のした方へ顔を向け、セラの姿を認めてツェリはほっと破顔した。

「セラ、待っててくれたの?」

 早足で歩み寄りながら問えば、セラは笑んで首肯する。

「ええ、お食事をご一緒したいと思って」

「ごめんね、結局待たせちゃって」

「わたくしが勝手に待っていたのだもの、ツェリが謝ることはないわ。さ、参りましょう」

「ありがと」

 セラについてツェリは食堂の中へ入った。窓際にある四人がけのテーブルが空いており、それを示してセラが椅子の一つに腰掛ける。向かいにツェリが座るのを待ってから、彼女は再び口を開いた。

「護衛官には会えて?」

「うん、会えた。―――護衛官って、宿舎も食事も別でしょ? 会う時間を作らないとロベリアさんと一日会えなくなりそうだから、朝と夕方に会うことにしたわ。鐘を合図に」

「……そう、よかった」

 複雑そうな笑みを浮かべるセラへ、ツェリは首を傾げる。

「セラは、護衛官とはあんまり会わないの?」

「ええ、必要な時以外は。大体の生徒はそうよ」

「そうなんだ……」

 寮生活でも、生徒は友人がいれば寂しくないのかもしれないが、護衛官はどうなのだろうと思う。護衛官どうしでも交流があるのだろうか。生徒一人につき一人だけ随従できる護衛官は、ツェリにとっては最も身近な存在だ。しかし、シーグルムの人々はそうは考えないのかもしれない。昼間もツェリがロベリアのことを口にしたとき、セラは驚いてた様子だった。

 思索に沈んでいると、セラがぽつりと呟く。

「ツェリは、身分などで分け隔てをしないのね」

「え?」

 突然話が変わった気がして、ツェリは目を瞬いた。

「うーん……そういうのとは、違う気がする。ロベリアさんにとって護衛は仕事だけど、わたしはロベリアさんに凄く助けられているもの」

 相手の仕事だから、尽くされて当然だとは思えないし、身分というのも理由にはならない。ツェリはたまたま王家に生まれただけだ。ましてや、まだ子供で、王族としての責務を殆ど果たせないのだから、血筋を笠に着て礼を失する振舞いをするのはどうかと思う。

「身分なんて、その人の立場わかりやすくするための、肩書きみたいなものでしょ。アールヴレズルでは、王族だ貴族だって言っても、たまたまその家に生まれついただけ。特別なものは何もないわ。王家だって、歴史は古いけど、それだけだもの」

 おまけに貧乏国なので、いつもやりくりに頭を抱えているレシエンツァのことを見ていると、国王になりたがる人の気が知れない。ツェリの三人の兄たちは、王位を奪い合うのではなく、明らかに擦り付け合っていた。

「勿論、相応の敬意は必要だと思うけど、身分が高ければ高い分、責任を負ってるってことだし……それだって、町を一歩出れば―――たとえば、何もない草原に放り出されでもしたら、無意味じゃない? 王様だ兵士だって言っても、結局は人だもの。身分とか立場とか、そういうのに縛られて話ができないのは勿体ないと思う。相手が誰でも、話してみないと何もわからないでしょ」

 セラはほんの僅かの間ぽかんとツェリを見つめ、次いで花の蕾が弾けるかのような笑みを浮かべた。その美しさに思わず見惚れてしまってから、ツェリはセラの本物の笑顔を初めて見たと思った。これまでの、どこか人形めいたものとはまったく違う。

「ツェリは、とても革新的な考え方をなさるのね」

「え……、そうかな? 革新……?」 

「ああ、わたくしをツェリと同室に選んでくださった学長とミセス・ネルケに感謝しなければ」

 胸の前で手を組み合わせ、セラは祈る仕草をした。何をそんなに喜んでいるのかわからなかったが、ツェリこそセラと同室にしてくれたことを学長とミセス・ネルケに感謝したい。

(セラとならきっと、上手くやっていけるわ)

 そうこうしているうちに料理を満載したワゴンが近付いてきた。給仕が一礼してからテーブルに料理を並べ始めるのを見て、ツェリはテーブルと給仕とを交互に見る。

「……わたし、何も頼んでないけど」

「食事どきは席に着けば料理が運ばれるのよ。時間外は頼まなければいけないけれど」

 二人分の夕食を並べ終えた給仕は、再び一礼してしずしずと去って行った。よく見れば、あちらこちらで同じような光景が繰り広げられているが、誰も疑問に思っていない様子で談笑している。

「こんなに広くて、生徒がたくさんいるのに?」

「わたくしも最初は驚いたわ。少人数ならともかく、たくさんの生徒たちの動きをどうやって把握しているのか、未だにわからないのよ。魔術でも使っているのかしらね」

 冗談めかしたセラの言葉に、それもあるかもしれないとツェリは頷く。

 魔術とは、この世のあらゆる物質に含まれている「幻素マディス」を操るすべのことで、式を書くことで幻素を制御し、様々な現象を引き起こす。火ののないところで物を燃やしたり、水場がないのに水や氷を作り出したりといったじゅつが代表的なものだ。人間も例外ではなく、体内に幻素を持っているので、それを利用して生徒の人数や位置を把握する魔術が使われていても不思議ではない。

(学院専属の魔術士を雇う余裕ありそうだものね……これだけ大きければ)

 魔術は便利だが、無条件で使用できるわけではない。術式の構築は誰にでも可能である反面、術式の起動には天資が必要だ。ゆえに、術式を起動できる者―――魔術の使い手は特に「魔術士」と呼ばれる。

 魔術の才は生まれつきのものなので、後天的に魔術士になることはできない。どうやらバルトヘルム家は魔術に縁のない家系らしく、ツェリの両親も三人の兄たちも、兄の子供たちも魔術を扱うことはできない。そのためツェリは、魔術に関することは基礎理論程度しか学ばなかった。

 セラは短い祈りを捧げた。

「冷めないうちにいただきましょう」

「うん。―――…」

 テーブルの上に意識を戻し、そこに展開されている光景を見てツェリは何事かと目を疑った。パン、スープ、野菜の皿はわかる。しかし、豪勢な肉料理と魚料理が並んでいる意味がわからない。

「……今日は、何かのお祝いなの?」

「どうして?」

「なんだか、凄く豪華だから」

「そう? 夕食はいつもこんな感じよ」

「いつも……」

 普段でこうなら宴の時はどうなってしまうのだろうと無用な心配をしつつ、今日の糧に感謝してツェリもスプーンを手に取った。

(お金があるって、こういうことなのね……)

 無論、ここがシーグルム国でも最高水準の教育を受けられる、王立学院だということもあるだろうが、日常的にアールヴレズル国では宴にしか出てこないような料理が出てくる。ここだけを見て単純に国力を比べられないだろうが、歴然とした差があるのは確かだ。

「……いただきます」

 故国の人々へ申し訳ない気持ちになりながら手を合わせ、透明なスープを口に運んでツェリは固まった。

(これは……!)

 美味なのは勿論、恐ろしく手の込んだ味がする。見た目は普通のスープなのに、想像もできないほどの工程を踏んでいるに違いない。

「お口に合わなかったかしら」

「い、いえ! 凄く美味しくてびっくりしたの」

「それならよかったわ」

 安堵した様子で微笑み、食事を続けるセラに倣ってツェリも料理を食べ進める。アールヴレズルでの食事に不満を持ったことはないが、それとは別の次元で学院の食事は豪華で美味しい。

(舌が肥えちゃったらどうしよう……)

 あながち無用とは言い切れなくなってきた心配を胸に、ツェリはほどよく火の通った白身魚を噛みしめた。

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